州都サクラメント(Sacramento)はサンフランシスコから北東に車で1時間半ほどのところにあります。途中、葡萄とワインの生産地ナパバレー(Napa Valley)とソノマカウンティ(Sonoma County)を通ります。1848年に金が発見され、世界中から人々が押し寄せました。その中心になったのがこの街で、いまでも旧市街に「ゴールドラッシュ・サクラメント」(Goldrush Sacramento)という当時の町並みを残している一角があります。メキシコとの国境にあるサンディエゴ(San Diego)は気候に恵まれたカリフォルニアの中でも更に温暖で、1年のうちほとんどの日が晴天。治安の良さもあって「アメリカ人が住みたい街」の上位に挙げられる人気の都市です。南欧風の街並みが美しく、これも人気の一つです。
日米開戦・太平洋戦争の勃発によって、西海岸付近に住んでいた約12万人の日系アメリカ人は敵性外国人とされ土地や財産を没収され、7州10か所の強制収容所に収容されます。これら大戦前の移民の出身地は、圧倒的に山陽地方の山口県・広島県・岡山県、および九州地方北部です。その理由として、かつては「山陽道は旅人の往来が多く、他所への移住に抵抗感が少ない地域であるから」といわれました。「この地方は中世以来、近代日本の軍事、旧日本海軍、現在の海上自衛隊の活動が顕著で、鎖国が解かれてから、再び出国ラッシュとなったから」と云う説もあるほどです。このためか、以前は「アメリカ日系人の標準語は広島弁である」とまで言われました。
戦後、日系人は戦時中にヨーロッパ戦線で活躍した日系アメリカ人部隊であった陸軍第442連隊戦闘団・第100歩兵大隊の存在や、日系アメリカ人議員の努力で、その地位と名誉を回復していきます。1988年には強制収容所での不当な扱いに対して補償法案を通過させ、生存者への金銭的補償を勝ちとります。それに尽力したのがダニエル・イノウエ(Danial Inoue)、ノーマン・ミネタ(Norman Mineta)といった政治家です。一般に、日系人は経済的には平均より恵まれているといわれますが、グラス・シーリング「見えない天井」という人種差別問題が残されています。
作家石川好の「ストロベリー・ロード」という作品は、高校卒業と同時に、先行渡米していた実兄を頼り兄の勤めていたカリフォルニアのイチゴ農園で働きながらカレッジで学んだ4年間の在米体験記です。同じく「ストロベリー・ボーイ」はカリフォルニアのイチゴ農場が舞台で、壊れた奇妙な日本語をあやつる愛すべき日系人、メキシコからの密入国者、得体の知れない東南アジア人が登場し、アメリカは夢と希望とそして幻滅の代名詞であるといったことが書かれています。カリフォルニアでは、今もサクラメント近郊等にかなりの割合で日系農場主が存在しています。
日系人社会はおよそ1世と生まれた2世、そして戦後から1980年代までの戦後移民に大別することができます。1世は、資源に乏しく貧しい日本で生活苦にあった貧困層がやむを得ず移住せざるを得なかったような経済難民です。苦労して現在の地位を築き上げてきた功労者となりました。他の移民集団と同様にリトル・トーキョー(Little Tokyo) に代表されるエスニック・タウン(Ethnic town)を形成する傾向があります。2世以降は父祖の地としての日本に興味はあるものの、それ以上の感情は持たず、思考や行動はアメリカ人的といわれます。ただ2世は1世の親と生地という2つの文化に自己を引き裂かれるというアイデンティティ・クライシス(Identity Crisis)を経験するといわれます。日系アメリカ人文学のテーマとして描かれることが多いようです。上述した作家石川好はその典型といえるでしょう。