ウィスコンシンで会った人々 その93 病気と薬噺 「万病円」

「万病円」という演目は言葉遊びの噺である。登場するのは威張りくさる田楽侍、そして翻弄されるがなんとかして見返そうとする庶民である。田楽侍とは二本差しして反っくり返っている侍である。

ある一人の侍、傍若無人にも湯屋の湯舟の中で褌を洗い始める。番台に座っていた者が見つけて恐る恐る注意する。ところが侍は平然と言い返した。「男?陰?はつけたまま湯舟に入れるのに、それを包む風呂敷にもあたる褌を洗ってなぜいけないのじゃ」。侍は湯銭も踏み倒して悠然と湯屋を去る。

そのあと、侍は餅屋に立ち寄る。
小僧 「いくら食べても一文です」
侍は餅をたらふく食べて去ろうとする。
小僧 「十個食べたので十文です」
 侍 「いくら食べても一文だといったではないか。」
 小僧 「いくら食べても一個は一文です。」

ここでも屁理屈をこねて餅一個分の銭しか払わない。

次に侍は古着屋に入る。店主が「ない物はない」と言うので、三角の座布団、綿入れの蚊帳、衣の紋付きなどなど、変なものを聞いてからかう。

侍 「さっき、ないものはないと云ったではないか」
ところが、古着屋も負けずに言い返す。
古着屋 「ないものはありません。あるものはあります。」

古着屋にやり込められた侍、この店を早々に切り上げる。今度は紙屋をねらう。ここでは「貧乏ガミ、福のカミはあるか」という冷やかしに対して、店主は散り紙を震わして出して「貧乏ゆすりの紙」「はばかりで拭くの紙」とやり返す。

ふと見ると、この店では薬も取り次ぎをしているようで万病円と記した張り紙がある。「これは万病に効く薬だ」と店主がいうと、侍は「昔から四百四病。万病円などと、病いの数が万もあるはずはない」と責める。紙屋は「百日咳、疝気疝癪、産前産後」などと、数の付く病いを言い立てる。

侍 「それでも病いは万に足らんぞ」
 紙屋 「一つで腸捻転があります」

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