品川は東海道の喉っ首。最初の宿である。四宿といわれた品川、新宿、千住、板橋の中でも一番の賑わい所だった。そのようなわけで庶民や旅人の岡場所ともなる。東海道を目指す旅人が品川でスッカラカンになり、家族や親戚に送ってもらった日本橋にすごすごと戻るという枕もある。
若い連中が遊廓で繰り込むことになったが、みんな金がない。そこで一座の兄貴分の佐平次が「土蔵相模」という有名な見世で乱痴気騒ぎをする。その夜、佐平次は仲間を集めて二円の割り前をもらい、「この金をお袋に届けてほしい、お前たちは朝立ちしてけえれ、、」、と申し伝える。
一同驚いて、「兄貴はどうするんだ」と聞くと、「体の具合がよくないので、医者にも転地療養を勧められている矢先。当分品川で海風を受けて、旨いものを食いのんびりするつもりだと言う。翌朝、土蔵相模の若い衆が勘定を取りに来ると、佐平次はなんだかんだいって煙にまき始める。まとめて払うからと言いくるめ、夕方まで酒を追加注文してのみ通し。蒲団部屋で居残りを決め込む。
夜になり見世が忙しくなると、酒肴の運びから客の取り持ちまで、手際よく手伝い始める。器用で弁が立ち、巧みに客を世辞で丸めていい心持ちにさせる。おまけに幇間顔負けの座敷芸まで披露する。幇間とは男芸者のこと。たちまち、どの部屋からも「居残りを呼べ!」と引っ張りだこになる。こうして佐平次はいつの間にか「居残り佐平次」と呼ばれるようになっていく。
ところが人気の出た居残りに面白くないのが他の若い衆。客は居残りに小遣い銭を渡すので「あんな奴がいたんでは飯の食い上げだ。叩き出せ!」と主人に直談判する。旦那も放ってはおけず、佐平次を呼び勘定は帳消しにするから帰れと言う。
ところが佐平次、「悪事に悪事を重ね、お上に捕まるとドテッ腹に風穴が開くから、もう少しかくまっててくれ」と、とんでもないことを言いだす。旦那は仰天して金三十両に上等の着物までやった上、ようやく厄介払いした。それでもあやつが見世のそばで捕まっては大変と、若い衆に跡をつけさせると、佐平次は鼻唄まじりでご機嫌。それを見た若い衆が問いただすと居直って、「おれは居残り商売の佐平次ッてんだ、よく覚えておけ!」と捨てぜりふ。それを聞いた旦那は地団駄踏む。