ウィスコンシンで会った人々 その99 品川宿噺 「居残り佐平次」

品川は東海道の喉っ首。最初の宿である。四宿といわれた品川、新宿、千住、板橋の中でも一番の賑わい所だった。そのようなわけで庶民や旅人の岡場所ともなる。東海道を目指す旅人が品川でスッカラカンになり、家族や親戚に送ってもらった日本橋にすごすごと戻るという枕もある。

若い連中が遊廓で繰り込むことになったが、みんな金がない。そこで一座の兄貴分の佐平次が「土蔵相模」という有名な見世で乱痴気騒ぎをする。その夜、佐平次は仲間を集めて二円の割り前をもらい、「この金をお袋に届けてほしい、お前たちは朝立ちしてけえれ、、」、と申し伝える。

一同驚いて、「兄貴はどうするんだ」と聞くと、「体の具合がよくないので、医者にも転地療養を勧められている矢先。当分品川で海風を受けて、旨いものを食いのんびりするつもりだと言う。翌朝、土蔵相模の若い衆が勘定を取りに来ると、佐平次はなんだかんだいって煙にまき始める。まとめて払うからと言いくるめ、夕方まで酒を追加注文してのみ通し。蒲団部屋で居残りを決め込む。

夜になり見世が忙しくなると、酒肴の運びから客の取り持ちまで、手際よく手伝い始める。器用で弁が立ち、巧みに客を世辞で丸めていい心持ちにさせる。おまけに幇間顔負けの座敷芸まで披露する。幇間とは男芸者のこと。たちまち、どの部屋からも「居残りを呼べ!」と引っ張りだこになる。こうして佐平次はいつの間にか「居残り佐平次」と呼ばれるようになっていく。

ところが人気の出た居残りに面白くないのが他の若い衆。客は居残りに小遣い銭を渡すので「あんな奴がいたんでは飯の食い上げだ。叩き出せ!」と主人に直談判する。旦那も放ってはおけず、佐平次を呼び勘定は帳消しにするから帰れと言う。

ところが佐平次、「悪事に悪事を重ね、お上に捕まるとドテッ腹に風穴が開くから、もう少しかくまっててくれ」と、とんでもないことを言いだす。旦那は仰天して金三十両に上等の着物までやった上、ようやく厄介払いした。それでもあやつが見世のそばで捕まっては大変と、若い衆に跡をつけさせると、佐平次は鼻唄まじりでご機嫌。それを見た若い衆が問いただすと居直って、「おれは居残り商売の佐平次ッてんだ、よく覚えておけ!」と捨てぜりふ。それを聞いた旦那は地団駄踏む。

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ウィスコンシンで会った人々 その98 侍噺 「粗忽の使者」

「粗忽」。なんともとぼけたいい響きの言葉である。粗忽者は落語では一番人気の演題といえようか。町人にはこうした者が登場するが、侍の世界での粗忽は大変である。下手すると切腹を言い渡される。だが、酔狂な大名には、こうした粗忽者を可愛がるのもいたようだ。

ある大名の家臣に地武太治部右衛門という虚けの侍がいた。あだ名は「治部ザムライ」。驚異的な粗忽者だが、そこが面白いというので殿様に大層気に入られていた。

ある日、治部ザムライ大切な使者を仰せつかり、殿様の親類の屋敷に赴むこうとする。家を出る時、慌てるあまり犬と馬を間違える。馬に後ろ向きで乗ってしまい、「馬の首を斬って後ろに付けろ」と言ったりして大騒ぎとなる。

使者の間に通され、官房長官のような田中三太夫が使者の口上を問うが、治部ザムライどうしても思い出せない。思い出せないのでここで切腹すると言い出したが、三太夫が止める。幼い頃より父に居敷(尻)をつねられて思い出すのが癖になっているので、三太夫に居敷をつねるように頼む。

早速太夫が試したが、 今まであまりつねられ過ぎてタコになっているので、いっこうに効き目がない。「ご家中にどなたか指先に力のあるご仁はござらぬか」と尋ねても、指先の力は、、、と若い侍はみな腹を抱えて笑うだけ。

これを耳にはさんだのが、屋敷内で普請中の大工の留っこ。そんなに固い尻なら、一つ俺が代わってやろうと釘抜き道具を忍ばせた。三太夫に面会し、指には力があると云う。だが、大工を使ったとあっては大名家の沽券に関わるので、留っこを仮の武士に仕立て、チョンマゲも直し着物を着せる。留っこでは、しめしがつかないといって「中田留五郎」ということにし、治部ザムライの前に連れて行く。

三太夫が留五郎殿と何回呼んでも返事がない。やむなく”留っこ”と言うとすかさず返事が戻ってくる。 あいさつは丁寧に、言葉の頭に「お」、しまいに「たてまつる」と付けるのだと言い含められた留っこ、初めは「えー、おわたくしめが、おあなたさまのおケツさまをおひねりでござりたてまつる」などと言うので、三太夫は誠に当惑する。

早速、居敷をつねろうとして三太夫を次室に追い出す。留っこは治部ザムライと二人になると途端に職人の地がでて、「さあ、早くケツを出せ。なに、汚ねえ尻だナ。硬いな。いいか、どんなことがあっても後ろを向くなよ。さもねえと張り倒すからな」。

エイとばかりに、釘抜き道具で尻をねじり上げる。
治部ザムライ 「うー、キクー、・・・もそっと強く」
留っこ 「どうだこれで」、
治部ザムライ 「ウーン、あぁー、痛たタタ、思い出してござる」

すかさず次の間で控える三太夫が「して、ご口上は?」と質す。
治部ザムライ 「聞かずに参った」。

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ウィスコンシンで会った人々 その97 長屋噺 「粗忽長屋」

八公、熊公が登場する噺である。八五郎はそそっかしく無精で、熊五郎は能天気で率爾という具合。二人とも長屋の粗忽さではひけをとらない。八五郎の方は信心はまめで、毎朝浅草の観音様にお参りに行く。

観音堂の道端に人だかりができている。聞けば昨晩行き倒れが見つかったとか。八五郎は群衆の股ぐらをかきわけていくと、役人たちが通行人に死体を見せて知り合いを探している。友達も親戚もいないようだ。行き倒れは長屋に住む店子の熊五郎だと判明するが誰も引き取ろうとしない。そこに長屋の大家もいるのだが大のしみったれ。引き取りや葬式費用をだしたがらない。

八五郎は死人の顔を見るなり、「こいつは同じ長屋の熊五郎だ。そういえば今朝こいつは体の具合が悪いと言っていた」と言い出す。役人たちは「この行き倒れは今朝会ったというお前の友達とは別人だ。死んだのは昨晩だから、」と言うが、八五郎は聞く耳を持たず、「本人を呼んでくる。これは当人の熊五郎だ。」と言ってその場を立ち去る。

急いで長屋に戻った八五郎は、熊五郎をつかまえる。
八五郎 「浅草寺の近くでお前が死んでいたよ」
 熊五郎 「人違いだ。俺はこうして生きている」
 八五郎 「お前は粗忽者だから、自分が死んだことにも気が付かないんだ」

熊五郎は自分が本当に死んだのだと納得してしまう。そして自分の死体を引き取るために八五郎に付き添われて浅草観音へ向かう。途中、死骸を引き取るのは気持ちが悪いとか怖いといいだす。

浅草観音に着いた熊五郎は、死体の顔を改めて「これは間違いなく俺だ」と言う。役人は呆れて「この死体がお前のわけがない」と言うが、熊五郎も八五郎も納得しない。二人が「熊五郎の死体」を抱き起こして運び去ろうとするので、役人たちが止めに入り、押し問答になる。

 熊五郎 「どうもおかしくなった。抱かれているのは確かに俺だが、、、
 熊五郎 「抱いている俺は一体誰だろう?」

死人と本人が会話するという奇想天外な発想だが、これが落語の荒唐無稽さである。笑いは非日常性にあると思われる。

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ウィスコンシンで会った人々 その96 代書屋噺

西東京の福生市には米軍の横田基地がある。基地前の通りには英語の看板がずらりと並ぶ。いろいろな文書の翻訳を生業とする商売が今もある。運転免許申請書を作るのも現代の代書屋というか行政書士である。

江戸時代、読み書きができない者もいたようだ。大工の仲間では、読み書きができる者をおちょくる小咄もある。「てめ前、なにを書いているんか?」「兄いに手紙を書いている」「兄貴は読み書きできるんか?」「いいや、できん」

「代書屋」という演目を紹介する。履歴書の代書を頼みにきた読み書きができない男。代書屋との珍妙なやりとりが始まる。代書屋は丸い黒縁のメガネをかけ狸のような風袋である。

代書屋 「名前は?」
男 「湯川秀樹」
代書屋  ???
代書屋 「ほんとか? 湯川不出来じゃないか」

代書屋 「生まれはどこ?」
男 「産婆さんのところ」

代書屋 「生まれた場所の住所をきいている」
男 「吾妻橋のそば」
代書屋 「墨田区向島一丁目としておこう」

代書屋 「現住所は?」
男  「永田町一丁目一番地かな」
代書屋 「そこは総理大臣官邸、あんたはどうかしている、、」

代書屋 「学歴は?」
男 「尋常小学校」。「尋常小学校に二年いった」
代書屋 「尋常小学校卒業でなく中退と書いておこう、二字訂正 判」

代書屋 「職業は?」
男 「饅頭屋」
代書屋 「饅頭屋を開業す、、としよう」
男 「饅頭屋は半日でやめた」
代書屋 「なんでそれを先に言わない! 一行抹消 判」

そのうち、履歴書が訂正と抹消で真っ黒になるという噺である。

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ウィスコンシンで会った人々 その95 艶噺 「錦の袈裟」

与太郎噺のひとつに「錦の袈裟」がある。通称、与太は、少々虚け者ということになっている。町内の若者たちが吉原へ遊びに行く相談をした。隣町の若い者のいでたちが凄いということが伝わったきた。それに負けてはならじと、なんとか粋な格好をして出かけようということになった。

そこで「質屋に何枚か質流れの錦の布があり、使っていいと番頭に言われているので、それを褌にして吉原へ乗り込み裸で総踊りをしよう」と決める。ところが、布が一枚足りない。仕方なく、与太には自分で工面させることにする。

与太は家へ帰ると、しっかり女房がいう。「行ってもいいが、うちに錦はないよ。じゃ檀那寺の住職にお願いしておいで。『褌にする』とは言えないから『親類の娘に狐がついて困っております。和尚さんの錦の袈裟をかけると狐が落ちる、と聞いておりますので、お貸し願います』と言って借りてきなさい」

知恵を授けられた与太、寺へやってきてなんとか口上を言って、一番いいのを借りることができる。和尚からは「明日、法事があって掛ける袈裟じゃによって、朝早く返してもらいたい」と念を押される。帰宅して女房に袈裟を褌にして締めてもらうと、前に輪や房がぶら下がり、何とも珍妙な格好になる。

いよいよ、みんなで吉原に繰り込んで、錦の褌一本の総踊りとなる。女達に与太だけが大いにもてる。「普段、殿様は羽目をはずことができないのよ。だからああして踊っているの、」などと女の間で与太はえらい評判となる。

女達 「あの方はボーッとしているようだが、一座の殿様だよ。高貴の方の証拠は輪と房。小用を足すのに輪に引っ掛けて、そして、房で滴を払うのよ」
女達 「他の人は家来ね。じゃ、殿様だけ大事にしましょうね」

翌朝、与太がなかなか起きてこないので連中が起こしに行くと、まだ与太は寝ている。

男達 「与太、、そろそろ起きな、、帰るぞ、、」
与太 「みんなが呼びにきたから帰るよ、、」
女 「いいえ、主は今朝(袈裟)は返しません」
与太 「今朝は返さない……? ああ、お寺をしくじる」

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ウィスコンシンで会った人々 その94 洒落噺 「洒落番頭」

「洒落番頭」という演目を紹介する。さる商家の旦那、女房に「うちの番頭は洒落番頭と言われるほどの洒落の名人です」と聞かされたので、番頭を呼んで「洒落をやってみせておくれ」と言う。番頭が「ではお題をいただきます」と言うので、「庭の石垣の間から蟹が出てきた。あれで洒落を」と旦那は頼む。番頭は即座に「にわかには(急には)洒落られません」という。

洒落のわからない旦那は真面目に受けて「できないなら、題を替えよう。孫が大きな鈴を蹴って遊んでいる。あれでどうだ」と言う。番頭、すぐに「鈴蹴っては(続けては)無理です」。旦那は「洒落られません、無理ですって、なにが名人だ!」と本当に怒ってしまう。

番頭は慌てて、部屋から退散して、「旦那の前では二度と洒落はやるもんか」と捨て台詞。旦那は女房にその話をすると、女房は「それは洒落になってます」。

旦那 「できません、無理ですって断わるのが洒落かい」
 女房 「洒落になってますよ。番頭は洒落の名人なんですから」
 女房 「番頭がなんか言ったら、うまい、うまいって褒めてあげなさいよ。それを怒ったりしては、人に笑われますよ」
 旦那 「じゃあ、番頭を呼んで謝ろう」

呼ばれた番頭は旦那に謝られて盛んに恐縮する。

旦那 「機嫌を直して、もう一度、洒落をやっておくれ」
 番頭 「いえ、もう洒落はできませんで」
 旦那 「やぁ、番頭。うまい洒落だ」

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ウィスコンシンで会った人々 その93 病気と薬噺 「万病円」

「万病円」という演目は言葉遊びの噺である。登場するのは威張りくさる田楽侍、そして翻弄されるがなんとかして見返そうとする庶民である。田楽侍とは二本差しして反っくり返っている侍である。

ある一人の侍、傍若無人にも湯屋の湯舟の中で褌を洗い始める。番台に座っていた者が見つけて恐る恐る注意する。ところが侍は平然と言い返した。「男?陰?はつけたまま湯舟に入れるのに、それを包む風呂敷にもあたる褌を洗ってなぜいけないのじゃ」。侍は湯銭も踏み倒して悠然と湯屋を去る。

そのあと、侍は餅屋に立ち寄る。
小僧 「いくら食べても一文です」
侍は餅をたらふく食べて去ろうとする。
小僧 「十個食べたので十文です」
 侍 「いくら食べても一文だといったではないか。」
 小僧 「いくら食べても一個は一文です。」

ここでも屁理屈をこねて餅一個分の銭しか払わない。

次に侍は古着屋に入る。店主が「ない物はない」と言うので、三角の座布団、綿入れの蚊帳、衣の紋付きなどなど、変なものを聞いてからかう。

侍 「さっき、ないものはないと云ったではないか」
ところが、古着屋も負けずに言い返す。
古着屋 「ないものはありません。あるものはあります。」

古着屋にやり込められた侍、この店を早々に切り上げる。今度は紙屋をねらう。ここでは「貧乏ガミ、福のカミはあるか」という冷やかしに対して、店主は散り紙を震わして出して「貧乏ゆすりの紙」「はばかりで拭くの紙」とやり返す。

ふと見ると、この店では薬も取り次ぎをしているようで万病円と記した張り紙がある。「これは万病に効く薬だ」と店主がいうと、侍は「昔から四百四病。万病円などと、病いの数が万もあるはずはない」と責める。紙屋は「百日咳、疝気疝癪、産前産後」などと、数の付く病いを言い立てる。

侍 「それでも病いは万に足らんぞ」
 紙屋 「一つで腸捻転があります」

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ウィスコンシンで会った人々 その92 花魁噺 「お見立て」

落語には江戸が舞台となるものが多いので、どうしても上野や山谷、浅草、そして吉原が登場する。その一席「お見立て」である。

吉原の喜瀬川花魁の許へ、春日部から彼女をごひいきにする杢兵衛大尽がやってきた。花魁は表では客として大尽をとるが、裏では大嫌い。若い衆の喜助に「花魁は病気だ」と言って断るように伝える。喜助は、「一目でも杢兵衛大尽に会っては、、」と説得するが。花魁はどうしても首を振らない。杢兵衛は「それなら病気見舞いをする」と言う。だが花魁も花魁。「吉原の規則では、病気のときは誰にも会わせないことになっている」と喜助から杢兵衛に伝えさせる。

杢兵衛は、「花魁の兄弟だといえば会うことが許されるはずだ、、」と引き下がらない。花魁は面倒なので喜助に、「杢兵衛大尽がお顔を長らく見せなかったので、恋患いで痩せこけお亡くなりになりました」と言わせる。すると、杢兵衛は「それなら墓参りに行くべえ、案内しろ。墓はどこだ?」と言う。喜助は肥後の熊本をでも言えばいいのに、うっかり山谷と言ってしまう。仕方なく、花魁と相談の結果、杢兵衛を山谷へ連れて行き、適当に寺を見繕って入る。

煙の多い線香と花束をわんさと買い求める。墓石の字のわからなそうなのを選び「これが花魁のお墓です」と偽って、墓石が見えなくなるようにして花や線香を手向ける。だがそれは百年前の誰かの墓。杢兵衛は怒鳴る。喜助は慌てて「間違えました。お隣りでした」と花、線香を移すが、見ると童の墓。「間違えました。じゃぁ、こちらです」と移すと、これが故陸軍上等兵の墓。杢兵衛はとうとう激怒する。

杢兵衛 「喜助!、喜瀬川の墓ァいってえ、どれだ!?」
喜助 「ずらり並んでおります。よろしいのをお見立てください」

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ウィスコンシンで会った人々 その91 恋患い噺 「崇徳院」

恋患いを治せば長屋が貰えるともちかけられ、娘を探して奔走するという噺である。噺のもとは小倉百人一首。百人一首といえどもネタになるのが落語の荒唐無稽なところである。

若旦那が上野の清水観音堂へ参詣し茶店で休んでいると、歳が十七八位で水のしたたるような娘が店に入って来る。娘を見た若旦那は、娘に一目惚れをしてしまう。娘は茶店を出ようと立ち上がる際、膝にかけていた茶帛紗を落とし、気づかず歩き出してしまう。若旦那が急いで拾い追いかけて届けると、娘は短冊に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の、」と、歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し去って行く。

若旦那は、歌の下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、娘の「今日のところはお別れしますが、いずれのちにお目にかかれますように」と読みとる。だが娘がどこの誰なのかがわからなく再会が叶わない。そのうち食欲と体力を失い重病になる。

近所の医者が見立は、「医者や薬では治らない気の病で、思いごとが叶えばたちどころに治る。だが放っておくと五日もつかどうか、、」となった。親旦那は息子の幼なじみの出入りの職人、熊五郎に事情を話しなんとか助けてくれと相談する。熊五郎は親旦那に「医者に見放されたのなら寺を手配した方がよい」と早とちりして叱られる。熊五郎にが若旦那に会って聞き質すと、消え入りそうな声で「恋患いだ」と言う。

熊五郎はこの話を親旦那に報告する。親旦那は「三日間の期限を与えるから、その娘を何としても捜し出せ。褒美に蔵付きの借家を五軒譲り、借金を帳消しにする」と熊五郎に懇願する。熊五郎は、女房と相談し草鞋を腰に巻いて街中を走り回る。ところが全く分からない。

熊五郎の女房は呆れて、「人の多く集まる湯屋や床屋で ”瀬をはやみー” と叫んで探さんと駄目、」、「娘を探し出せなければ、家には入れないよ!」と言いくるめる。熊五郎は街中の床屋に飛び込んではで ”瀬をはやみー” と叫ぶが、客が一人もいない。ある客から「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。別嬪だし、清水さんにも足しげく通っている」という話を聞く。よく聞いてみるとその子は八歳だという。結局、有力な手がかりが得られないまま日が過ぎる。

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ウィスコンシンで会った人々 その90 素人芝居噺 「蛙茶番」

江戸っ子らしいはねっかえりの素人役者が出てくる芝居噺を紹介する。これまで犬や鹿が出てくる話はいくつか紹介した。今回の芝居噺には蛙と蛇が登場する。

町内の連中が集まって素人芝居のある日。芝居に付き物の「役揉め」が始まる。ガマ蛙の縫いぐるみを着るのは嫌だと、建具屋の伝法な若旦那、半次がドタキャン。そこで芝居好きの小僧、定吉が代役でガマ蛙の役をする事になって一件落着する。だが役決めで一難去ってまた一難。

今度は、番頭が場内の整理をする舞台番役に半次を指名する。「町内一の芸人」を自負する半次は役者志願だったが、「化け物芝居ならスッピンで出てもらうが、今回は舞台番に回ってもらおう」と釘をさされる。定吉は半次に舞台番になったことを伝えにいく。だが、半次に剣突を食らって定吉はすごすごと戻ってくる。

そこで機転の利く番頭が定吉に入れ知恵をつける。
番頭 「いいか、半公が岡惚れしているみぃ坊が顔をポーっと赤くして次のように言っていたといえ!」

みぃ坊 「素人がいやがる舞台番を引き受ける半ちゃんは利口なんだ。半ちゃんはいなせ 。だから、さぞかしいい舞台番ができるに違いないわ」

みぃ坊 「あたしお芝居なんかどうでもいいけど、半ちゃんの粋な舞台番を見に行こうっ!」

こうして、定吉は舞台番姿を楽しみに芝居を見に、みぃ坊がやってくると持ち上げ、何とか半次を呼び出すのには成功する。しかし、ひじり緬の真っ赤な褌を締め、それを観客に見せて注目を自分に集めようと考えた半次だが、肝心の褌を湯屋の脱衣場に忘れ芝居小屋にやってくる。舞台に姿を現わすがみぃ坊は見つからない。ガマ蛙役の定吉は「青大将が睨んでる」と言って舞台に出ようとしない。そして客席は大パニックになる。

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