文化を考える その27 街角の風景 その7 終身身分保障制度

アメリカの大学では、終身身分保障を得れば定年がない。研究費をとれるならば、建前上は死ぬまで働いてもよい。これを終身身分保障制度、英語でテニュア、あるいはテニュアトラック(tenure-track)と呼ぶことは前回記した。

アメリカの大学では、通常博士号を取得すると任期付きの講師、ポスドク研究員、そしてテニュアが期待される助教授のいずれかのポジションを取得することになる。基本的にはテニュアによって「審査期間を首尾良く経過し、正当なる理由があるときは、その地位が保障される」のである。テニュアというのは、優秀な研究者に与えられる身分保障制度のこと。これによって学問の自由が保障されると同時に、経済的に安定した生活も保障される。

どの大学でもテニュアになるための基準がある。テニュアの審査応募資格としてはテニュアのポジションに在籍していて、審査期間の5年間に優れた研究業績があり、しっかりした学生指導の実績があること、学部の教務に精励していること、助教授の肩書きを持っていることなどである。テニュアをとろうとする助教授は、いくつかの学内委員会の審査を通過して、大学の理事会が承認することになる。このように研究活動、教育活動、教務活動の全てにおいて優れていることが要求される。

研究活動においては査読付き学術論文を複数発表していることも要求される。審査付学会報告などを複数持っていないとテニュアの取得は困難である。テニュアをとると海外などでのサバティカルリーブ(Sabbatical leave)という自由な研究活動が与えられる。欧米では広く普及している休暇制度である。休暇の期間は半年か一年である。半年の場合は給与は半額が支給され、一年の場合は無給というのが一般的である。

sabbatical sabbatical+chair

文化を考える その26 街角の風景 その6 研究者の招聘

今、ネブラスカ大学リンカン校(University of Nebraska at Lincoln)にいる友人のD.H.教授のことである。彼との付き合いからアメリカの研究者の異動についていろいろなことを知った。

彼は小さいとき、ネブラスカのど田舎の学校をでた。どこまでもトウモロコシ畑が広がる大平原の真ん中である。学校は複式学級だったそうだ。田舎だから複式は当たり前であった。その後イリノイ大学アーバナシャンパン校(University of Illinois at Urbana-Champaign)の教授になる。

彼がネブラスカ大学から招聘状がきたとき、イリノイ大学に残るかどうかを考えた。このような「一本釣り」されるような研究者は研究業績に優れ、名が知れている。なによりも研究費を獲得する実績がある。

引き抜くほうの大学は研究者の収入などを調べているので、現在の待遇以上の条件を提示する。例えば1.5倍の給料をだすとか、これこれしかじかの研究環境を用意するなどである。招聘状をもらう研究者は、提示された待遇、大学の研究設備、、同僚となるスタッフの研究状況、子どもの教育環境などを調べ、自分の研究にも家族のためにもプラスになるかなどを考慮する。

D.H.教授は、招聘状をもらったときイリノイ大学に残りたかったそうだ。なぜならシカゴやニューヨークなどに近く研究環境として恵まれていたからだ。そこで、学部長に会い「1.5倍の給料でネブラスカ大学からオファーがきているが、もしイリノイ大学が今の給料を上げてくれれば、残りたい、、、、」と交渉したという。

残念ながら学部長は「予算がないので、給料を上げるわけにはいかない」と言ったのでネブラスカ大学へ移ることにしたという。このような交渉ができるのが面白いところだ。また学部長も予算やスタッフの給料を決める権限があるのは興味深い。

長男が、かつてボストン郊外にある今の大学にレジュメ(研究業績一覧)を送ったときである。書類審査を通過し大学での選考委員会に招かれ面接を受けた。この時、旅費は大学が負担してくれたという。首尾良くポジッションを得て6年後にテニュアトラック(Tenure-track)と呼ばれる終身身分保障を得た。テニュアをとるためにあちこちの大学を渡り歩くことも多いのがアメリの大学である。

tenure UCMercedSeal400-112088_400x230

文化を考える その25 街角の風景 その5 電信柱

イタリアの古い街を訪ねたとき感銘したことがある。それは空が広いということだ。オリーブや葡萄畑が広がり、ローマ(Rome)の松が並んでいる。そこを車でのんびりドライブすると、丘の上に造られた城塞都市が見える。オルヴィエート(Orvieto)サンジミニャーノ(San Gimignano)などががその代表的な街である。

オルヴィエートの城門を入るとそこは旧市街。劇場、美術館、聖パトリツィオ(Patrizio)の井戸、ドゥオーモ(Duomo)を持つ聖堂がある。また街の地中を掘り進むだけで遺跡が出てくるという。エトルリア人(Etruria)の墳墓もある。

細く古い石畳を歩くと突然広場がある。人々はのんびりと会話している。お年寄りも観光客も一緒だ。しばらくぼんやりしていると、電信柱がどこにもないことに気がつく。空が広いということは電信柱や電線がないことなのだ。

電線は水道とともに下水道のある地中に埋められているという。このような古い街並みに電信柱は全くそぐわない。洗濯物がひもに吊されて干されている。花の鉢も窓際にある。石造りの街並みは改築がほとんど行われないから電線は地中に埋め込みやすいといわれる。もともと下水道が発達したのがヨーロッパ。避難路としても役割を果たしていたようである。

我が国の観光地からもだんだんと電信柱がなくってきた。例えば滋賀県長浜市の駅前の黒壁のまちづくりにより、電信柱が地中に埋められている。地中化するには時間と費用がかかる。経済性、利便性、安全面などから電信柱がまだま多いのは確かだ。道路計画の当初から地中化する発想が必要だ。美観を台無しにしているのは電信柱である。都市の景観とか美にもっと関心を持ちたいものである。

San-Gimignano-14  San GimignanoSan-Gimignano-Photos-Piazza-and-Locals-HDROrvieto Orvieto

文化を考える その24 街角の風景 その4 ガレージセール

アメリカの風物詩にガレージセール(garage sale)とかヤードセール(yard sale)がある。週末になるとあちこちの家の側にガレージセールの立て看がでる。家庭で使わなくなった品物を安く、あるいは無料で車庫の前に沢山の品を並べ提供するという「催し物」だ。隣近所が一緒になって不用になった品を出し、客を呼び込んでいるのもある。

週末、ガレージセールを訪ね歩くのも楽しい。長い冬が終わったあと、あるいは秋に行われることが多い。クリスマスの贈り物をそのまま並べるのも珍しくない。家具、玩具、自転車、芝刈り機、本、大工道具、靴、家庭内雑貨などさまざまだ。T-シャーツなどの衣料品も多い。中には古いブラジャーもパンティもある。皆洗濯はされているが、、

街には家具や衣料のリサイクルショップが結構ある。どこに行っても物を大事に使おうとする気持ちはある。リユース(resuse)という運動である。大消費社会のアメリカだが、意外とリサイクルやリユースは根強い人気がある。家庭を覗いても、古い家具を大事に使っている。一枚板のものだからだ。材木が盛んにとれる国柄からだろう。

車に相乗りするカープール(carpool)も歴史が長い。通常、近所の人など、他人同士が一台の車に乗ることを指す。交通渋滞の緩和や環境対策などの目的で、相乗りで運転手以外に一定数以上の乗員がいると通行料金が無料になったりする。カープール車の優先レーンもある。これもアメリカの公共精神の現れか。

yard_sale_northern_ca_2005 garagesale

文化を考える その23 街角の風景 その3 ゴミ処理

我が日本人が誇るべきことはたくさんある。その最たるものは、高い公共精神である。少々古くさいが公衆道徳心と言ってもよい。外国へ行ってみればそれがすぐわかる。パリの汚さ、喫煙者の多さには目を背けたくなる。東南アジアからくる観光客は、口を揃えて日本の街は綺麗だという。時に空き缶やゴミ、煙草の吸い殻が不用意に捨てられているのを目にする。だが総じて街は清潔さを保っている。公共施設、会社やレストラン、路上での禁煙が条例で定められたことも素晴らしい。

高い公共精神の象徴は、ゴミの分別廃棄にあるのではないか。このような徹底さは外国には希である。色の違うビンのまで分けられている。これほど細かく分別されている国は知らない。

私の住む八王子もそうだ。家庭から出る資源ゴミのうち、排出頻度が高い約980品目を50音順に掲載している。資源ゴミである空きびん、ペットボトル、空き缶、紙パック、紙製容器包装、プラスチック製容器包装などの回収日が決まっている。「燃やせるごみ」、「燃やせないごみ」、「大型ごみ」は有料。可燃ゴミの中に缶やビンが誤って混じっているときは、その袋は警告紙がついてそのまま玄関脇に放置される。

こんなことばアメリカにはない。アメリカはゴミ処理では大いなる後進国である。集荷日になるとビンや缶を除き、大きなプラスチックのゴミ箱を道路側にだす。それをダンプカーのようなトラックが来て、ゴミ箱を高々と持ち上げ空にしていく。

我が国のゴミ処理の課題は放射能で汚染された「指定廃棄物」にある。汚染水、焼却灰や汚泥や土壌などなど増え続けている。どこで誰が誰が引き受けるかとなると尻込みしたり反対する。公共精神も少々自信がなくなる。

oosaka namagomi_hidendou

文化を考える その22 街角の風景 その2 コロニアル様式

現在放映中のテレビ小説「花子とアン」の冒頭に、広大な平原と澄みきった青空に帽子が飛んでいるさまがでてくる。そして丘に建つコロニアル様式(colonial style)の一軒家が登場する。このシーンを見るたびに、長男の家を思い出す。あまりにそっくりなのだ。「花子とアン」では、いよいよ暗い戦時下に突入だが。

このドラマの原作は「赤毛のアン(Anne of Green Gables」。 カナダはニューブランズウィック州(New Brunswick)のプリンス・エドワード島(Prince Edward Island)にあるキャベンディッシュ(Cavendish)という街が舞台である。地図で調べるとプリンス・エドワード島はセントローレンス湾(Gulf of St. Lawrens)にある。五大湖が大西洋に流れる出口だ。このあたりもニューイングランド(New England)と呼ばれる。「赤毛のアン」は、カナダの小説家、ルーシ・モンゴメリ(Lucy M. Montgomery)によって書かれた。

さて、コロニアル様式の家についてである。名前は17世紀から18世紀にかけてイギリスやオランダ、スペインで発達した建築様式である。その特徴は、切り妻の屋根、建物の正面にポーチがつき大きな窓とベランダがつく。煙突もある。中には暖炉があるからだ。建物は二階建てで白いペンキで覆われる。二階の屋根にはアーチ型の窓がつきでている。外側の柱はギリシャ様式のような飾りがつく。

コロニアル様式の建物は、アメリカ中西部やニューリングランド(New England)に多い。住宅やアパートだけでなく教会、集会所にもみられる。その最も知られる建物は首都ワシントンの郊外、マウント・ヴァーノン(Mount Vernon) にあるワシントン邸宅(George Washington Mansion)であろう。

マウント・ヴァーノンを訪ねたのは長男が7歳の時。彼はアメリカの歴史を勉強していた。彼の希望で第3代大統領を務めたトーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson)の邸宅のあるヴァージニア州シャーロッツビル(Charlottesville)のモンティチェロ(Monticello)に行った。ヴァージニア大学(University of Virginia)もある。ここの建物はほとんどがコロニアル様式である。全米で最も美しいキャンパスといわれる。

george-washington-s-mount George Washington Mansiongreengableshouse