百人一首からの演目もいくつかある。その一つが「千早振る」という作品である。崇徳院が作ったという「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の、、、」というのも落語の演目となっている。今回は在原業平の「千早ふる神代も聞かずたつた川、からくれないに 水くぐるとは」がテーマである。
八五郎の娘連中は百人一首のカルタ取りをしている。取るだけでは面白くないから歌の内容を調べてみようということになった。そこで八五郎をとおして隠居のところにその歌のわけをききにくる。隠居は2〜3回読み直しているとアイディアがひらめいてきた。「竜田川、、、八五郎、この竜田川は何だと思う」、「川が付くから何処かの川だと思うかい。違うんだな、竜田川ってのはおまえ、相撲取りの名だ」。人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った際、「千早」という花魁に一目ぼれするが、肘鉄をくらう。こうなると隠居の一人舞台になって前代未聞の歌の読み解きが始まる。
「たらちね」だが、ある長屋に住む独り者の八五郎が主人公。大家に呼ばれ、「店賃の催促かい?」と勘ぐりながら伺ってみれば、何と縁談話。相手の娘だが、年は二十、それに器量良し、おまけに夏冬のものをいっさい持参という触れ込みの娘である。独り者には願ってもない縁談、しかし話がうますぎる。不審に思った八五郎、大家に問いただしてみると、やはりこの娘には「瑕」があった。厳格な漢学者の父親に育てられたせいで、言葉が改まりすぎて馬鹿丁寧なのだという。八五郎は結局その娘を嫁にもらうのだが、嫁の語り口が何が何だかさっぱりわからなくなる。なお、「たらちね」の漢字表記は「垂乳女」となっている。
「平林」もおかしみがある。丁稚の定吉は、医師の「平林」邸に手紙を届け、その返事をもらって来るよう店主から頼まれる。定吉は、行き先を忘れないように口の中で「ヒラバヤシ、ヒラバヤシ」と繰り返しながら歩くが、結局忘れてしまう。定吉は思い出すため、手紙に書かれた宛先の「平林」という名前を読もうとするが、そもそも字を読むことができなかったことに気づく。
そこで、通りがかった人に、「平林」の読み方をたずねることにする。最初にたずねられた人は「それはタイラバヤシだ」と答える。安心した定吉は、別の人に「タイラバヤシさんのお宅は知りませんか?」と聞くが、要領を得ないので手紙を見せると、その人は「「平」の字はヒラと読み、「林」の字はリンと読む。これはヒラリンだろう」と定吉に教える。また別の人に「ヒラリンさんのお宅は知りませんか?」と聞き、手紙を見せると、「平林」の書き順どおりに「イチハチジュウノモクモク(一八十の木木)と読むのだ」と定吉に教える。さらに別の人が同じように定吉に問われると、「ヒトツトヤッツデトッキッキ(一つと八つで十っ木っ木)だ」。
困った定吉は、教えられた読み方を全部つなげて大声で叫び、周囲の反応をひこうとする。叫びはやがてリズミカルになり、歌のようになっていく。「タイラバヤシかヒラリンか、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ」
やがて定吉の周りに人だかりができる。そこを通りがかった、定吉と顔見知りの職人の男が駆け寄ると、定吉は泣きながら「お使いの行き先がわからなくなった」と職人に訴える。職人が「その手紙はどこに届けるのだ?」と定吉に聞くと、
「はい、ヒラバヤシさんのところです」
「たらちね」は、和歌に見られる修辞である母を指す枕詞である。独特の情緒を添える言葉となっている。「青丹によし」は奈良を指す、というのは受験勉強でもでてきた。