今や個別の指導計画(IEP)というフレーズは、すっかり定着した。「我々の学校でもIEPを作っている」という声は聞く。それはそれでよいとして、時に、近所の小学校に通う発達に課題のある子どもの保護者から「IEPってなんですか?担任からはIEPのことの説明はありませんが、、」という問いも投げかけられる。八王子市のことである。
こうした状況はさして驚くに当たらない。文部科学省のガイドラインには「小・中学校におけるLD・AD/HD・高機能自閉症の児童生徒についても、必要に応じて作成することが望まれる」とあるからだ。
「個別教育計画」、「個別の教育計画」、「個別の教育指導計画」、「個別支援計画」など呼び名はどうでよいとして、学校というところは、指導要領や通達にあるIEP作りを粛々と実施すれば、あとはなんのお咎めもない。「IEPが作られている」ということが大事なのだ。「IEPによる指導の成果」は問われない。
IEP作りに保護者は参加したか、IEP作りに誰が参加したか、作られたIEPは保護者の同意を得たか、IEPにそった教育によって生徒がどのように発達したか、IEPの目標はどの程度察せ意されたか、達成を判断する規準はなんであるか、指導の成果は保護者に説明されたか、こうした問いを学校は無視している。本来、「学校でもIEPを作っている」ということは以上のような要件を満たすことなのであるが。
「個別支援計画みたいな名前の書類は教師が勝手に書き、少なくとも私の勤務した知的障害特別支援学校にはあった。ただし絶対に保護者に見せてはならない、というしろものだった」。という教師の述懐もある。
この教師が嘆く似たりよったりな現状が今日のIEPを取り巻く状況にあることを言いたいのである。