アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その47 『Little Rhody』とロードアイランド州

全米50州の中で面積が最小の州であり、神奈川県と同じくらいの面積の州です。そのため、州の愛称が「Little Rhody」となっています。1636年に神学者ロジャー・ウィリアムズ(Roger Williams)が「慈悲深き摂理(Providence)」によって、この土地を見出したときに名づけたと記録されています。ウィリアムズらは、ナラガンセット族(Narragansett Tribe)から贈られた土地にコロニーを設立します。ウィリアムスはマサチューセッツ州でピューリタンに追放されてロードアイランド(Rhode Island)に到ったのです。1647年、ロードアイランドの植民地はプロビデンス(Providence)と合併し一つの政府となり、良心の自由が改めて宣言されます。この地域はその信条のために迫害された人々にとって安全な天国となり、バプテスト(Baptists)、クエーカー(Quakers)、ユダヤ教徒(Jewish)その他が平和と安全の良心に従ってこの地にやってきたのです。

Pawtuxet Village, Rhode Island.

ウィリアムズはナラガンセット湾(Narragansett Bay)にある他の島々にも美徳に関した名前とします。たとえば、ペイシャンス島(Patience Island)(忍耐)、プルーデンス島(Prudence Island)(分別)、ホープ島(Hope Island)(希望)といった島々です。仲間の開拓者達と「公共の事項」における多数決原則と「良心の自由」を定めた平等主義的憲法で合意を形成した神学者です。政教分離という国家と宗教団体の分離の原則を貫く神学者でもありました。

Cliff Walk, Rhode Island

ロードアイランドでは1652年5月18日に北アメリカで初めて奴隷制度を違法とする法律を可決したことで知られています。また債務による収監や極刑を廃止する法律を成立させ、さらに1652年3月に、黒人および白人双方の資産としての奴隷制を廃止したことでも知られています。

アメリカ合衆国の州を巡る その46『要石の州』とペンシルヴァニア州

ペンシルヴァニア州(Pennsylvania)は、独立戦争時代の史跡、フィラデルフィア(Philadelphia)やピッツバーグ(Pittsburgh)のような大都市、アーミッシュ (Amish) によって占められているいくつかの農業地域やかつての強力な産業史で有名な州です。

ヨーロッパ人として最初にペンシルヴァニアに入ってきたのはスウェーデンやオランダの入植者でした。ペンシルヴァニアと命名したのは、イングランド王チャールズ2世(Charles II)。やがてクエーカー教徒(Quaker)でイギリス人のウィリアム・ペン(William Penn)がペンシルヴァニア州を整備し「シルヴァニア(Sylvania)」と名付けたものをウィリアム・ペンの父ウィリアム・ペン卿に敬意を表して改称しPennsylvaniaとなりました。ペンシルヴァニア州は、アメリカ合衆国において最も歴史のある州の一つとなりました。そのため、州の愛称は「要石の州」(Keystone State)と呼ばれます。 「Quaker State」クエーカー教の州とも呼ばれます。

Pennsylvania Dutch

ペンシルヴァニアは、18世紀中頃アパラチア(Appalachian)炭田,19世紀中頃には油田が発見され,五大湖周辺の鉄鉱石の利用,運河,鉄道などの発達に伴い,ピッツバーグやベスレヘム(Bethlehem)を中心にアメリカ有数の鉄鋼業地域となりました。ペンシルヴァニアといえば、フィラデルフィアを取り上げなければなりません。ニューヨークとワシントンDCの間に位置するこの街は、独立宣言がなされた地であり、合衆国憲法が立案された場所でもあります。独立歴史公園では独立宣言のときに打ち鳴らされた自由の鐘(Liberty Bell)を見ることができます。ピッツバーグはかつて鉄鋼業の中心地として栄えた都市です。

Robert Lee

州南東部のランカスター(Lancaster)を中心とする田園地帯には、ペンシルヴァニア・ダッチ(Pennsylvania Dutch)と呼ばれる人々の集落があります。入植・建国当時の佇まいを多く残しています。その暮らしぶりは、「プレーン」(Plain)と表現されることがあります。何も飾らず、何も付け加えない、あるがままの暮らしをしているといわれます。17世紀から18世紀にかけてドイツ語圏から合衆国に移住したゲルマン系ドイツ系の子孫や言語がペンシルヴァニア・ダッチです。英語の”Dutch”はドイツ語の”Deutsch”に由来し、古くはオランダ人ではなくドイツ人のことを指します。アーミッシュ(Amish)やメノナイト(Mennonite)といったクエーカー教徒の社会では第一言語として話されています。

Gettysburg

南北戦争の転換点となったといわれるゲティスバーグの戦い(Battle of Gettysburg)の古戦場があります。ここが激戦地となったのは、鉄道や主要道路が集まる交差点であり、そこを確保できれば戦争を有利に進められるからだったのです。つまりゲティスバーグは補給と部隊増強の要所だったといえるでしょう。3日間の激戦で北軍は南軍を撃退し、それによって北軍は南部への侵攻ルートを確保することができたといわれます。その戦いの4ヶ月後の1863年11月1日に行われた戦没者墓地奉献式で、合衆国大統領リンカンが演説を行います。それが「ゲティスバーグ演説 」(Gettysburg Address)です。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その45『ビーバーの州』とオレゴン州

太平洋岸のこの州は、戦前多くの日本人が移住したところです。州の名前と同じ名のついた「オレゴン・トレイル」(Oregon Trail)は、西部開拓時代に先駆者たちを「西へ」と掻き立てる道でした。シミュレーションゲームにも「オレゴン・トレイル(街道)」があります。1846年を舞台にプレイヤーは幌馬車で移動する開拓者のリーダーとなって、西部を目指すという内容です。過酷で危険な旅程で知られる街道を辿り、西部開拓の歴史を学ぶ目的で開発されます。その名のように、オレゴン州 4 つの国立歴史トレイルがあります。

Oregon Trail

州都はセイラム(Salem)で人口最大の都市はポートランド(Portland)です。セイラムといえば、映画「カッコーの巣の上で」(One Flew Over the Cuckoo’s Nest)が撮影されたところです。1960年代の精神病院を舞台に、当時のアメリカの社会体制の中で抗う男の姿を描いたこの映画の荒筋を少し紹介します。刑務所に収監されていた38歳のランドル・マクマーフィー(Randle McMurphy)は刑務所での強制労働を逃れるため、精神疾患を装って精神病棟にやってきます。そこでは看護婦長ラチェッド(Ratched)の厳しい規律のもと、管理された患者たちがいます。マーフィーは、持ち前の社交性を活かして、そんな環境に置かれた患者たちの中に生きる気力を与えていくというストーリーです。主演はジャック・ニコルソン(Jack Nicholson)でした。

アメリカでは珍しく全米で5つの消費税がない州の一つがオレゴン州です。それには、州のさまざまな産業が盛んなことがあげられます。ヘーゼルナッツ(hazelnut)の生産では世界の4大生産地域の1つであり、国内の95%を生産していまう。ワインの生産は禁酒法時代以前に遡り、1970年代には重要な産業となります。2005年には300以上のワイン醸造所を数え その数は国内第3位です。フランスのアルザス(Alsace)やブルゴーニュ(burgundy)地方と気候や土壌が似ていることから、同じような品種のブドウが栽培できるといわれます。南部海岸地域ではクランベリー(cranberry)も栽培されています。

Map of Oregon Trail

広大な森林に恵まれ、国内最大級の製材業と林業があるのがオレゴン州です。豊かな森林資源によって、多くの動物も生息し、その中で知られるのがビーバー(Beaver State)です。州はサケの漁獲では世界最大級である他、海洋漁業も盛んです。1970年代以降、ハイテク開発とサービス業が主要な産業となっています。インテルが幾つかの主要な設を建設し拡張します。ナイキ(Niki)の本社がビーバートン(Beaverton)にあります。

オレゴン州民は1988年以降のアメリカ合衆国大統領選挙で民主党候補者を選んでいます。2004年と2006年には民主党が州上院と下院を制し、カリフォルニア州やワシントン州とならんで、民主党の牙城のような州です。私はこの州を二度訪ねています。一度目は、ユージン(Eugen)にあるオレゴン大学(University of Oregon)の先生にインタビューをしたとき、二度目はポートランド(Portland)でのインテル社(Intel)主催の教育会議に招待されて出席したときです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その44 『早い者勝ち』とオクラホマ州

オクラホマ州(Oklahoma)は、アメリカのほぼ中央に位置し、西部開拓時代の歴史、アメリカ先住民文化などが融合し南部の魅力を示しているといわれます。州名は農耕民族のチョクトー族(Choctaw)インディアンの言葉で「okla」 と 「humma」を合わせたものとされます。チョクトー族は、白人の文化を積極的に採り入れ、「文明化五部族」 (Five Civilized Tribes) と呼ばれています。ジャガイモ飢饉の間、飢饉の救援を提供したことによる寛大さも讃えられています。州都で最大都市は「オクラホマシティ」(Oklahoma City)です。

Map of Oklahoma

オクラホマは、アメリカ先住民の人口が最も多い州です。その理由ですが、この州のインディアン部族のほとんどは、19世紀にアンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)大統領の「インディアン移住法」(Indian Removal Act)によって、インディアン部族のほとんどを強制移住させられたのです。現在、州内には39 の部族が本部を置いています。毎年 6 月に開催されるレッド・アース・ネイティブ・アメリカン文化フェスティバル(Red Earth Native American Cultural Festival)が有名です。インディアン部族のお祭りが「パウワウ」(Powwow)です。もともと戦いの勝利を祝う踊りの場とされていたのですが、今はお祭りスタイルになったようです。インディアンの精神復興と権利回復運動の高まりの産物ともいわれます。

Oklahoma

ランドラッシュ(Land Run)と呼ばれる、決められた時刻に特定の土地が開拓者に開放され、待ちかねた開拓者が一斉に駆け出すような仕組みが1800年代に何度か行われました。公式の解放時刻以前に境界を越えるという規則破りは「抜け駆け」(Sooner)と呼ばれました。別名「早者勝ち」という言葉がオクラホマ州の公式ニックネーム(Sooner State)にもなっています。

Musical, Oklahoma

オクラホマは温暖な地域にありますが、春先から晩夏にかけて、この地域特有の気候条件により雷雨が発生しやすいといわれます。州の大半は竜巻街道と称される地域にあり、年間平均54個もの竜巻が発生するといわれます。オクラホマ州は天然ガス生産量で全米第3位、原油では第5位となっています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その43『 Swing State』とオハイオ州

「オハイオ」(Ohio)とは先住民族イロコイ族(Iroquois)の言葉で「美しい、偉大な川」を指すといわれます。この川はオハイオ川(Ohio River)のことです。西へ流れるこの大きな川は、17世紀の入植者たちの開拓へも大きな影響を及ぼします。というのは、後に開拓者たちはこの川を使って、西へ西へと開拓を進めてゆくことになるからです。

Map of Ohio

18世紀になりこの地にイギリスが進出し、ペンシルヴァニアやヴァジニアからやってきた人々により開拓が進められていきます。この地の領有権を巡ってはイギリスとフランスが対立し、フレンチ・インディアン戦争(French-Indian War)が起こります。戦いはイギリスが勝利し、1763年に締結されたパリ条約によりフランスはこの地を手放し、事実上北アメリカ大陸から撤退することになります。

州都はコロンバス(Columbus) で州の愛称は「トチノキの州」(The Buckeye State)となっています。州内には工業都市が多く、製造業は全米トップレベルです。中でも一番盛んなのは自動車関連産業です。ホンダも進出しています。プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble: P&G)、ウェンディーズ (Wendy’s)、グッドイヤー(Good Year)などが本社を置いています。

Columbus, Ohio

ドイツからの移住者が作ったコミュニティであるジャーマンビレッジ(German Village)や、合衆国内最大のアーミッシュの共同体がある州でもあります。南北戦争の時代にはオハイオ南部は黒人奴隷廃止運動の拠点となります。かつて、オハイオ川の北側のオハイオは黒人にとって自由州、南側にあったケンタッキーは奴隷州であったため、南部の黒人を北部に逃すアンダーグラウンド・レイルロード(Underground Railroad)という地下組織がひそかに活動していました。奴隷反対派・賛成派が激しくぶつかる土地がオハイオ州です。

German Village, Columbus

大統領選の時などは宗教、人種、文化的背景があることによって、民主か共和かほぼ半々で最後まで州全体の投票の行方が分かりづらい州と呼ばれ、そのため「 Swing State」と呼ばれています。候補者からはキャンペーンの要として、選挙の結果の中継では国民全体が最後まで行方を注目する州の一つです。1964年から2016年までオハイオ州で勝利した者が大統領に当選しており、「オハイオ州を制するものが大統領選を制す」と呼ばれる所以です。ただ、ジョン・ケネディ(John F. Kennedy)とジョー・バイデン(Joe Biden)の二人は、オハイオ州で破れながらも当選した大統領です。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その42 『ノルスク・ホストフェスト』とノースダコタ州

ノースダコタ(North Dakota)の州都はビスマーク市(Bismarck)です。市名はドイツ宰相オットー・フォン・ビスマルク(Otto von BIsmarck)にちなんでいます。人口最大の都市はファーゴ市(Fargo)となっています。ノースダコタの「ダコタ」という名前は、アメリカ・インディアンのダコタ族の「仲間」「友人」に由来しています。

1870年頃、ノルウェーから多くの移民が州北東隅、特にノースダコタのレッド川(Red River)近くに入植します。カナダからはアイスランド人が入ってきます。多くのノルウェー人が入り、家族で農場を営んでいきます。彼らはルーテル派の教会や学校を造り、この地域では他の民族よりも圧倒的に多くなりました。ノルウェー系住民はマイノット市(Minot)人口の3分の1に近く、州全体でも30.8%となっています。

Norsk Høstfestと衣装

ノースダコタ州は複数の作物の生産で全国一となっています。パスタ用に使われる小麦(wheat)は全米の58%、赤色春小麦は全米の48%、、各種コムギを合わせた量では全米の15%、、オオムギ(barley)は全米の36%、エンバク(Oat)は全米の17%、その他菜種油のキャノーラ(canola)、大豆、ヒマワリ、および亜麻は州の至る所で生産されています。オオムギはビールなどの醸造用や味噌の需要が多く、エンバクはオートミールとして食用になっています。

Fight of Vikings

州内に観光客を呼ぶ定例行事としては、マイノット市で開かれる「ノルスク・ホストフェスト」(Norsk Høstfest)があり、北アメリカでは最大のスカンジナヴィア系(Scandinavian)祭とされています。スカンジナビア地方からやってきた人々の文化や歴史を祝う集いです。デンマーク、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンからの移民の伝統を受け継いでいます。2023年は9月27日から30日まで開かれます。民族がこのように固まってコミュニティを形成し、文化や伝統を大切にするのはアメリカという国の一つの特徴といえましょう。

Scandinavian Folk Dance

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その41『ライト兄弟』とノースカロライナ州

イギリスから独立したアメリカ合衆国当初13州のうちの1つがノースカロライナ州(North Carolina)です。イングランド国王チャールズ2世(Charles II)が、1660年に王位に就いたときに、すでに定住していたイギリス人がの貴族集団や植民地領主にこの植民地を与えたといわれます。この新植民地「カロライナ」は国王チャールズ1世の栄誉を称えて名付けられたようです。南北戦争では南部連合側(Confederate)に最後に参入した州です。

Smoky Mountains

伝統や歴が交差するのが州都のラレイ(Raleigh)です。現在はシャーロット(Charlotte)やラレイ、ダーラム(Durham)、チャペルヒル(Chapel Hill)のリサーチ・トライアングル地区(Research Triangle)を中心として経済的に大躍進を示し、州人口も急速に伸びています。ノースカロライナ州は農業、金融サービス、及び産業で成長しています。この州の産業製品、主に織物、化学工業、電気機器、紙及び紙製品はアメリカ合衆国内でも有力な地位を占めてきました。タバコの生産も盛んで地元経済にとって活力を与え続けています。

大西洋の海岸からグレートスモーキー山脈(Great Smoky Mountains)まで広がる美しい自然の風景は他州から多くの観光客を惹き付けています。忘れてはならないのは、ノースカロライナ州といえば、ライト兄弟による初の動力飛行が行われた場所です。ライト兄弟メモリアル(Wright Brothers National Memorial)を記念する施設がキル・デビル・ヒルズ(Kill Devil Hills)にあります。

First Flight in NC

ノースカロライナ州のニックネームは「タールがついたかかとの州」(Tar Heel State)といいます。「Tar」とはタール、 「Heel」はかかとという単語です。ノースカロライナ州は松の木が豊富に獲れるところです。タールやテレピン油といったネバネバした液がでます。南北戦争の際、南軍兵士は北軍に対峙してかかとにタールが塗ってあるように、一歩も引くことがなかったという面白い挿話があります。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その40 『コロンビア大学』とニューヨーク

ニューヨーク州にはいろいろな顔があります。たとば上質のワインを製造していることもそうです。ワイン畑が五大湖、大西洋、フィンガー・レイクス(Finger Lakes)、ハドソン・リバー(Hudson River)といった水の近くに位置します。夏は涼しい風が吹き込み、冬は寒さや霜からの被害のリスクが緩和されているようです。ワイン生産量はカリフォルニア州、ワシントン州に続いて全米第三位です。州には328のワイナリーがあり、ほとんどは家族経営の小規模ワイナリーです。

タイムズスクエア(Times Square)の賑わいと輝くネオンに浸った後に鑑賞するブロードウェイの豪華なショーは、ニューヨーク市だからこそ味わえる素晴らしい体験ですセントラルパーク(Central Park)は、芝生、アーチ、彫像に彩られ、ランニングコースや遊び場も備える3南北4km、東西0.8kmの広さで、東京ドームでいえば73個にあたる都会のオアシスです。

New York University(NYU)

ニューヨーク州には、日本人に馴染みのある大学がいくつかあります。コロンビア大学(Columbia University)は、全米屈指の名門校でアイビーリーグの1校に数えられています。イギリス植民地時代の1754年にキングズ・カレッジ(King’s College)として創立され、全米で5番目に古い大学です。ノーベル賞受賞者数は、1901年以降の累計で2022年現在100名に達するというのですから、学術的な質の高さを容易に推し量ることができます。次ぎにコーネル大学(Cornell University)も全米屈指の名門校です。ニューヨーク州のイサカ(Ithaca)という静かな街にある超難関大学です。

Columbia University


ニューヨーク大学(New York University)は、ニューヨーク市マンハッタン区(Manhattan)にある全米有数の大規模な私立総合大学です。学部では2022年入学生の合格率は12.2% という超難関の大学といえましょう。

ジュリアード音楽院(Juilliard School)は、音楽部門、舞踊部門、演劇部門から成り立ち、学部生・大学院生を含めて約850名の学生が学んでいます。カリキュラムが優れており、世界で最も優秀な音楽大学の中の1つとされています。合格率は7.6%というこれまた超難関大学でもあります。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その39 『Empire State』とニューヨーク州

ニューヨーク州(New York)の歴史です。現在の「金融の聖地」、ウォール街を含むマンハッタン島(Manhattan)の一部は先住民族から購入され、1600年代にオランダ人によって開拓、植民地化されていきました。1625年にアムステルダム砦が造られ、オランダのアムステルダムをもじってニュー・アムステルダム(New Amsterdam)と名づけられました。やがてイギリス人が統治するようになってからは当時の国王の弟であるヨーク公の名をとって「ニューヨーク」になりました。州都はアルバニー(Albany)、そしてアメリカ最大の都市がニューヨークです。州の愛称は「帝国の州」(Empire State)となっています。

マンハッタンを含むニューヨーク市を離れると自然が広がり、約4,000にも及ぶ湖や150の州立公園、27の国立自然公園があります。広大な保護森林もあります。酪農も盛んです。州の中部から西部にかけてはアルゲイニー山脈(Allegheny Mountains)の台地が広がり、カナダと五大湖、そしてエリー湖(Lake Erie)からオンタリオ湖(Lake Ontario)に流れるナイアガラ川にある滝「世界の七不思議」の1つともいわれるナイアガラの滝(Niagara Falls)に接しています。滝の浸食スピードは年間3センチメートルといわれています。カナダのトロント(Tronto)から車で2時間のところにあり、私も一度ヘリコプターで15分間の滝の上空を楽しみました。

Metropolitan Museum

世界の誰もが知っている摩天楼と、ここをわが街と呼ぶ840 万の人々。ニューヨーク市は多様性と刺激に満ちた街です。テレビや映画でおなじみの名所から、まだあまり知られていないとっておきのスポットまで魅力は尽きません。ブロンクス(Bronx)、ブルックリン(Brooklyn)、マンハッタン、クイーンズ(Queens)、スタテンアイランド(Staten Island)の5区それぞれに独特のカラーがあり、各地区にもその場所ならではの個性があります。

金融の聖地ウォール街、国際連合本部ビルなど、世界の政治経済に重要な影響を与えるものから、自由の女神像、エンパイアステート・ビルディング、世界三大美術館の1つであるメトロポリタン美術館(Metropolitan Museum)や近代美術館、ブロードウェイ(Broadway)、タイムズスクエア(Time Square)、カーネギーホール(Carnegie Hall)など、世界的に有名な観光名所を並べたらきりがありません。特にセントラルパーク(Central Park)にほど近いメトロポリタン美術館は、世界五大美術館の1つです。300万点を超える収蔵品があり、エジプト、ギリシャ、ローマ、ヨーロッパ、アジアなど世界中から集まった非常に貴重な芸術品や絵画などが展示されています。また、エジプトの神殿、中国の陶磁器、ギリシャの彫刻、ヨーロッパの絵画などの数えきれない程の重要な美術品も置かれています。

Central Park

19世紀後半から60年余りの間にヨーロッパからの移民が必ず上陸したのがエリス島(Ellis Island)です。この島からアメリカへ入国します。移民たちによって『希望の島』(Island of Hope)または『嘆きの島』(Island of Tears)と呼ばれてきました。約1200万人から1700万人にのぼる移民がエリス島を通過し、アメリカ人の5人に2人がエリス島を通ってきた移民を祖先に持つと言われています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その38 『Land of Enchantment』とニューメキシコ州

ニューメキシコ州(New Mexico)は、美しい景観から『魅惑の土地』(Land of Enchantment)という愛称で呼ばれています。先住するインディアン部族は、「プエブロ族」(Pueblo) のような定住農耕民と「アパッチ族」(Apache)のような移動狩猟民とが混在しています。プエブロはトウモロコシの栽培を中心とした定住農耕生活を代々営んでいます。工芸品に秀でた文化を持ち、陶芸品や銀加工、インディアン宝石などは観光客に人気が高いです。

Adobe

州都はサンタフェ(Santa Fe)でスペイン語で「聖なる信仰」という意味です。「アメリカの宝石」と呼ばれ、歴史的な街並みや建築物を残し、独特の食文化を持つ観光都市として賑わっています。また、同市は芸術家が多く住み、美術品にあふれ、音楽祭や工芸祭が開かれ芸術の町としても知られています。サンタフェはやその周辺は自然景観や動植物などの自然美に富んでいることから、多くの芸術家を惹きつけてきました。

サンタフェには、ウィスコンシン州出身のジョージア・オキーフ(Georgia O’Keeffe)や協働したアーティスト、関連するテーマの作品を展示するジョージア・オキーフ美術館(Georgia O’Keeffe Museum)があります。オキーフは70年にも及ぶ長い画歴のなかで、ほとんど風景、花、そして動物の骨だけをテーマとして描き続けた独特の画家です。なかでも画面いっぱいに拡大して花の絵を描いた作品群や牛の頭蓋骨に威厳を込めて描いた作品群が、オキーフの名を一躍有名にしたことはつとに知られています。

Georgia OKeeffe

学会発表のため、私はニューメキシコを訪れたことがあります。最大の人口を抱える都市はアルバカーキ(Albuquerque)にはスペイン文化を色濃く残すオールドタウンが観光客を招き、一帯には多くの文化施設やカフェ、土産物店が軒を並べる近郊にはアメリカン・インディアンのアドビ(Adobe)呼ばれる日干しレンガによる積層集落が点在しています。アルバカーキはマイクロソフト(Microsoft) の創業者ビル・ゲイツ(Bill Gates) がBASICのインタープリタ(Interpreter)を開発し、はじめてのパソコンと言われるアルテア(Altair)用に移植したことでも知られています。