アメリカ合衆国とニックネームの由来 その43 The Volunteer State

私がテネシー州(State of Tennessee)を知ったのは、1950年代のラジオや新聞でですテネシー川(Tennessee River)流域の総合開発という公共事業と「テネシーワルツ」(Tennessee Waltz)という歌がきっかけなんです

1929年からの世界恐慌(World Economic Crisis)のときに、失業者のための雇用を出す必要性があったので、ルーズベルト大統領(Frankline Roosebelt)が、世界恐慌の対策として実施したニューディール政策(New Deal)を打ち出します。その一環として、テネシー川が毎年春に洪水を起こしていたのを制御する必要性があったこと、さらにテネシー川の輸送容量を改善する必要性などによって、1933年にテネシー川流域開発公社(Tennessee Valley Authority:TVA)が設立されることになります。その結果、32個の多目的ダムなどの建設により雇用が拡大し、テネシー州は国内でも最大の電力供給州となります。

1948年にリリースされたのが「テネシーワルツ」です。1950年にパティ・ペイジ(Patti Page) が歌うと爆発的な人気を博します。日本にはジャズ系歌手である江利チエミが歌います。恋人とテネシーワルツを踊るという歌です。覚えている人もおられるでしょうか。

テネシー州には「志願兵の州」(The Volunteer State)というニックネームがついています。これは植民地戦争でインディアン諸部族やイギリスとの米英戦争のとき、特に1815年のニューオーリンズ(New Orleans)の戦いで、テネシー州の志願兵が傑出した働きをしたことでつけられたいわれます。最初2,800名の志願兵を募集したところ30,000名が集まったといわれます。

他にも「Mother of Southwestern Statesmen」という呼び名があります。テネシーから三名の大統領を送り出しているからです。第7代大統領のアンドルー・ジャクソン(Andrew Jackson)、第11代のジェイムス・ポーク(James Polk)、そして第17代のアンドルー・ジョンソン(Andrew Johnson)です。テネシー州の州都はナッシュビル(Nashville)、最大の都市はメンフィス(Memphis)です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その42 The Palmetto State

サウス・カロライナ州(The State of South Carolina)南部の大西洋に面している温暖湿潤な気候の州です。州都及び人口最大の都市はコロンビア(Columbia)です。ニックネームは「ノコギリヤシの州」(The Palmetto State)です。

サウス・カロライナはイギリスから最初に独立した13州の中で、しかも最初に独立を宣言した植民地です。その植民地はイングランド国王チャールズ2世(Charles II)から、その父チャールズ1世の栄誉を称えて命名されます。なおチャールズ(Charles)のラテン語名はカロルス(Carolus)となっています。カロライナの名称の原型です。

大西洋に面した海岸平野(Coastal Plain)とローカントリー(Low Country)と呼ばれる海岸台地は古い歴史があり、イギリス人が建設したチャールストン (Charleston) があります。いまなお18〜19世紀の建物が連なっています。この街は「聖なる市」(The Holy City)としても知られています。低層の都市景観を形作る有名な教会があり、信教に対する寛容さを認めていた数少ない都市の一つだったという事実にもよっています。

多くのユグノー(Huguenot)と呼ばれたフランスにおける改革派教会(カルヴァン主義ーCalvinism)がチャールストンにやってきます。フランス絶対王政の崩壊に活躍し、迫害された者は列強各国へ逃れて、やがて亡命先となったサウス・カロライナの開発を著しく進めたといわれます。ユダヤ人にユダヤ教の布教を制限無しに認めた最初期の植民地都市がチャールストンともいわれます。

1860年12月20日、アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)が次期大統領になることが明らかになると、サウス・カロライナ州はアメリカ合衆国からの脱退を宣言した最初の州になります。そして1861年4月南軍がチャールストン港にあった合衆国軍のサムター砦(Fort Sumter)に対する砲撃を開始し南北戦争が激化していきます

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その41 The Mount Rushmore State

サウス・ダコタ州(State of South Dakota)の州都はピエール(Pierre)。最大の都市は、スーフォールズ(Sioux Falls)です。「ダコタ(Dakota)」という名前はインディアン部族のダコタ族(スー族;Sioux))の言葉「ダコタ(仲間)」に由来します。サウス・ダコタ州のニックネームはいくつかあります。「The Mount Rushmore State」、「Great Sioux Nation」、「The Coyote State」、「The Sunshine State」というフレーズです。

州の中央部にミズリー川(Missouri River)が流れ、南西部にはブラックヒルズ(Black Hills)と呼ばれる低木の松に覆われた山脈があり、スー族の聖地となっています。ここには4人の大統領の顔のモニュメントで有名なラシュモア山国立記念公園(Mount Rushmore National Park)があります。ジョージ・ワシントン(George Washington)、 トマス・ジェファソン(Thomas Jefferson)、 セオドル・ルーズベルト(Theodore Roosevelt) 、 アブラハム・リンカン(Abraham Lincoln)の巨大な彫刻です。

1868年の第二次ララミー砦条約(Treaty of Fort Laramie)によって、サウス・ダコタ州西半分がグレートスー居留地(Great Sioux)としてスー族に認めらたという事実があったにも拘わらず、1874年にカスター(George Custer)将軍の連隊がこの山地に派遣されます。そして金を発見し、ゴールドラッシュが始まります。1876年にスー族はブラックヒルズ内の土地や鉱業権を渡すことを拒み、坑夫や開拓者が地域に入るのを止めたために戦いが起きます。これが「 Great Sioux War」です。

ブラックヒルズにあるホームステーク鉱山(Homestake Mine)を中心とする金の採掘は全米一となっています。ステップ気候で夏冬の差が大きいので「太陽の輝く州」とも呼ばれます。「コヨーテの州」というフレーズからは、かつて人跡稀であった西部の州という印象を与えているのがサウス・ダコタ州です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その40 The Ocean State

ロードアイランド州(State of Rhode Island)は、独立13州の一つです。全米の州で地理的に最も小さい州です。滋賀県や奈良県と同程度の面積で人口はたったの105万人。ちなみに滋賀県は140万人です。州都はプロビデンス (Providence)。「プロビデンス」とは「神の摂理」とか「神のみ業」を意味します。

当時この地域は二つの部族が住んでいた。西側にはナラガンセット族(Narragansett)、東側にはワンパノアグ族(Wampanoag)がいました。最初にこの地にやってきたのはクェーカー教徒(Quakers)です。その中にロジャー・ウィリアムズ(Roger Williams)がいました。 クェーカー教徒の組織は、「Religious Society of Friends」といいます。キリスト教徒の一派です。Wikipediaによると、ウィリアムズはマサチューセッツ湾植民地を追い出された神学者だったといわれます。信仰と政治の寛容さを求め、他の者達と共に自由な領主植民地としてナラガンセット湾(Narragansett Bay)に「プロビデンス・プランテーション」(Providence Plantation)という集落を建設します。この湾は、ロードアイランド海峡の北側に面した湾及び入り江です。

ウィリアムズはオランダから逃れてきたユダヤ人にも救いの手を差し伸べたとあります。こうした伝統は、オランダにユダヤ人が多く住み着いていたことがわかります。時代が経て、第一次、第二次大戦中も多くの「アシュケナジム」(Ashkenazim)と呼ばれたドイツ系ユダヤ人がオランダにいたことが知られています。

農産物はジャガイモ、トウモロコシ、鶏など家畜の飼育も盛んな州です。ニックネーム「Ocean State」とあるだけに海産物は日本と同じように豊富です。沿岸や沖合漁業も盛んです。ボストンの隣に位置しニューヨークも近く、アメリカ・メガポリスの一部で都市化が進んでいます。農海産物の大消費地に恵まれている州です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その39 The Keystone State

ペンシルヴァニア州(Commonwealth of Pennsylvania)の歴史です。1643年、最初にペンシルヴァニアに入植したのはスェーデン人ですが、1656年にはオランダ、1664年にはイギリスへと支配が移ります。イギリスのチャールズ二世(Charles II)がクェーカー教徒(Quaker)の代表、ウイリアム・ペン(William Penn)にこの土地を与えたとあります。「Sylvania」とはラテン語で「森の土地」とあります。そのようなわけで「Pennsylvaniaは」「ペンの森」となります。

ウイリアム・ペンは敬虔なクェーカー教徒でした。植民以前は信仰の自由を訴え、イギリス国教会(Church of England)に異を唱えたために、一時ロンドン塔(Tower of London)に収監されたこともあります。イギリス国教会はイギリス聖公会(Anglican Churchi0とも呼ばれます。イングランドの統治者が教会の首長であるという政治的な意図にペンは我慢がならなかったのではないでしょうか。ペンは、植民地時代はインディアンとの友好関係を大事にした人物です。

イギリスからの独立後、1790年から1800年の間、連邦政府の首都となったのがフィラデルフィア( Philadelphia)です。現在も州で最大の都市です。現在の州都はハリスバーグ(Harrisburg)となっています。ペンシルヴァニアは全米屈指の製鉄業地帯です。ピッツバーグ(Pittsburgh)やベスレヘム(Bethlehem)が中心で、製鉄を支えるアパラチア(Appalachian)炭田があります。その他、粘土、石材、石油、天然ガス、亜鉛などの鉱産物でも知られています。

ところで「Pennsylvania Dutch」という言葉があります。信仰の自由を求めてペンシルヴァニアに移住したドイツ系移民とその子孫、あるいはその言語を指す言葉です。オランダの意味ではありません。宗教的にはモラビヤ派(Moravian)、メノー派(Mennonite)、特にアーミッシュ(Amish)に属する者が多く、移住後も伝統的な宗教、言語、風俗や習慣、教育を維持したので注目されました。アーミッシュの集落が多いことで知られる州です。

最後に、ペンシルヴァニア州のニックネーム「Keystone State」の由来です。13の植民地の真ん中に位置し、その後合衆国の経済や社会、政治の発展に大きな役割を果たします。