【話の泉ー笑い】その七 エスニックジョーク その3 スターリンとソ連

ソ連邦解体後のロシアは言論が統制され表現の自由も制限されているといわれます。おおっぴらに政府に対する不満は言えません。そこで人々は不満を「アネクドート」に変え、うっぷんを晴らしていたようです。当時の政治状況などを知っているとジョークの意味が分かってきます。アネクドートとは、主にソビエト連邦で発達した政治的風刺を持つジョーク、小咄です。アネクドートの語源は、ギリシア語のアネクドトン、「公にならなかったもの」とWikipediaにあります。

Joseph Stalin

ソビエト連邦は憲法で「言論の自由」を謳っていましたが、現実には反社会主義活動にはチェーカー→KGBのような秘密警察による弾圧が常に行われてきた言論統制社会でありました。「アネクドート」の語源の通りこのような風刺的ジョークもソ連崩壊まではおおっぴらに語られるものではなく、地下で語り継がれてきたと言われています。そのような圧政社会であったからこそ、不満のはけ口として皮肉めいたジョークが多く作られることになったと考えられます。しかしながらロシア・ソビエト連邦社会主義共和国刑法第58条違反(反革命罪)と見なされる可能性があり、10年の懲役、あるいは最悪の場合は死刑に処される可能性さえあったようです。つまり「命がけの危険なスポーツ」的な楽しみ方をされていたといわれます。

ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)の時代には、体制批判を含むアネクドート、すなわち「政治的アネクドート」を語ることは、極めて危険であったようです。それでも面白可笑しい小話は瞬く間に人々の間に広まります。ロシアにおけるユーモアは開放感をもつ文化として、またエリート層に対する対抗と冷やかしの手段として花開いていくのです。

【話の泉ー笑い】その六 エスニックジョーク その2 ロシアの小咄

国々の文化が理解できるようになれば、海外ドラマや洋画を見た時に外国人の笑いのツボがわかるようになります。感覚的にわかるというよりは論理的にわかるというレベルです。笑いの違いは文化の違いなので、これはいささか仕方ありません。もちろん第一は、語学の問題があります。相当勉強していないと外国語での笑いは理解しにくいことがあります。第二が文化の違い、そして第三が笑いの構造の違いです。この三つを知っていると笑えること請け合いです。

ロシア人ほどジョーク好きの民族はいないといわれます。「ソ連が残した良き遺産はジョークだけ」という人もいます。ロシアではジョークのことを「アネクドート」(anekdot)。政治的で滑稽な小咄です。ナンセンスなQ&A式ジョークがよく知られています。ぎゃははって笑えるのはアメリカンジョークかもしれませんが、深いのはロシアの「アネクドート」。以下、日本語で紹介されているいくつかの「アネクドート」です。

◆モスクワの赤の広場で、ウォッカを飲み過ぎた酔っ払いが叫んでいた。
<プーチンは大バカ野郎だ、プーチンは大バカ野郎だ!> 
たちまちのうちにKGBが飛んできて酔っ払いは連行されていった。即日裁判で、禁固22年が言い渡された。その内訳は、2年が元首を誹謗した罪、20年が国家の機密を暴露した罪であった。
酔っ払いが1年目の刑期を終えた頃、プーチンがアメリカを公式訪問した。まもなくこの酔っ払い男は釈放された。それは国家機密がもはや機密ではなくなったからだ。
◆「プーチンの政策の本質とは何か? 進歩か、それとも欺瞞か?」  
 「それは欺瞞の進歩だ」
◆「ロシア式ビジネスって何か?」 
 「ウォッカのケースを盗んで、売って、その金で飲むことだ。」
◆「10月革命は何を市民にもたらしてくれたのか?」 
  「以前は金持ちは店の正面から入り、市民は裏口から入った。今では市民は店の正面から入り、金持ちは裏口から入る」
◆ロシアの学説 「アダムとイブはロシア人だった!」
「着るものもなく、移動も許されず、食べるものはリンゴだけ、まさにロシア人のことではないか。」
◆プーチンがクレムリンのトイレに入ると、こんな落書きがしてあった。
  「プーチンの人殺し」  プーチンは「プーチン」のところを「チェチェン人」と書き換えてトイレから出た。
◆KGBのイワンとドミトリーの会話。
  「本当のところ、わが国の上層部についてどう思うかい?」
  「君と同じだよ。」
  「やっぱりそうか・・・・・・。悪いが君を逮捕するよ。」
◆スターリンが船遊びをしていて、川に落ちて溺れた、それを近所の農民が助けた。
   そして、スターリン「何かしてほしいことはあるか」
   農民「へい、わたすが、殿下を助けたことを内緒にしてくださいまし」

スターリンの葬送狂騒曲


◆スターリンが占い師に尋ねた。
  「私の寿命はどれくらいだ?」
  「わからない。しかし、おまえは最も大きな祝祭日に死ぬだろう」
  「それはいつだ」
  「おまえが死ぬ日がそうだ」
◆ソ連の戦車マニュアル
  ① 我が祖国の技術を信じよ
  ② 性能に疑問が生じた時は①を読め
◆ソ連の工業化はめざましく発展した。
  もうすぐソ連の殆ど全ての椅子が電気イスになることだろう。
◆BBCの特派員とブレジネフとの会話
  特派員「ソビエトでは労働者の生産性に何か問題はございませんか?」
  ブレジネフ「どいつもこいつも働いているフリばかりしておる」
  特派員「そういう労働者に、どう対処していらっしゃいますか」
  ブレジネフ 「彼らに賃金を払うフリをしておる」

Anekdot

【話の泉ー笑い】その五 エスニックジョーク その1 お国柄

人種や国の文化、行動パターンの違いを分かり易くステレオタイプ化して説明する小噺をエスニック・ジョーク(Ethnic Jokes)と言います。「人種偏見のジョーク」(Racism Jokes)と紙一重なので注意が必要です。エスニック・ジョークの世界では、あくまでも偏見ではなくユーモアの範囲内ですが、人種は次のようなステレオタイプで表現されがちです。

Be Careful!

まずはエスニック・ジョークの典型から。国際会議で「コロナの対応になにが必要か」を討議していました。各国の代表から次のキーワードが出されました。
The international conference discussed “What is Needed Now for the Corona Disaster?
 An American said. Courage.
 The German said. Rules.
 The Frenchman said. Love.
 The Japanese said. Technology.
 Finally, the Russian said. Vodka.
   アメリカ人=勇気
   ドイツ人=規律
   フランス人=愛
   日本人=テクノロジー
   ロシア人=ウオッカ


人種や国籍から次のようなステレオタイプ化した見方があります。もちろん一般化は出来ませんが、ある程度理解しうる指摘です。
   アメリカ人=独善的、傲慢、自慢好き
   イギリス人=紳士的、堅苦しい
   ドイツ人=真面目
   フランス人=好色、グルメ
   イタリア人=情熱的
   ロシア人=酒好き、物がない
   日本人=勤勉、会社人間、高品質へのこだわり

◆天国と地獄
 問1.天国とはどんな世界か?
 答1.コックが中国人
     政治家がイギリス人
     エンジニアが日本人
     銀行家がドイツ人
     恋人がイタリア人

 問2.それでは地獄とはどんな世界か?
 答2.コックがイギリス人
     政治家が日本人
     エンジニアが中国人
     銀行家がイタリア人
     恋人がドイツ人

◆最後の望み
 問.地球滅亡の前日に思うことは?
 .イタリア人:「愛人とともに過ごそう」
    日本人  :「仕事を今日中に終わらせよう」
    ロシア人 :「今日は二日酔いを気にせずに飲もう」
    ドイツ人 :「まだ24時間、1,440分、86,400秒もあるではないか!」
    アメリカ人 :「ケセラセラ、、なるようになる、、、」

Funny Racist

【話の泉ー笑い】 その四 アメリカン・ジョーク

今回は英語圏の定番ジョークである「ノックノック・ジョーク」(Knock, knock joke)というものをご紹介しましょう。なぜノックなのかというと、ドアの内側にいる人と、ダジャレを言うドアの外にいる訪問者という設定があるからです。その他、「ブロンド・ジョーク」(Blond Joke)「エスニック・ジョーク」(Ethnic Joke)、親父ギャグ(dad joke)などがあります。アメリカン・ジョークには日本で言うところの大喜利チックなニュアンスがあります。これぞアメリカンジョークの特徴です。

その1:先日、日本の首相がニューヨークの国連で英語でスピーチをしました。
The other day the Japanese Prime Minister made a speech in English at the United Nations in New York.
Right after the speech, one representative from Europe said, “I didn’t know that the Japanese language is so similar to English.”
このジョークは皮肉っぽい印象です。揶揄しているといってもよさそうです。日本の首相の英語力を笑っているのです。

その2:患者と医者の会話です。
患者: Doc, why are you wearing gloves?
医者: I don’t want to leave any finger prints.
このジョークはアメリカの文化を理解していると、なるほど、と合点がいきます。医者を揶揄しているのです。

その3:手術前の患者と医者の対話です。
患者: Oh doctor, I’m just so nervous. This is my first operation.
医者: Don’t worry. Mine too. 
こちらも高額な収入を得ている医者に対する一種の嫉妬のようなジョークです。頭の回転が速いんだ、と感心してしまうほどのスムーズなアメリカン・ジョークを繰り出せる人が多くいます。

Doctor and Photoshop

Doctors and Internet

その4:A naked women robbed a bank. Nobody could remember her face.
このジョークは、文化的な背景を無視できるどの国の人にも理解できる笑いです。でも女性の前では使わないほうが無難です。

その5:ブロンド女性に嫉妬するところがあります。
A brunette and a blonde were walking in the park, chatting.
Suddenly, the brunette said in a sad voice, “Poor little bird.
Poor little bird is dead.”
Hearing this, the blonde looked up at the sky and said, “What?
Where, where, where?”
ブルネットとブロンドがお喋りしながら公園を歩いていた。
すると突然、ブルネットが悲しい声で言った。
「かわいそうに、小鳥が死んでいるわ。」
それを聞いたブロンドは、空を見上げて言った。
「えっ、どこ、どこ?」

Blonde Jokes

その6:「ブロンド女性はおつむが弱い」というステレオタイプの考え方があります。
How many blonde jokes are there in the world?
Zero! Because they are all true.
この世にブロンド・ジョークなるものはいったい幾つある?
ゼロ! だってあれはみ~んなホントだから。

その7:ブロンド女性とブルーネット女性との会話
A blonde tells a joke to a brunette:
– You know why I am more beautiful than you?
– Because you have blonde hair?
– No, because I study at Harvard!
オチはハーヴァード大学でした。

【話の泉ー笑い】 その三 ノンセンス文学と「ボケ」と「ツッコミ」

イギリスには「ノンセンス文学」(Non-sense)という笑いを表現する伝統があります。風刺やパロディ(parody)が社会批判の役割を持った攻撃性の強い笑いものとすれば、こちらは比喩や言葉遊びーおかしみー要素が強いのが特徴です。「ノンセンス」の多くは本質的にはユーモアに属するようですが、「意味をなさないこと」によって成立するユーモアで満たされる文学です。民謡や童謡、民話や民衆劇、言葉遊びといった口承を起源とするもので、今も広く読まれるマザー・グース(Mother Goose)やナーサリーライム (Nursery Rhyme)として慕われています。言葉の操作による意味と無意味との戯れが見られるのも特徴です。社会的緊張から間隔をとり、つかの間の自由と解放を求めるのです。こうした話で登場する笑いは心理的安全弁の役割を果たしているといえましょう。

ブラック・ユーモア(Black Humor)はブラック・コメディ(Black Comedy)とかダーク・コメディ(Dark Comedy)呼ばれ,、倫理的に避けられるタブーや市民のモラルである一般的な見方や考え方に挑発をしかけ、笑いをさそうものです。人間社会の生死・戦争・差別・偏見・政治など倫理的に避けられるタブーを笑い飛ばそうとして、風刺的な描写で笑いをさそいます。ブラックユーモアは多くの国で親しまれていますが、特にイギリスで好まれており、様々な文化で優れた作品例が育まれてきた歴史があります。前述したスウィフトがその典型です。

McDiabetes

Big Mac


ジョーク(Joke) については学術的な研究も行われています。マービン・ミンスキー(Marvin L. Minsky)という人工知能の研究者は、一般大衆向けに書かれた著書の『心の社会』の中で、笑いは人間の脳に対して特殊な機能を持つと述べています。彼によれば、ジョークと笑いは脳が無意味を学ぶメカニズムと関係するとのことです。同じジョークを繰り返し聞くとあまり面白くなくなるのはこの学習のためといわれます。

喜劇、落語、漫才、川柳、漫談、ユーモア、駄洒落、風刺などの笑いは、人々が求める需要に応じて供給される商品のような性格が強いようです。綾小路きみまろの漫談がそうです。種の笑いは社会的制裁や批評機能を強めていくよりも、前述してきたような社会的安全弁の役割を持っています。笑うことで全身の内臓や筋肉を活性化させたり、「体内で分泌されるモルヒネ」といわれるエンドルフィン(endorphins)を血液中に大量に分泌させるなどの他に、免疫力を高める効果もあることが証明されつつあります。

【話の泉ー笑い】 その2 文学に登場する笑い

グリム童話(Grimm Fairy Tales) をはじめ、ヨーロッパの伝承話には、笑いを忘れた人間をテーマとする類話があります。生まれてこのかた、一度も笑ったことのない人間がいて、それを笑わせた者が大きな幸せを得るというストーリーです。笑わない人は病人だからで、笑いには精神的な治療の力があるということを言いたいのです。

ボッカチオ(Giovanni Boccaccio)のデカメロン(Giovanni Boccaccio)にも笑いが登場します。大流行したペストから逃れるためフィレンツェ(Florence)郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話、ユーモアと艶笑に満ちた恋愛話や失敗談などを語り合うという趣向が描かれています。出されたネタ(お題)に対して演者が回答し合うのです。恐ろしい病が流行し、心がふさがれる状況では、切実に笑いが必要であったのです。

ミゲル・セルバンテス(Miguel de Cervantes)のドン・キホーテ(Don Quixote)は、主人公の時代錯誤的なこだわりと同時に、従士サンチョパンサの対比で、無垢な心と世間的処世知とのコントラストが笑いを誘う物語です。奇行を繰り返すドン・キホーテにサンチョパンサは何度も現実的な忠告をしますが、大抵は聞き入れられず、主人とともにひどい災難に見舞われるのです。無学なサンチョパンサですが、様々な諺をひいたり機智に富んだ言い回しをして読者に笑いを与えてくれます。

Don Quixote and Sancho Panza

笑いを通して賢と愚、正気と狂気、破壊と創造といった両義的な価値を問題としたのが作家のジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift)です。アイルランドのジャガイモ飢餓(Potato Famine) や不在地主に対する強烈な風刺を描いたことで知られる作家です。食糧問題を解決するために、貧民の赤子を1歳になるまで養育し、アイルランドの富裕層に美味な食料として提供する「穏やかな提案」という作品を書いています。「穏健なる」は実は反語表現でして、その内容はスウィフトの諷刺文書の中でも最も強烈な傑作と評価されています。笑いという仮装の下に政治に対する鋭い批判を込めたのです。

Gullivers Travels

「ガリバー旅行記」(Gulliver’s Travels)もそうです。不毛な科学、不死の追求、男性性、動物を含めた弱者の権利等、今日の数多くの議論がこの作品では予見されている優れた内容といわれます。その一例ですが、卵の割り方の対立によって、小人国に大きな内紛が起こったことが語られています。「卵の割り方程度でどうしてそんな争いを起こすのか?」と馬鹿馬鹿しく記すのです。「ガリバー旅行記」は、人間を人間でない世界の中に置くことで、人間に対する深い洞察をしているのが興味深いところです。

【話の泉ー笑い】 その1 笑いの定義

これから【話の泉ー笑い】と題して、笑いの極意を探求していきます。【話の泉】とは、1946年12月から1964年3月まで約18年間NHKラジオ第一で放送された番組です。サトウ・ハチローや徳川夢声、堀内敬三らの解答者が、自らの持っている雑学の知識を披瀝し、うんちくを傾けて笑いを誘うトーク番組でした。私は1950年代の後半からこの放送をよくきいていたものです。

「笑い」とは、人間関係の中で最も頻繁に現れる感情表現の一つです。対人関係では、怒り、不満、威圧、からかい、批判,風刺などで緊張が生まれます。それでもなお関係を改善する役割を果たすのが笑いといわれます。吹っ切れた爽快さもあります。関係を損なうかわりに、笑いは関係を修復してくれるのですから、不思議なものです。反面、本人が本当におかしくてそのまま笑ってよい場合もあります。居合わせる人々への配慮から、抑えた笑いもあります。このような場面での振る舞いは、対人関係における文化的現象といえます。私たちはいつの間にか、対人関係から笑いというスキルを習得していきます。

Barack Obama

時、所、場合において適切な笑いがあり、成人も老人も、年令により、また男、女らしさの笑いもあります。社会的地位や職業によっても笑いの型があります。笑いは必ずしも意識的に生まれるというよりは、むしろ共感による同一化によって学習されたものといえそうです。

イギリスの哲学者、トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes)は、人間は未来の自己保存について予見できるので、つねに自己保存のために他者より優位に立とうとする存在だと主張します。そして笑いとは他人の弱点、あるいは以前の自分自身の弱点に対して、自分の中に不意に優越感を覚えたときに生じる突然の勝利、それが笑いだというのです。精神分析学者のジークムント・フロイド(Sigmund Freud)は、「ジョークとその無意識に対する影響」という著作の中で、制約されていた衝動が突然満たされたときに生じる心的状態が笑いだと書いています。

ホッブスがいう笑いの定義の背後には、彼が生きた17世紀ヨーロッパい社会があります。身分制度の社会で階級的なルール、エチケットが支配する宮廷やサロン、社交界では、そこで笑いものになることは、命取りになりかねなませんでした。つまり笑いには社会的制裁としての役割もありました。滑稽は不名誉よりも人の名誉を損なうものでした。

それでも笑いは、やがて社会的な地位を築いていきます。社会的制裁としての役割に限らず、笑いは有効な批評の機能も備えていきます。ヨーロッパの笑い話や阿呆文学には、しばしばおかしみや滑稽を通して教会のドグマや身分制社会のびずみ、人間性そのものに鋭い疑問を投げかけています。笑いは中世的なモラルや処世の秘訣を教えるための楽しい手段でした。他方、笑いは性的なことを含め、世の中のさまざまなタブーに挑戦する機会を与えてきたのも事実です。