前回は、クイズ番組の出発点としての「民主化教育」のことに触れました。「話の泉」の製作にあたってはGHQから「リスナーの声が反映された番組」「リスナーが参加する番組」を制作すべし、という指導があったとか。戦前戦中のラジオ放送が軍部の一方的な情報伝達であったことを打破する意図がありました。リスナーの希望や質問を放送に反映するというお触れは、ジオ番組制作において一般的に行われていたGHQからの指導でした。
「話の泉」における「リスナーの参加」はどのような形で行われたのかです。リスナーから寄せられた問題に、博学博職の回答者が10秒以内にユーモアを交えて答えるという形式です。司会者のアナウンサーが、リスナーからの難問奇問に対して回答者にヒントを交えて答えを促すのです。リスナーからの出題は1日1,000通を超え、採用されるのは1,300通にたった1通という難関であったようです。採用された問題には30円、回答者が回答できなかった問題には50円の賞金が出されたとあります。
「NHK放送史」HPでは、当時の放送をごく一部ですが聞くことができます。
出題者 「これから並べる数字はいったい何を表しているでしょう。三・三・四。」
回答者A 「三・三・九なら分かるけどなあ」
出題者 「まだ数字をもう一つ言うと分かるんです。前の方を。三・三・四の」
回答者B 「あーそりゃ学校だ。六・三制のね、六・三・三・四でしょ。」
出題者 「はい、よろしゅうございます」
回答者B 「だけどね、私の場合はね、もう少しかかりますな。六・六・六・六くらいかかりますな」
回答者Bはサトウハチローです。最後の言葉は、自分が中学を退学したことを踏まえた「くすぐり」でしょう。クイズの回答に関するやりとりの中で聞かれる、こうした軽妙で珍妙な会話が魅力だったのです。