IEPはどうなっているか その4 「課題がなぜ採択されたか」

文部科学省の「先導的教育情報化推進プログラム」になぜ課題が採択されたかを考えると少々感慨深いものがある。応募にあたって大事なことは、なによりも特別支援教育にも学校にも保護者にとっても、弾けるような企画を考えることだった。ヒアリング毎に、綜合的な校務支援システムが特別支援教育の現状に即して、いかに大切なものかを倦まず、そして弛まず説明した。特別支援教育の分野で課題を提出したのが我々の一件だけだったことも幸いした。

2007年度から始動した特別支援教育では、個別の生徒の教育指針となるIEPの策定と運用が期待された。そのために、複数の関係者や関係機関がその作成や実施等の過程でさまざまな情報を共有する必要があるということである。

乳幼児期において福祉や医療機関、学齢期では保護者、特別支援学校や学級、進路指導では就労支援機関の連携が重要となってくる。障がいや発達に関する診断情報、教育相談情報、保護者が寄せる家庭での成長記録情報が綜合されて、個々の児童生徒に相応しい教育的支援を行うことができる。

このように今や特別支援教育は、早期の障がいの発見から就労に及ぶ校務情報の一元化と継承性が課題となっており、そこにICTの果たす役割が大いに期待されている。本研究がねらうネットワーク上での個別の教育計画策定と運用を中心とする校務円滑システムの構築と検証は欠かせない課題であると確信していた。

このような特別支援教育の展望のなかで、本課題は採択された。取り組みの方向が文科省の方針に沿うこと、特別支援教育の現状と課題を強調したことが役人の琴線に触れたからだと信じている。

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IEPはどうなっているか その3 「先導的教育情報化推進プログラム」

2007年に文部科学省の「先導的教育情報化推進プログラム」に「総合的な校務円滑システムの構築による特別支援教育の情報化」とい研究課題名で提案した。何度も文科省に呼び出されて、企画内容についてヒアリングを受けた。大型の研究費だったので審査は極めて厳しいものだった。

この研究を推進しようとする母体は、文科省の初等中等教育局内にある産業教育・情報教育担当情報推進係であった。この係は、学校における様々な業務、特に校務に関連する生徒情報を集積し、それを活用するための広域的なシステム作りを推奨し、校内はもちろん学校間で活用することを意図していた。特別支援教育課は、先導的な教育情報網の構築による生徒情報の有機的な活用という視点がなかった。

この研究課題が採択されることになった。採択された理由は3つある。第1は特別支援教育が上げ潮にあったことだ。相談から診断、指導にいたる過程で横断的な専門家がかわり、情報の共有と活用がもとめられるからである。第2の理由は、そうした過程における情報の共有と活用は、ネットワークの構築が求められることである。それは、学校内に留まらず学校外の専門家や保護者をつなぐ必要があったのである。第3の理由は、学校内がネットワーク化され、端末が設置されて校務の効率化や情報活用の機運が高まったことである。

情報化社会といっても我が国の学校はネットワークの利用に適していないことを知ったのはその後である。学校のネットワークというのはイントラネットのことであった。子どもの教育、医療、福祉などの関係機関の間での情報の共有という視点が全くないという現実に直面した。それを思い知ったのが、IEPをはじめとるする各種の校務情報を共有することを意図したツール開発過程であった。

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IEPはどうなっているか その2 特別支援教育コーディネータなるもの

「学校の公務として位置づけ、すべての小中学校又は特別支援学校に置いて、関係機関との連携協力の体制整備を図る」という趣旨で置かれたのが特別支援教育コーディネータ(以下コーディネータと略す)である。

誰がIEPの作成に関わるかである。我が国の学校には教師の他、養護教諭、栄養士がいる。言語治療士、ソーシャルワーカ、理学療法士、学校心理士は常駐しない。とどのつまり、教師がIEPの原案を作ることになる。他に誰も一人の生徒を知るものがいないからだ。コーディネータは黙って印を押すことになる。

今や6人に一人の生徒は貧困家庭で生活する時代だ。貧困は生活のリズム、栄養、保護者の養育責任、生徒の自尊心など心身に影響を与える。栄養士やソーシャルワーカの果たす役割は大きいのだが、彼らがIEPの作成に関わることはない。多くの場合、学級担任が一人で作文する。時にコーディネータが作成に立ち会うこともあるが、コーディネータは、自分も担任学級を持つ。コーディネータは兼任であったりだから、IEP作成に傾注することは極めて難しい。

IEP作りにおいては、2段階の過程を踏むのが原則だ。まず、担任やコーディネータから、IEPによる指導がふさわしいと上がってくる生徒を特定する作業である。発達相談の資料や保護者の要望、担任教師からの観察資料を基にしてIEP作りが必要かが話し合われる。もし、必要でないとされると、当面は経過観察となる。

次に、IEPが適当とされる生徒はIEPの有資格者となる。そしてIEPカンファレンスが開かれ、作成から指導に至るタイムラインが作られ、実際の個別の指導は数週間後となる。こうした作成過程のマネージメントは一体誰がするのかは学校によって異なる。校内の分掌体制では、コーディネータを誰がするのか、学年主任がするのか、、、コーディネータが腰掛け仕事となり、事なかれ主義になっては困る。

「担当する複数の教師、職員、保護者、外部の専門家が連携し協力しながら、子どもの教育ニーズに応じて適切な教育を準備する」という趣旨は、全くの作文である。それを知る苦い経験をしたプロジェクトを紹介する。

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IEPはどうなっているか その1 「学校でもIEPを作っている」

今や個別の指導計画(IEP)というフレーズは、すっかり定着した。「我々の学校でもIEPを作っている」という声は聞く。それはそれでよいとして、時に、近所の小学校に通う発達に課題のある子どもの保護者から「IEPってなんですか?担任からはIEPのことの説明はありませんが、、」という問いも投げかけられる。八王子市のことである。

こうした状況はさして驚くに当たらない。文部科学省のガイドラインには「小・中学校におけるLD・AD/HD・高機能自閉症の児童生徒についても、必要に応じて作成することが望まれる」とあるからだ。

「個別教育計画」、「個別の教育計画」、「個別の教育指導計画」、「個別支援計画」など呼び名はどうでよいとして、学校というところは、指導要領や通達にあるIEP作りを粛々と実施すれば、あとはなんのお咎めもない。「IEPが作られている」ということが大事なのだ。「IEPによる指導の成果」は問われない。

IEP作りに保護者は参加したか、IEP作りに誰が参加したか、作られたIEPは保護者の同意を得たか、IEPにそった教育によって生徒がどのように発達したか、IEPの目標はどの程度察せ意されたか、達成を判断する規準はなんであるか、指導の成果は保護者に説明されたか、こうした問いを学校は無視している。本来、「学校でもIEPを作っている」ということは以上のような要件を満たすことなのであるが。

「個別支援計画みたいな名前の書類は教師が勝手に書き、少なくとも私の勤務した知的障害特別支援学校にはあった。ただし絶対に保護者に見せてはならない、というしろものだった」。という教師の述懐もある。

この教師が嘆く似たりよったりな現状が今日のIEPを取り巻く状況にあることを言いたいのである。

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文化を考える その33 「正義が川のように流れ下り」

“I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.”

冒頭から英文でお許しいただきたい。出てくる単語はすべて中学の英語で学ぶものばかりである。どうしてもこのパラグラフを引用しないと、今回のブログは体をなさないと考える。ノーベル平和賞の受賞者、マーチン・ルーサー・キング牧師(Martin Luther King, Jr.)の有名な演説の一部である。1963年8月に首都ワシントンDCで繰り広げられた大行進のとき読み上げたものである。

プロテスタントバプテスト派の牧師であるキング博士は、ペンシルベニア州のクローザー神学校(Crozer Theological Seminar)を経て父親と同じくバプテスト派の牧師となる。その後1955年にボストン大学神学部で博士号を取得した。

キング牧師は、解放宣言で明確に打ち出された奴隷の廃止に関して「それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜びに満ちた夜明けとして訪れたのだった」と説く。この箇所は、旧約聖書詩篇30章5節(Psalm)から引用したものだ。
■その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。

次に奴隷解放に至るまでの長い道のりを回想し次のように説く。
「そうだ、決してわれわれは満足していないのだ。そして、正義が川のように流れ下り、公正が力強い急流となって流れ落ちるまで、われわれは決して満足することがない」この部分は、アモス書5章24節(Book of Amos)の次の聖句に由来する。
■公道を水のように、正義をつきない川のように流れさせよ。

さらに「いつの日にか、すべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。」という部分はイザヤ書40章4節(Book of Isaiah)からそのまま引用している。
■すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。

イザヤ(Isaiah)は旧約聖書に登場する有名な預言者の一人。イザヤ書40章3節で「荒れ野に主の道を備えよ」と新しい国造りをイザヤは指し示す。「虚飾ではぎとられた荒れ地を耕し、権力者と驕り高ぶっている山と丘を低め、おとしめられてきた者がいる谷を埋め、主のための道を備えよう。」と説く。

文章の冒頭の語句を繰り返す反復も修辞の手段として、演説全体で用いられている。なかでも “I Have a Dream …” という表現は8度出てきており、その表現でキング牧師が描く差別のない一体化したアメリカを聴衆に訴えている。

そして演説の最後は、“Free at last ” で終わる。このフレーズは、黒人霊歌のタイトルである。キング牧師の演説草稿は深い思索と博識に裏打ちされていることを教えてくれる。

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文化を考える  その32 ”I Have a Dream” Speech

深く人々の心に刻まれる文章、魂を揺さぶられるような演説とはなにかを考えている。

これまでいろいろな作品や演説を読み聴きしてきた。作者の時代を思い起こしながら、作者の意図をくみ取ろうとする作業はまるで至福のときである。思うに文章を書くこと、草稿を練るには、その下地となる基礎知識とか時代背景を知らねばならない、ということを肝に銘じている。

ある話題を取り上げようとする。それに関した知識があれば、話題への切り込み方がちがってくる。時代考証や先行文献などに裏打ちされた文脈や内容であれば読者を引き込むことができる。

演説の草稿は、通常スピーチライター(speech writer: SW)が書く。大統領や総理大臣の演説原稿はSWによるものだ。時に演説者自身の手によって作られるのもある。その代表例が、1963年8月28日に、ワシントンDCのリンカーン記念堂(Lincoln Memorial)で行ったキング牧師(Martin Luther King, Jr.)の演説である。通称、”I have a dream.”と呼ばれる。あまたの演説の中で最高のものと称される有名な内容である。

なぜこれほどの内容の草稿なのか。それはキング博士の牧師として、運動家としての深い信仰や信念に裏打ちされていることに畏敬の念を抱くのである。とりわけ旧約聖書の理解なしに、この草稿は生まれなかったと思えるほどである。

小学生にも分かるような表現やフレーズがある。大人向けの首句反復という修辞もある。独立宣言や黒人霊歌からの引用もある。だが、黒人への偏見と差別という出来事が、旧約聖書に記述される紀元前のエジプトで起こった差別と迫害の出来事をはっきりと思い出させるような引喩が心を打つのである。紀元前から続く人種偏見をキング牧師は聖書の内容から熟知していたことに畏れ入るのである。次稿はそのことに触れる。

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文化を考える その31 街角の風景  今も人種差別が

先日、ミズリー州の街で黒人青年が警官に射殺される事件が起こった。オバマ大統領も市民に冷静さを呼びかけるほどであった。ことの顛末ははっきりしないが、根強い人種差別の歴史を思い起こす事件である。

人種差別を英語では「Discrimination」とか「Racial Segregation」という。この人間の考え方の源には、生まれつきの遺伝的な要素によって人の特徴や能力は決まっているのだから、別々に生きることが幸せなのだ、という思い込みである。そこから特定の人種に対する特別な信念や行動が生まれると考えられる。それが具体的に現れるのが人種差別とか人種の優越性の観念である。これは「レーシズム」(racism)という。

オックスフォード英語辞典(Oxford English Dictionary)によると、「レーシズムとは信念やイデオロギーのことであり、人種というのはそれぞれ共通の特性や能力を有する、それによって他の人種に対する優越性や劣等性をきめるもの」と記述されている。別の辞典では、「レーシズムとは人種によって固有の文化を形成する要素である」ともある。こうした定義で共通していることは、「遺伝」、「信念」、「特性」、「すみ分け」などが強調されることである。レーシズムによって、皮膚の色とか人種の違いが排他的な態度、優越的な態度と他人を蔑むこと、人権や自由を脅かす行為につながる。

南部アラバマ州では1950年代から「ジム・クロウ法」(Jim Crow)という人種分離法がつくられ、交通機関、駅、トイレ、映画館、学校や図書館などの公共機関、ホテル、レストラン、バーなどで白人と有色人種(the colored)を分離することが正当化された。やがて州都モンガメリー(Montgomery)で1955年に起こったローザ・パークス(Rosa Parks)逮捕事件が公民権運動の口火をきる。

パークスは、白人専用のバスに乗り込んで逮捕される。これをきっかけに、キング牧師(Martin Luther King Jr.)らがバス・ボイコットの運動で立ち上がる。運動は全米に広がり、1956年には合衆国最高裁判所が「バス車内における白人専用及び優先座席を違憲とする判決を出す。1963年8月にキング牧師に率いられたワシントン大行進。1964年7月に公民権法(Civil Rights Act)が制定され、長年続いてきた人種差別撤廃運動は終わりを告げる。

今日、法的には人種差別は完全に違法である。人種、文化、言語、信条などによって差別をすることは教育、就職、表現などにおいて禁止されているが、、、。このような社会が創られるまでは、幾多の困難や障壁があった。黒人奴隷が存在した。リンカーン(Abraham Lincoln)大統領が黒人の解放を訴え、それを機に南北戦争(Civil War)が起こった。そして奴隷解放が宣言された。だが、アメリカ社会にはいまだに目に見えない人種偏見が続いている。バラク・オバマ(Barack Obama)が大統領になったときの異例の報道はそれを物語る。

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文化を考える その30 街角の風景 エリザベス・サンダースホーム

1955年にスペインで作られた映画「汚れなき悪戯(いたずら)」をご存じの方は60歳後半の人。養子縁組の話題の続きである。

19世紀前半、スペインの小さな寒村が映画の舞台である。ある年の聖マルセリーノ祭(Marcelino)の朝、教会堂の門前に赤子が置かれているのをフランシスコ会の修道士たちが見つける。彼らは赤子の里親を求めて歩き回るが見つからない。そこで修道院で育てることになる。そして名前をマルセリーノと名付ける。

5年後、マルセリーノは賢い少年に成長していく。しかし、母親がいないことや友だちができないことに修道士たちは心配する。修道士は、屋根裏部屋には決して入っていけないとマルセリーノに言いつける。ある日マルセリーノは入ってはいけない屋根裏で大きな十字架のキリスト像を見る。そこでキリストとの対話が始まるのである。そしてパンや飲み物を運ぶという「汚れなき悪戯」が始まる。

19世紀のアメリカでは、移民の増大や南北戦争によって多くのホームレスや孤児を生んだ。各州ではこうした子どもへの対応を考え始める。1917年には、ミネソタ州がはじめて養子縁組を認める法を制定する。二つの大きな戦争、朝鮮動乱、ベトナム戦争などによって多くの国々で孤児が発生した。こうした経緯で、アメリカでこのような恵まれない子どもに家庭を与えるための養子縁組制度、いわば子のための制度が広く社会に浸透していく。

「我が故郷ウイスコンシン 忘れられない人ーその30」で紹介したMr.& Mrs. John Silbernagelの娘、Karenのことだ。彼女は結婚する前にスリランカから養子を引き受けた。独身女性が養子縁組をするなど筆者には思いもよらなかった。その子を実の子として献身的に愛情を注ぐ未婚の母親姿を見て感じ入った。「生みの親よりも育ての親」である。その後彼女は結婚し、実の子どもを授かる。

1948年、岩崎弥太郎の孫、澤田美喜がエリザベス・サンダースホームを設立する。連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは恋愛で生まれ見捨てられた混血孤児たちのため児童養護施設であった。その後ここで約2,000人の子どもが育てられ、多くは養子としてアメリカに渡った。彼女の夫は初代国連大使を務めた澤田廉三である。
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文化を考える その29 街角の風景 養子縁組み

養子縁組が多いのがアメリカ。私の息子夫婦には2人の男の子がいるのだが、3人目は養子を育てたいといっていた。8年前にサバティカルで阪大にいたとき、日本人の子どもを養子にするための手続きで関係機関を調べていた。だが外国に住んでいて、日本から養子をとるのは極めて困難であることがわかったようだ。だが今も養子を探している。

我が国は、家父長制を基本としていたので、家長の後継者を得るための養子縁組が存在していた。こうした伝統のせいだろうが、今は「子どもと家族の幸せ」という考えで養子をとることは並大抵のことではない。

養子制度は長い伝統があるす。制度を遡ると、 紀元前18世紀、古代バビロニアのハムラビ法典などに由来することが判明している。当時は養子が合法的であり、保護者の責任などが規定されていたことが伺える。Wikipediaによれば婚約、婚姻、離婚、姦通と近親相姦、遺産相続などの規定もあったようだ。ローマ帝国の皇帝というのは、養子縁組での継承というのがやたらと多かったといわれる。ローマ帝国は、一夫一妻制の社会であったため、皇帝が必ずしも継承者となる男子を持っているとは限らなからである。

中世期のヨーロッパにおける養子縁組は容易ではなかったようである。ナポレオン民法典には、養子制度も規定されたが、それは成年の養子のみであり、氏や財産の継承の目的だけに認められた。養子は18歳以上でなければならず、養親は50歳に達していることが必要であった。

だが、貧しさのために教会の門前などに幼児を置き去りにする人々が絶えなかったといわれる。そこでカトリック教会は孤児院を運営し始める。こうした博愛の精神が、やがて養子縁組を社会に定着させるための原動力となっていく。

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ナポレオン民法典
2cd0d2567ffc5558b655727e0b4e13cf Code of Hammurabi
ハンムラビ法典

文化を考える その28 街角の風景 その8 「聴衆に視線を向ける」

なくて七癖とはよくいったものである。人それぞれに癖があるが、人前では、あまりよろしくない行為はなんとかしたいものだ。先日、図書館で調べものをしているとき、前に座った外国人から「足を振るわせないように」との注意を受けた。振動が伝わって不快な思いをさせたようだ。私は足をブラブラしたり貧乏揺すりをする癖がある。

人前で話をするとき、自分は「あー」、「えー」、「えーと」、「うーんと」などというつなぎがでてくるのを自覚している。文章の末尾に「、、、、と思います」というフレーズも多い。録音を聴きながら「、、、です」と直さなければとなんども言いかせた。だがなかなか改善しない。

以前、トーストマスター(Toastmaster)という団体に属したことがある。トーストマスターとは非営利教育団体で、座を和やかにする話し方、聴衆をひきつける話し方のスキルを高めることを目的とする。世界中にトーストマスターズ・インターナショナルの支部やクラブがある。月刊雑誌を出しているほど活動が活発で、日本にも支部がある。多くは英語圏の人で構成されている。

横須賀にいたとき基地内にある学校で、トーストマスターの例会に出席していた。この例会は英語で進められた。会員は、月に数回定期的に開かれる勉強会に出席することが求められる。会合の進め方だが、司会者からスピーカーや評価者などの役割を与えられる。会員は毎回持ち回りで司会を務める。

例会は時間厳守が求められる。参加者はマニュアルに基づいて準備されたテーマについてのスピーチ、即興スピーチをしなければならない。論評はスピーチの良かったことに対する「褒め」と、建設的な「改善点」の両方を述べることが要求される。私がしばしばこの例会で指摘された改善点である。それは、原稿に視線が向きすぎる、即興で与えられるテーマでしゃべる内容に精通していないこと、流れるようなスピーチの構成となっていないこと、言葉遣いで「ああ、、えーと、」が多いこと、ジェスチャーが不十分で訴える印象が薄い、声の抑揚が平坦であること、などが指摘された。

例会の終わりには、参加者全員による投票で最優秀スピーカー、優秀即興スピーカー、評価者などの賞が与えられる。講師は存在せず、会員同士による話し方のフィードバックによって、話し方を向上するために教育しあうことを活動の柱としている。

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