アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その13 『Aloha State』とハワイ州

ハワイ州(Hawaii)のニックネームは、 アロハの州(Aloha State)とかパイナップルの州(Pineapple State)と呼ばれています。ハワイは、マーク・トウェイン(Mark Twain)によって「どの海にも停泊している最も美しい島々の艦隊」と評されました。ハワイという名前は、ポリネシア人(Polynesians)の祖先が住んでいたライアテア(Raiatea)の旧名、ハワイキ(Hawaiki)に由来すると考えられています。人々のハワイへの移住は、4世紀から7世紀にかけてマルケサス諸島(Marquesas Islands)から北西に移動したポリネシア人によって行われます。その後、9世紀から10世紀にかけてタヒチ(Tahiti)から移住してきた第2次移民が続いたと人類学者は考えています。1970年代に始まったハワイでのカヌーや伝統的な航海術の復活は、そのことを示唆しています。しかし、ハワイとポリネシアの人々の間には、言語や文化において類似性があるのですが、ハワイ文化が独自の特徴を持つに至ったのは興味あることです。

Tahitians

ハワイは経済的に活発で、農業や製造業が盛んです。海洋学、地球物理学、天文学、衛星通信、生物医学の研究開発など、国内および国際的に重要な活動を行っています。「太平洋の十字路」(Crossroads of the Pacific)とも呼ばれるハワイ州は、アメリカのグローバルな防衛システムにとって戦略的に重要であり、太平洋盆地の交通の要所としての役割を担っています。また、文化の中心地であり観光のメッカでもあります。

ポリネシア群島

ハワイ州の面積は、西のクレ島(Kure Island)から東のハワイ島(Hawaii Island)まで2,400kmの三日月状に伸びる8つの島と124の小島を形成する火山列島の頂部で構成されています。それぞれの火山は、太平洋プレートの通過時に、太平洋中央部の地下にある地球の上部マントルが上昇し、地殻を溶かす領域を通過し、噴出したマグマが地殻に質量を加えてできたものといわれます。

Polynesian Cultural Center

火山活動は、マウナロア(Mauna Loa)、キラウェア(Kilauea)海山の活火山を除いて休止状態になっています。マウナロアとキラウェアは、最大の島ビッグアイランド(Big Island)と呼ばれるハワイ島の最東端にあり、壮大な噴火と溶岩流が時々起こっています。ハワイで最も高い山は、ハワイ島のマウナ・ケア(Mauna Kea)とマウナロアで、それぞれ海抜4,205メートル、4,169メートルに達しています。マウナ・ケア山頂付近は天候が安定し、空気が澄んでいることもあり、世界11ヶ国の研究機関が合計13基の天文台を設置しています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その12 『Peach State』とジョージア州 

ジョージア(Georgia)は想い出の多い州です。私と家族が建国200年(Bicentennial)の翌年、1977年6月に始めてアメリカに渡ったとき、3か月ではありましたが暮らしたところです。ステイトボロ(Stateboro)という小さな街です。国際ローターリー財団(Rotary International Foundation)から奨学金を得て、英語の研修でこの街にあるGeorgia Southern Collegeで学びました。財団はこの小さなリベラルアーツの大学を50名の奨学生の研修場所として指定したのです。当時の大統領はジョージア出身の民主党員であったジミー・カーター(James “Jimmy” Carter)でした。まだ建国200年の余波が感じられた頃です。州のニックネームは「Peach State」、ジョージアは桃の産地です。

Map of Georgia

南部アトランタ(Atlanta) はジョージア州(Georgia)最大の都市であり州都です。コカコーラやCNN、保険会社アフラック(Aflac)の本社などがあることでも知られています。ここはまた映画の舞台でもあります。「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind)を書いたマーガレット・ミッチェル(Margaret M. Mitchell)の博物館-The Margaret Mitchell House-がダウンタウンにあります。

Gone with the Wind

アトランタではマーチン・ルーサー・キング牧師(Rev. Martin Luther King Jr) が牧会していたエベネゼル・バプティスト教会(Ebenezer Baptist Church)、そして師の功績を称えるThe King Center博物館は必ず立ち寄るべきところです。アメリカ史において最も選れた人物の一人で、その偉業を讃え1月第3月曜日をキング牧師記念日(King Day)として国民の祝日となっています。

Martin Luther King Center

ジョージアのもう一つのニックネームは「The Goober State」です。Gooberとはなんのことはない「ピーナツ(peanut)」の古めかしい言葉です。ピーナツはジョージア州の公式な農産物となっています。州内中部と南部に広がった農場でピーナッツ、トウモロコシ、大豆を生産している。ピカン(pecan)では世界一の生産量を誇ります。住んでいたアパートの前に大きなピカンの木があって、実がたわわになっていました。

ステイトボロから東に車で2時間のところにサバンナ市(Savannah)があります。昔は綿花の輸出港であり、奴隷貿易の拠点でありました。歴史的な町並みや建築物が再建され、観光都市としても栄えています。ステイトボロから北西に向かうとオーガスタ(Augusta)があります。マスターズ・トーナメント(Masters Tournament)が開催される街でもあります。毎年4月2週目の日曜日が最終日です。ジャック・ニクラス(Jack Nicklaus)は最多優勝の6回、US Openで4回優勝し、「帝王(the great)」の名に相応しい活躍をしました。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その11 『Sunshine State』とフロリダ州

フロリダ州(Florida)のナンバープレートには『Sunshine State』とあります。フロリダとは「燦々と太陽が一杯」となります。文字通り温暖な州です。特に冬は、各地から避寒客がやってきます。極寒の中西部では、「フロリダに行ってくる」というフレーズは周りの人からは羨ましがられるのです。ディズニー・ワールド(Disney World)には、タイフーン・ラグーン(Typhoon Lagoon)、マジック・キングダム(Magic Kingdom),アニマルキングダム(Animal Kingdom),エプコットセンター(Epcot Center)など、どれをとっても娯楽の粋を集めては多くの観光客を集める世界一の娯楽施設です。その広さはJR山手線内の約1.5倍というのですから、まさに桁外れです。2023年3月で設立50周年を迎え、記念催しがあるようです。

Map of Florida

フロリダは亜熱帯の柑橘類であるグレープフルーツ、オレンジ、野菜の産地です。ジュース生産も盛んな州です。フロリダがオレンジの州(Orange State)とも呼ばれる由縁です。また豊富な漁猟資源でも知られています。特産のエビやカキでも有名です。北米最大の湿原地帯がエバグレーズ(Everglades National Park)国立公園です。国立公園として園内のほとんどが保護されています。開発は一切行われず、環境には優しいのですが、道路が不整備で観光には決して優しくないという珍しい国立公園です。

フロリダ州といえばケープカナベラル・ケネディ宇宙センター(Cape Canaveral Kennedy Space Center)も忘れることができません。現在、月に人を送るアルテミス計画(Artemis)が進んでいます。2022年12月11日に無人のアルテミスI試験機が月の周回軌道を終えて戻ってきました。アルテミスIIは2024年に始めて女性や有色のアメリカ人を乗せて月面着陸を目指します。アルテミスとは、ギリシャ神話の最高神ゼウス(Zeus)とタイタン(Titan)神族レト(Leto)の娘の名で貞潔や狩猟、月の女神とも呼ばれています。

Hurricane Ian

フロリダの州都はタラハシー(Tallahassee)。「古い町」を意味するマスコギ語族(Muskogean)の言葉に由来しています。フロリダ州立大学(Florida State University)が位置しています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その10 『First State』とデラウェア州

合衆国大西洋岸中部に位置するデラウェア(Delaware)は、アメリカで二番目に面積が小さい州です。南北に細長く千葉県と同じ位の面積で州都はドーバー(Dover)です。建国に関わった13植民地のうちで最初に批准した州であることから「First State」としても知られています。Delawareとは、イギリスのヴァジニア植民地時代、初代の総督であったデ・ラ・ウエア(De La Warr)に由来します。同地に先住していたインディアンの「デラウェア族」から由来したという説もあります。

デラウェア州地図

1900年代初頭から独自の会社法と裁判制度により、法人の設立に最適な州として知られ、アメリカ上場企業の50%、フォーチュン(Fortune)500企業の64%、会社数で100万社に及ぶ企業が設立準拠地ないし本社を置くという特異な州です。かといって、デラウェア州はタックスヘイブン(tax haven)ではありません。デラウェア州の会社法の中核をなすデラウェア州一般会社法(Delaware General Corporation Law)投資家を保護するための重要な義務をいくつか定めているほかは、企業の経営に柔軟性をもたせるような内容といわれます。出資者の最善の利益のために行使されるように、出資者を重要な点に関して手厚く保護していることによって、デラウェア州を企業の設立地とするに値するようにしています。

デラウェアの運河

デラウェア州で有名なのは、大財閥企業デュポン・ド・ヌムール社 (DuPont de Nemours)です。フランスの貴族ピエール・デュポン (Pierre S. du Pont) が州最大の都市ウィルミントン(Wilmington)に火薬工場を作り、やがてアメリカ有数の化学企業となります。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その9 『Constitution State』とコネティカット州

州都ハートフォード(Hartford)での特別支援教育の学会で訪ねたことのある州です。合衆国北東部にあるニューイングランド地方では最南の州がコネティカット州(Connecticut)です。Connecticutとはモヒガン族(Mohegan) の言葉で、「長い川が流れる土地」という意味です。イギリスから最初に独立した13州のうちの一つで歴史のある州です。そこで愛称が「Constitution State」、又の愛称は「ナツメグの州」(Nutmeg State)となっています。1787年の合衆国憲法制定会議において、コネチカットが重要な役割を果たしたということから付けられたようです。コネティカット州の北隣りがマサチューセッツ州です。

古い製粉工場

最初に入植したヨーロッパ人はオランダ人貿易商で海洋探検家のエイドリアン・ブロック(Adriaen Block)です。1614年に探検した後、コネチカット川(Connecticut River)を遡り、現在のハートフォード、ダッチポイント(Hartford Dutch Point)に砦を築きます、「希望の家」(オランダ語: Huis van Hoop)と呼んだといわれます。その後、マサチューセッツ湾植民地住民で清教徒であったジョン・ウィンスロップ(John Winthrop) が、1635年にコネチカット川河口のオールドセイブルック(Old Saybrook) に新植民地を設立する許可を得ます。これが後にコネチカット州をつくり上げることになる3植民地の始まりとなります。ウィンスロップはその後、マサチューセッツ湾植民地知事となります。

コロニアル風の住宅

19世紀になって、繊維工場の立地によって工業化が進みます。ジェットエンジン、ヘリコプター、原子力潜水艦、ベアリングなどの工業生産が盛んです。伝統的な産業は金融業であり、ハートフォードには保険会社が集中し、フェアフィールド郡のヘッジファンド(hedge fund)も有名です。ヘッジファンドとは、金融派生商品など複数の金融商品に分散化させて、高い運用収益を得ようとする代替投資の一つです。「お金持ちだけが買える投資信託のようなもの」とも揶揄されています。ゼネラル・エレクトリック(GE)やゼロックス(Xerox)などの本社があります。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その8 『Mountain State』とコロラド州

学会があって一度コロラド(Colorad)州都のデンヴァー(Denver)を訪ねたことがあります。アメリカの独立宣言発布100年目に州として昇格したので、百年記念の州(Centennial State)と呼ばれています。Coloradとはスペイン語で『赤らんだ』という意味でもともとはコロラド川(Colorado River)を指していたといわれます。州の南北にはロッキー山脈(Rocky Mountains) が貫いており、州全体の平均標高が全米で一番高いところです。 「山の州」(Mountain State)という愛称も使われます。デンヴァーは標高1,600Mのところにあるので、「マイルハイシティ」(Mile High City)という愛称がついています。

コロラド州には石油、天然ガス、ウラン、石炭を産出し、モリブデン(molybdenum)の世界一の鉱山があります。モリブデンは潤滑油、エンジンオイルの添加物、電子基板、癌の診断に用いられる物質です。西側斜面の南西部で著名なのはグランド・メサ(Grand Mesa)です。メサ・ヴェルデ国立公園 (Mesa Verde National Park) は、コロラド州南西部に位置するプエブロ・インディアンの(Pueblo indian)のアナサジ族(Anasazi tribe)の残した断崖をくりぬいた一連の集落遺跡群で、世界遺産となっています。

レッド・ロックス・パーク野外劇場(Red Rocks Park & Amphitheater)は、古代の岩石と夕焼けを背景にした野外舞台で、デンヴァーの中心部から南西に 30 分程の場所にあります。この野外劇は多くのレジェンドが演奏したところです。沢山のハイキングトレイルがあり、家族で散策を楽しむこともできる観光地です。

メサ・ヴェルデ国立公園

コロラド州西部に位置する街、グレンウッド・スプリングス(Glenwood Springs)の一帯は、地熱と温泉で知られています。この地には遊牧部族であるユート族(Ute)が頻繁に行き交い、狩猟を行っていました。このあたりはユート族の言語で「大いなる薬」を意味する「Yampah」と呼ばれていました。ヨーロッパ人の入植後も、グレンウッド・スプリングスはその初期から温泉町として発展してきたようです。山に挟まれた狭い谷間という地理的条件によって、歩行者や自転車にとって天然の環境のようで、スポーツの後は温泉浴というわけです。

Glenwood Hot Springs

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その7 『日系アメリカ人の歴史』とカリフォルニア

州都サクラメント(Sacramento)はサンフランシスコから北東に車で1時間半ほどのところにあります。途中、葡萄とワインの生産地ナパバレー(Napa Valley)とソノマカウンティ(Sonoma County)を通ります。1848年に金が発見され、世界中から人々が押し寄せました。その中心になったのがこの街で、いまでも旧市街に「ゴールドラッシュ・サクラメント」(Goldrush Sacramento)という当時の町並みを残している一角があります。メキシコとの国境にあるサンディエゴ(San Diego)は気候に恵まれたカリフォルニアの中でも更に温暖で、1年のうちほとんどの日が晴天。治安の良さもあって「アメリカ人が住みたい街」の上位に挙げられる人気の都市です。南欧風の街並みが美しく、これも人気の一つです。

日米開戦・太平洋戦争の勃発によって、西海岸付近に住んでいた約12万人の日系アメリカ人は敵性外国人とされ土地や財産を没収され、7州10か所の強制収容所に収容されます。これら大戦前の移民の出身地は、圧倒的に山陽地方の山口県・広島県・岡山県、および九州地方北部です。その理由として、かつては「山陽道は旅人の往来が多く、他所への移住に抵抗感が少ない地域であるから」といわれました。「この地方は中世以来、近代日本の軍事、旧日本海軍、現在の海上自衛隊の活動が顕著で、鎖国が解かれてから、再び出国ラッシュとなったから」と云う説もあるほどです。このためか、以前は「アメリカ日系人の標準語は広島弁である」とまで言われました。

米陸軍第442連隊戦闘団

戦後、日系人は戦時中にヨーロッパ戦線で活躍した日系アメリカ人部隊であった陸軍第442連隊戦闘団・第100歩兵大隊の存在や、日系アメリカ人議員の努力で、その地位と名誉を回復していきます。1988年には強制収容所での不当な扱いに対して補償法案を通過させ、生存者への金銭的補償を勝ちとります。それに尽力したのがダニエル・イノウエ(Danial Inoue)、ノーマン・ミネタ(Norman Mineta)といった政治家です。一般に、日系人は経済的には平均より恵まれているといわれますが、グラス・シーリング「見えない天井」という人種差別問題が残されています。

作家石川好の「ストロベリー・ロード」という作品は、高校卒業と同時に、先行渡米していた実兄を頼り兄の勤めていたカリフォルニアのイチゴ農園で働きながらカレッジで学んだ4年間の在米体験記です。同じく「ストロベリー・ボーイ」はカリフォルニアのイチゴ農場が舞台で、壊れた奇妙な日本語をあやつる愛すべき日系人、メキシコからの密入国者、得体の知れない東南アジア人が登場し、アメリカは夢と希望とそして幻滅の代名詞であるといったことが書かれています。カリフォルニアでは、今もサクラメント近郊等にかなりの割合で日系農場主が存在しています。

ストロベリー・ロード

日系人社会はおよそ1世と生まれた2世、そして戦後から1980年代までの戦後移民に大別することができます。1世は、資源に乏しく貧しい日本で生活苦にあった貧困層がやむを得ず移住せざるを得なかったような経済難民です。苦労して現在の地位を築き上げてきた功労者となりました。他の移民集団と同様にリトル・トーキョー(Little Tokyo) に代表されるエスニック・タウン(Ethnic town)を形成する傾向があります。2世以降は父祖の地としての日本に興味はあるものの、それ以上の感情は持たず、思考や行動はアメリカ人的といわれます。ただ2世は1世の親と生地という2つの文化に自己を引き裂かれるというアイデンティティ・クライシス(Identity Crisis)を経験するといわれます。日系アメリカ人文学のテーマとして描かれることが多いようです。上述した作家石川好はその典型といえるでしょう。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その6『Granite State』とカリフォルニア州 

合衆国の州のうちでは最大の人口を誇るのがカリフォルニア州(California)です。愛称は「花崗岩の州」(Granite State)、又は「黄金の州」(Goldden State)、州都はサクラメント(Sacramento)です。日本に近い州なので私はこれまで何度も行きました。この州はなにかと一番、あるいは世界的に有名なものが多いところです。例えば大統領選の選挙人数でカリフォルニアは最多の55人です。ロサンゼルスはハリウッドを抱えるなど、エンターテイメント産業の世界的中心地です。ベイエリア(Bay Area)にはシリコンバレー(Silicon Valley)が含まれ、全米で最も経済的に進んだ地域の一つとなっています。

Half Dome and Climbers

1846年にアメリカ-メキシコ戦争が起こります。この戦いに勝利したアメリカは、メキシコの領土であったカリフォルニアを手に入れます。アジアやメキシコに近いため、最も移民が多い州です。移民はそれぞれの居住区に固まる傾向が強く、「民族のサラダボウル」という形容がぴたりです。チャイナタウン(Chinatown)、コリアンタウン(Koreantown)、リトルトーキョー(Littletokyo)、リトルサイゴン(Littlesaigon)、リトルインディア(Littleindia)などが有名です。なかでも隣接したメキシコからの移民が多く、その中心はなんといってもサンディエゴ(San Diego)でしょう。

カリフォルニア州が1つの国家であるとすると、GDPではイタリアに匹敵します。合衆国のGDPの13 %を占めていて、このGDP額は世界の国と比較しても9位となっています。日本人に最も馴染みのあるのがサンフランシスコ(San Francisco)。サンフランシスコといえば、1937年に完工したのがゴールデン・ゲート・ブリッジ(Golden Gate Bridge)です。オレンジ色に塗られ歩行者や自転車も通ることができるので、湾を見下ろすパノラマのような景色が観光客に人気があります。私もここを一度往復で走ったことがあります。

世界一高い木が、オレゴン州(Oregon)との境に位置するレッドウッド国立公園(Red Wool National Park)にあります。「ハイペリオン」(Hyperion)と名付けられたセコイアメスギ(metasequoia)の木は高さ115.61メートル、直径4.6メートルです。樹齢は実に600~800年といわれます。「ハイペリオン」とはギリシャ神話に登場する巨人の名です。この木に近づくことが正式に禁止され、違反すると約65万円の罰金が科されるという代物です。デスバレー(Death Valley)という地帯は、1913年7月に世界最高の気温56.7°Cを記録したといわれます。文字通り「死の谷」と呼ばれ、州中部にあるモハーヴェ砂(Mojave Desert)の北に位置しています。

John Muir and Yosemite

3年前にヨセミテ国立公園(Yosemite National Park)で家族13人が集まって夏の休暇を楽しみました。この国立公園はサンフランシスコから車で約3時間半のところに位置しています。そそり立つ白い花崗岩の絶壁のセンチネルドーム(Centinel Dorm)、ハーフドーム(Half Dorm)はそれぞれ渓谷の底から約1,160メートル、1,470メートルの高さの壮大な岩山です。そこを流れ落ちる多くの巨大な滝、谷や木々の間を流れる澄んだ大小の川、樹齢2000年、80mを超える巨大なセコイアジャイアントセコイア(Giant Sequoia)の巨木の林など、生物学的な多様性が世界的に知られています。

世界一といえば、大学の質もカリフォルニアはその代表です。スタンフォード大学(Stanford University)、カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkley)、カリフォルニア工科大学(California Institute of Technology)などです。どれも超難関の大学です。特に大学院教育や研究がすぐれ、多くのノーベル賞学者を輩出しています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その5『Bear State』とアーカンソー州

私はアーカンソー(Arkansas)を旅したことがありません。州名は、クアポー族 (Quapaw) の「下流の人々の土地」を意味する「アカカズ(akakaze)に由来するとあります。州の北はミズーリ州(Missouri)に接し、東はテネシー州(Tennessee)とミシシッピ州(Mississippi)に、西はオクラホマ州(Oklahoma)とテキサス州(Texas)に、南はルイジアナ州(Louisiana)に接しています。昔は熊が沢山生息していたことから、『クマの州』(Bear State)と愛称がついたようです。又の愛称は「チャンスの地」(Land of Opportunity)です。

Lake in Arkansas

州の人口構成ですが、約80%が白人、約16%が黒人、約7%がヒスパニック、約1%がアジア人となっています。南部にありながら、歴史的にこの地域にはヨーロッパからの白人の入植者が移住したため、今でも白人が多い構成の要因になっているといわれます。もともとはルイジアナを支配していたフランスから購入したのがアーカンソーです。やがて白人の農園経営者がミシシッピ沖積平原に沿ったアーカンソー・デルタ(Arkansas Delta)に入って綿花を栽培していきます。そのためアフリカ人奴隷が最も多い地域となったところです。デルタというのは、ミシッシピー川の低地帯のことで、米作も大規模に行われているといわれます。

Delta in Arkansas

州都はリトルロック(Little Rock)で、人種差別撤廃を求めた事件で知られています。リトルロック・ナイン(Little Rock Nine)と呼ばれたアフリカ系アメリカ人生徒を保護するために、連邦政府が1957年9月25日に1,000名の空挺師団を派遣し、9人の生徒を高校に入学するのを護衛するように命じた事件です。合衆国裁判所が人種統合を行うよう命令を出すきかけとなった事件でもあります。そして、1959年秋までにリトルロック市の高校は完全に人種差別を撤廃することになります。これがアメリカ全土での大きな公民権運動を促すリトルロック高校事件です。

アーカンソーはブルース、ジャズ、フォーク音楽発祥の地でもあります。ヘレナ(Helenaにあるデルタ・カルチュラル・センター(Delta Cultural Center)では、地域の歴史が詳しく紹介されています。この地域は、ジョニー・キャッシュやシスター・ロゼッタ・サープなど、全米に知られているミュージシャンの故郷といわれます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その4 『Grand Canyon State』とアリゾナ州

一度、兵庫教育大学の院生を引率してアリゾナ(Arizona)の州都フェニックス市(Phoenix)にある学校を視察したことがあります。このあたりはアメリカで夏は最も暑い地帯といわれます。そのせいか、フェニックスの愛称は「太陽の谷」(Valley of the Sun)と呼ばれるほどです。フェニックス近辺には有名なグランド・キャニオン国立公園(Grand Canyon National Park)があります。砂漠の中心にありながらも全米有数の工業都市でもあります。州の愛称はグランドキャニオンの州(Grand Canyon State)とかアパッチの州(Apache State)といわれます。

Walking at Sedona

訪ねた場所は、高校と連携する職業訓練施設でした。そこは,麻薬や銃を保持して逮捕された高校生が学んでいました。学校の粋な計らいで、教官の立ち会いで、保護観察にありながら自宅からこの施設に通う生徒と会話することができました。一人の黒人生徒は、将来は大工になりたいというのです。フェニックスには成人の教育および職業訓練を提供している10校のコミュニティーカレッジと2つの技術訓練センターがあるとのことです。

Holy Cross Chapel at Sedona

アリゾナ州立大学で学位をとり、ハワイ大学マノア本校(University of Hawaii at Manoa)で教授をしている友人から、州立大学の先生を紹介してもらい、教員養成プログラムに接することができました。この友人は、「フェニックスに行ったら是非、セドーナ(Sedona)を訪ねるように」とも言われました。土曜日に2台の車で出掛けることにしました。2時間半のドライブで、周り一面赤い岩、切り立つ峡谷、松の緑を見ながら”レッドロック・カントリー”(Red Rock Country)と呼ばれる岩山に囲まれた緑多い美しい街に着きました。セドーナは地球の磁力が集中していて強いエネルギーを持つポイント「ボルテックス」(Vortex)があると言われ、癒しを求めて多くの旅行者が訪れます。