アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その34 『Cornhusker State』とネブラスカ州

ネブラスカ(Nebraska)はいろいろな思い出があります。 ネブラスカ大学の友人を訪ねたときのことです。デトロイト国際空港の入国審査場で審査官が家内におきまりの「どこへ行くのか?」と尋ねます。家内は「ネブラスカへ、、、」審査官「ネブラスカでなにをするのか?」、家内「観光です」、審査官は首を傾げて「ネブラスカへ観光へ行く日本人は初めてだ、、」というのです。どうも審査官はネブラスカは田舎か僻地だと思っていたらしいのです。

Corn Husker

州の東側には広大な草原、西側には壮大な崖や峰、東西間には砂丘など、どこへ行っても素晴らしい景色を堪能できます。ロデオ発祥の地であり、開拓者時代のランドマークがあり、西部開拓時代に入植者たちが通った歴史的な脇道が交差する州です。州都はリンカーン(Lincoln)で、最大の都市は州の東端にあるオマハ市(Omaha)です。広大な平原は、トウモロコシ畑が広がっています。州の愛称はコーンハスカー(トウモロコシの皮をむく人)『Cornhusker State』となっています。

Coach Tom Osborn

リンカーンにあるネブラスカ大学(University of Nebraska-Lincoln)にある自然史博物館(University of Nebraska, Morrill Hall) は恐竜の化石や開拓時代の道具、ネブラスカのインディアンの生活などを紹介するところで必見です。この博物館は、主に子ども達が社会見学で学べるような設備を用意しています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その33 『Big Sky Country』とモンタナ州

私はこの州を訪ねたことがありません。モンタナ州(Montana)といえば、マイケル(マイク)・マンスフィールド(Michael Mansfield)というモンタナ州選出の上院議員が忘れられません。1961年から1977年までの16年間は多数党であった民主党の院内総務(Senate Majority Leader)として活躍しました。この16年という任期はアメリカ史上最長です。また知日派としても知られ、1977年から1989年までの長期にわたって駐日大使を務めました。

Mike Mansfield

「モンタナ」という州名はスペイン語で山、あるいは山の国を意味する「Montana」に由来します。州都はヘレナ市(Helena)は、19世紀後半のゴールドラッシュによって人が集まってできた町です。モンタナ州北にグレイシャー国立公園(Glacier National Park)、南にイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)という2 つの国立公園があります。この 2 つの公園の間に無限とも思われる大自然の驚異、すなわち、55の州立公園、15の自然保護区、多数の国有林や州有林が広がっており、モンタナ州は冒険と発見にあふれる驚くべきフロンティアとなっています。州の愛称は、「 蒼空の州」(Big Sky Country)で、自然溢れる州に誠に相応しい名です。

Big Sky Country

州の人口動態です。全体ではドイツ系の祖先を持つ人々が最も多く、次いでアイルランド系が第2位、イングランド系が第3位になっています。スカンディナヴィア系は北部と東部の平原地帯で農業が主体となっている所に多く居住しています。近隣のノースダコタ州やミネソタ州と同じような状態です。

州内には、ネイティブアメリカン(インディアン)の居留地(Indian Reservation) が7つあります。この居留地には言語による分類で20以上の部族が住んでいるといわれます。合衆国の他州よりもインディアン人口が多く構成比が高くなっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その32 『Show Me State』とミズーリ州

ミシシッピ川の西、アメリカ中西部にある内陸の州がミズーリ州(Missouri)です。州名の由来は、ミズーリ州はミズーリ川(Missouri River)にちなんで名付けられました。”Missouri” を「ミズラ」と発音することもあります。「ミズーリ」はスー族(Sioux)インディアンの部族名。かつてこの地は、フランス領ルイジアナとして統治されていました。ちなみにこのフランス領ルイジアナは、ミシシッピ川の流域をほとんど含んでおり、北は五大湖、南はメキシコ湾、東はアパラチア山脈から西のロッキー山脈までという広大な領地でした。隣同士、多くの州と接している珍しい州でもあります。

Gateway Arch

ちなみに州の愛称は「ショウミーステート」(Show Me State)で、「証拠をみせよ」といった意味で、簡単には信じないぞ、といった感じです。ミシシッピ川とミーズリ川が合流する地点にあるのがセントルイス(St. Louis)です、毛皮の交易所として発展してきた街。19世紀には西部への開拓者達の出発地点として賑わってきて、ゲートウエイ・アーチ(Gateway Arch)がその面影を残しています。ここは国立公園となっていて高さ192メートルのモニュメントの一番高い所にのぼることができます。ミズーリ州最大の都市はカンザスシティ(Kansas City)です。伝統的に畜産業が盛んな地域のために、名物料理はカンザスシティ・スタイルのバーベキュー(BBQ)で、100軒以上のバーベキューレストランがひしめくといわれます。BBQはウッドスモークの香りが漂い低温でじっくり焼き上げるのです。

Route-66

歴史あるルート66(Route 66)は 、マザーロード(Mother Road)と呼ばれる伝説のハイウエイです。ミズーリ州を 480 キロメートル以上に渡り走っていました。大陸を横断するこの道はアメリカ西部の発展を促進した重要な国道であり、映画や小説、音楽などの中に多く登場しました。中でも代表的なのは1960年から1964年にかけてCBS系列で放送された『ルート66』です。日本では1962年から122回にわたった放映され大人気でした。ドラマ中、シボレー・コベット(Chevrolet Corvette)に乗ったイ2人のエール大学(Yale University)に通う若者が冒険を求めてアメリカ中のハイウェイを走っていくというストーリーでした。しかし、州間高速道路(Interstate)の開線で今は通勤道路となっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その31 『Magnolia State』とミシシッピ州

ミシシッピ州(Mississippi)の成立過程です。16世紀初頭にチカソー族(Chickasaw Tribe)やチョクトー族(Choctaw Tribe)などの先住民が暮らすこの地にヨーロッパ人がやってきました。スペインの探検家でコンキスタドール(Conquistador)、征服者と呼ばれたエルナンデ・ソト(Hernandez Soto)らです。彼らは金を目指しフロリダを出発したのですが、その途中にこの土地を訪れます。ミシシッピの地は、他の州と同様にヌーベルフランス(New France)と呼ばれるフランスの植民地でした。フランスは先住民族たちと友好な関係を築きながら植民地を広げています。

Magnolia

その後1755年に起こるフレンチ・インディアン戦争では、フランスはインディアンと組んで、イギリス相手に戦うことになるのです。結局、1760年にフランスが降伏して戦争は終わり、1763年のパリ条約によってミシシッピ川から東側に位置するこの地はイギリスへと割譲されまます。

現在の州の経済の柱は農業です。主な農産物は綿花や大豆です。綿花栽培は古くから行われていて、綿花で財を成した白人大富豪も多かったようです。この成功の裏には黒人奴隷労働者の存在がありました。今でも、ミシシッピ川の広大なデルタ地帯では綿花の栽培が盛んです。他にもキャットフィッシュ(catfish)の養殖、養鶏なども主要な産業で、ミシシッピ州は養殖や農業州であるといえます。

Map of Mississippi

ミシシッピは歴史的にみても、黒人解放運動の活発な地域でもあります。19世紀後半のジム・クロウ法(Jim Crow laws)および1890年の新憲法の成立によって、ミシシッピ州はディープサウス(Deep South)に典型的な形で、事実上黒人の選挙権を取り上げるのです。ジム・クロウ法とは、「黒人の一般公共施設の利用を禁止、制限した法律」を総称したものです。ジム・クロウは黒人隔離を指す言葉としても使われるようになりました。過剰な投票税を課すなどして、黒人が投票するのを防止しようとしたのもこの法律です。

Elvis Presley’s Birthplace

州都および最大都市はジャクソン市(Jackson)です。州のニックネーム『Magnolia State』(木蓮の州)。木蓮は中国原産の植物ですが、温暖な気候であるアメリカ南部でも親しまれています。日産自動車が2003年、同州のキャントン(Canton) に工場を建設し、トヨタ自動車が2010年にブルー・スプリングス(Blue Springs)で生産を開始したのもミシシッピです。労働力に恵まれていることが建設の条件だったようです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その30 『Land of 10,000 Lakes』とミネソタ州

私がミネソタ(Minnesota)という地名を知ったのは「ミネソタの卵売り」という流行歌です。1950年代の頃で歌っていたのは暁テル子という歌手です。この曲名の由来を調べましたがよくわかりません。ミネソタに卵売りという職業があるのかも定かではありません。ミネソタは養鶏で盛んであるというのもきいたことがありません。寒いので養鶏には向かないはずです。

Map of Minnesota

もう一つのミネソタのエピソードです。元札幌ルーテル教会の宣教師とご家族をミネアポリスに訪ねたときです。外に立っているとひどく蚊が多いのです。大小無数の湖が点在するために蚊が発生するのです。人々は蚊のことを「州の鳥」(State Bird)といって笑っていました。州の愛称は「一万の湖がある州」(Land of 10,000 Lakes) と呼ばれています。こうした湖は最終氷河が後退した跡に残したものです。もう一つの愛称は「ジリスの州(Gopher State)」という可愛い野生動物にちなんだ呼び名です。

Downtown Minneapolis

中西部では、イリノイ州シカゴとミシガン州デトロイトに続いて大きい都市が、ミネソタ州のミネアポリス(Minneapolis)になります。ミネアポリスは州都セントポール(Saint Paul)の西に位置する隣りの街です。ミシシッピ河を挟んで発展してきた二つの大都市が隣同士にあり、2つの都市を合わせて双子の街、ツインシティー(Twin Cities)とも呼ばれています。ミネアポリスは次々と再開発が進み、新しい施設などが建ち並ぶ経済の中心です。それに対してセントポールは、ヨーロッパの都市に似て旧市街地区があり、ビクトリア期後期のような数多い建築が保存状態良く、残っています。少し古いですが2015年の調査によると、ミネアポリスとセントポールは最も識字能力が高い人々が暮らす街であるといわれます。

Mall of America

ミネソタ州は古くから農業、鉱業が盛んな州でしたが、近年はハイテク産業の進出などもめざましいようです。ミネアポリス・セントポール国際空港 (MSP) の近くに位置する「モール・オブ・アメリカ」(Mall of America)は、全米最大級のショッピングモールです。4つのデパート、50のレストラン、520の専門店が巨大なモールの中に集合しています。ちょうど中心に、遊園地があるのですから、その大きさが分かります。キッズテーマパーク「レゴランド(Lego Land)も楽しいです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その29 『Great Lake State』とミシガン州

ミシガン州(Michigan)の成立過程です。17世紀にアルゴンキン語族(Algonquian)などの先住民族が暮らすこの地に、初のヨーロッパ人がやってきます。それはヌーベルフランス(New France) と名付けられたこの新大陸にやってきたフランス人です。もともと毛皮交易を進めながら、この地を開拓していきます。当然フランスの植民地となった地ですが、後のフレンチ・インディアン戦争(French-Indian War)により、イギリスに支配されるようになります。

Map of Michigan

地理ですがミシガン州(Michigan)は、北と東はカナダに、南はインディアナ州(Indiana)とオハイオ州(Ohio)に、西はミシガン湖を挟んでウィスコンシン州に接しています。五大湖で知られ、その湖とは、Huron(ヒューロン湖)、Ontario(オンタリオ湖)、Michigan(ミシガン湖)、Erie(エリー湖)、Superior(スペリオル湖)です。そのため、ミシガン州は「グレート・レイク・ステイト」(Great Lake State)とも呼ばれています。「ミシガン」という名前も、先住民族の言葉で「大きな湖」を意味するのだそうです。「クロアナグマの州」(Wolverine State)とも呼ばれています。別名はクズリです。

Light House

デトロイト(Detroit)を中心に発達する自動車産業を抜きにこの州は語れません。ちなみにこのデトロイトを作ったのは、フランス人貴族、アントワーヌ・ド・ラ・モス・キャデラック(Antoine de la Mothe Cadillac)といわれています。あの高級車の名前の由来というわけです。今も多くの大統領専用車となっています。オバマ大統領の「キャデラック・ワン」が有名です。車体前方についている月桂冠で形どったエンブレムのデザインは何度も変更されています。

ミシガン州と言えば、なんといってもフォード(Ford)、GM、クライスラー(Chrysler)のビッグ3の本社があることです。その他化粧品のアムウェイ (Amway)化学工業のダウ・ケミカル (Dow Chemical)、ドミノ・ピザ(Domino Pizza)、食品製造のケロッグ(Kellogg)などの本社もあります。

Downtown of Bay City

ミシガン州は農業州でもあります。州内では多くの種類の穀類、果物、野菜が栽培されており、その多様さではカリフォルニア州に次いで第2位となっています。主要作物としては、トウモロコシ、大豆、花卉、小麦、テンサイ、ジャガイモがあります。ミシガン湖の温暖化効果と肥沃な土壌のお陰で、ブルーベリー、サクランボ、リンゴ、ブドウ、モモなどの栽培も盛んです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その28 『ヘンリー・ソロー』とマサチューセッツ

『Pine Tree State』とメイン州の紹介では、「The Maine Woods」(メイン州の森)という作品を著した随筆家で思想家のヘンリー・ソローに触れました。自然をこよなく愛したいわばナチュラリストです。19世紀中頃、ニューイングランド(New England)で観念論哲学運動が起こります。アメリカの思想家、詩人であるエマソン(Ralph W. Emerson)らが唱道したニューイングランド超絶主義(transcendentalism) という運動です。この教義を故郷のコンコード(Concord)の村において徹底的に実践した作家がソローです。超絶主義とか超越主義とは、「神という超越的存在を個人の中に見る自立した自己の精神」という考え方です。自己の内なる何か絶対的な価値(神性)を直感によって掴み取るというのです。

“どこに住み、何のために生きてきたか”

超絶主義とは「transcendent」という形容詞から由来し、超越するとか乗り越えるという意味で使われます。客観的な経験論よりも主観的な直感を強調し、その中核は人間に内在する善と自然への信頼に置くという考え方です。人知では到底計り知ることができないような経験知といってもよいかもしれません。この主張が、後に自己啓発運動や自己啓発書に大きな影響を与えていきます。

ソローの作品から、彼はニューイングランドの自然環境を通して人間の叡智や可能性を探ることを最大の関心事としていたことが伝わります。ソローは、すべての人々は独自の生活様式を追求し、その生活を詩とし、生きること自体を芸術作品とする自由を持つべきと主張します。世の中の流れに疑問を抱き、自分の感性を磨いて忠実に生きるという精神です。彼の作品から言えることは、ニューイングランドの風景を人間的な連想で豊かにするだけでなく、想像力をもって自然に向き合い、自然を破壊せずに自然を大切にし、それと共に生活するという態度です。

コッド岬

ソローは、メキシコ戦争が起こったとき、マサチューセッツ州が課する人頭税(poll tax)の支払いを拒否し投獄されます。ソローはその顛末を、最も有名と評価されたエッセイ「市民の反抗」(Civil Disobedience)の作品で描きます。この中では、多数決という便宜主義に異議を唱え、個人の良心を擁護して納税を拒否するのです。こうした態度は、マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)やキング牧師(Rev. Martin L. King)の非暴力による公民権運動の思想的な先駆けでとなります。

Old Harvard Square

前述のエッセイ「メインの森」や「カナダのヤンキー」(A Yankee in Canada)、「コッド岬」(Cape Cod)のような旅行記は、彼の精神を支えてきたアメリカの原始的自然環境の素晴らしさや大切さを再認識したことの表れといわれます。ニューイングランド一帯やコンコードの自宅周辺にあるウオルデン(Walden)湖畔や山野を歩き回り、「散歩」(Walking)というエッセイも書いています。彼の聖地は山野にあり、歩くことは彼の精神的な運動でありました。そこには精神の自由があり、文明と人間を育んできた「野性の世界」であったようです。ソローが人間と環境との生態学を論じたことが、アメリカ社会やその後の各国における環境保護運動を触発したことは特筆すべきことです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その27 『プリマス・プランテーション』とマサチューセッツ

大西洋に突き出たコッド岬(Cape Cod)は、長い海岸線を持ち、風光明媚な景色が広がる半島です。この岬の付け根にあり、ボストンの中心地から南東方向に直線距離で約56kmのプリマスに位置する野外歴史博物館がプリマス・プランテーション(Plimoth Plantation)です。1620年にプリマスに入植したピルグリム(Pilgrims)の人々の生活や文化を再現し紹介しています。ここでは、イール川(Eel River)のほとりに住む先住民ワンパノアグ(Wampanoag)の17世紀の頃の生活や歴史と文化について、観光客に現代的な視点から説明してくれます。客の質問にも詳しく答えてくれます。

Mayflower II

このプランテーションで特筆すべきことは、スタッフたちは半年間かけて厳しいトレーニングを積み、当時の衣装を身にまとい、当時のように畑を耕し、当時の言語を話すなど、徹底して歴史的背景をしっかりと再現していることです。まるで1600年代の村にやってきたような錯覚をおぼえます。メイフラワー号(Mayflower)は、イギリスからへ、アメリカ移民を運んだ船として知られ、原寸大レプリカがプリマスに係留されています。船内は博物館となっています。

Women in Plimoth Plantation

子どもたちが大喜びするボストン子ども博物館(Boston Children’s Museum)では、「何でも手に触れる」ことができます。ショッピングエリアでは、ガラス張りのアーケードをのぞいたり、有名なファニエルホール市場(Faneuil Hall Marketplace)などの青空市場をぶらぶらするのも楽しいです。日本美術の優品も多数所蔵するボストン美術館 (Museum of Fine Arts)や1973年より音楽監督に就任した小澤征爾で有名なボストン交響楽団(Boston Symphony Orchestra)など、芸術や音楽の都としても知られています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その26 『Bay State』とマサチューセッツ州

この州には長男と家族が住んでいるので親しみのある州です。州都で最大の都市はもちろんボストン(Boston)です。アメリカ北東部にあり、ニューイングランド地方の政治、経済、文化、観光の中心です。マサチューセッツ州(Massachusetts)の愛称は「湾の州(Bay State)とか「 旧植民地」(Old Colony)と呼ばれています。長男はハーヴァード大学(Harvard University)でポスドク(postdoc)をやり、今は州第二の都市ウースター(Worcester)のホーリークロス大学(College of Holy Cross)で教鞭をとっています。ハーヴァード大学は1636年創立。世界的に有名な大学で特に大学院教育や研究で知られ、伝統ある名門私立大学8校から成る「アイビーリーグ」(Ivy League)の1校です。

Faneuil Hall Market

ボストン周辺には、独立戦争発端の街レキシントン(Lexington)やアメリカ発祥の地プリマス(Plimouth)、ジョン万次郎ゆかりの地フェアへブン(Fairhaven)、19世紀のアメリカ文学界を代表するラルフ・エマソン(Ralph W. Emerson)、ナサニエル・ホーソン(Nathaniel Hawthorne)やヘンリー・ソロー(Henry David Thoreau)らの思想家や作家たちが暮らしたコンコード(Concord)が有名です。

Downtown Boston

政治的には民主党が圧倒的な強さを示す地盤で、2004年5月17日にはマサチューセッツ州は国内で初めて同性結婚を法律で認める州になります。マサチューセッツ州政界ではケネディ家が特筆される存在です。ケープコッド(Cape Cod)と呼ばれる半島の避暑地にケネディ家の別荘があります。

Newbury Street

世界屈指の大学が集まるのがマサチューセッツ州です。前述のハーヴァード大学、マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology: MIT)を双璧として、ボストン大学(Boston University)、マサチューセッツ大学(University of Massachusetts)、タフツ大学(Tufts University)、ウースター工科大学(Worcester Polytechnic Institute)、ウィリアムズ大学(Williams College)、ウェルズリー大学(Wellesley College)、マウント・ホリーヨーク大学(Mount Holyoke College) などそうそうたる大学があります。どの大学も成績とテストでは超難関です。授業料は年間5万ドル前後です。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その25 『Old Line State』とメリーランド州

メリーランド州(Maryland)は、ワシントンD.C.に隣接して中部大西洋岸地域(Mid-Atlantic States)を構成する州です。州都はアナポリス(Annapolis)、最大の都市はボルチモア(Baltimore)です。州名の由来ですが、イギリスのチャールズ2世が王妃ヘンリエッタ・マリア(Henrietta Mari)にちなんで名付けたといわれます。

私は一度兵庫教育大学の院生とで、チェサピーク湾(Chesapeake Bay)に注ぎ込む河口に位置する港町、アナポリスを訪ねたことがあります。アナポリスはかつてアメリカの首都であった町で、植民地時代の多くの建物が残っています。ここはアメリカ海軍兵学校(US Naval Academy)が所在することでも知られています。アメリカ海軍及び海兵隊の士官学校です。人々は海軍兵学校を指して「アナポリス」と呼びます。ちなみに陸軍兵学校は、通称ウエストポイント(West Point)と呼びます。

古い街並み

メリーランド州は、山脈から曲がりくねった大西洋の海岸線まで地形が変化に富んでいることから、「アメリカのミニチュア」(American Miniatures)とよく呼ばれます。 この州は、南北戦争中の主な軍事活動の中心地でした。4 つのシビル・ウォー・トレイル(Civil War Trails)を巡ってその当時の軍人の足取りを辿ることができます。ボルチモアには、プロ野球選手ベーブ・ルース(Babe Ruth)の生家があります。アメリカの文化において最も偉大なスポーツ界の英雄の一人で、史上最も優れた野球選手と称されています。国立水族館(National Aquarium)も有名です。

Naval Academy

メリーランド州は、「オールド・ライン・ステート」(Old Line Stateで(Lines) というニックネームもついています。1776年、アメリカの独立は確実なものではありませんでした。ワシントン将軍が率いるメリーランド州軍は、ロングアイランド(Long Island)という戦いで激戦を繰り広げます。13,000人の大陸軍と34,000人のイギリス軍との戦いです。ワシントン将軍は、数で圧倒的に劣り包囲されたため、戦闘開始後すぐに撤退を命じ、大敗北を免れます。その退却を援護したのが、Maryland Linesと呼ばれたメリーランドの歩兵でした。こうしてこの州は「Old Line State」というニックネームがつけられました。このようにメリーランドはアメリカ独立戦争でイギリス支配に対して反旗を翻した13植民地の1つです。