ウィスコンシンで会った人々 その41 「厚みに近づくな」

囲碁の格言に「厚みに近づくな」というのがある。どんな戦いでも相手の石の多いところ、つまり強い所に近づくと危うくなる。双方がこの厚みをどう使うかが作戦の分かれ目となる。

自分が厚みを築いたならば、相手の石を自分の厚みに誘い込み、これを攻めに使うのである。厚みを効率的に使うとはこのような作戦をいう。下手は、ヤキモチをやいて厚みを荒らそうとする。壁のような厚みは壊れることがない。荒らそうとすればするほど自分の石が危うくなる。

上手は、自分の強い石に近づくと効率が悪いことを知っているので、強い石に相手を追いこみその周りに地を作る。これが効率が良い。厚みに寄った相手は生きることで四苦八苦する。周りをみると上手の石ばかりとなる。

相手の石を自分の強い石に追い込むためには、反対側である自分の弱い石から動くのが良いとされる。つまり相手の石の背後に回るのである。自分の強い石はほっといていいのである。強い石を強めるのは,屋上屋を架す最悪の状態だ。 石の働きが乏しいとか石の効率が悪いという状態である。。

序盤や中盤では、決して石を取ろうとか地を取ろうという意識は持たない。むしろ相手の弱い石を早く見つけて、攻めて自分の土俵を築くことだけに専念するのがよい。厚みとは自分の土俵のこと。こうしてできた自分の土俵だけで相撲を取るようにする。

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ウィスコンシンで会った人々 その40 スピードと馬力

ワールド・カップのフィーバーも終わり日常の静けさが戻ってきた。虚構新聞にあった「なでしこの勝利」はやはり誤報であった。「なでしこの選手はおしとやかで、清々しく、礼儀正しく、控えめな女性でなく、肉食系の怖い存在だった」というの虚構新聞の調子だった。だが、決勝まで勝ち進んだからには、相当に肉食系であるのもあながち虚構ではないといえそうだ。編集長も少しは溜飲を下げたかもしれない。

外国の選手、特にアメリカやドイツの選手のように「なでしこ」にはもっと背丈と横幅が欲しいという印象である。いくら組織的でチームワークを大事にするといっても個々の力に差があるとチームワークはずたずたに裂かれる。それが決勝戦の前半であった。組織の力は個々の強さ、スピードがあってはじめて活きる。敏捷さがあって縦のドリブルと突破力が欲しい。ネイマール、メッシはこうした技を持ち、相手を引きつけてラストパスを出す。彼らはボールの納め方やコントールが正確だ。ゴールに向かったボールを保持し、ゴールエリア内でドリブルを仕掛ける。相手はうかつに近寄るとPKをとられる。まるで獲物を狙うようである。

一度FCバルセロナの試合を観た。メッシには二人のディフェンダーがついていた。反則をとりフリーキックを成功させた。イニエスタとシャビといった選手も個人技、早さと敏捷さが凄かった。こうした選手とパス回しをするとスペースができて相手は置き去りにされる。

さて、素人ながら「なでしこ」の今後に期待することである。まずは世代交代によるFW、DFに背の高い大柄な選手が欲しい。彼らにスピードがあればもっとよい。ヘッディングが強くルーズボールを味方が拾う展開が欲しいのである。このような場面では相手はミスキックをしがちなのである。そしてオウンゴールを献上する。相手を押し込むにはスピードと縦の突破ができる選手が欲しい。

来年のリオでのオリンピックでは、世代交代によるスピードと馬力のある「新生なでしこ」をみたいものである。

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ウィスコンシンで会った人々 その39 「石の効率」

「石の効率」ということを考える。「二線敗線、四線勝線」という格言がある。十九路盤ではできるだけ中心に向かって石が打たれる。武宮正樹九段はかつて「宇宙流」という戦法を使い囲碁界に革命のような衝撃を与えた。彼は、碁盤の中心を宇宙にみたて、石が中央に向かい地を作ることを提案した。

地を取ろうとすると、どうしても隅や辺に石が向く。時に二線を必要以上にハウこともある。二線では地が1目ずつしか増えないのに相手の厚みがそれ以上に増し良くないのである。それとは対照的に四線をノビていくのは、地が3目ずつ増えていくので効率がよい。これを「石の効率」という。

四線を重視するのは、囲碁の布石の段階である。定石などが形成される。両者互角の情勢である。中盤の戦いが終わると終盤に入る。このとき、二線のハイは極めて大きなヨセとなる。だから格言はどのような場合にも当てはまるとは限らない。序盤は四線、終盤は二線と覚えておけばほぼ間違いない。

さらに、「石の効率」だが、効率が良いというのは石が働いている状態のことである。効率が悪い石とは、ダンゴのように固まった石、駄目
詰まりになったような石、「空き三角」になったような石をいう。「空き三角」の石とは相手には、全く響かない無駄になっている状態のことをさす。上手はこのような効率の悪い石の形に持ち込もうとする。

相手の厚みに近づきがちなのが下手。相手の地が大きく見えるからである。「ヤキモチ」を焼いて、相手の陣地に石を打ち込んで地を荒らそうとする。だが、大抵の場合こうした石の落下傘部隊は召し捕られるか、追い立てられてバンザイとなる。相手の石を自分の厚みに誘い込むというのが上手の戦術でもある。囲碁ではヤキモチをやくのが、最も石の効率が悪くなる実戦心理といえる。

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ウィスコンシンで会った人々 その38 「虚構新聞」から

FaceBook上でおやと思った新聞記事を読んだ。タイトルを見ると「17歳にも選挙権を、 国会前で人間の鎖」、これは嘘ニュースです、、とある。よくながめるとこのサイトは「虚構新聞」とある。すっかりはめられた気分になったが、その発想が面白かった。

「17歳にも選挙権を、、」という記事を読むと「選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が成立したことを受け、23日、選挙権が与えられなかった17歳にも権利を求めるデモが行われ、17歳の少年少女6千人(主催者発表)が「人間の鎖」を作って国会議事堂を取り囲んだ」とある。なんだか本当のような話題であった。

別の嘘ニュースには次のようなのがある。「民主主義」特許使用料、各国に請求、ギリシャ」事実上の債務不履行に陥ったギリシャ政府は、同国発祥の「民主主義」を国際特許として出願、政体として採用する世界各国に使用料を求めていく方針であることが分かった。年間数兆円規模の特許収入が見込まれることから、財源確保と健全化に道筋をつけたい考えだ。財政難を救うために窮余の一策「民主主義」から特許料をとろうという発想が愉快だ。

筆者が真剣に読んだニュースがある。「安倍内閣、女性省を設置することにした。」というのである。もう少し読むと、「この省はすべて女性だけで8,000人の職員を置く」というのである。どんな業務をするのかは知らないが、「女性が輝く日本へ」という安倍内閣の成長戦略があり、「待機児童の解消」「職場復帰・再就職の支援」「女性役員・管理職の増加」と謳うのであるから、女性省の設置もまんざらでないと思うのである。

笑ったのは、「新国立競技場、CG式で決着、現行計画は破棄」である。東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設を巡る問題で、文部科学省は現行の建設計画を全面的に見直し、ゴーグル型ディスプレイを用いたバーチャルリアリティー(VR)方式で進めることを決めた。今のデザイン案を維持したまま総工費を抑えるための「苦肉の策」である。この案は実現が可能なような気がするのだが、いかがであろうか。

その他、ユニークなテーマもある。どれも風刺というかエスプリがきいて楽しくなる。
・陸自の高齢化深刻「ノンステップ戦車」開発も
・学費無料、内閣直轄のエリート大学を京都に

このようなサイトを「馬鹿馬鹿しい」といって切り捨てないで、その発想を楽しむのも一興だと思うのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その37 「一目置く」と急所

囲碁は相手と交互に打つゲーム。時に相手の良い手には敬意を表し、引き下がるのが良い。それを勘違いして逆襲でもしようならこっぴどく痛めつけられる。だから、「一目置く」のが囲碁の基本である。一歩譲るとか遠慮するのである。囲碁の格言は人間の機微に通じて奥が深い。

囲碁にも将棋にも急所がある。相手にとっての急所は自分の急所であり、重要な着目点となる。急所をはずしては相手に楽をさせるばかりか、形勢を損じる。戦争を考えても急所の大事さは同じ。急所とは自分の弱点である。逆の場合もある。問題はどちらが先に打つかである。幅広く陣地を拡大しようととして、急所を逃しては勝機を逸する。「大場より急場」という格言も同じ意味である。

下手は得てして攻撃を優先しがちである。攻撃とは反撃を食らわないように自陣を備えることから始まる。急所とか要所を押さえておけば安心して攻撃にでることができる。自分の大切な所、相手が攻撃を狙うところが急所である。

囲碁の戦術を戦争と比較してみる。太平洋戦争の戦略上の要諦とは、南方の石油や食料資源を確保することであった。そのためには、ベトナム、フィリッピン、台湾、琉球列島を結ぶ空海圏が急所で、それを守ることであった。しかし、守備範囲が伸び過ぎてこの急所の備えを怠ったために輸送船はことごとく潜水艦の餌食となった。

囲碁ではしばしば捨石を使う。捨石によって陣形を立て直し、先手を取ることが多い。捨石には役割がある。決して無駄になるのではない。

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ウィスコンシンで会った人々 その36 「アタリ、アタリ、はヘボ碁の見本」

八王子市内の小学校での囲碁教室も三週目を迎えた。全くの初心者ばかりなので石の置き方から教えている。数人の母親も参加している。九路盤を使って「石取り」、「陣取り」から始めている。黒板に自作の大盤をおいて、黒く塗った黒と白の丸い磁石を使って説明する。オセロと勘違いしているのもいるが、それはそれでよいと思っている。辛抱強く教えるほかない。

石取りでは、どうしても「アタリ」の石をうって囲もうとする。「アタリ」は取られそうな形の石のことである。囲めば相手の石がとれるが、「アタリ」になった石が逃げれば自分の石が弱くなっている。そして取ろうとした石が取られる。だから石はできるだけ二石か三石にぴんと真っ直ぐに伸びることを教える。だがなかなか言うことをきかない。この状態に似たことを表現する格言に「アタリ、アタリ、はヘボ碁の見本」というのがある。「アタリ」はできるだけ我慢して打たないに良いことが多い。「取ろう取ろうは取られのも」という囲碁の格言をこれから教えていくことにする。

石のぶつかり合いでは、上手は真っすぐ打ち、下手は「コスム」を多用しがちだ。「コスム」とは斜めに打つことである。「コスム」のほうは、後で「空き三角」とか「ダンゴ石」という美しくない形ができやすい。真っすぐには、オシ、ノビ、一間トビなどがある。一間トビでは割り込みという手があるが、概して良い形を維持することができる。安定した石になることだ。

真っ直ぐには、一間トビ、ノビ、オシがある。一間トビではワリ込みによる切断があるものの、一般的には良い形を維持することができる。子供向けの囲碁教室にとって、少しややこしくなったので次回に譲る。

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ウィスコンシンで会った人々 その35 留萌線が廃止か 

1951年、小学校4年の時、美幌から名寄に引越した。父親の勤務が名寄駅になったためだ。名寄には、宗谷本線、名寄本線、深名線があり、当時としては交通の「要所」であった。名寄線は、名寄から遠軽や湧別を結ぶ138キロの路線であった。オホーツク海を眼前にしたのどかな鉄道であった。だが1989年5月に全線が廃止された。もう一つ、名寄と深川を結ぶのが深名線であった。こちらも122キロと結構長かった。途中人造湖の朱鞠内湖がある。山葡萄や蕗、わらびとりに出掛けた所である。父親は深川の駅長もしたことがある。路線は1995年に廃止された。

小学校6年のとき、名寄から稚内に引っ越した。当時走っていた天北線は音威子府駅で宗谷本線から分岐し南稚内駅へ至る149キロの路線である。途中、猿払原野など荒涼とした風景が展開する。そして1989年5月に廃線となった。残ったのは宗谷本線だけである。

ようやく留萌線の話題にたどり着いた。この線がまたまた廃止になるという。留萌線は深川と留萌、増毛を結ぶ67キロの路線である。留萌は日本海に面する漁業の町である。1950年代は鰊漁で非常に栄えた町である。留萌線はまだ残された赤字ローカル線の一つだ。

筆者が小さい頃生活していた美幌、名寄、稚内、深川だが、そこにあった路線がことごとく廃止されるという有様である。鉄道の廃止で街が廃するのは、廃止後の沿線の街の現在をみれば明らかだ。そして凋落という未来を物語る。街の凋落は商業活動が停止することである。モノとヒトとカネの流通がないところに繁栄はない。

40年間鉄道で働き、管理業務をこなし、組合とやりあい、貨車の手配をしで夜遅くまで忙しかった父がこの鉄道の「悲惨な」状況を目の当たりにしたら、なにを感じるだろうか。一方で新幹線の北海道上陸が近く、沿線の自治体は盛り上がる。他方、地元の人の足となっていたローカル線がまた姿を消そうとして、沿線の街が無くなろうとしている。

ウィスコンシンで会った人々 その34 ローカル鉄道とぽっぽや

またまた鉄道路線廃止のニュースに接した。長年育った北海道の話である。筆者は1945年の終戦直前に樺太から美幌に引き揚げてきた。父は抑留後1948年に無事家族に合流することができた。樺太鉄道で働いていたので、美幌の駅で再就職することになった。成田家にとって鉄道生活は「鉄道員(ぽっぽや)」ほど話題性はないが、抑留とか引き揚げという体験には、ぽっぽやの駅長以上の生々しいドラマがあったはずである。

1987年に国鉄の民営化によりJR北海道が誕生した。この新会社が最初に取り組んだ課題は経営基盤を固めるということであった。その方策として最も手っ取り早かったのが、赤字路線の廃止であった。北海道の道北や道東は人口密度が極めて薄い。

美幌は屈斜路湖や阿寒湖を控えた小さな町である。ここに相生線というのがあった。相生線は美幌駅と終点北見相生駅の間で、たったの37キロ。北見相生駅は阿寒湖やオンネトーへの玄関口で、阿寒湖まではバスで25分という近さだった。

戦後、この路線に国鉄が持っていた土地が職員に貸し出された。食料を得るためにトウキビやトウモロコシ、カボチャ、大根、人参などを作った。畑は相生線にある活汲という駅のそばにあった。線路にトロッコを乗せて道具や肥料を乗せ、帰りは収穫物を運んだ。汽車は一日数本しかなかったのでトロッコを使えた。相生線そばの畑は我が家の食糧難を救った地でもある。だが1985年に廃止された。

「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影の舞台はどこかはわからない。だがあの吹雪や駅舎や線路のたたづまいは相生線のような気がする。単線の線路脇に立つ腕木式の信号機、転車台、切符の手動販売機など。信号機だが暗くなるとカンテラが灯される。腕木が水平なら汽車は停止、45度斜めに下がれば進行を示す。こうした作業は人手に頼っていた。それだけに信頼度の高い仕組みだったといえる。

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