アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その24 『Pine Tree State』とメイン州

私はメイン州(Maine)を訪れたことはありませんが、メインの海岸付近に住む友人とはSNSでビデオチャットしています。この友人は連邦教育省に長らく勤め、兵庫教育大学に3か月の客員研究員として招いたこともあります。メイン州アメリカ北東部のニューイングランド(New England)にあり、この地方最大の州です。北西はカナダのケベック州(Quebec)ニューブランズウィック州(New Brunswick)に接しています。州都はオーガスタ市(Augusta)です。地図を見ますとこの州は長い海岸線、そして美しい山と海の景色を誇るといわれます。アーカディア国立公園(Acadia National Park)には、大西洋沿岸北部で最も標高が高い場所であるキャデラック山(Cadillac Mountain)があります。この公園には、馬車道が曲がりくねるように通い、表面には砕石が敷かれているのでサイクリングに最適だそうです。

Map of Maine

州最大の都市ポートランド(Portland) の南に位置する小さな街ケープエリザベス(Cape Elizabeth) には、有名なポートランドヘッドライト灯台(Portland Head Light)があります。 この灯台は、メイン州にある 65 の灯台のうち最古のもので、今も現役です。 特に旭日が昇るのをとる写真家にはたまらない場所といわれます。

Small Town of Maine

アメリカの有名な思想家、詩人、随筆家であるヘンリー・ソーロー(Henry Thoreau)もメイン州の自然がたいそう気に入って3度も旅したことが「The Maine Woods」(メイン州の森)という作品に書かれています。彼の多くの著作には、今日の自然と生態系に関する叙述があり、アメリカにおける環境保護運動の先駆者としての評価も確立されています。丸太小屋を建て、自給自足の生活を2年2か月間送りながら書き留めた、代表作『ウォールデン 森の生活』(Walden Life in the Woods)は、そこでの生活記録をまとめたものです。その思想は後の時代の詩人や作家に大きな影響を与えたといわれます。

メイン州「松の木の州」(Pine Tree State)というニックネームがあり、全土の90%近くが森林で、内陸の森林地帯はほとんど人の住まない所となっているようです。メイン州の農業生産品は、家禽及び卵、乳製品、牛、ブルーベリー、リンゴ、並びにメープルシロップとカエデ糖である。特にブルーベリーでは最大の輸出州となっています。ジャガイモの生産でも知られています。入り組んだ岩の多い海岸線が続き、漁業は州経済の主力であり、現在もロブスター漁(lobster)やハマグリなど底引き漁が盛んです。

White Pine Tree

合衆国内で、最も白人の比率が高い州なので「Most White State」と呼ばれるとか。フランス系アメリカ人の比率は国内で最も高い州がメインです。メイン州にはベイツ大学(Bates College)、ボウディン大学(Bowdoin College)やコルビー大学(Colby College)といった、大学ランキングで上位に位置するリベラルアーツ系の大学が知られています。他の州と同様、ニューイングランド内の私立大学のほうが州立大学よりも認知度が高く優れているというのは特筆されます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その23 『ケイジャンとクレオール』とルイジアナ

ケイジャン(Cajun)移民の影響を強く受けたルイジアナ州の文化は、他の南部州に比べるとユニークな点が多いといえます。その代表は「クレオール文化」(Creolization)でしょう。人種、言語、料理、音楽などで特徴的な文化です。フランスやスペイン、アフリカおよび先住民文化から色々な要素を取り入れた融合文化とされるクレオール文化は白人クレオールと黒人クレオール両方に属しています。当初クレオールという言葉はフランスまたはスペイン人の子孫で、現地で生まれた白人を指していました。それが後には白人男性が黒人女性と関係を持った結果の子孫も指すようになり、その多くは教育を受けて自由人となりました。

Creole Family

州の南部で一部の住民が話すフランス語はケイジャンフレンチ (Cajun French) 、ケイジャン語です。カナダ東部の沿海州やメイン州で使われたフランス語アカディア方言に由来するものといわれます。その理由は1755年からの7年戦争といわれるフレンチ・インディアン戦争中、アカディアのフランス系住民がイギリスに対する忠誠を拒んで強制追放され、多くのアカディア方言話者がフランス領ルイジアナに移住してきたために残りました。ケイジャン英語はフランス語の影響を受けた英語方言ともいわれます。

Cajun Gourmet

クレオール文化で最も有名なのはケイジャン料理でしょう。ケイジャン移民が持ち込んだアカディア・フランス料理を基礎として、インディアンの料理、西アフリカからの黒人奴隷の料理やサン・ドマングからの移民が持ち込んだクレオール料理の流れをくむケイジャン料理はアメリカ有数のものとなっています。ニューオーリンズは、ジャズ発祥の地としてよく知られています。ディキシー・ランド・ジャズ(Dixiland Jazz)やブルース、カントリー、ロックなどのさまざまな音楽の発信地がルイジアナです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その22 『Pelican State』とルイジアナ州

ルイジアナ(Louisiana)という地名は、フランス王ルイ14世(Louis XIV)に由来します。州都はベイトンルージュ市(Baton Rouge)、最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。私はこの州を訪ねたことはありません。

1803年ルイジアナ買収によって合衆国領となってからこの州は発展します。1849年州都がニューオーリンズからベイトンルージュへ移ります。民法には大陸法の影響が色濃く残っています。例えば州の下の行政区画として、他州で用いられるカウンティ(county、郡)の代わりにパリッシュ(parish)という用語が使われます。parishとはキリスト教会の小教区を意味し、現在は行政小教区 「civil parish」と呼ばれ、フランス植民地時代の影響を受けた結果です。パリッシュがカウンティ相当として使われるのはアメリカではルイジアナ州のみです。

New Orleans

Old Town and canal

州内いくつかの都市圏では多文化、多言語の遺産が残っており、18世紀に領域を支配したフランスの混合文化に強く影響されています。アカディア(Acadia)やヌエバ・エスパーニャ(Nueva Espana)といった文化です。アカディアとはメイン州東部とカナダのノバスコシア州(Nova Scotia)に相当する地域の古名で、フランス領だった地域です。先住民であるインディアンや、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人の文化の影響も見られます。19世紀初めにアメリカ合衆国の領土となりますが、他州とは相当異なった文化が形成され今日に繋がっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その21  『Bluegrass State』とケンタッキー州

ケンタッキー州(Commonwealth of Kentucky)の愛称は「ブルーグラスの州」(Bluegrass State)です。ブルーグラスとは、ナガハグサとも呼ばれる牧草です。ブルーグラスは別名ケンタッキー・グラス(Kentucky Grass)とか西洋芝ともよばれ、耐寒性が高いのと根の伸長速度が早いので有名です。その名の通り、ケンタッキーは牧草が生い茂る地であり、競争馬の飼育が盛んです。この名の通り、ケンタッキーは牧草が生い茂る地であり、競争馬の飼育が盛んです。最大都市のルイビル(Louisville)で毎年5月の第1土曜日に行われる ケンタッキーダービー(Kentucky Derby) は有名です。州都はケンタッキー川沿いにあるフランクフォート(Frankfort)で、州の最大都市ルイビルと第2の都市レキシントン(Lexington)の中間に位置しています。 フランクフォートの人口は約28,000人で、人口の少ない州都の全米第5位になっています。

Kentucky

ケンタッキーはバーボン・ウイスキー(Bourbon whiskey)発祥の地、またケンタッキー・フライド・チキン(KFC)の本拠地としても知られています。 州内には450を超えるサラブレッド牧場や、多くのウイスキー蒸留所があります。バーボンという名前はフランスの「ブルボン朝」(Bourbon Dynasty)に由来します。アメリカ独立戦争の際にアメリカを支援したことに感謝し、後に合衆国大統領となるトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)がケンタッキー州の郡のひとつを「バーボン郡」と名づけます。それが同地方で生産されるウイスキーの名前となり、定着したといわれます。バーボン・ウイスキーの主原料は51 %以上のトウモロコシ・ライ麦・小麦・大麦です。これらを麦芽で糖化し、さらに酵母を加えてアルコール発酵させるようです。炭化皮膜処理されたオーク樽を製造に用いることが義務づけられています。ブランドを維持するためです。

River Boat

「ケンタッキーの我が家」(My Old Kentucky Home)はスティーブン・フォスター(Stephen C. Foster)作詞・作曲の歌曲です。ケンタッキー州の州歌となっています。「主人は冷たい土の中に」(Massa’s in De Cold Ground)、「故郷の人々」(Old Folks at Home)、オールド・ブラック・ジョー」(Old Black Joe)、「夢見る人(Beautiful Dreamer)、「金髪のジェニー」(Jeanie with the Light Brown Hair)、「スワニー川」(Swanee River)など、黒人奴隷の苦しみに共感を示しそれを描き出したのがフォスターです。曲のメロディは親しみやすく、黒人歌、農園歌、ラブソングや郷愁歌などを作曲し「アメリカ音楽の父」と称されています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その20 『Cyclone State 』とカンザス州

開拓者の過去と現在に至る歴史を学べるのがこの州です。「峠の我が家」(Home on the Range) という民謡があります。カンザス州(Kansas)の州歌となっています。のどかな旋律と歌詞です。アメリカの中央部という地理的条件のおかげで、カンザス州はアメリカの開拓で常に重要な役割を果たし、アメリカインディアンの豊かな歴史も育まれてきました。今も残るサンタフェトレイル(Santa Fe Trail)に幌馬車のわだちをたどり、ポニーエクスプレス(Pony Express)が通った道を旅できます。フォートラーンド(Fort Larned)とフォートスコット(Fort Scott)で南北戦争の戦場跡を見学し、部族に関する博物館を見学しましょう。カウンシル・オーク・ツリー(Council Oak Tree)のようなランドマークの木があります。この木は、1825 年にオーセージ族(Osage tribe)インディアンが土地を譲渡した際に契約の場となった史跡です。

Map of Kansas

ブートヒル博物館(Boot Hill Museum)とオールドカウタウン博物館(Old Cowtown Museum)では、西部開拓時代のアウトローや開拓者が歩いた道を実際に歩くことができます。田舎の生活様式が、今も家畜牧場で続けられています。このような牧場では、牛追い、星空を眺めながらのチャックワゴン(chuck wagon)での夕食ができます。チャックワゴンとは炊事用の幌馬車のことで、19世紀の特に西部開拓時代の長距離移動で広く使用されたものです。カンザス州では、本物の家畜牧場に宿泊することができます。質素なものからおしゃれな農場までさまざまな種類があります。

カンザス州にはアメリカインディアンの豊かな歴史が残っており、かつてここに住んでいた部族に捧げる博物館があります。この州には今でも 4 つの部族が暮らしています。キカプー族(Kickapoo)、ポタワトミ族(Potawatomi)、ソーク族(Sauk)、アイオワ族(Iowa)です。

Cattle Ranch

カンザスといえば、カンザス・シティスタイル・バーベキュー(Kansas City Style Barbecue:BBQ)さまざまな種類の木材でじっくりスモークし、厚切りトマトを載せてモラス(Morath)という蜜糖ベースのソースで食べるのです。カンザス・シティは、『World Capital City of BBQ』と呼ばれるほどです。BBQはカンザス・シティ文化のハイライトなのでしょうか。BBQはなぜ有名になったかです。カンザスはアメリカのど真ん中に位置し、19世紀半ば頃からアメリカの物流の拠点となりました。鉄道に加えてミズーリ川(Missouri River)があり、バイヤーや卸売業者はそれを家畜類の輸送手段として使うだけでなく、肉の加工業を栄えさせたのです。

州都はトピカ市(Topeka)であり、州最大の人口を抱える都市はウィチタ(Wichita)となっています。最後にカンザス州のニックネームは「サイクロンの州」(Cyclone State)というのですから、少々穏やかではありません。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その19 『Hawkeye Stateとマディソン郡の橋』とアイオワ州

この州は、中西部ウィスコンシン州の西側に位置します。州都で人口最大の都市はデモイン(Des Moines)で、「アイオワ」(Iowa)という名前は数多く住んでいたインディアン部族の中のアイオワ族から採られています。デモインは大統領選挙においても重要な所となっています。その理由はアイオワ州は1972年以降、全米で最初に党員集会(caucus) が行われる州となっているからです。党員集会では、大統領候補を選出する全国党大会に出席する代議員を選ぶのです。党員集会によって大統領候補者を決めるので、デモインは全米から注目されるのです。

Roseman Bridge

アイオワ州は、元はフランスのヌーベルフランス(Nouvelle-France、英語でNew France)と呼ばれた植民地でした。アメリカがフランスからルイジアナを買収後、この地に開拓者が農業に基づく経済の基礎を作ります。やがて「コーンベルト」(Corn Belt)と呼ばれる穀倉地帯の中心となります。「世界の食糧の首都」と呼ばれるのが州都デモインです。

Iowa Hawkeeye

クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)とメリル・ストリープ(Meryl Streep)主演の映画『マディソン郡の橋』(The Bridges of Madison County)は、アイオワ州マディソン郡(Madison County)が舞台となっています。イタリアからやってきて夫や子どもとともにアイオワ州マディソン郡に住んでいる女性フランチェスカ・ジョンソン(Francesca Johnson)が、家族の留守中に、この郡にある屋根付橋の撮影にやってきた写真家ロバート・キンケイド(Robert Kincaid)と出会い恋に落ちるのです。この屋根付橋は、ローズマン・ブリッジ(Roseman Bridge)と名付けられています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その18 『Hoosier State』とインディアナ州

インディアナ州(Indiana)はイリノイ州の東側、オハイオ州の西側に位置しています。19世紀初頭、多くのヨーロッパからの移民が西に向かい、インディアナ州に定住します。インディアナ州に定住した最大の移民グループは、ドイツ人であり、アイルランドやイギリスからの移民も多くやって来ました。1811年にオハイオ川(Ohio River)に蒸気船が、1829年にリッチモンド(Richmond)にナショナルロード(National Road)が開通し、インディアナ州北部・西部への入植が大きく促進されることとなります。州都はインディアナポリス(Indianapolis)です。

インディアナポリスが州都になった後、新政府はインディアナを開拓地から発展し人口が増えます。繁栄する州にするための努力によって、人口動態と経済の著しい変化が始まります。1836年、州の創設者は、道路、運河、鉄道、州負担の公立学校の建設につながるプログラム「インディアナ・マンモス内部改善法」(Indiana Mammoth Internal Improvement Act)を施行します。この計画は州を破綻させ、財政的に大打撃を与え、土地と農産物の価値は4倍以上になります。この危機を受け、再発防止のため、1851年に第二憲法が採択されます。その条項の中には、公的債務の禁止とアフリカ系アメリカ人への参政権の拡大が含まれます。

毎年5月に開催されるアメリカの自動車スポーツイベントが、インディ500 (Indy 500) です。インディ500は、練習走行・予選・決勝レースなどのレースプログラムから成ります。世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速いといわれ、最高速度は380km/hに達するとされます。日本人のドライバーもこの大会で過去2回優勝しています。

Wheat Field

インディアナ州の人々は「フージャー」(Hoosier) と呼ばれています。この言葉の語源は諸説あるようですが、一説ではアップランドサウス(Upland South)地域で野卑な田舎者を指す蔑称から由来するとわれます。不器用な人、といった意味だそうです。それで州のネックネームは「Hoosier State」と呼ばれます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その16 『Land of Lincoln』とイリノイ州

イリノイ大学(University of Illinois)があるのは、アーバナ・シャンペイン(Urbana-Champaign)という大学街で、友人のデルウイン・ハーニッシュ氏(Delwyn Harnisch)が同大学心理教育学部の教授をしていました。彼のエピソードです。ネブラスカ大学(University of Nebraska)から招聘を受けたとき、心理教育学部長に、ネブラスカ大学から示された給与額を伝えます。もし、心理教育学部が同額に近い給与を出せばイリノイ大学に残るといいます。学部長はそれは無理であるという回答だったのでネブラスカ大学へ移ることにした、という話です。このように給料の交渉ができるのがアメリカの大学の面白いところです。有名教授ならではのエピソードです。ハーニッシュ教授を兵庫教育大学に半年間客員教授として招いたことがあります。温泉や露天風呂が好きな人でした。

シカゴ

肝心のイリノイ州の紹介です。歴史は現代になり1900年になると、イリノイ州北部の都市では産業が盛んとなり、中部や南部では石炭の採掘が増えます。それと同時に東欧や南欧からの移民が集まるようになります。南部からの大移動により、シカゴ(Chicago)を中心にアフリカ系アメリカ人のコミュニティが形成され、有名なジャズやブルースの文化も栄えます。今やシカゴは文化、経済、人口の中心地となり、今日では世界の主要な商業都市の一つとなりました。

ガレーナという街

イリノイ州からは3人の歴代大統領を輩出します。エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)、ユリシーズ・グラント(Ulysses S. Grant)、バラク・オバマ(Barack Obama)です。さらにロナルド・レーガン(Ronald Reagan)は同州で生まれ育った大統領です。現在、イリノイ州はリンカーンを称え、州の公式スローガン「Land of Lincoln」を掲げており、1954年からナンバープレートに表示されています。州都スプリングフィールド(Springfield)にはリンカーン大統領図書館・博物館があり、シカゴには近いうちにバラク・オバマ大統領センターが建てられる予定でです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その15 『Gem State』とアイダホ州

私はアイダホ州(Idaho)を訪ねたことはありません。ですが琉球の那覇にいたとき公設市場で、アイダホポテト(Idaho potato)と名前がついたトウモロコシ袋を見ました。このトウモロコシは実に大きく、北海道で食べていたのよりも大きいのに驚きました。後にこのポテトは、マクドナルドなど提供されるフライドポテトになることを知りました。

Idaho Potato Truck

アイダホ州の地理ですが、北はカナダのブリティッシュ・コロンビア州(British Columbia)、東はアメリカのモンタナ州(Montana)とワイオミング州(Wyoming)、南はユタ州(Utah)とネヴァダ州(Nevada)、西はオレゴン州(Oregon)とワシントン州(Washington)に接しています、ワイオミング州との州境はイエローストーン国立公園(Yellow Stone National Park)の一部を含んでいます。

人口の10分の9以上がヨーロッパ系で、ほとんどの人はイギリス、ドイツ、アイルランド、フランス、イタリア、ポーランドに祖先を持つ人々です。ヒスパニック系(Hispanic)は人口のほぼ10分の1を占めています。また、ネイティブアメリカン、アジア人、アフリカ系アメリカ人の割合もわずかながら存在します。アイダホ人の半数近くが教会員であり、その約3分の1がモルモン教徒(Mormon)でです。モルモン教本部がソルトレークシティ(Saltlake City)に近いことから、ユタ州の宗教的な結びつきは強く、州南東部のいくつかの都市では、人口の9割以上がモルモン教徒(Mormons)といわれます。

White Pine

アイダホ州は、スネークリバー平野(Snake River plain)の灌漑地域を中心に、アメリカでも有数の豊かな農地となっています。前述しましたが、農作物のなかでもジャガイモはアイダホ州の代名詞となっており、アメリカのジャガイモ生産量の約3分の1を占めているほどです。小麦、レンズ豆、大麦、オート麦、甜菜、エンドウ豆の種も重要な農産物収入源となっています。草原地帯だけでなく、山岳地帯の台地にも肉牛や羊の大群が放牧されています。州面積の5分の2近くが森林であり、毎年大量の木材が商業用材地から切り出されています。主にダグラスファー(douglas fir)、ポンデローサ・パイン(ponderosa pine)、ウエスタン・ホワイト・パイン(western white pine)が商業用材として家屋の建設に使われています。どうもこの州は松の木が知られているようです

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その14 『ジェームス・クック』とハワイ

もともとハワイの原住民は、漁業と農業に非常に長けていました。18世紀後半になると、彼らの共同体は酋長と司祭によって定められた厳格な法

Captain James Cook

体系を持つ複雑なものへと発展していきます。彼らは、古代ギリシャのオリンポス山(Mount Olympus)の神々に似た性格と力を持つ神々を崇拝し恐れていたのです。

外国人がハワイに来るようになったのは、1778年にイギリスのキャプテン、ジェームス・クック(Capt. James Cook)がハワイを訪れてからです。その後40年間、ヨーロッパとアメリカの探検家、冒険家、捕獲者、捕鯨船が新鮮な物資を求めてハワイ諸島に立ち寄りました。これらの接触は島の人々に大きな影響を与えることになります。たとえば、東洋と西洋から病気が持ち込まれ、それまで病気とは無縁だった島民に免疫のない病気が入ってきます。コレラ、はしか、性病、結核などの病気は、一時島民の人口を大きく減少させます。

Immersion School

ハワイの公用語は英語とハワイ語の2つです。ハワイ語は、1990年代前半には、ごく一部のハワイ先住民にしか話されず、ほぼ消滅していました。しかし、ハワイ語イマージョンスクール(immersion schools)の設立により、ハワイ語を話す新しい世代が生まれ、現在では幼稚園から大学院までハワイ語での教育が行われています。また、ハワイ語は地名や通りの名前、歌の中にも残っています。また、ハワイに住む人の多くは、ハワイアン・クレオール英語(Hawaiian Creole English)と呼ばれるものを話すことができます。一般的にピジン(pidgin)と呼ばれるハワイアン・クレオール英語は、ハワイのプランテーションキャンプ(plantation camps)という多言語環境の中で作り出された英語の方言です。