今、ネブラスカ大学リンカン校(University of Nebraska at Lincoln)にいる友人のD.H.教授のことである。彼との付き合いからアメリカの研究者の異動についていろいろなことを知った。
彼は小さいとき、ネブラスカのど田舎の学校をでた。どこまでもトウモロコシ畑が広がる大平原の真ん中である。学校は複式学級だったそうだ。田舎だから複式は当たり前であった。その後イリノイ大学アーバナシャンパン校(University of Illinois at Urbana-Champaign)の教授になる。
彼がネブラスカ大学から招聘状がきたとき、イリノイ大学に残るかどうかを考えた。このような「一本釣り」されるような研究者は研究業績に優れ、名が知れている。なによりも研究費を獲得する実績がある。
引き抜くほうの大学は研究者の収入などを調べているので、現在の待遇以上の条件を提示する。例えば1.5倍の給料をだすとか、これこれしかじかの研究環境を用意するなどである。招聘状をもらう研究者は、提示された待遇、大学の研究設備、、同僚となるスタッフの研究状況、子どもの教育環境などを調べ、自分の研究にも家族のためにもプラスになるかなどを考慮する。
D.H.教授は、招聘状をもらったときイリノイ大学に残りたかったそうだ。なぜならシカゴやニューヨークなどに近く研究環境として恵まれていたからだ。そこで、学部長に会い「1.5倍の給料でネブラスカ大学からオファーがきているが、もしイリノイ大学が今の給料を上げてくれれば、残りたい、、、、」と交渉したという。
残念ながら学部長は「予算がないので、給料を上げるわけにはいかない」と言ったのでネブラスカ大学へ移ることにしたという。このような交渉ができるのが面白いところだ。また学部長も予算やスタッフの給料を決める権限があるのは興味深い。
長男が、かつてボストン郊外にある今の大学にレジュメ(研究業績一覧)を送ったときである。書類審査を通過し大学での選考委員会に招かれ面接を受けた。この時、旅費は大学が負担してくれたという。首尾良くポジッションを得て6年後にテニュアトラック(Tenure-track)と呼ばれる終身身分保障を得た。テニュアをとるためにあちこちの大学を渡り歩くことも多いのがアメリの大学である。