鹿は春日大社の神使いとされ、誠に手厚く保護されてきた。庶民は鹿にかしずくほどであったという。ちょっと叩いただけでも罰金、もし間違って殺そうものなら、男なら死罪、女子供は石子詰めという刑が待っていた。興福寺の小僧が習字の稽古中に大きな犬が入ってきたと思って文鎮を投げたところ、それは鹿だった。当たり所が悪く死んでしまい石子詰を受けたという話もある。石子詰とは地面に穴を掘り、首から上だけ地上に出るようにして埋める罰である。
奈良の町に豆腐屋を営む老夫婦が住んでいた。ある朝、主である与兵衛が朝早くに表に出てみると、大きな赤犬が「キラズ」といわれた「卯の花」の桶に首を突っ込み食べていた。卯の花とはおからのこと。与兵衛が手近にあった薪を犬にめがけて投げると、命中し赤犬は死んでしまう。ところが、倒れたのは犬ではなく鹿だった。
当時、鹿を担当していたのは代官と興福寺の番僧。この二人が連名で願書を認め、与兵衛はお裁きを受ける身になる。この裁きを担当することになったのは、名奉行との誉れが高い根岸肥前守。お奉行とて、この哀れな老人を処刑したいわけではない。何とか助けようと思い、与兵衛にいろいろとたずねてみるが、嘘をつくことの嫌いな与兵衛はすべての質問に正直に答えてしまう。困った奉行は、部下に鹿の遺骸を持ってくるように命じる。そして鹿の餌料を着服している不届き者がいるとして、逆に代官や番僧らを責める。そして鹿が犬であることを認めさす。
「佐々木政談」はこちらも名奉行で知られた南町奉行、佐々木信濃守。非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中見回りをする。そこで子供らがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まる。面白いので見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、さかしいガキがさっそうと奉行役で登場する。この奉行役の子供の頓智に佐々木信濃守は偉く感心してやがて子供をとり立てるという噺である。
「天狗裁き」の奉行は大分違う。家で寝ていた八五郎が女房に揺り起こされる。「お前さん、どんな夢を見ていたんだい?」八五郎は何も思い出せないので「夢は見ていなかった」と答えるが、女房は隠し事をしているのだと疑う。「夢は見ていない」「見たけど言いたくないんだろう」と押し問答になり、夫婦喧嘩になってしまう。喧嘩の仲裁に入った長屋の差配、町役人も夢の噺を聞きたがる。挙げ句の果てお白洲に訴えられ、奉行までもが夢の話を聞きたいといって八五郎を責め立てる。最後に高尾の山に飛ばされ、そこで天狗にまで夢の話を聞かせろと苛まれる愉快な話である。
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