ウィスコンシンで会った人々 その54 盲人噺

盲人が主人公の落語も結構ある。「心眼」という演目はほろりとして、また酒と夢、女が絡む可笑し味もある古典落語である。そのあらすじだが、目が不自由な按摩の梅喜、女房のお竹に慰められ、目があくようにと薬師如来に三七、二十一日の日参をする。それが叶って眼がみえるようになる。

得意先の上総屋の旦那から、女房のお竹は醜女だが、気だてのよい貞女であることを聞かされる。梅喜はわが女房ながらそんなにひどいご面相かとがっかり。そこで昔の馴染みの芸者、小春と一緒になろうと待合で酒を酌み交わす。

二人が富士横町の待合に入ったという上総屋の知らせで、お竹が血相を変えて飛び込んでくる。梅喜の胸ぐらをつかんで、
「こんちくしょう、この薄情野郎っ」
「しまった、勘弁してくれっ、おい、お竹、苦しいっ、、」

途端に梅喜は、はっと目が覚める。
「うなされてたけど、悪い夢でも見たのかい」という優しいお竹の言葉に、梅喜我に返って、
「あああ、夢か。。。お竹、おらあもう信心はやめるぜ」
「どうして?」
「目が見えるって妙なものだ。寝ているうちだけ、よぉく見える……」

「景清」は眼を治そうと一心に清水寺に日参し南無妙法蓮華経と唱える定次郎の話である。満願の100日目になった。奇しくも観音講にあたる18日で賑わう中、いつもにも増して熱心に願を掛ける定次郎。しかしいくらお願いしても、彼の眼はいっこうに明かない。とうとう怒り出した定次郎。心配して様子を見に来ていた甚兵衛にたしなめられるが、定次郎は涙ながらに答える。「母親が満願の今日に合わせて着物をこしらえてくれた。家で赤飯と酒の用意をして待ってくれている。」にわかに、空がかき曇り雨が降ってきた。稲妻が閃き、雷鳴が轟く。そして、取り残された定次郎に雷が落ち、定次郎は失神する。その衝撃で目が開くというお目出度い噺である。

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