ウィスコンシンで会った人々 その91 恋患い噺 「崇徳院」

恋患いを治せば長屋が貰えるともちかけられ、娘を探して奔走するという噺である。噺のもとは小倉百人一首。百人一首といえどもネタになるのが落語の荒唐無稽なところである。

若旦那が上野の清水観音堂へ参詣し茶店で休んでいると、歳が十七八位で水のしたたるような娘が店に入って来る。娘を見た若旦那は、娘に一目惚れをしてしまう。娘は茶店を出ようと立ち上がる際、膝にかけていた茶帛紗を落とし、気づかず歩き出してしまう。若旦那が急いで拾い追いかけて届けると、娘は短冊に「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の、」と、歌の上の句だけ書いて若旦那に手渡し去って行く。

若旦那は、歌の下の句「われても末に あはむとぞ思ふ」を思い出して、娘の「今日のところはお別れしますが、いずれのちにお目にかかれますように」と読みとる。だが娘がどこの誰なのかがわからなく再会が叶わない。そのうち食欲と体力を失い重病になる。

近所の医者が見立は、「医者や薬では治らない気の病で、思いごとが叶えばたちどころに治る。だが放っておくと五日もつかどうか、、」となった。親旦那は息子の幼なじみの出入りの職人、熊五郎に事情を話しなんとか助けてくれと相談する。熊五郎は親旦那に「医者に見放されたのなら寺を手配した方がよい」と早とちりして叱られる。熊五郎にが若旦那に会って聞き質すと、消え入りそうな声で「恋患いだ」と言う。

熊五郎はこの話を親旦那に報告する。親旦那は「三日間の期限を与えるから、その娘を何としても捜し出せ。褒美に蔵付きの借家を五軒譲り、借金を帳消しにする」と熊五郎に懇願する。熊五郎は、女房と相談し草鞋を腰に巻いて街中を走り回る。ところが全く分からない。

熊五郎の女房は呆れて、「人の多く集まる湯屋や床屋で ”瀬をはやみー” と叫んで探さんと駄目、」、「娘を探し出せなければ、家には入れないよ!」と言いくるめる。熊五郎は街中の床屋に飛び込んではで ”瀬をはやみー” と叫ぶが、客が一人もいない。ある客から「うちの娘はその歌が好きでよく歌っている。別嬪だし、清水さんにも足しげく通っている」という話を聞く。よく聞いてみるとその子は八歳だという。結局、有力な手がかりが得られないまま日が過ぎる。

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ウィスコンシンで会った人々 その90 素人芝居噺 「蛙茶番」

江戸っ子らしいはねっかえりの素人役者が出てくる芝居噺を紹介する。これまで犬や鹿が出てくる話はいくつか紹介した。今回の芝居噺には蛙と蛇が登場する。

町内の連中が集まって素人芝居のある日。芝居に付き物の「役揉め」が始まる。ガマ蛙の縫いぐるみを着るのは嫌だと、建具屋の伝法な若旦那、半次がドタキャン。そこで芝居好きの小僧、定吉が代役でガマ蛙の役をする事になって一件落着する。だが役決めで一難去ってまた一難。

今度は、番頭が場内の整理をする舞台番役に半次を指名する。「町内一の芸人」を自負する半次は役者志願だったが、「化け物芝居ならスッピンで出てもらうが、今回は舞台番に回ってもらおう」と釘をさされる。定吉は半次に舞台番になったことを伝えにいく。だが、半次に剣突を食らって定吉はすごすごと戻ってくる。

そこで機転の利く番頭が定吉に入れ知恵をつける。
番頭 「いいか、半公が岡惚れしているみぃ坊が顔をポーっと赤くして次のように言っていたといえ!」

みぃ坊 「素人がいやがる舞台番を引き受ける半ちゃんは利口なんだ。半ちゃんはいなせ 。だから、さぞかしいい舞台番ができるに違いないわ」

みぃ坊 「あたしお芝居なんかどうでもいいけど、半ちゃんの粋な舞台番を見に行こうっ!」

こうして、定吉は舞台番姿を楽しみに芝居を見に、みぃ坊がやってくると持ち上げ、何とか半次を呼び出すのには成功する。しかし、ひじり緬の真っ赤な褌を締め、それを観客に見せて注目を自分に集めようと考えた半次だが、肝心の褌を湯屋の脱衣場に忘れ芝居小屋にやってくる。舞台に姿を現わすがみぃ坊は見つからない。ガマ蛙役の定吉は「青大将が睨んでる」と言って舞台に出ようとしない。そして客席は大パニックになる。

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ウィスコンシンで会った人々 その89 恋患い噺 「幾代餅」

昔はお大名が街を通るとき、見目麗しい娘を見ると籠を止めて“あの娘を所望する”と声を上げる。すぐに飛んできたお付きの者がその娘の家に行って、「あー、そのほうの娘は、お上のお目にとまった。ご奉公にあげなさい」。綺麗な女の子を側女にするとはなんと贅沢な、自分も大名になってみたかった、というのが落語の枕にしばしば出てくる。

「幾代餅」という演目を紹介する。ある女を見て、好きだと誰にも言えないので、病うのを「恋患い」。この病はどんな名医でも、どんな高価な薬を煎じてても治せないというオチである。米屋に勤める清蔵はいたって真面目な男。ある時「大名道具」と言われる松の位の幾代太夫の看板を一目みて、すっかり魂を奪われたようにふやけてしまう。恋病である。それを周りがなんとかしようとし、最後は二人は一緒になって餅屋を開き、名物「幾代餅」を売出して繁盛するという筋書きである。

次のような噺があるが演目名を忘れた。能天熊が、兄貴分である八公のところへ顔出しすると生憎と留守。お内儀が相手する。兄貴分は裏で建増しの普請の真っ最中。

熊 「たいしたもんだ。この木口の高いときに普請とは。こちらの兄イは働き者だ、、」
お内儀 「いいえ、町内の若い衆さんが寄ってたかってこしらえてくれたようなもの」

これを聞いて、一層感心した熊。家へ帰って女房にこの話をして「お前には言えないだろう」というと「言えるよ。普請してみろ」と逆襲する始末。呆れ果てて湯屋へ出掛けると八公に会う。そこで一計を企てる。「すまねぇが今、家へ行って、かかあに家の中のことを褒めて、『こちらの熊は働き者だ』と言ってくれ。それで、かかあがどういう返事をするか、あとで聞かせてくれ」と頼む。

八公は熊の家へ行って何か褒めようとするが、何もない。気が付くと女房が臨月間近のお腹をしているので、

八公 「この暮らしの大変な時に、やや子をこしらえるなぞ、熊兄イは働き者だ」
熊の女房 「いいえ、子はうちの人の働きじゃない。町内の若い衆が寄ってたかってこしらえてくれたようなもの。」

さすがに貫禄のある女房ではある。

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ウィスコンシンで会った人々 その88 犬噺 「元犬」

犬が主人公の噺をもう一席お付き合いいただきたい。江戸の台東区には多くの寺社仏閣がある。浅草寺、東本願寺、寛永寺、待乳山聖天本龍院などが知られている。台東区は、江戸幕府の御府内となっていたので、最も人口が密集していた地域であったといわれる。寺社が多かったわけである。

江戸は蔵前の八幡宮の境内。一匹の真っ白な犬がいて、近所の人からは「シロ」と呼ばれて可愛がられていた。当時、毛並みの中で白犬はなかなかいなかった。ある時、参詣人がこの犬を見かける。皆不思議そうに眺めていた。参詣人はシロを見て「綺麗だな、」とか「可愛いな、、」と褒める。そんなことで、シロは人間に生まれ変わりたいと思うようになる。そして、その日からシロは八幡様に百日のお詣りを始める。

100日満願の日、白犬は晴れて人間に生まれ変わることができる。
ところが体を見ると真っ裸、服を探してフラフラ歩きようやく近所の人から服を貰う。周りの人々は忙しそうに働いているのを見て、自分もどこかで奉公口を見つけ働きたいと考える。そこで口入れをしている上総屋の旦那に連れられて、シロを可愛がってくれたご隠居さんのところへ連れていかれる。

ご隠居の家では、人間になったシロは地べたに座ったり、顔を足でなでたり、クンクンなりたりして注意される。台所ではお茶を沸かす
鉄瓶がちんちんなっている。それにつられてチンチンするという案配である。

ご隠居 「どうしてそんな格好をするんか?」
シロ 「自分もそれが得意なんです」

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ウィスコンシンで会った人々 その87 犬噺 「大どこの犬」

動物が主人公の噺を二席。二匹の犬が主役である。昔は、犬の名前は毛の色や表情などで付けられたものが多かった。例えば、ブチ、アカ、シロ、クロ、ボン太、など。時に小僧の名前をつけたともいう。巻八、コタロウ、豆蔵、茶々丸などである。猫ではないが、犬にも「たま」に「ソラ」というのもある。

江戸は、とある乾物屋の朝。丁稚小僧が表戸を開けようとすると、戸袋の所に箱が置いてあり、中には白と黒とぶちの子犬。大旦那になんとか頼み込んで飼うことになる。特に黒いのを小僧が可愛がり、クロと呼んで兄弟同然にして育てる。

ある時、通りがかりの商人風の男が乾物屋のクロをみる。そして大旦那にこのクロを譲ってくれぬか、と相談する。わけをきくと、大坂は鴻池の主人の一人息子が可愛がっていた黒犬が死んで、息子は悲しみ病気がちだという。それで全国を旅して黒犬を探しているというのである。事情を知った旦那は小僧が懇願するのを振り切ってクロを譲ることにする。クロは鴻池にもらわれていく。

鴻池宅にもらわれたクロには医者が3人付き、広い敷地で豪勢な暮らしを始める。下にも置かず大切にされ、エサがいいせいか、毛並みもつやつやとして、体もずんずん大きくなる。一人息子も元気になる。やがて「鴻池の大将」として近所のボス犬となる。ある時、近辺で見慣れない痩せ細った犬が、街の犬にいじめられ、フラフラと鴻池宅前まで逃げてくる。

シロ 「クーン、ウォーン、ウォーン、
クロ 「ウー、ウー、ウー、ワン!」

ここからは二匹の犬語による架空の対話である。同時通訳すると次のようになる。

シロ 「あなたは兄さんのクロではありませんか、、」
クロ 「てめえは何者だ!」
シロ 「あなたと乾物屋でブチと一緒にいたシロです。クロ兄さんじゃございませんか、」
クロ 「クロはオレだ!」
シロ 「あっ、兄さん、お懐かしゅうございます」
よく見ると、犬は末の弟のシロ。

クロ 「おお、お前はシロか、妹のブチはどうしている?」
シロ 「姉さんのブチは食べ物がなくなり、クロ兄さん、クロ兄さんと呼びながら痩せこけて死んでしまいました」
クロ 「おおそうか、それは可哀想なことをした。シロ、ここではなんでも好きな者が食べられるぞ。虎屋の羊羹、福砂屋のカステラ、神戸のステーキ、、、最近は俺は太り気味でな、、ガンマ-GTPが高い、、」
シロ 「兄さんは、犬の誇りを忘れたのですか、、」
クロ 「、、、、面目ない、、」

クロ 「、、ここは大坂一の大店、なんでもあるんじゃ、、」
シロ 「これはなんですか?」
クロ 「鯉の天ぷらでな、、美味いぞ、さあさあお食べ!」
シロ 「どこで獲れたんですか?」
クロ 「当たり前よ、鴻池からさ」

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ウィスコンシンで会った人々 その86 病院噺 「カラオケ病院」

医者という職業は、どうも洋の東西を問わずブラックジョークのネタになることが多い。大抵はおちょくる話だ。どうしてかというと、高額所得者といわれ、世間の嫉みの対象になるからだ。それに名医から藪医者までいろいろいて、どうも腕が信用できないという風潮もある。最近はセカンドオピニオンというように、患者が医者を選ぶ時代となっている。

落語でも医者、看護師、病人、病院にまつわる演目を探しては聴いたが、「カラオケ病院」と「医ー家族」という創作落語に落ち着いた。前者の作者は噺家の五代目春風亭柳昇、後者は六代目桂文枝である。二人は、創作落語では東と西の双璧のような存在。時代を風刺する演目を作っている。

「カラオケ病院」という演目である。柳昇師匠の枕では、ご自身の人間ドックの余談がでてくる。”胃カメラを飲むと蛇の気持ちが分かる”。東大病院で胃カメラ検査したとき、看護師が”フィルムを入れるのを忘れた”というのだ。二度の検査に立ち会うという噺である。本当かどうか分からぬが、、

患者が来なくなった病院で院長がスタッフを集めて鳩首協議を始める。ところが欠席者が数名いる。内科の医師は腰痛で悩み、成田の不動山へ行って神頼みしている。外科の医師は学校へ行っているという。何の勉強?ときくと、「この病院はやがてつぶれるので、それに備えて料理屋を始める」。和食屋だそうだ。洋食はいつも肉を切っているから大丈夫だというので、魚や野菜のきざみ方を学んでいるとか。

協議ではいろいろな提案がでる。終身入院はどうか、治らなかったら治療費はただ、手術代をタダにする代わりに麻酔ナシで手術する、バニーガールを雇い待合室でビールを飲ませる、などでたらめな案しか出ない

そこで待合室を改造し、カラオケ室にするという案が承認される。カラオケや笑いで病を治そうというのだ。そしてカラオケルームが晴れて開業する。しかもカラオケには健康保険がきく。大勢の客ー患者が集まる。サゲはこの演目を聴いてのお楽しみ。

次に、桂文枝師匠の「医ー家族」である。医者の跡継ぎというのが話題。ある町医者の病院で、一人息子が父親に相談があると言う。父親は、今日はこれから手術の後に診察、往診、医師会の集まりと忙しいと言って取り合わない。盲腸の手術なのだが、今時町医者で手術してくれる患者はおらず、久し振りの手術で張り切っている。御飯をかきこみながら、妻や看護師に指示を出し、手術帽が見つからないから妻のシャワーキャップをかぶって手術室へと向かう。

そこにどうしても話を聞いてほしい息子が入ってきて、医者になるのは辞めると宣言する。何年もかけて医大に入ったのに何を言うんだと、親子喧嘩が始まる。患者は不安になって、自分の手術はどうなるのかと訴えるが、息子が医者になるのを辞めて役者になりたいという。また喧嘩が再開する。すると看護師が患者の脈がおかしいことに気づき、医者は大慌て。ついには医学書を取り出しながら、どうにか手術を終わらせる。

サゲをここで書くのは少々はばかる。是非読者でお楽しみいただきたい。

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ウィスコンシンで会った人々 その85 放蕩息子噺 「唐茄子屋政談」

落語にはいろいろな人物が登場する。だが地噺にでてくる人物は別として、あまり真面目で正直者はでてこないことになっている。真面目な者は話芸によって描くには難しい人物なのだろうと察する。

放蕩息子には二種類いるようだ。自堕落で遊びまくり最後は身を持ち崩す者。「お天道様と米の飯はついてくる」というお定まりの捨て台詞を吐く。だが「米の飯はついてこない。」空腹で満たされない人生、家畜にも劣る惨めさ、誰も助けてくれる者のない孤独を味わう。

もう一種類は、放縦の限りを尽くすが、やがて悔い改めまっとうな暮らしに戻る者である。新約聖書ルカの福音書15章にも放蕩息子と父親の話がある。「この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだ」。共通しているのは、現実からの逃避。この現実というのはどこにいっても必ず陰のようについてくる。それに直面し決断するか否かが問われる。

空け/虚けといった放蕩息子のほとんどは商家の若旦那。官許の吉原で道楽をして勘当される。紹介する演目は「唐茄子屋政談」。若旦那の徳三郎。吉原の花魁に入れ浸りで家の金を湯水のように使う。親父も放っておけず、 親族会議の末、道楽をやめなければ勘当だと言い渡される。

「勘当けっこう!」捨て台詞を残して徳三郎は家を飛び出る。その足で花魁のところに転がり込み相談するが金の切れ目だと、体よく追い払われる。

どこにも行く場所がなくなって、叔母の家に顔を出すと 「おまえのおとっつぁんに、むすび一つやってくれるなと言われてるんだから。 まごまごしてると水ぶっかけるよッ」 と、ケンもほろろ。

土用の暑い時分に、三、四日も食わずに水ばかり。つくづく生きているのが嫌になり、身投げの「名所」で知られた吾妻橋から飛び込もうとすると通りかかったのが、本所の達磨横丁で大家をしている叔父。止めようとして顔を見ると甥の徳三郎。

叔父 「なんだ、てめえか。飛び込んじゃいな!」
徳三郎 「アワワ、、、助けてください」
叔父 「てめえは家を出るとき、お天道さまと米の飯はとか言ってたな。 どうだ。ついて回ったか?」
徳三郎 「お天道様はついて回るけど、米の飯はついて回らない」
叔父 「ざまあみやがれ!」

ともかく家に連れて帰り、明日から働かせるからと釘を刺す。翌朝叔父は唐茄子(かぼちゃ)を山のように仕入れてきた。「今日からこれを売るんだ」格好悪いとごねる徳三郎を 「そんなら出てけ。額に汗して働くのがどこが格好悪い」 と叱りつけ、天秤棒を担がせると送りだす。徳三郎、炎天下を、重い天秤棒を肩にふらふら。浅草の田原町まで来ると、石につまづいて倒れ動けない。

見かねた近所の長屋の衆が同情し、 住人に売りさばいてくれ、残った唐茄子は二個。礼を言って、売り声の稽古をしながら歩く。田原町の田んぼに来かかると、 吉原の明かりがぼんやりと見える。後悔と回心の念が広がる。

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ウィスコンシンで会った人々 その84 心中噺 「品川心中」

心中の別称は情死。広辞苑によると「相愛の男女が一緒に自殺すること」とある。落語にも心中の演目がいくつかあるが、心中を遂げられない、どたばたした劇が展開されることが多いようだ。真剣に思いつめた男女ではない。「品川心中」もそうである。

江戸時代、品川は岡場所。道中奉行から500人の飯盛り女を置くことが許されていた。実際にはその数倍がいたらしい。品川は海のそば、東海道の宿場であった。幕末、品川の女郎屋は尊皇攘夷や倒幕を目指す志士の集まりの場としても栄えた。初代英国領事館が開設されたのも品川。海という地の利が働いたと思われる。今も江戸時代と変わらぬ道幅が「旧東海道」として残っている。

今回紹介するのは「品川心中」である。品川の筆頭女郎に「お染」がいる。歳も歳となりそろそろ「紋日」という移り代え、客寄せの集まりをしなければならない。「紋日」は自分がするのではなく、馴染みの客がしてくれる風習であった。そこでスポンサーを探すが誰も返事をくれない。勝ち気なお染は恥をかくくらいなら死のうと決心する。一人で死ぬのも情けない、誰か心中につきあってくれる者がないかを探すのである。

あれこれと客を物色する。女房子や祖父母がいない者といった心中の条件に合うのが中々いない。そこに貸本屋の金蔵に白羽の矢がとまり、手紙を書く。早速金蔵がやってきて二人は心中の約束をする。金蔵は世話になっている親分にこの世の暇乞いをする。遠い西のほうへ旅に出るという。帰ってくるのは盆の13日とか、頓珍漢なことを言う。

いざ心中の夜、お染に急かされるが金蔵はカミソリで首を切るのを嫌がる。「喉元は急所だからいけねェ」などと喚く。仕方なく二人は桟橋へ行く。風邪をひいているといってためらう金蔵をお染は突き落とす。お染も飛び込もうとするとき、店の若い衆が「紋日の金ができた、、」と知らせにくる。お染は海に向かって「ねェ金さん、あたし金ができたの。死ぬのを少し見合わせるね。いずれあの世でお目に掛かりますから、、、ここで失礼します。」失礼極まりない、、、

金蔵は桟橋の柱に捉まり、一晩中仰向けに浮いている。ところが品川は遠浅。見ると膝までしか水がない。金蔵は欺された自分にも呆れる。

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ウィスコンシンで会った人々 その83 清貧さと人情噺 「井戸の茶碗」

清廉さ、清明さ、正直さに溢れる人情噺がある。貧しいながら人それぞれの矜持を誇りとする姿は、奥深い笑いをもたらしてくれる。善意に少しも臭さがなく爽やかな話がある。その代表的なものの一つが「井戸の茶碗」という演目である。

茗荷谷に住む紙屑屋で正直者の清兵衛。いつものように流し歩いている。なりは粗末ながら上品な娘に声をかけられる。招かれて裏長屋へ行くと、その父親、千代田卜斎から、くずの他に時代のついた仏像を二百文で引き取ってもらいたいと頼まれる。仏像に目利きがない清兵衛は断るが、結局二百文で引き取り、それ以上で売れた場合は、儲けの半分を持ってくると約束する。

仏像を籠に入れ、街を流していると、若い勤番の高木佐久左衛門に声をかけられる。「カラカラと音がするから、腹籠ごもりの仏像だ。縁起が良い」と言い、清兵衛からその仏像を三百文で買い上げる。

佐久左衛門が仏像を磨いていると、台座がはがれ中から五十両もの小判が出てくる。佐久左衛門は「仏像は買ったが、中の五十両まで買った覚えはない。金で金が買えるわけがない。仏像を売るくらいであるから暮らし向きも逼迫しておられよう。元の持ち主に返したい」といって屑屋の清兵衛探しを始める。

ようやく清兵衛を探し出す。佐久左衛門から事の顛末を聞き、清兵衛は卜斎の元へ五十両を持っていく。卜斎は五十両を前にして、「仏像を売ってしまったのだから、中から何が出てきても私のものではない」と受け取らない。

清兵衛は佐久左衛門へ五十両を持って帰るが、こちらでも受け取るわけにはいかないと突っ返され、困り果ててしまう。裏長屋の家主が仲介役に入り、「千代田様へ二十両、高木様へ二十両、苦労した清兵衛へ十両でどうだろう」と提案する。

しかし、卜斎はこれを断り受け取らない。「二十両の形に何か高木様へ渡したらどうだろうか」という提案を受け、毎日使っていた汚い茶碗を形として、卜斎は二十両を受け取る。

この美談が細川家で話題になり、佐久左衛門が殿様へお目通りを許される。殿様は茶碗も見てみたいと言われる。汚いままでは良くないと、茶碗を一生懸命磨き、殿様へ差し出した。すると、側に仕えていた目利きが「青井戸の茶碗」という新羅か高句麗の産で、一国一城に値すると鑑定する。殿様はその茶碗を三百両で買い上げる。

「このまま千代田様へ返しても絶対に受け取らないであろうから、半分の百五十両を届けて欲しい」と佐久左衛門は清兵衛に頼む。しかし清兵衛は断るが、しぶしぶ卜斎に百五十両を持っていく。卜斎はまたも受け取るわけにはいかないと断る。困り果てた清兵衛を見て、「今までのいきさつで高木様がどのような方かはよく分かっておる。娘は貧しくとも女一通りの事は仕込んである。この娘を嫁にめとって下さるのであれば、支度金として受け取る」と言う。

清兵衛は佐久左衛門の元へ帰り経緯を伝えると、千代田氏の娘であればまずまちがいはないだろうと、嫁にもらうことを決める。

清兵衛 「今は裏長屋で粗末ななりをしている娘ですが、こちらへ連れてきて一生懸命磨けば、見違えるようにおなりですよ」
佐久左衛門 「いや磨くのはよそう、また小判が出るといけない」

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ウィスコンシンで会った人々 その82 親子噺 「抜け雀」

親子の情を謳った噺も落語の大事な話題となっている。「抜け雀」はその代表作といえる。絵師の親子と芸の秀逸さの話でもある。

旅の途中、若い男が小田原宿に差し掛かる。風体が貧相なせいか、呼び込みの声がかからない。ようやく小さな旅籠の主人に声をかけられ投宿することになる。この男、朝昼晩一升ずつの酒を飲み、昼間はただ寝るだけ。旅籠のかみさんが困って、内金をもらってこいと気弱な亭主の尻をたたく。ところがこの男一銭も持ち合わせていない。主人がきくと、自分は絵師だという。旦那は看板描きと勘違いする。そして「宿値賃のかたに絵を描いてやろうか」と新しい衝立に目をとめる。

衝立に描いたのは五羽の雀。宿の主人はそれを見て
 主人 「これはなんです?」
 侍  「お前の眉の下にあるのはなにか、、」
 主人 「眼です。」
 侍  「これが見えないくらいなら銀紙をはっておけ!」

そして、五羽で五両だと説明する。この衝立は、今度宿賃を払うまで誰にも売るではないと言い聞かせて出立する。

翌日、掃除をしようと二階に上がると雀の鳴き声がする。窓を開けると衝立から雀が飛び出していく。暫くすると、雀が衝立に戻ってくる。この話がひろまり、大勢の客が雀を見ようと押し寄せる。ある大名がこの衝立に二千両の値をつける。

やがて人品の良さそうな侍がやってくる。この男、かつて雀を描いた絵師であった。衝立に鳥籠が描かれ雀は元気にしている。主人から、「ある老人がきて鳥籠と止まり木がないと雀は死んでしまうといって、それを付け加えていった」というのである。それを聞いた侍、
「ご壮健でなによりです。不幸の段、お許しを」
と衝立の前にひれ伏す。きいてみると、鳥籠と止まり木を描いたのは絵師の父親であるという。
 侍 「俺は未熟で、不幸者だ、、」
 主人 「どうして?」
 侍 「衝立を見よ、俺は親父をかごかきにした。」
親子揃って名絵師という噺である。
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もう一席、「親子酒」。ある商家に共に酒好きな大旦那と若旦那の親子がいる。息子の酒癖が非常に悪いということで、父親が心配し、「お前だけに酒を止めろとは言わない。共に禁酒をしよう」と話をする。 息子も承知し、しばらくは何事もなかった。2週間ほど経つと、他に楽しみのない父親は酒が恋しくなる。息子が出かけていたある晩、女房に頼み込み、遂に一杯、二杯、三杯とせびって飲み始める。甘露、甘露と独酌の挙げ句ベロンベロンになる。

気分が良くなっているところへ、息子が帰ってくる。慌てて場を取り繕い、父親は「酔っている姿など見せない」と、息子を迎えるが、帰ってきた息子も同様にしたたかに酔い上機嫌であった。 呆れた父親が「何故酔っているんだ」と問うと、「出入り先の旦那に相手をさせられました。酒は止められませんね」などと言う。父親は
「えらいッ、その意気でまず一杯ッ」
と乗せられて、結局、二人で二升五合をやってしまう。

父親、女房に向かい、
「婆さん、こいつの顔はさっきからいくつにも見える。こんな化け物に身代は渡せない!」
すると息子は、
「俺だって、こんなグルグル回る天井の家なんていりませんよ!」

親子で酒を呑むのが一番幸せな時である。筆者にも父親と一緒に杯を傾けた大切な光景が浮かんでくる。

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