文化を考える その29 街角の風景 養子縁組み

養子縁組が多いのがアメリカ。私の息子夫婦には2人の男の子がいるのだが、3人目は養子を育てたいといっていた。8年前にサバティカルで阪大にいたとき、日本人の子どもを養子にするための手続きで関係機関を調べていた。だが外国に住んでいて、日本から養子をとるのは極めて困難であることがわかったようだ。だが今も養子を探している。

我が国は、家父長制を基本としていたので、家長の後継者を得るための養子縁組が存在していた。こうした伝統のせいだろうが、今は「子どもと家族の幸せ」という考えで養子をとることは並大抵のことではない。

養子制度は長い伝統があるす。制度を遡ると、 紀元前18世紀、古代バビロニアのハムラビ法典などに由来することが判明している。当時は養子が合法的であり、保護者の責任などが規定されていたことが伺える。Wikipediaによれば婚約、婚姻、離婚、姦通と近親相姦、遺産相続などの規定もあったようだ。ローマ帝国の皇帝というのは、養子縁組での継承というのがやたらと多かったといわれる。ローマ帝国は、一夫一妻制の社会であったため、皇帝が必ずしも継承者となる男子を持っているとは限らなからである。

中世期のヨーロッパにおける養子縁組は容易ではなかったようである。ナポレオン民法典には、養子制度も規定されたが、それは成年の養子のみであり、氏や財産の継承の目的だけに認められた。養子は18歳以上でなければならず、養親は50歳に達していることが必要であった。

だが、貧しさのために教会の門前などに幼児を置き去りにする人々が絶えなかったといわれる。そこでカトリック教会は孤児院を運営し始める。こうした博愛の精神が、やがて養子縁組を社会に定着させるための原動力となっていく。

IMG_1329 Code Napoleon
ナポレオン民法典
2cd0d2567ffc5558b655727e0b4e13cf Code of Hammurabi
ハンムラビ法典

文化を考える その29 街角の風景 養子縁組み」への2件のフィードバック

  1. このたびの渡米で、テストベビーで生まれた双子の赤ちゃんと会いました。掌に乗るくらいの未熟児で生まれ、男の子の方は肺機能に障害があり、女の子は機嫌が安定せず育て難いと医師である母親がこぼしていました。私が見たところ何か発達的な問題もあるように感じましたが、多くの親戚も当該子どもの母親も医師であるその家族が何ら問題を口にしないので余計なことは言えませんでした。テストベビーは(そこそこ裕福な家庭では)そんなに珍しいことではないという話も聞き驚きました。

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