「粗忽」。なんともとぼけたいい響きの言葉である。粗忽者は落語では一番人気の演題といえようか。町人にはこうした者が登場するが、侍の世界での粗忽は大変である。下手すると切腹を言い渡される。だが、酔狂な大名には、こうした粗忽者を可愛がるのもいたようだ。
ある大名の家臣に地武太治部右衛門という虚けの侍がいた。あだ名は「治部ザムライ」。驚異的な粗忽者だが、そこが面白いというので殿様に大層気に入られていた。
ある日、治部ザムライ大切な使者を仰せつかり、殿様の親類の屋敷に赴むこうとする。家を出る時、慌てるあまり犬と馬を間違える。馬に後ろ向きで乗ってしまい、「馬の首を斬って後ろに付けろ」と言ったりして大騒ぎとなる。
使者の間に通され、官房長官のような田中三太夫が使者の口上を問うが、治部ザムライどうしても思い出せない。思い出せないのでここで切腹すると言い出したが、三太夫が止める。幼い頃より父に居敷(尻)をつねられて思い出すのが癖になっているので、三太夫に居敷をつねるように頼む。
早速太夫が試したが、 今まであまりつねられ過ぎてタコになっているので、いっこうに効き目がない。「ご家中にどなたか指先に力のあるご仁はござらぬか」と尋ねても、指先の力は、、、と若い侍はみな腹を抱えて笑うだけ。
これを耳にはさんだのが、屋敷内で普請中の大工の留っこ。そんなに固い尻なら、一つ俺が代わってやろうと釘抜き道具を忍ばせた。三太夫に面会し、指には力があると云う。だが、大工を使ったとあっては大名家の沽券に関わるので、留っこを仮の武士に仕立て、チョンマゲも直し着物を着せる。留っこでは、しめしがつかないといって「中田留五郎」ということにし、治部ザムライの前に連れて行く。
三太夫が留五郎殿と何回呼んでも返事がない。やむなく”留っこ”と言うとすかさず返事が戻ってくる。 あいさつは丁寧に、言葉の頭に「お」、しまいに「たてまつる」と付けるのだと言い含められた留っこ、初めは「えー、おわたくしめが、おあなたさまのおケツさまをおひねりでござりたてまつる」などと言うので、三太夫は誠に当惑する。
早速、居敷をつねろうとして三太夫を次室に追い出す。留っこは治部ザムライと二人になると途端に職人の地がでて、「さあ、早くケツを出せ。なに、汚ねえ尻だナ。硬いな。いいか、どんなことがあっても後ろを向くなよ。さもねえと張り倒すからな」。
エイとばかりに、釘抜き道具で尻をねじり上げる。
治部ザムライ 「うー、キクー、・・・もそっと強く」
留っこ 「どうだこれで」、
治部ザムライ 「ウーン、あぁー、痛たタタ、思い出してござる」
すかさず次の間で控える三太夫が「して、ご口上は?」と質す。
治部ザムライ 「聞かずに参った」。