ヨーロッパの小国の旅 その三十六 オセロとシャイロック

デンマークから少し南下してイタリアのヴェニス(Venice)に行きましょう。といってもヴェニスの街ではありません。シェイクスピアが描く「オセロ(Othello)」、副題は「ヴェニスのムーア人」(The Moor of Venice)という悲劇です。今回はオセロと「ヴェニスの商人」(Merchant of Venice)に登場するシャイロック (Shylock) という劇の主人公を比較し、キリスト教社会と人種差別を話題にしてみようというのが本題です。

ベニス共和国(Republic of Venice)に仕えるムーア人(The Moor)でアフリカ系黒人の将軍オセロは、元老院議員の白人娘デスデモーナ(Desdemona)と深く愛するようになり,周りからの反対にあいながらも結ばれます。カトリック教会が定着するイタリアのヴェニスで、高官の娘を妻にしたオセロに対して、彼の部下が嫉妬を抱くという舞台設定です。

来襲するトルコ軍と戦うためにやってきたキプロス島(Cyprus)で,オセロはかねてより彼に恨みを持つ旗手イアーゴの奸計に乗せられます。奸計とは自分をさしおいて昇進した同輩でオセロの副官キャシオー(Cassio)がデズデモーナと密通しているとオセロに讒言するのです。イアーゴはオセロに言うのです。「お気をつけ下さい、将軍、嫉妬というやつに」

オセロは、デズデモーナとキャシオーへの疑念に取りつかれます。そうして二人の不義を密告した忠実で正直な旗手イアーゴを自分の副官に任命し、キャシオーも殺そうと決意するのです。イアーゴの悪巧みによってデズデモーナの不貞を確信したオセロは、彼女を絞殺するのです。しかし、その直後に妻デズデモーナの貞淑(honesty)や真実を知ってオセロは自害するのです。

「ヴェニスの商人」の主題の一つが人種差別です。ユダヤ教徒への偏見を描いた小説といわれます。貿易で栄えたヴェニスが舞台です。ユダヤ人で強欲な高利貸しシャイロックから貿易商人であるアントーニオ(Antonio)は友人のために金を借りるのです。そして指定された日までに金を返すことが出来なければ、自分の肉1ポンドを与えるという契約に合意します。

「オセロ」では、黒人を主人公として肌の色の違いによる人種差別が描かれています。「白」と「黒」という対照です。白は純粋とか純真、正直、正義、神聖といったイメージを持っています。他方、黒は権威、破壊、詐欺、闇といったイメージもあります。二つの単語は肯定的な面と否定的な意味を包含しています。シェイクスピアは、ステレオタイプ的なユダヤ人のシャイロックを虐げられた民族として描いているようです。

ヨーロッパの小国の旅 その三十五 ハムレットとデンマーク

デンマーク皇太子ハムレットの悲劇」(The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark)は文字通りデンマークが生んだ伝説の人物を主人公にしています。1599年から1601年にかけて書かれたとあります。ハムレット(Hamlet)という名は、Wikipediaによりますと、中世デンマークの歴史家であったサクソ・グラマティクス(Saxo Grammaticus)によって書かれたデンマークの歴史書に残る伝説の英雄「アムレート」(Amleth)に由来するとあります。

William Shakespeare

シェイクスピア(William Shakespeare)の四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」(Macbeth)、「オセロ」(Othello)、「リア王」(King Lear)の中で、最も長いのが「ハムレット」です。この物語はデンマーク皇太子ハムレットが、父(King Hamlet))を殺し母ガートルード(Gertrude)を奪い王位に就いた叔父クローディアス(Claudias)を討ち、復讐を果たす物語です。

劇の最初ではハムレットは、父ハムレット王の死、叔父の王位継承、さらに母の早すぎる再婚という堕落ぶりにひどく憂うつになってしまいます。ある夜、父の亡霊がハムレットの前に現れ、クローディアスが王位を強奪するためにハムレット王を殺したことを告げます。そしてハムレットに父の死の復讐をするように命令するのです。

ハムレットはクローディアスが有罪かどうかを確かめるために、宮廷劇を企画します。そのために役者の一団を雇います。王の殺人劇を見せてクローディアスの反応を試すのです。そして家来であり腹心の友であるホレイシオ(Horatio)にクローディアスの反応を探らせるのです。クローディアスは劇の途中で罪悪感に耐えられず、途中で劇を中断するように命令します。クローディアスが酷くとり乱し観衆の前から立ち去ると、ハムレットは亡霊が言っていたことは正しかったことを確信するのです。

ヨーロッパの小国の旅 その三十四 デンマークとアンデルセン童話

中世期頃からのデンマークの歴史です。11世紀初頭の30年間にはクヌート大王(Knut I the Great)が北海帝国(North Sea)として、デンマークとイングランドを統治します。1397年にデンマーク王母のマルグレーテ(Margrete I)によって、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3ヶ国による、デンマークを盟主にしたカルマル同盟(Kalmaru Union)が結ばれます。

やがて海軍も強化し、宿敵であったハンザ同盟(Hanseatic League)を破って、バルト海の盟主にもなるのがデンマークです。ハンザ同盟とは、中世後期の北ドイツの都市による都市同盟で、バルト海沿岸地域の貿易を掌握し、ヨーロッパ北部の経済圏を支配していました。こうして、デンマークは北海からバルト海をまたぐ超大国となります。

第一次世界大戦ではデンマークは中立を維持しますが、第二次世界大戦では1940年にナチス・ドイツによって宣戦されると、国王クリスチャン10世(Christian Carl Frederik)は即座に降伏を選び、デンマークはドイツの占領下に置かれることになります。初期はモデル被占領国と呼ばれますが、クリスチャン10世は反ナチ運動家を保護し、民族主義およびナチス支配へのレジスタンス運動を支援し、したたかな政治家であったと後に評価されています。

Hans Christian Andersen

アンデルセン童話(fairy tales)でおなじみのアンデルセン(Hans Christian Andersen)の母国としてなじみがあります。「マッチ売りの少女」「みにくいアヒルの子」などの作家です。また、コペンハーゲンの有名な遊園地チボリ公園(Tivoli)は倉敷駅の北側に造られるほどです。

ヨーロッパの小国の旅 その三十三 デンマーク

デンマーク(Kingdom of Denmark)という国から何を思い浮かべるでしょうか。政治や経済に関心のある人にはノルディック・モデル(Nordic Model)の高福祉高負担国家を、文学の好きな人にはアンデルセン童話やハムレット(Hamlet)となるでしょうか。国土は、北海の400以上の島々を含むユトランド半島(Peninsula of Jutland)が3/4を占め、首都はコペンハーゲン(Copenhagen)です。

デンマークは、フェロー諸島(Faroe Islands)というスコットランドのシェトランド諸島(Shetland Islands)、およびノルウェー西海岸とアイスランドの間にある北大西洋の諸島、そしてグリーンランド(Greenland)を自治領としています。国土の大きさからすると大国ということでしょうか。

ノルディック・モデルから始めましょう。ノルディックとは「北欧」を指します。ノルディック諸国は、高い税金によって、公共サービス、多数の社会事業、そして比較的手厚い失業給付金制度を提供するというのが特徴です。充実した育児休暇制度が女性の高い就労率を支えていることもモデルの一つです。

デンマークでは女性の国会議員は現在67人で37.43%を占めます。女性が出産する場合、100%給与が保障される出産休暇を取得することができます。フィンランドの内閣は18人の閣僚のうち12人が女性であることも既に述べました。女性の社会参加は育児休暇制度が支えています。デンマーク市民の生活満足度は高く、2016年の国連世界幸福度報告(World Happiness Report)では第1位でした。日本は53位です。

デーニッシュ・ペストリ

ヨーロッパの小国の旅 その三十二 スウェーデンと人々の暮らし

北欧の国々は国土の面積や人口をみると大国とは言えないようですが、それでも超先進国と表現して間違いありません。スウェーデンの1人あたり国民総所得(GNI)は5万8,00ドルで、世界第7位の高所得国となっています。税金は所得の50%にもなっています。社会保障、健康保険、失業保険なども整備されているので、「高福祉高負担」の社会モデルが注目されてきました。近年その影には移民政策による歪みが拡大しているといわれます。

夏至祭り

第二次大戦後、仕事を求めて多くの人々が南部の都市に移動します。そのため過疎化が発生し、海外からの移民を受け入れてきました。そのため、犯罪や事件がなどが発生します。2018年には過去5年間の強姦犯の58%が外国生まれの移民であり、その多くが非欧州からの移民だという統計が公表されています。寛容な移民受け入れ政策を続けるのがスウェーデンの大きな悩みのようです。

スウェーデンの産業は農業や林業、畜産業や漁業です。農業でいえば、年間日照時間は南部で240日、北部ではたったの120日となっています。小麦や大麦の栽培が中心です。国土の1/10が農耕に利用されています。国土の約3/4が森林地帯となっています。建材やパルプに用いられる常緑針葉樹(spruce)は約50年で伐採されて利用されます。漁業では鮭や海老の養殖が盛んに行われています。

福音ルーテル教会がスウェーデン国教会となっています。人口の6割がルーテル教会に所属しています。国教会とは国が主体となって運営を行っているキリスト教の教会のことです。国民からは教会税を徴収し、洗礼を住民登録に代え、教会での結婚式を正式な結婚の手続きとして扱ったりします。このような手続きは北欧諸国、イギリス、ドイツなどにも残っています。

ヨーロッパの小国の旅 その三十一 スウェーデン

スウェーデン(Kingdom of Sweden)へ移りましょう。スウェーデンはノルウェーと同じように北欧の小国とはいえないほど、先進的な国といわれます。国家元首である国王は国家の象徴であり、立憲君主制(constitutional monarchy)を敷く国です。 首都はストックホルム(Stockholm) です。私はこの国を旅したことがありません。

Vector color map of Sweden country

スウェーデンは昔から大国の侵略を経験してきました。そのために、国策として掲げるのは専守防衛とか中立政策です。軍事同盟でなく自国の軍事力のみで達成するために、陸海空軍を備え国防への注力は怠ってはいません。特に空軍の戦力は非常に高いといわれます。世界情勢については大国の中に入り、平和中立外交で役割を果たしてきたのがスウェーデンです。

中立政策ゆえに重化学工業や精密機械工業を担う大企業はスウェーデンの軍需産業ともなっています。例えば、航空機メーカーのサーブ(Saab)は優秀な戦闘機を製造しています。自動車メーカーのボルボ (Volvo) 、通信機器メーカーのエリクソン(Ericsson)、プロ用カメラ・レンズ製造のハッセルブラッド(Hasselblad)、世界最大の家具量販店のイケア(Ikea)など伝統的に製造業が盛んな国です。世界中からスウェーデンにやってくる人々の足はスカンジナビア航空(Scandinavian Airlines)でしょう。この会社は、ウェーデン、デンマーク、ノルウェーで運航されています。

ヨーロッパの小国の旅 その三十 ノルウェーの地理やサーミ民族

ノルウェーの地図を見ますと、多くのフィヨルド(Fjord)を持った国であることがわかります。フィヨルドは、氷河による侵食作用によって形成されたU字形の複雑な入り江のことです。ノルウェーの西部・北部にあるトロンハイム(Trondheim)やガイランゲル(Geiranger)フィヨルドは特に美しい景観といわれます。いわゆるリアス式海岸です。この海岸線には5万以上の島々が点在しています。首都はオスロ(Oslo)です。

Geiranger Fjord, Norway

ノルウェーの大きな都市は海岸線に発達し、人口が集中しています。ベルゲン(Bergen)やトロンハイムです。昔からノルウェー漁業や林業、農業が盛んです。これはヴァイキング(Viking)の時代からです。ヴァイキングはイギリスはもちろんロシアの海岸線まで進出しました。そしてアイスランド(Iceland)やグリーンランド(Greenland)を植民地化します。北アメリカの海岸も探検したという記録があります。ヴァイキングの精神はナンセン(Fridtjof Nansen)、アムンゼン(Roald Amundsen)、そしてヘイエルダール(Thor Heyerdahl)といったノルウェーの探検家であり人類学者、生物学者などに引き継がれていきます。

ノルウェーは伝統的にデンマークやスウェーデンの植民地でありました。1905年にようやく独立を果たします。交易が盛んとなり造船業などでも繁栄していきます。1970年代になると原油や天然ガスの発掘が始まり主要な産業となります。1990年代では主要な原油の輸出国ともなります。ノルウェーは地政学的にヨーロッパ大陸の外側に位置しているので、固有の生き方や文化を保持してきました。20世紀後半には、南ヨーロッパや南アジアからの移民がオスロ周辺に定住しますが、大多数の国民はノルディック(Nordic)です。

Samiの人々

ノルウェーの北部にはフィンマーク高原(Finnmark Plateau)が広がり、そこにはサーミ(Sami)とかラップ( Lapps)と呼ばれる先住民族が住んでいます。サーミ民族は、スウェーデンやフィンランド、ロシアのコラ半島(Kola Peninsula)にもまたがっています。 主として林業や漁業、皮革業などですが、カリブー(caribou)やトナカイ(reindeer)の遊牧業も盛んです。サーミ民族は、北ヨーロッパ系の特徴である金髪で碧眼のゲルマン系といわれます。

Sami reindeer

ヨーロッパの小国の旅 その二十九 ノルウェーとアムンゼン

スカンジナビア半島(Scandinavian peninsula)の西に位置するのがノルウェー(Norway)です。私にとってのノルウェーという国は、二つの思い出があります。第一は、中学生のときに、探検家アムンゼン(Roald Amundsen)の南極探検記を読んだことです。イギリス海軍のスコット(Robert Scott)と人類初の南極点到達を競います。

Roald Amundsen

南極点一番乗りを目指す「世紀の大レース」は、1911年12月に犬ゾリを駆使したアムンゼン隊の勝利に終わります。スコット隊が極点に到着すると、そこにはノルウェーの国旗が立てられ、極点から3km程離れた場所にテントが設営され、食料や防寒具、そしてメモが置かれていたといわれます。

その帰途、スコット隊は全員が死亡します。南極点でアムンゼン隊が残したメモを所持していました。このメモは、アムンゼン隊が帰途に全員遭難死した場合に備え、到達証明書として持ち帰ることを依頼し書かれたものでした。スコット隊がメモを所持していたことにより、アムンゼンの南極点到達は証明されます。「自らの敗北証明を持ち帰ろうとした」としてスコット隊の名声は後に高まるのです。

ノルウェーについての第二の思い出は、1965年に神戸にある西日本福音ルーテル教会にて3ヶ月聖書を勉強したときです。その時、この教会はノルウェー・ルーテル伝道会(Norwegian Lutheran Mission)によって設立されたことを知りました。伝道会は1949年に日本での宣教を始めるのです。ノルウェーからの宣教師は、戦前は中国大陸で宣教活動をしていましたが、国共内戦により引き揚げを余儀なくされ、日本にやってくるのです。その宣教の拠点は西日本の岡山、鳥取、島根、兵庫といった地域です。

Robert Scott, left

ノルウェー・ルーテル伝道会とは、18世紀にノルウェーの農民の子で商人であったハウゲ(Hans Nielsen Hauge)という人によって設立されます。当時、ハウゲは最大の福音伝道者であったといわれます。その教えの中心は霊的覚醒運動(Spiritual arousal)とか信仰復興(Norway Revival)ということです。後にオーレ・ハレスビー(Ole Hallesby)とかカール・ヴィスロフ(Carl Wisloff)といったルター派の神学者を生みます。二人ともナチス・ドイツに抵抗して職を追われたり投獄されたりします。

ヨーロッパの小国の旅 その二十八 スナフキン

ムーミンの本は、日本では始めて1964年に講談社から出版されます。1969年に日本でアニメ『ムーミン』が放映されます。さらに1990年にアニメシリーズ「楽しいムーミン一家」として、暖かく親しみのある主題曲とともにテレビ放送が開始されます。

ムーミン谷に住むスナフキン(Snufkin)についてです。彼がムーミンと家族に出会うのは、1946年に出版された第2作となる「ムーミン谷の彗星」(Comet in Moominland)です。スナフキンは主人公ムーミントロールの親友であり、芸術家であり哲学者のような孤高の存在で描かれることが多いようです。嫌いなものは「~禁止」の看板です。スナフキンは、暖かい季節には川辺にテントを張って暮らし、秋が来るとムーミン谷の住人たちが冬眠に入る11月頃に南へと旅立ちます。春が来ると皆が冬眠から目覚めるのです。そしてスナフキンはムーミン谷へ戻ってきます。

いつも灰色でつばの長い帽子を被り、古びたコートをまとっています。月の明るい夜に1人で徘徊する時が好きです。思索を好む放浪者です。人との交わりは避けることはないのですが、1人で考え旅することをこよなく愛します。作者のヤンソン(Tove Jansson)も自由と孤独に向き合い続けた芸術家だったといわれます。1914年、彼女は彫刻家の父と挿絵画家の母のもとに生まれます。幼少期は第1次世界大戦の渦中で、弱冠14歳で雑誌のイラスト掲載でデビューします。そして、1945年にムーミンシリーズの最初の物語「小さなトロールと大洪水」(The Moomins and the Great Flood)を発表します。

ヨーロッパの小国の旅 その二十七 ムーミン・トロール

「ねえ ムーミンこっちむいて はずかしがらないで モジモジしないで、、」 この歌をご存知の方は童心に溢れる方です。フィンランドで忘れられないものに「ムーミン」(Moomin)という童話といいますか、児童小説があります。主人公は「ムーミン・トロール」(Moomintroll )。トロールは北欧の民間伝承に登場する妖精の一種です。一見するとカバ(hippopotamus)に似ています。

ムーミンの物語に登場するトロールは、作者トーベ・ヤンソン(Tove Jansson)が独自に創造した架空の生き物で、男の子という設定です。人形の登場人物も人間ではなく、架空の小人の一種のようです。『ムーミンパパの思い出』に登場するミムラねえさん(Mymble)やミイ(Little Me)らが住む丸い丘の国のに済みます。そして自由に旅することをこよなく愛し、物を所有することや何かを禁止されたり、命令されたりするのを嫌うスナフキン(Snufkin)は人間の格好をしています。

ムーミン達が住むところはムーミン谷(Moomin valley)と呼ばれます。谷の東には「おさびし山」(Lonely Mountains)がそびえ、その麓から川が流れています。川にはムーミンパパ(Moominpappa)の作った橋がかかっていて、その橋の先に「ムーミン屋敷」があります。ムーミンパパが設計図を書いて建てた理想の家です。ムーミン屋敷の北側にはライラックが咲いています。西は海に面しています。

ムーミンパパとムーミンママ(Moominmamm)は、作者ヤンソンの両親を投影しているといわれます。とりわけムーミンママの言葉と行いはヤンソンの母親の生き写しだったといわれます。1945年の第一作である「大きな洪水と小さなトロール」(the Great Flood)では、トロールたちは人間と同じ世界で共存しますが人間には感知されない存在として描写されています。