落語にでてくる医者はどれも頼りない。江戸時代には今のような免許制度なく、医術の心得がなかろう医者になろうと思えば誰でもなれた。藪医者とは「藪のように見通しがきかない」という説がある。「藪にも至らない」という意味を込めて「筍医者」というのも落語での枕にでてくる。ヘボ医者ということのようだ。
それでも真面目に医術を習得しようとする者は、医者に弟子入りする。そして師匠に腕を認められ、代診の期間を経て独立を許され開業する。治療だが、主として薬草を煎じ薬、貼り薬や塗り薬を処方したようである。そして小石川養生所ができたのが1722年。困窮者救済が主たる役目だった。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」は、長崎で修行した医師保本登と赤ひげ、そして不幸な人々の救済物語である。
医者に関する二つの演目を紹介する。まずは「夏の医者」。夏の暑い盛りの昼間、ある村の農夫が仕事中に倒れる。村には医者がおらず、叔父に相談すると「山向こうの隣村にお医者の先生がいる」という。息子は山すそを回って長い道のりを行き、往診を頼みに向かう。
さて、息子と医者は山道を向かうが、歩き疲れて山頂で少し休憩をとろうと横になる。すると急にあたりが真っ暗になる。医者は「この山には、昔から住むウワバミがいる、これはおそらく腹の中に飲まれてしまったな。このままでは、足の先からじわじわ溶けていく」脇差を忘れてしまったので、大蛇の腹を裂いて出ることもできない。思案した医者は薬箱から大黄の粉末を取り出し、周囲にたっぷりと振りまく。胃袋に下剤を浴びせられた大蛇は苦しんで大暴れする。「薬が効いてきたな。向こうに灯が見える。あれが尻の穴だ」ふたりは、外に放り出される。ところがウワバミの中に肝心の薬箱を忘れてしまう。そして取り返そうとしてウワバミにもう一度飲み込んでくれと頼む。ウワバミは首を振って、
「夏のイシャは腹に障る。」
「代脈」であるが、尾台良玄という名医に銀南という弟子がいた。ごひいきの商家に綺麗な娘がいて療養していた。良玄はこの銀南を初めての代脈に行かせることにした。少々与太郎気味の銀南であったので、詳しく挨拶の仕方、お菓子の食べ方、お茶の飲み方から脈の取り方など、娘の対応の仕方を指南する。特に診察の仕方をこと細かに説明する。特に娘の左の腹にあるシコリには絶対触ってはならないと言い聞かせる。シコリは放屁だというのだ。
銀南は、丁寧に挨拶してひざをついて娘に近づき挨拶をする。脈を診て、舌を診て、胸から小腹を診る。銀南は、綺麗な娘がオナラをするはずがないと思い込んでいる。これが大きな間違い。止せばいいのにシコリの部分をグッと押す。たちまちものすごい音が響き渡った。銀南は、「最近のぼせの加減で耳が遠くなっているのでなにも聞こえなかった」と白をきる。娘の母親が、「大先生もそのようなことを仰ってましたが、若先生ものぼせでございますか?」
「ええ。ですからさっきのオナラも聞こえませんでした!」
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