【話の泉ー笑い】 その三十六 「話の泉」 その1 民主化教育 

戦後間もない頃、クイズ番組がNHKのラジオに登場します。それが1946年から放送された「話の泉」です。当時の呼称は「当てもの」で、一般リスナーからの問題に5人の文化人が10秒で解答するというものでした。

当時の問題「がんもどきの作り方をご存知ですか?」に10秒以内で誰も答えられなかったといわれれます。正解は「豆腐を潰して切り昆布と人参を混ぜて揚げます」。少々難易度が高かった「話の泉」です。ですがこの番組の解答者は、難問もあまり苦にしない博学博識の文化人たちでした。

話の泉ー公開放送

「話の泉」はクイズ番組の原型といわれます。こうしたクイズの内容は、当時のGHQ(General Headquarters)内の民間情報教育局(Civil Information and Educational Section: CIE)の指導を受けて制作されたといわれます。興味深い経緯です。この番組はアメリカの人気ラジオ番組「Information Please」を下敷きにしたといわれます。ラジオ放送しかない時代です。日本を「民主化教育」する目的で、アメリカのクイズ番組が輸入されたといわれます。

話の泉と回答者

しかし、GHQのいう「民主化教育」がどういうものだったのかということは、判明していません。たとえば、Wikipediaでは、クイズ番組を通じて、戦前の家族に見られる家父長的な関係性を突き崩すことを意図した、というような考え方が紹介されています。どうもその意味はすっきりと理解しにくいです。クイズ番組による民主化教育の推進や家父長的な関係性の打破は、少々付け足しのような印象です。

【話の泉ー笑い】 その三十五 落語 その9 外国人に理解されるか

笑いは万国共通の表現です。この感情表現は言葉の理解によって生まれまが、例外はパントマイムです。落語は日本語をよく理解していないと伝わりにくいといわれがちです。そうなると「落語は外国人に通用するのか」という疑問が浮かびます。ご存知かもしれませんが、何人かの噺家さんは、外国人を相手に国内や海外で公演やイベントを開いています。

立川志の春

その内の一人が三遊亭竜楽です。英語だけに留まらず、中国語やフランス語など8カ国の言語を使って落語を行なっている活躍振りです。英語での小噺です。桜の花見にでかけたときに、友人にそのときの情景を語ります。酒がうまかった、串焼き、寿司は美味しかった、通りがかりの女性が綺麗だった、若い少女はセクシーだった、、などなど。そこで友人が聞きます「桜はどうだった?」「I don’t remember,,,,」 まさに花より団子という噺を語ります。

桂かい枝という噺家もいます。師匠である5代目桂文枝さんの高座に惚れ込み、大学を卒業後に入門します。その後外国人に落語を広めるために、英語での公演を21カ国で300回以上も行なっているというのですから驚きです。「動物園」という新作落語です。ある男、動物園で職を見付けます。虎のぬいぐるみを着て子どもや大人を楽しませる役です。台詞の英語も面白いのですが、仕草が絶妙で台詞はいらないほど外国人を笑わせます。

桂三輝

古典落語を本格的に英語で演じる噺家に立川志の春がいます。イェール大学卒業という経歴から英語が得意だったこともあって外国人観客を笑わせています。「藪入り」という演目も筋書きを忠実に演じています。立川志の春は云います。「英語落語は、中学校レベルの英語で楽しめる!」。日本語と英語は文法が違うから、落語の面白さは伝わらないんじゃないの?という問いに対しても「全然そんなことはなくて、、」というのです。「英語に触れる機会として落語がある」というのは含蓄ある言葉です。

また最近では外国人落語家という人も活躍しています。その人が外国人落語家の桂三輝さんです。これでカツラサンシャインと読みます。桂三輝はカナダ生まれですが、いつしか落語に興味を持つようになり、現在ではニューヨークに拠点を置き、落語の活動をしているのです。得意な演目が長助という男の長い名前によって起こる笑いを主題とした古典落語「「寿限無」です。ダイアン吉日という女性噺家もいます。

【話の泉ー笑い】 その三十四 落語 その9 「紙入れ」と間男

洋の東西を問わず、男と女の関係は、落語の最も笑いを誘う話題です。その一演目が「紙入れ」です。間抜けな旦那と抜け目のない妻、その間で悩む小僧の物語です。

得意先の商家のご新造さんから、今夜は旦那が帰らないから遊びに来てくれと、いう手紙を本屋の新吉という小僧がもらいます。世話になっている旦那には悪い気もするのですが、迷った末に出かけて行きます。

「紙入れ」

新造は酒を勧め、今日は泊ってくれといいます。新吉は断りますが、新造はどうしても帰るというなら、留守の間に新吉が言い寄ってきたと旦那に言うと脅すのです。困ってがぶ飲みして悪酔した新吉は隣の間の布団に入ります。すぐ後から長襦袢姿になった新造も布団へ入って来ます。

さあ、という時、表の戸を叩く音、帰らぬはずの旦那が帰って来たのです。あたふたする新吉を尻目に、新造さんは落ち着いて新吉を裏口から逃がすのです。

家に戻った新吉、悪いことはできないものだと反省しているうちに、旦那から貰った紙入れを忘れたことに気づきます。中には新造からもらった手紙が入っています。その夜はまんじりともせず明かします。

翌朝、新吉は恐る恐ると旦那の家に行きます。旦那は新吉が浮かぬ顔をしているのであれこれと尋ねます。女のことだと分かり、あれこれと説教を始めます。新吉も昨夜の顛末を喋り出し、手紙のはさんである紙入れを忘れた、そこの旦那に見つかっただろうかと心配そうに言うのです。そこへ現れた当のご新造さん。

新吉とご新造

・新造 「おはよう新さん、気が小さいのねえ。それは大丈夫と思うわ。だって旦那の留守に若い人を引っ張り込んで楽しもうとするくらいだから、そういう所に抜かりないと思いますよ。新さんを逃がした後に、紙入れがあればきっと旦那に分からないようにしまってあるはずよ。ねえあなた!」
・旦那 「そうりゃあそうだ。よしんば見つかったところで、自分の女房を取られるような野郎だよ。まさかそこまでは気がつかねえだろう」

【話の泉ー笑い】 その三十三 落語 その8 泥棒と笑い

落語に泥棒がしばしば出てくる舞台は長屋です。江戸時代、庶民の多くは長屋に住んでいました。隣り近所つきあいが当たり前の頃ですから、だれも鍵をかけることはありません。泥棒にとっては格好のカモです。しかし、盗めるものといえば着物などめぼしいものは少なかったようです。「喧嘩と火事は江戸の華」といわれました。木造の安普請の建物ですから、風が吹けば桶屋が儲かる時代です。「泥棒デモやろうか、、」という「デモ泥」もいたとか、、、

江戸の泥棒

そんな長屋で人情味のある泥棒を描いた演目に『夏泥』があります。泥棒は情深いのが欠点で、それが仇?となって、「さあ殺せ!」と開き直った住人にうまく欺され逆にカネを巻き上げられる、「来年もまた泥棒に入ってくれ」と誘われる始末です。盗人噺の代表の一つです。

「また来てくんねー」

上方落語では「盗人の仲裁」「盗人のあいさつ」などの演目名で披露されるのが「締め込み」です。泥棒が空き巣に入り、品物をまとめて逃げようとすると、住人が帰って来ます。仕方なく土間にかくれます。住人夫婦は、戸締まりのことで喧嘩を始めます。熱い湯の入ったヤカンを投げるありさまです。お湯が土間に流れると泥棒、我慢出来なくなって住人の前に出てきてしまいます。住人は喧嘩の仲裁に入ってくれたのを感謝して、また来るようにというのです。

「狸札」という演目です。いじめていた子狸を助けた八五郎の所に狸が恩返しにやってきがます。借金があるから札に化けてくれと言われると五円札に化けます。相手のガマ口に四つに折って入れられた狸は、苦しくなってガマ口を食い破って、中に入ってあった札も持って帰るという噺です。

【話の泉ー笑い】 その三十二 落語 その7 粗忽噺と笑い

「粗忽」。なんとも惚けたようですが響きがよい言葉です。おっちょこちょい、そそっかしい、あわてんぼう、ということです。 軽はずみとか唐突でぶしつけといった意味もあります。

江戸時代はしばしば大火が起こり、そこら中に安普請のアパートが造られます。いわば復興住宅という長屋です。そのせいで宿替えとか引っ越しが日常的であったようです。「粗忽の釘」はそのような江戸の下町が舞台です。

演目「転宅」

粗忽者の亭主にしっかり者の女房が長屋に引っ越ししてきます。亭主はそそっかしいだけあって、運ぶ荷物を後ろの柱と一緒にくくってしまったり、それに気付かず担ごうとしたり、旧宅を出るまでに一騒動が起きるのです。女房が新宅にきちんと引っ越しても、亭主野郎はやって来ません。道に迷うわ行き先は分からなくなるわで、やっとのことで辿り着いた亭主に、呆れながらも女房は釘打ちを頼みます。
  「お前さん、箒を掛けたいから柱に長めの釘を打っとくれよ」
  「よしゃ、俺は大工だ、任しとけ!」

亭主はいい気になって釘を打つのですが、調子に乗ってすっかり釘を打ち込んでしまいます。それも柱ではなく壁にです。おまけに八寸の瓦ッ釘。これが隣の家の仏壇の横に飛び出て、騒動の始まりとなります。

「転宅」という泥棒噺も粗忽の代表といえるかもしれません。大抵、落語の泥棒といえば間抜けなものと決まっています。お妾のお菊のところから旦那が帰宅します。お菊が旦那を見送りに行くその留守にこそ泥が侵入します。この泥棒、旦那が帰りがけにお菊に五十円渡して帰ったのをききつけそれを奪いにやって来たのです。

泥棒とお菊

泥棒、座敷に上がりこみ、空腹にまかせてお膳の残りを食べ、酒を飲み始めます。そこにお菊が戻ってきて鉢合わせます。泥棒、慌ててお決まりのセリフですごんでみせますが、お菊は驚きません。それどころか、「自分は元泥棒で、今の旦那とは別れることになっている。よかったら一緒になっておくれでないか」と迫るのです。

間抜けな泥棒すっかり舞い上がってしまい、デレデレになってとうとう夫婦約束をしてしまいます。そして形ばかりの三三九度の杯を交換するのです。「夫婦約束をしたんだから、亭主の物は女房の物」と言われ、メロメロの泥棒はなけなしの二十円をお菊に渡してしまいます。泥棒は、今夜は泊まっていくと言い出しますが、お菊がとっさに「二階に用心棒がいるから今は駄目。明日のお昼ごろ来るように」といって泥棒を帰してしまいます。妾宅は平屋なのを泥棒は知りません。

翌日、ウキウキの泥棒が妾宅にやってくるとそこは空き家になっています。近所の煙草屋に、お菊はどうしたかときくと、仕返しが怖いので引っ越したというのです。
 「お菊は一体誰か、、」
 「誰かといって、お菊は元義太夫の師匠だ」
 「義太夫の師匠? 見事に騙られたぁ!」

【話の泉ー笑い】 その三十二 落語 その6 名奉行噺と笑い

江戸時代前期、第5代将軍・徳川綱吉によって制定されたのが「生類憐れみの令」です。保護する対象は、捨て子や病人、高齢者、そして動物で、魚類、貝類、昆虫類まで及んだといわれます。特に鹿は春日大社の神使いとされ、誠に手厚く保護されていました。庶民は鹿にかしずくほどであったといわれます。ちょっと叩いただけでも罰金、もし間違って殺そうものなら、男なら死罪、女子どもは石子詰めという刑が待っていたようです。興福寺の小僧が習字の稽古中に大きな犬が入ってきたと思って文鎮を投げたところ、それは鹿でした。当たり所が悪く死んでしまったという話もあります。石子詰とは地面に穴を掘り、首から上だけ地上に出るようにして埋める罰です。

徳川綱吉

「鹿政談」の荒筋です。奈良の町に豆腐屋を営む老夫婦が住んでいました。ある朝、主である与兵衛が朝早くに表に出てみると、大きな赤犬が「キラズ」といわれた「卯の花」の桶に首を突っ込み食べていました。卯の花とはおからのこと。与兵衛が手近にあった薪を犬にめがけて投げると、命中し赤犬は死んでしまいます。ところが、倒れたのは犬ではなく鹿です。

当時、鹿を担当していたのは代官と興福寺の番僧。この二人が連名で願書を認め、与兵衛はお裁きを受ける身になります。この裁きを担当することになったのは、名奉行との誉れが高い根岸肥前守。お奉行とて、この哀れな老人を処刑したいわけではありません。何とか助けようと思い、与兵衛にいろいろとたずねてみますが、嘘をつくことの嫌いな与兵衛はすべての質問に正直に答えてしまいます。困った奉行は、部下に鹿の遺骸を持ってくるように命じます。そして鹿の餌料を着服している不届き者がいるとして、逆に代官や番僧らを責め上げるのです。そして鹿が犬であることを認めさせるという演目です。

名奉行

「佐々木政談」という演目はこちらも名奉行で知られた南町奉行、佐々木信濃守。非番なので下々の様子を見ようと、田舎侍に身をやつして市中を見回ります。そこで子どもらがお白州ごっこをして遊んでいるのが目に止まります。面白いので見ていると、十二、三の子供が荒縄で縛られ、大勢手習い帰りの子が見物する中、さかしいガキがさっそうと奉行役で登場します。この奉行役の子どもの頓智に佐々木信濃守は偉く感心してやがて子どもをとり立てるという噺です。

天狗裁き

「天狗裁き」の奉行は大分違います。家で寝ていた八五郎が女房に揺り起こされます。「お前さん、どんな夢を見ていたんだい?」八五郎は何も思い出せないので「夢は見ていなかった」と答えますが、女房は隠し事をしているのだと疑うのです。「夢は見ていない」「見たけど言いたくないんだろう?」と押し問答になり夫婦喧嘩になってしまいます。喧嘩の仲裁に入った長屋の差配や町役人も夢の噺を聞きたがります。挙げ句の果てお白洲に訴えられ、奉行までもが夢の話を聞きたいといって八五郎を責め立てるのです。最後に高尾の山に飛ばされ、そこで天狗にまで夢の話を聞かせろ、と苛まれる愉快な話です。

【話の泉ー笑い】 その三十一 落語 その5 与太郎噺と笑い

落語にはいろいろな人物が登場します。「八っぁん、熊さん、」などと並ぶ代表的なのが与太郎です。与太と呼ばれます。性格は八五郎に似ていて惚けていますが、憎めません。

与太は、例外なくぼんやりした人物として描かれます。性格は呑気で楽天的。何をやっても失敗ばかりするため、心配した周囲の人間から助言をされることが多いのです。こうしたキャラクターから、与太郎の登場する噺は爆笑ものが多く、与太郎噺と分類される場合もあります。さらに「愚か者」の代名詞となっていますが、決して憎めない存在です。長屋の者は与太郎をかばうことを決して忘れません。

上野広小路の寄席

「孝行糖」という演目では与太は親孝行という筋書きになっています。殿様から親孝行なので褒美の青ざし五貫文を頂戴します。五貫文とは一両一分で十万円くらいと云われます。長屋の者は、五貫文を元手に与太郎にお菓子の孝行糖売りの行商を教えるので。自立させようというのです。そして与太に客寄せの台詞を教えます。「チャンチキチ スケテンテン♪ 孝行糖、孝行糖〜」。「錦の袈裟」という演目では与太にしっかりものの妻が登場します。与太に錦の袈裟とふんどしをつけて男衆の集まりに送り出すきっぷのいい妻です。若い衆らとで吉原に乗り込みますが、与太は女達にすっかりもてるのです。与太を殿様だと勘違いしたからです。周りの男は与太のもて振りにすっかりあてられるという結末です。

代書屋

「牛ほめ」という演目では、頓珍漢な言動ばかりしている与太さんが登場します。新築の叔父の家を訪問し、父親に教えられた通りにほめ言葉を並べて感心されるのですが、最後に牛を見せられて失敗します。「大工調べ」では与太は腕っぷしのいい大工として登場し、滞納した店賃のカタとして没収された道具箱を取り返すべく、大工の棟梁の助言で、あこぎな家主を相手に訴訟を起こします。お奉行も味方しようとするのですが、ばか正直なためになかなか決着しません。「つづら泥」は与太が泥棒を試みる数少ない噺。夜自分の家に泥棒にはいるという大失敗をします。

「佃祭」にも与太が登場します。佃島の祭りの帰りに渡し船が転覆して死んだと思われるのが与太です。ところが近所の旦那の家に、ほかの住人たちに連れられて長屋の月番で代表の1人として弔問に訪れる与太。ですが、悔みと嫌みの区別がついていなかったり、最初の一言が「このたびはどうもありがとうございます」だったりで、厳粛な雰囲気をぶち壊しにします。

【話の泉ー笑い】 その三十 落語 その4 世間知らずの殿様と笑い

筆者は落語の素人でまったくの後発組です。そのような訳で落語を語るには少々気恥ずかしい気分なのですが、笑いを取り上げているのでどうしても筆を執りたくなるのが落語なのです。素人の目からみた落語の内側には、人の生き様とかペーソスが充満していて、ヨーロッパやロシア、アメリカのジョークに劣らぬ笑いの泉であることを強調したいのです。

富嶽百景

落語の演目にはいろいろな人やモノが登場します。例を挙げると、名前では八五郎、与太郎、与兵衛、熊五郎、定吉、多助、三太夫、正助、お鶴、お菊、竹さん、新さんなどです。動物では犬、猫、狸、鹿、鷺、雀、ウワバミ(大蛇)、馬、魚では鰻、秋刀魚、鯛、白魚、カツオなどです。食べ物では、豆腐、蕎麦、うどん、鰻重、ワサビ、人に関しては、坊主、花魁、遊女、行商、盲人、間男、盗人、殿様、側室、侍、代官、女房、妾、女中、くずや、魚屋、大工、長屋の差配、幇間、按摩、蕎麦屋、ケチ、お人好し、正直者、間抜け、世話好き、粗忽者、ほら吹き、博打好き、大酒飲み、乱暴者、藪医者、すり、などなどきりがありません。話題となると、酒、夢、あくび、富くじ、火事、怪談、幽霊、妾宅、引っ越し、新築祝い、厠、転失気、道楽、吉原、喧嘩、祭り、敵討ち、天狗、浅草寺、長屋、講中、白洲など多彩です。

目黒の秋刀魚

おおよそ落語に登場する人物には、名奉行や頓智のある子どもなどは例外として、真面目で頭の良い者はあまり登場しないことになっています。こうした人物は笑いの対象にはなりにくいようです。江戸時代は士農工商の世の中です。お侍が形の上では幅を利かしていました。町人は小さくなって歩いていた時代です。そんなこともあってか、殿様とか大名、侍は笑いの対象になっていました。彼らは世の中の動きに疎いこともあり、庶民や町方は殿様などを茶化すのです。

そうしたぽーっとした殿様の代表が「目黒の秋刀魚」にでてきます。自分がどうしても蕎麦をを打ちたくて、習ったばかりの蕎麦の作り方を家来に披露するのです。ところがその蕎麦がとても食せるような代物でありません。ですが殿様の打った蕎麦を食べないと打ち首になるというのです。ですから殿様の蕎麦は「手うち蕎麦」と呼ばれます。食通ぶっている者は笑いのネタとなります。

【話の泉ー笑い】 その二十九 落語 その3 オチと演目

多くの場合、「落ち」は「オチ」、「下げ」は「サゲ」とカタカナで表記します。「オチ」(サゲ) は落語の中で笑いを誘う生命ともいうべき重要なものです。これにはいくつもの型があり、なかには一つの落語で2種、3種を兼ねている場合もあります。オチとは、長い歴史のなかで幾多の落語家が創意工夫を凝らして作ったものです。この「落ちの種類」は、『落語の研究』(大阪・駸々堂書店)で分類が試みられ、それから人々の関心が寄せられるようになったといわれます。以下、オチの種類と演目を紹介しておきます。演目は小生が聴いたことがあるものだけです。

地口落ち:
 大阪では「にわか落ち」といわれるオチです。オチが駄洒落になっているもので、落語のオチのなかではもっとも多いといわれます。『富久』『大工調べ』『鰍沢』『大山詣り』『錦の袈裟』『天災』などがあります。

考え落ち:
 このオチは、演目を聞いているとなるほどと思われ、笑いが生まれるものです。よく考えないとわからない落ちともいわれます。その代表には『そば清』『蛇含草』『妾馬』などがあります。

しぐさ落ち:
 言葉に出さず、しぐさで見せるオチです。『死神』『こんにゃく問答』『猫久』『お菊の皿』『ちりとてちん』どれも笑える演目です。

住吉神社

仕込み落ち:
 あらかじめオチの説明を「枕」といわれる導入部)あるいは筋のなかで入れておくと笑えるものです。『明烏』『真田小僧』など。

とたん落ち:
 最後に落ちるとたんに、そのオチのひとことで咄全体の筋がうまく決まる演目です。最後まで聞かないと笑えません。『寝床』『愛宕山』『笠碁』『後家殺し』『幾代餅』『藪入り』『お化け長屋』『芝浜』『二番煎じ』など古典落語の名作に出てくるオチです。

ぶっつけ落ち:

佃の渡し


 互いに言っていることが通じないで、別の意味にとって、それが落ちになるのです。『らくだ』『あくび指南』『抜け雀』『お化け長屋』などがその例です。

まぬけ落ち
 誠にばかばかしい間抜けたことで結末を迎えるオチです。行き倒れの自分の死骸と錯覚して、抱え上げた粗忽者、「この死人はおれにちげいねい、抱いている俺はだれだろう?」『粗忽長屋』『夏の医者』『代脈』『長短』『転失気』『時そば』など優れた古典落語に多いです。

逆さ落ち:
 落ちになる内容を、そのまま先に言ってしまっておく。『片棒』『死ぬなら今』が好例です。

見立て落ち: 
 意表をつくものを見立てるオチで、『たぬき』『たがや』などの演目です

【話の泉ー笑い】 その二十八 落語 その2 扇子と手拭

伝承されている伝統的な話芸が落語や講談です。演者が一人で何役も演じ、語りのほかは身振りや手振りのみで物語を進める独特な形式です。使うのはといえば、扇子や手拭だけ。舞台には座布団があるだけです。たまに音曲が流れてくるのもありますが、それは例外です。ほとんど演者が工夫を凝らして、演目に登場するモノや人を表現する独演です。表情や視線も大事な仕草となります。扇子と手拭を使い、食べる、吸う、飲む、打つ、寝る、書く、歩く、酔っぱらうなどを座布団に座って演じます。

扇子と手拭い

古典落語のうち、滑稽を中心とし、噺の最後に「オチ」のあるものを「落とし噺」といわれます。これが「落語」の本来の呼称であったのですが、のちに発展を遂げた「人情噺」や「怪談噺」と明確に区別する必要から「滑稽噺」の呼称が生まれたようです。今日でも、落語の演目のなかで圧倒的多数を占めるのが滑稽噺です。滑稽噺は「生業にかかわるもの」(日常性)と「道楽にかかわるもの」(非日常性)に大別されるといわれます。例えば「片棒」という演目は冨を築いた旦那が三人の息子の誰に跡を継がせるかという展開で、困ってしまうという噺です。日常性と非日常性が見事に溶け合っている演目です。

扇子の使い方

人情の機微を描くことを目的としたものを「人情噺」といい、親子や夫婦など人の情愛に主眼が置かれています。人情噺はたいていの場合続きものによる長大な演目です。人情噺にあっては、「落ち」はかならずしも必要ではありません。「子別れ」や「文七元結」、「芝浜」、「ハワイの雪」などの演目はそうです。ほのぼのとした情愛が伝わるものです。

「落とし噺」や「人情噺」が一般に語り中心で上演されるのが「素噺」です。鳴り物や道具などを使いません。「怪談噺」のような芝居がかったものに音曲を利用するのもあります。特に幽霊が出てくるような噺は、途中までが人情噺で、末尾が芝居噺ふうになっている場合が多いです。怪談噺は、笑いで「サゲ」をつけるという落語の定型からはずれるものといえます。

「オチ」の特徴ですが、聴衆に対し「噺はこれでおしまい」と納得させるしめです。それ故に「オチ」は演者の創作性が出るところが聴衆にとって興味深いのです。「千早振る」という百人一首を題材としたパロディ調の演目もそうです。演者が最も神経を使うところが「オチ」ではないかと思うのです。