心中の別称は情死。広辞苑によると「相愛の男女が一緒に自殺すること」とある。落語にも心中の演目がいくつかあるが、心中を遂げられない、どたばたした劇が展開されることが多いようだ。真剣に思いつめた男女ではない。「品川心中」もそうである。
江戸時代、品川は岡場所。道中奉行から500人の飯盛り女を置くことが許されていた。実際にはその数倍がいたらしい。品川は海のそば、東海道の宿場であった。幕末、品川の女郎屋は尊皇攘夷や倒幕を目指す志士の集まりの場としても栄えた。初代英国領事館が開設されたのも品川。海という地の利が働いたと思われる。今も江戸時代と変わらぬ道幅が「旧東海道」として残っている。
今回紹介するのは「品川心中」である。品川の筆頭女郎に「お染」がいる。歳も歳となりそろそろ「紋日」という移り代え、客寄せの集まりをしなければならない。「紋日」は自分がするのではなく、馴染みの客がしてくれる風習であった。そこでスポンサーを探すが誰も返事をくれない。勝ち気なお染は恥をかくくらいなら死のうと決心する。一人で死ぬのも情けない、誰か心中につきあってくれる者がないかを探すのである。
あれこれと客を物色する。女房子や祖父母がいない者といった心中の条件に合うのが中々いない。そこに貸本屋の金蔵に白羽の矢がとまり、手紙を書く。早速金蔵がやってきて二人は心中の約束をする。金蔵は世話になっている親分にこの世の暇乞いをする。遠い西のほうへ旅に出るという。帰ってくるのは盆の13日とか、頓珍漢なことを言う。
いざ心中の夜、お染に急かされるが金蔵はカミソリで首を切るのを嫌がる。「喉元は急所だからいけねェ」などと喚く。仕方なく二人は桟橋へ行く。風邪をひいているといってためらう金蔵をお染は突き落とす。お染も飛び込もうとするとき、店の若い衆が「紋日の金ができた、、」と知らせにくる。お染は海に向かって「ねェ金さん、あたし金ができたの。死ぬのを少し見合わせるね。いずれあの世でお目に掛かりますから、、、ここで失礼します。」失礼極まりない、、、
金蔵は桟橋の柱に捉まり、一晩中仰向けに浮いている。ところが品川は遠浅。見ると膝までしか水がない。金蔵は欺された自分にも呆れる。