懐かしのキネマ インターミッション-映画と英語

その1 「Jack and Betty」               

巣ごもりの中、27インチのMacでいろいろな映画をみる機会がありました。そして映画鑑賞の遍歴を振り返っています。今もロマンス、喜劇、西部劇、ミステリー、SF、ミュージカル、冒険、歴史など節操がないほどいろいろなジャンルのものを楽しんでいます。

戦争が終わったとき、私は美幌のど田舎におりました。樺太から引き揚げてきたとき、親戚がそこにいたからです。やがて始めて見るトラックに乗った米兵がやってきました。美幌には旧陸軍の航空隊がいました。その飛行場に進駐してきたのです。トラックからはチューインガムが投げられ、それを競って拾ったものです。

「レーション」と呼ばれる携行食を父が貰ってきました。勤務する美幌駅には進駐軍の将校用の車両が停まっていました。そこから手に入れたようです。レーションにはカンパン、コーヒー、タバコが入っていました。すべて缶詰です。パイナップルの甘さには驚きました。なにせ砂糖がまだない頃です。美幌といえば、NHKで英語会話講座を22年間も担当した松本亨氏の生まれ故郷です。

Jack and Bettyの教科書

やがて父の転勤で美幌から名寄に移りました。名寄中学校では始めて英語を習いました。今の子どものように幼稚園から勉強するなんて考えられない頃です。幸い私は良い先生に出会いました。この先生の名前は藤田??。髭と眉が濃く声はバリトンでした。藤田先生の発音は、まるで真っ白の紙に滴が垂れるように、私の耳には実に新鮮でズンズンと伝わってきました。使った教科書は「Jack and Betty」。なんともクラッシックなタイトルではありませんか。表紙にはジャックとベティがさっそうと歩いています。私の英語の勉強法は、文章をそらで覚えることでした。なぜかスラスラと頭に入るのです。昔の英語の指導というのは、教科書を教師が読みそのあとに子どもが復唱するというものです。復唱をなんどもなんどもやると、文章が脳にすり込まれるのです。その頃本屋で手にした「洋書」を見ながら、鼻をクンクンさせて、異国の香りにも浸りました。

懐かしのキネマ その70 【ドクトル・ジバゴ】

『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago)は、1917年のロシア革命(Russian Revolution)の前後における人間ドラマです。1965年にアメリカとイタリアで製作されます。監督は「戦場に架ける橋」や「アラビアのロレンス」のメガホンをとったデヴィッド・リーン(David Lean)。出演はオマー・シャリフ(Omar Sharif)とジュリー・クリスティ (Julie Christie)です。 原作はロシアの作家、ボリス・パステルナーク (Boris Pasternak)による大河小説『ドクトル・ジバゴ』です。

19世紀末の帝政ロシア。ユーリー・ジバゴ (Yuri Zhiivago)は、医学の勉強を続けるかたわら、詩人としても知られるようになります。幼い頃両親を失い、科学者グロメーコ (Gromeko)にひきとられた彼は、その家の娘トーニャ (Tanya Komarova)を愛していました。2人の婚約発表のパーティーの日、近所の仕立屋の娘ラーラ(Lala)は、弁護士コマロフスキー (Victor Komarovsky) の誘惑から逃れるため、彼に発砲するという事件を起こします。彼女は帝政打倒の革命に情熱をもやす学生パーシャ (Pasha) を愛していました。

Lala and Yuri

1914年、ロシアは第1次大戦に突入し、ジバゴは医師として従軍します。野戦病院で看護婦として働らくラーラに再会した彼は、彼女がすでにパーシャと結婚したのを知り、自分もまた家庭を持っていたのですが、ラーラへの愛を捨てることができなくなります。それにパーシャは戦死したとの報告も入っていました。その頃ロシアは内戦が激しくなり、ジバゴはモスクワの家族のもとへ帰ります。革命軍の手に落ちたモスクワ(Moscow)は、飢えと物資の不足にあえいでいました。

Lala

ジバゴが、革命軍のリーダーで義兄のエフグラフ (Yevgraf)に初めて会います。義兄の勧めもあって、田舎で休養することにした彼は、旅の途中で白軍のスパイと間違えられ、赤軍の将校に尋問されます。この将校は、戦死と報じられていたパーシャでした。パーシャはすっかり変わり、革命へ邁進する男になっていました。ジバゴは、ラーラとの愛も再燃し幸せの日を田舎ですごしていました。ある日突然、彼はパルチザンの一隊にとらえられます。妻に2人目の子供が生まれると知り、ラーラと別れる決心をした直後のことでした。しかし彼は脱走し、ラーラのもとに帰りますが、2人の関係を知った妻が、子どもをつれて、パリに亡命したと告げられます。今や亡命者の夫となったジバゴと、すでに追放の身となっていたパーシャの妻ラーラの前に、コマロフスキーが現れます。彼は2人に危険がせまっていると再三話し、ついに身重のラーラをつれて極東に去ります。8年後、ジバゴはモスクワの市街電車の中でラーラを見かけ必死に追うのですが、長らく患っていた心臓発作で倒れます。

何年かが過ぎます。ジバゴの義兄エフグラフはダムの建築現場で働く若い娘に出会います。彼女は、ジバゴとラーラの間にできた私生児です。彼は両親のことを若い娘に話してきかせ、ジバゴの詩集を贈りこう言いいます。「彼の仕事は党には容れられなかったが、詩を愛する人は彼を忘れない。彼ほど詩を愛した者はいなかった」と。

懐かしのキネマ その69 【戦場に架ける橋】

この映画は、日本最北端稚内市の映画館で父親と一緒に観た記念すべき?洋画です。その後何回も観ましたが、そのたびに、稚内のことを思い出します。原題は(The Bridge on The River Kwai)といいます。タイ王国のクワイ川 (KWAI)に架かるクワイ川鉄橋を指します。第二次世界大戦の真っ直中である1943年のタイ(Thailand)とビルマ(Burma)の国境付近にある捕虜収容所が舞台です。監督はデヴィッド・リーン(David Lean)、出演はウィリアム・ホールデン (William Holden) 、アレック・ギネス (Alec Guinness) 、そして早川雪洲です。劇中で演奏される『クワイ河マーチ』(Colonel Bogey March) も世界各国で幅広く演奏され、数ある映画音楽の中でも最も親しまれている作品の1つとなっています。

Colonel Nicholson

第二次世界大戦下、当初日本の同盟国であったタイ王国と日本軍の占領下におかれたイギリスの植民地のビルマの国境付近に、日本軍管轄の「第十六捕虜収容所」がありました。所長は斉藤大佐です。この収容所では、日本軍と対峙する連合国軍のアメリカ海軍の中佐であるシアーズ(Commander, Major Shears)を始め、捕虜となったアメリカ軍兵士が連日過酷な労役に従事していました。シアーズは、日本軍兵士に買収を試みるなど幾度となく脱出を図りますが、ことごとく失敗します。ある日ニコルソン大佐(Colonel Nicholson) が率いるイギリス軍捕虜一隊が収容所に移送されてきます。

斉藤大佐はジュネーブ条約(Geneva Convention)を無視して、イギリス軍捕虜にクワイ川の橋の建設を命じます。それに断固として反対するのがニコルソン大佐です。橋を設計するのは日本軍の技師です。ところが、川の地面が柔らかく、建設途中で倒れる始末です。斉藤大佐は自尊心を捨てて、なんとかニコルソン大佐を懐柔してイギリス軍に橋の建設をまかせるのです。収容所から脱出したシアーズ中佐が、橋梁建設を報告すると、これを阻止しよとするイギリスとアメリカは、クワイ川にウォーデン中佐(Major Warden)を隊長とする決死隊を派遣します。シアーズも同行します。

斉藤大佐とニコルソン大佐

イギリス軍捕虜が見事に建設した鉄橋の開通式の日、日本軍と決死隊が遭遇し、銃撃戦となります。かつて収容所で共に時間を過ごしたシアーズが日本兵の銃弾を浴びながら、川を渡って爆破装置に向かおうとします。そこに爆破装置を見つけたニコルソンとシアーズは対峙します。ニコルソンは「自分たちは何のために橋を建設したのだ…」と愕然とします。さらに決死隊長ウォーデン(Major Warden) の迫撃砲での射撃を喰らったニコルソンは意識がもうろうとなり、点火箱のスイッチの上に倒れここみます。丁度その時、列車が橋を通過しようとします。

イギリス軍捕虜たちの勲章とも言える橋は粉々に爆破され、橋の上の日本兵や列車の乗客が犠牲になります。シアーズやニコルソンもその犠牲となります。ウォーデンは、そばにいた現地人の女性たちに、「仲間を捕虜にしないためにはこれしか手段がなかった」と言い訳するのです。丘の上から開通式を眺めていたクリプトン少佐(Major Clipton) は、爆破後の悲惨な光景を目の当たりにして「馬鹿げている。信じられない!」と天を仰ぐのです。

懐かしのキネマ その68 【アラビアのロレンス】

「アラビアのロレンス」(Lawrence of Arabia)は、1962年に公開された上映時間3時間36分のイギリス・アメリカ合作映画です。アラブ独立闘争を描いた歴史、戦争映画で、民族独立に尽力した実在のイギリス陸軍少尉ロレンス (Lieutenant Thomas.E. Lawrence)の波乱に満ちた半生を描いています。監督はデヴィッド・リーン(David Lean)。主演はピーター・オトゥール(Peter O’Toole)、オマル・シャリーフ(Omar Sharif)、アンソニー・クイン(Anthony Quinn)、アレック・ギネス(Alec Guinness)らの名優です。

Sherif Ali & T. Lawrence

この映画の舞台は1914年前後のエジプト(Egypt)やアラビア半島(Arabia) です。第一次世界大戦が勃発し、アラビアはドイツと結んだオスマン帝国 (Ottoman Empire) の圧政下にありました。イギリスは、ドイツ連合軍の勢力を分散させるため、戦略家ロレンス少尉をアラビアに派遣します。イギリス陸軍カイロ司令部に勤務するロレンスは、トルコからの独立を目指す反乱軍の指導者ファイサル王子 (Prince Faisal )に会うため旅に出るのです。やがてファイサル王子の軍事顧問となったロレンスは、反乱軍の無力さを目の当たりにします。そこでロレンスは、ベドウィン(Badawin)のハリス族 (Harith) のリーダー、アリ(Sherif Ali)や黄金を探し求めるアウダ(Auda) らとともに、独自のゲリラ戦法を駆使して反乱軍を指揮し、アラビア民族をまとめあげて、見事トルコ軍を打ち破ることに成功します。トルコ軍が防衛していた戦略上の重要港湾都市アカバ(Aqaba)を攻め落とすのです。

Thomas Lawrence

ロレンスは反乱軍のリーダー、アリなどから人々の上に立つような優れた者と崇められ「エル・オレンス」(El Aurens) と呼ばれるようになります。その後も次々と勝利を収めていくのです。そして、アラブ国民から「砂漠の英雄」とうたわれるようになるのです。しかし、アラブをフランスとともに分割する方針を決めていたイギリス陸軍は、大アラブ王国を支持しその独立に奔走するロレンスは政治的に邪魔な存在となっていきます。こうして、ロレンスはアラブ人同士の争いや国同士の政治的駆け引きに翻弄されるようになっていきます。自分が軍上層部に利用されていることを知るのです。ファイサル王も「もうここには勇士は必要でなくなりました。ただ、あなたに対する私の感謝の気持ちは計り知れない」といってアラブの分割を承認するのです。こうしてアラブ民族も部族間の対立から大アラブ王国を樹立することに失敗します。

アカバ攻撃

ロレンスはイギリス陸軍の英雄として大佐に昇進させられながらも、アラブに共感する者として大きな失意を胸に抱きながらアラビアから追放されるのです。列強の植民地支配によって、今も中東情勢は不安のままです。ロレンスの理想主義をこの映画から教えられます。

懐かしのキネマ その67 【英国王のスピーチ】

映画フアンには見逃せない味わい深い作品です。このイギリス映画は国民と王室をめぐる話題を率直に、真摯に取り上げています。日本で国民と皇室のことを映画でオープンに取り上げようとすれば、潰されるに違いありません。ここがイギリスと日本の王室やメディアの違いです。

現エリザベス女王(Queen Elizabeth II)の父である『ジョージ6世』(King George VI) は、子どもの頃から吃音に悩んでいたといいます。国王は、全国民の前でスピーチをしなければなりません。想像を絶するストレスとプレッシャーを受けます。吃音の矯正は難しいことです。この映画【The King’s Speech】は、王の吃音の治療にあたった言語聴覚士との友情物語です。

1925年、大英帝国博覧会 (British Empire Exhibition) の閉会式で、やがて国王となるヨーク公アルバート王子 (Prince Albert, Duke of York) はエリザベス妃(Queen Elizabeth)に見守られ、父王ジョージ5世(King George V)の代理として演説を行います。しかし、吃音のために悲惨なスピーチに終わり、イギリス国民はがっかりするのです。

ジョージ6世

エリザベス妃はアルバート王子を説得して、言語聴覚士(Speech therapist) であるオーストラリア出身のライオネル・ローグ(Lionel Logue) のロンドンのオフィスをともに訪れます。ローグは、医学の勉強をしてはきませんでしたが、独自の手法で第一次世界大戦の戦闘神経症に苦しむ元兵士たちを治療してきた経験の持ち主です。ローグは、王室に対する礼儀作法に反してアルバートを愛称の「バーティ」(Bertie) で呼びつけ、自身のことは「ローグ先生」ではなく「ライオネル」と呼ばせるのです。

ジョージ5世の死去によりエドワード8世(Edward VIII)は独身のまま国王に即位します。しかし、新王が結婚を望んでいた女性は、ウォリス・シンプソン夫人(Wallis Simpson)というアメリカ人で、離婚歴があるだけでなく2番目の夫となお婚姻関係にありました。エドワード8世は英国国教会や王室からの結婚への反対を受け、在位日数はわずか325日で退位します。これが後に「王冠よりも愛を選んだ」、「王冠を賭けた恋」と言われます。そして弟で吃音のアルバート王子が『ジョージ6世』として即位することになります。

ジョージ6世は国王の重責に、自分は今まで海軍士官しか務めたことがないとエリザベス妃に不安を吐露します。一方ヨーロッパ大陸では、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)率いるナチ党政権下のドイツが台頭し、一触即発の機運となっており、大英帝国は国民の統一を促す国王を必要としていました。しかし新国王の吃音症は依然として深刻なままで、王位継承評議会での宣誓は散々なものとなります。ジョージ6世夫妻は再びローグを訪ね治療を再開します。

ジョージ6世と
ライオネル・ローグ

治療では、口の筋肉をリラックスさせる練習や、呼吸の訓練、発音の練習などを繰り返し行います。ジョージ6世はローグに吃音症の原因となった自身の不遇な生い立ちを語ります。さらに右利きでないことを罰せられ矯正されたり、乳母に虐待されたこと、X脚を矯正するためギブスまで着用させられたこと、吃音を揶揄されたことなどを打ち明けます。やがてジョージ6世とローグの間に友情が芽生えていくのです。

ナチスとの交渉にあたった首相ネヴィル・チェンバレン(Neville Chamberlain)の宥和政策は失敗し、1939年9月1日のドイツのポーランド(Poland) 侵攻を受けて、9月3日に英国はドイツに宣戦布告、第二次世界大戦が始まります。同日、ジョージ6世は大英帝国全土に向けて国民を鼓舞する演説を緊急ラジオ放送で行うことになります。緊迫した状況の中ジョージ6世は、ローグと二人きりの放送室で完璧な演説を行うのです。放送室から出てきた国王は、堂々と報道用にの原稿を読む姿を撮影し、エリザベス王妃、そしてエリザベス王女・マーガレット王女とともに宮殿のバルコニーに出て、待ち構えるロンドン市民に手を振りこたえます。その様子をローグは満足げに見守るのです。

懐かしのキネマ その66 【ハンナ・アーレント】 

2012年のドイツ(Germany)・ルクセンブルク(Luxemburg)・フランス(France)合作の伝記ドラマ映画【ハンナ・アーレント】 (Hannah Arendt) を紹介します。ドイツ系ユダヤ人の哲学者であり政治理論家であったハンナ・アーレントの思想や伝記を描いた作品です。私はユダヤの歴史に興味がありましたので、この映画を神田の岩波ホールで観ました。以下、映画の要旨です。

ハンナ・アーレントはかつてドイツに生まれ育ちます。ナチスが政権を獲得しユダヤ人迫害が起こる中、フランスに亡命しシオニズム (Zionism)の政治思想家ブルーメンフェルト(Kurt Blumenfeld) に導かれ、反ユダヤ主義の資料収集やドイツから他国へ亡命する人の援助活動に従事します。親独のヴィシー政権(Régime de Vichy)によって抑留されますが、間一髪で脱走し米国に亡命します。その後、ニューヨーク大学(New York University) 教授として、夫ハインリッヒ(Heinrich)や友人で作家のメアリー・マッカーシー(Mary McCathy)らと穏やかな日を送っていました。

Hannah Arendt

1960年5月に、ブエノスアイレス(Buenos Aires)で亡命生活をしていたナチス(Nazis) の元高官アイヒマン(Adolf Eichmann)がイスラエル(Israel) の諜報特務庁、モサド(Mossad)によって誘拐され、エルサレム(Jerusalem)で裁判を受けることとなります、ハンナはニューヨーカー誌(The New Yorker)の特派員として、裁判を傍聴することになります。

ユダヤ人として、ナチスの被害者の1人として傍聴した裁判でしたが、アーレントは被告アイヒマンが大量殺人を指揮したとは思えぬ凡庸さに当惑するのです。他方で裁判での証言から、当時のユダヤ人社会の指導者たちが、消極的にではあったのですが、ナチの政策に協力していたことまで明らかになってゆきます。イスラエルから帰国したアーレントは、『イエルサレムのアイヒマン–悪の陳腐さについての報告』(Eichmann in Jerusalem: A Report on the Banality of Evil)を発表します。膨大な裁判資料と向き合いながら、鬼畜のようなナチ高官と思われていたアイヒマンは、自らの役職を忠実に果たしたに過ぎない小役人であると断定します。同時に、ユダヤ人社会でも抵抗をあきらめたことでホロコースト(Holocaust)の被害を拡大したこと、アイヒマンの行為は非難されるべきだが、そもそもアイヒマンを裁く刑法的な根拠は存在しないこと等をニューヨーカーの記事として掲載するのです。この報告は、大論争を巻き起こしアーレントへの批判が向けられます。

裁判におけるAdolf Eichmann

アーレントの記事はユダヤ人社会の感情的な反発を招き、彼女の著作を知らぬ者も「ナチスを擁護するものだ」と激烈な批判を浴びせます。アーレントは大学から辞職勧告まで受けるのです。誤解を解き、自説を明らかにするため、ハンナは特別講義を行います。「アイヒマンは、ただ命令に従っただけだと弁明した。彼は、考えることをせず、ただ忠実に命令を実行した。そこには動機も善悪もない。思考をやめたとき、人間はいとも簡単に残虐な行為を行う。思考をやめたものは人間であることを拒絶したものだ。私が望むのは考えることで人間が強くなることだ。」講義は学生たちの熱狂的な支持を得るのですが、他方で、古い友人のハンス・ヨナス(Hans Jonas) は彼女に背を向け、教室を後にするのです。

アーレントは記事の中で、イスラエルは裁判権を持っているのか、アルゼンチンの国家主権を無視してアイヒマンを連行したのは正しかったのか、裁判そのものに正当性はあったのかなどの疑問を投げかけます。その上で、アイヒマンを極悪人として描くのではなく、ごく普通の小心者でとるに足らない軍人に過ぎなかったと描きます。

懐かしのキネマ その65 【ホーム・アローン】 

『ホーム・アローン』(Home Alone)は1990年公開で、ひょんなことから家族旅行で置いてきぼりとなった8歳の少年が、2人組の泥棒を撃退するコメディ作品です。

シカゴに住む裕福な家庭で、子沢山の大家族でもあるマカリスター家(McCallister family) は、クリスマス休暇を利用して家族総出のパリ旅行を計画します。旅行出発の朝、停電によってセットしていた目覚まし時計がリセットされてしまい、全員が寝坊してしまいます。家族は慌てて空港へと向かうのですが、屋根裏部屋で寝ていた少年ケビン・マカリスター(Kevin)が1人家に取り残されてしまいます。ケビン頭の回転が早く悪戯好きなので、周りからはトラブルメーカー扱いされています。

Home Alone

ケビンはうるさい家族がいなくなった事を喜び、1人暮らしを満喫します。しかし、段々と寂しくなっていきます。その頃、泥棒コンビ、ハリーとマーヴ(Harry and Marv) はクリスマス休暇で誰もいなくなった家を狙っていました。二人は、事前の情報収集によってマカリスター家にも目をつけていたのです。道中でケビンがいないことに気づいた家族は、家に戻ろうとするも、クリスマス期間中でほとんどの飛行機は満席状態だったので、大人数の移動は困難でした。そこで母ケイト(Kate)は一人別行動を取り、シカゴへ向かう楽団のワゴンに便乗して帰宅を試みます。

泥棒に家が狙われていることを知ったケビンは、家に大人がいるように見せかけ、家を守ろうとします。当初はうまくいき、泥棒コンビに一泡吹かせます。泥棒コンビは騙された報復も兼ねて計画通りマカリスター家に盗みに入ろうとします。また、実はマカリスター家の隣家には怖い雰囲気を漂わせている老人マーリー (Marley)が住んでいたのですが、ケビンは彼に助けを求めようとしません。そして家族がいなくなった原因が自分だと考えケビンは後悔します。

Harry and Marv

クリスマス当日。ケビンは家を泥棒から守るべく、日用品などで家中に様々な仕掛けを作り、泥棒たちを迎え撃つ準備を整える。そして教会へ赴くと自分が悪かったと認め、家族を帰して欲しいと願う。また、そこでマーリーと出くわし、最初は怯えるものの、会話を交わしていくうちに彼への誤解を解く。

その後、ケビンは家に侵入してきた泥棒たちに仕掛けた罠で酷い目に合わせます。子ども相手だと泥棒2人は油断し、狡猾なケビンの罠で泥棒たちを苦しめられます。家を脱出したケビンですが、泥棒たちに捕まってしまいます。その時、隣人のマーリーが現れ、泥棒たちを殴りつけて気絶させケビンを助け出します。翌朝、母親や家族も帰宅しケビンと再会を喜ぶのです。

懐かしのキネマ その64 【シェーン】

雄大な自然が広がる西部開拓時代のワイオミング(Wyoming)を舞台に、流れ者シェーン (Shane) と開拓者一家の交流や悪徳牧場主との戦いを描いた名作西部劇が【Shane】です。

Wyoming

合衆国の内戦である南北戦争が終わった頃です。入植者のジョー・スターレット (Joe Starrett) は妻マリアン (Marian)、幼い息子ジョーイ(Joey) とともに地道に開拓作業に励んでいました。しかし、横暴な牧場主ライカー (Ryker) によって一家の平和が脅かされつつありました。この地域一帯を昔から支配してきた牧場主ライカ―たちは自分らの既得権益を守ろうと、入植者たちを追い出そうと日々嫌がらせをしてきていたのです。

ジョー家族の前に、シェーンと名乗る流れ者のガンマンが現われます。一家は紳士的で献身的なシェーンをすぐに気に入り、しばらくの間家に迎え入れることを決めます。その一方で、ジョーとマリアンはシェーンが凄腕のガンマンであることにうすうす感づいていました。ガンマンの夢を持つジョーはシェーンに強い憧れを抱くようになり、彼との時間に夢中になっていきます。シェーンも、ジョーの仲間の開拓者たちとも友情を育んでいきます。しかしライカーの暴力は日ごとにエスカレートしていき、ついに開拓者の1人が殺し屋に命を奪われてしまきますいます。ライカーとの話し合いに向かおうとするジョーを止めたシェーンは、たった1人でライカー一味に立ち向かうのです。

Shane and Joey

その後、身の危険を守るため、ジョーら入植者たちは可能な限り集団行動をとることを決めます。そして、女子どもを連れて入植者たちが街に出たときのこと。再びライカ―の一団から無礼な言葉をかけられたシェーンは、その態度に暴力で応えることを決めます。大勢の男相手と殴り合いをするシェーンに加勢しようと、途中からジョーも参戦。二人は日頃の恨みを晴らすには十分な報いをライカ―の部下たちに与えることに成功します。

そして、シェーンが酒場を出ようとしたとき、「危ない!」というジョーイの声に反応し、シェーンは物陰に潜んでいた手下に気づきます。シェーンはすぐに最後の手下を撃ち殺し、隠れていたジョーイと再会します。ジョーイの前に立ち、いつもの笑顔に戻り、「気にするな」と声をかけ、馬にまたがります。シェーンがここから旅立とうとしていることに気づきます。旅立つ理由を尋ねられ、シェーンは「一度でも人を殺せば、元には戻れない」と答え、こう付け加えました。「強くまっすぐな男になれ」とジョーイの頭をなでると、シェーンは旅立ちます。ジョーイは去り行く後ろ姿に大きな声で言葉をかけ続けます。”Shane, come back! Shane!”

懐かしのキネマ その63 【ジャイアンツ】

原題は「Giant」。テキサス(Texas) に広大な土地を持つ牧場主ジョーダン・ベネディクト2世(Jordan Benedict Jr)が、東部の名門の娘レズリー(Leslie Lynnton)を妻に迎えます。初めてのテキサスに彼女はその途方もない広さに驚き、東部とはあまりにも異なる人間の気質と生活習慣に戸惑います。夫の姉ラズ(Luz)の冷たい視線にも苦しめられますが、レズリーは持ち前の粘り強い性格でそれを乗り越えていきます。

このレズリーに密かに心を寄せるのが、ひねくれる若い牧童のジェット・リンク(Jett Rink)です。彼は自分に対する唯一の理解者であったラズがレズリーの持ち馬から落ちて亡くなり、遺言で土地の一部を残してくれたことを知ります。ジョーダンは自家の農地が分割されることを嫌い、相場の2倍でその権利を買い取ることを申し出ますが、ジェットは断り自分の土地に賭けてみるのです。

James Dean and Elizabeth Taylor

ジェットはテキサスに油田ブームが到来したことを知り、自分の土地でも石油が出ると信じ、土地を抵当に石油の採掘を始めます。資金が底を尽きかけたときついに油田を掘り当て、吹き出した原油を全身に浴びた姿で、泥酔してベネディクト家に乗り込みます。そしてレズリーに馴れ馴れしい態度を示すジェットは、ジョーダンに殴られます。ジェットは彼を殴り返し、そのままトラックで立ち去ります。

歳月は経過し、米国でも屈指の大富豪になったジェットは、私財を投じて病院建設などの慈善事業を展開し名士の仲間入りを果たします。ジョーダンは本業の牧畜業がうまくいかなくなり、自分も石油事業に乗り出し巨万の富を得ますが、成り上がり者ジェットの成功を苦々しく思っています。やがてジェットは巨大なホテルを建設し、その祝賀パーティにベネディクト一家を招待します。ジェットの富に張り合うためジョーダンはダグラスDC機を購入しパーティ会場に一家で乗り込むのです。しかしながら祝賀パレードで娘のラズ2世が、自分に断りもなしにジェットをたたえる王女役でオープンカーに乗っているのを見て不機嫌になります。ホテルで息子のジョーダン3世のメキシコ人の新婦が人種差別を受けたこと発端として、ホテルの祝賀パーティの席で両者は対決の時を迎えます。

パーティの帰り、自家用車でジョーダンがふと立ち寄った白人のテキサス男が経営するレストランで、経営者がメキシコ人を差別して追い出そうとする場面に遭遇し、意見をしたことから両者は殴り合いのけんかとなります。大男同士の激しい殴り合いの結果、ジョーダンは打ちのめされてしまいます。帰宅後、ジョーダンはソファでレズリーの膝枕で横になり、レズリーは彼の行動をほめるのです。そして白人の孫とメキシコ人との混血の孫を満足げに眺めるのです。

懐かしのキネマ その62 【カサブランカ】

1941年、親ドイツのヴィシー政権(Régime de Vichy)の管理下に置かれたフランス領モロッコ(Morocco) の都市カサブランカ(Casablanca)を舞台とした戦争とロマンスの映画です。ドイツの侵略によるヨーロッパの戦災を逃れた人の多くは、中立国のポルトガル(Portuguese)経由でアメリカへの亡命を図ろうとしていました。

主人公であるアメリカ人のリック(Rick Blaine) は、カサブランカで酒場「カフェ・アメリカン」(Rick’s Cafe American)を経営しています。彼には、パリが陥落する前に理由を告げずに去った恋人イルザ・ラント(Ilsa Lund)がいます。イルザはその酒場にやってきます。イルザはリックとのパリの思い出の曲『アズ・タイム・ゴーズ・バイ』(As Time Goes By)を弾くようにピアニストに頼みます。そこにリックが現れます。

ハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマン

イルザの夫は、ドイツに併合されたチェコスロバキア人(Czechoslovakia) のドイツ抵抗運動の指導者ヴィクター・ラズロ(Victor Laszlo)です。ラズロは現地のオルグと接触、カサブランカからの脱出のチャンスをうかがっていました。サブランカ警察署長のルノー(Captain Louis Renault)は計算高い男で、流れに逆らうように異郷のカサブランカで生きるリックに共感していました。リックは、かつてスペインのレジスタンスに協力していました。ルノーはリックに対して、ラズロには関わるなと釘を指します。現地司令官であるドイツ空軍のシュトラッサー少佐(Major Strasser)は、ラズロをカサブランカ市内に閉じ込めます。
イルザはリックに会い、夫を助けられるのはリックしかいないと、必死に協力を懇願します。というのは、リックは闇屋からヴィシー政権の発行した通行証を譲り受けていたからです。そしてイルザは通行証を渡そうとしないリックに銃口さえ向けるのです。しかしイルザは引き金を引くことが出来ず、2人はお互いの愛情を確かめ合うのです。

“As time goes by”

リックは、ラズロとイルザが通行証を欲しがっている事実をルノー署長に打ち明け、現場でラズロを逮捕するようにと耳打ちします。手柄を立てるために、約束の閉店後の店にやってきたルノーです。しかしリックの本心は、2人を亡命させるためにルノーを空港まで車に同乗させて監視の目を欺くことにありました。シュトラッサーを射ち殺してでも彼女を守ろうとするリックです。

愛を失っても道義を貫こうとしたリックを前にして、実はレジスタンスの支援者であったルノーは、自由フランスの支配地域であるフランス領赤道アフリカのブラザヴィル(Free French in Brazzaville)へ逃げるように勧めて見逃すことにするのです。リックとルノーの二人は戦時下にあって「この狂った世界を終わらせなければならない」と意気投合します。イルザとラズロを載せた飛行機は宵闇の中へ消えていきます。