ウィスコンシンで会った人々 その45 扇子と「サゲ」

今日まで伝承されている話芸の落語や講談。演者が一人で何役も演じ、語りのほかは身振りや手振りのみで物語を進める独特な形式の芸能である。使うのはといえば、扇子や手拭だけ。舞台には座布団があるだけである。たまに音曲が流れてくるのもあるが、それは例外。ほとんど演者が工夫を凝らして、演目に登場するモノや人を表現する独演である。表情や視線も大事な仕草となる。扇子と手拭を使い、食べる、飲む、寝る、歩く、酔っぱらうなどを座布団に座って演じる。

古典落語のうち、滑稽を中心とし、噺の最後に「落ち」のあるものを「落とし噺」という。これが「落語」の本来の呼称であったが、のちに発展を遂げた「人情噺」や「怪談噺」と明確に区別する必要から「滑稽噺」の呼称が生まれた。今日でも、落語の演目のなかで圧倒的多数を占めるのが滑稽噺である。滑稽噺は「生業にかかわるもの」(日常性)と「道楽にかかわるもの」(非日常性)に大別されるといわれる。「片棒」という演目は冨を築いた旦那が三人の息子の誰に跡を継がせるかという展開で、困ってしまうという噺である。日常性と非日常性が見事に溶け合っている。

人情の機微を描くことを目的としたものを「人情噺」といい、親子や夫婦など人の情愛に主眼が置かれている。人情噺はたいていの場合続きものによる長大な演目である。人情噺にあっては、「落ち」はかならずしも必要ではない。「子別れ」や「文七元結」、「芝浜」などの演目はそうだ。

「落とし噺」や「人情噺」が一般に語り中心で上演されるのが「素噺」である。鳴り物や道具などを使わない。「怪談噺」のような芝居がかったものに音曲を利用するのもある。特に幽霊が出てくるような噺は、途中までが人情噺で、末尾が芝居噺ふうになっている場合が多い。怪談噺は、笑いで「サゲ」をつけるという落語の定型からはずれるのもある。

「サゲ」の特徴だが、聴衆に対し「噺はこれでおしまい」と納得させるしめである。それ故に「サゲ」は演者の創作性が出るところが聴衆にとって興味深い。「千早振る」という百人一首を題材としたパロディ調の演目もそうだ。演者が最も神経を使うところではないかと思うのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その44 古典落語と創作落語

筆者が落語を少しは嗜むようになったのは定年後である。それまでは、仕事が特に忙しかったわけでもなかったが、他にマラソンをやったり藤沢周平の本を読んだり、カメラをいじったりして落語を楽しむ余裕がなかった。

iPodを手にしてから、さてなにを入れようかとしたとき、音楽に加えて落語が有料、無料でネット上で沢山あることを知った。それ以来購入したりしてため込んでは歩きながら、山登りをしながら楽しんでいる。

落語の楽しみが少しずつわかり始めた。それは演目もさることながら、噺家によって落語の内容が聞き手に異なって伝わることである。一つの演目をいろいろな噺家で聞くという贅沢さを楽しんでいる。

落語は、「落とし話」といわれるように大抵の場合そのお終いに「サゲ」がある。これを期待して聞き手はどんなサゲなのか、とワクワクしながら待つ。古典落語はレパートリーが決まっているので、演者の語り口の違いを楽しむことになる。さすがに名人と呼ばれる噺家の語りには聞き惚れる。最近は、新作落語とか創作落語も楽しんでいる。新作落語は、古典落語と並んで落語の大事な幹といわれる。

新作落語は年代的には若手の噺家によるものが多い。例外は、上方落語の名人、桂三枝、今の六代目桂文枝である。現在71歳だが、その創作力には驚くほどである。彼は、「新作落語はおおむね、時期が過ぎたらそのネタを「捨て」ざるを得なくなる運命にある」として、「創作落語」と呼んでいる。この発想は頷ける。柳家喬太郎の「ハワイの雪」という人情噺もある。「寿司屋水滸伝」という創作落語にもサゲが待っている。

古典落語は、滑稽噺、人情噺、怪談噺に分類されるようである。創作落語は、その時代を反映した話題をネタとする滑稽噺と人情噺が中心といえようか。どちらも落語の主柱として高度な技芸を要する伝統芸能である。もっと親しみ笑いたいものだ。

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ウィスコンシンで会った人々 その43 「定石」と「手筋」

囲碁は長い歴史がある。それゆえ、研究されてきて最善とされる形となる決まった石の打ち方がある。それが「定石」である。双方が最善を踏んだ手順であるから、部分的には双方が互角になるのである。定石に至る応酬は、相互が定石を知っていて始めて成立する。どちらかが大得するとか大損をするということはないはずである。

しかし、碁盤の他の部分の配石次第で、定石どおりに打っても悪い結果になることがある。周りの状況を見ながら定石どおりに打つのがよいかどうかを判断するのが難しい。囲碁の格言にある。「定石を覚えて二子弱くなり」である。これは、初中級者が定石の手順を丸暗記していたために起こった悪い結果のことを揶揄したものだ。囲碁は部分的と全体の関連のなかで進められる。双方の戦術がいかなるものかによって、部分的な定石で納めるか、あるいは定石を少し離れて少しくらい損をしても、全体的には得をすることを選ぶこともある。

定石の一手一手はそれ自体が「手筋」の応酬である。「手筋」であるが、平凡な発想ではなく、やや意外性を含んだ効果的な手とされる。この種の手を「筋」(すじ)と呼ぶこともある。「手筋」は勉強していないと、対局中はそれが浮かばないものである。丸暗記をしてそれを時に試してみることだ。

「手筋」にはいろいろある。自分の石が生きる手、攻め合いに勝つ手、形を整える手、連絡を図る手、相手の地を削減する手、先手をとる手などある。「手筋」は定石に似たものであるがので、良い形や結果を生むとされる。また「手筋」は業であり技であるので、これを使うことによって形勢が有利になることが多い。

一手一手の意味を考えながら「定石」と「手筋」のレパートリーを増やすことが囲碁上達の基本とされる。囲碁の稽古に早道はない。愚直に稽古を積み重ねることを心掛けたい。

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ウィスコンシンで会った人々 その42 「石の心」

「石の心」ということを強調したプロ棋士がいる。梶原武雄という人だ。この人にはいろいろな話題があるようだが、石の形、石の効率、石の働きをことさら大事にしていたことがわかる。それが「石の心」というフレーズに表れている。

「石に心はあるのか?」という野暮な問いはやめて、一つひとつの石には棋士の思いと考えが込められているという意味に解したい。石を働かせるのも腐らせるのも打ち手の読みや戦術次第である。石に意図を込める、石に役割を与える、といった調子のことだろう。

下手はどかく石を取ることに喜びを感じる。これを「取りたい病」というのだそうだ。だが、上手になると石を捨てることに喜びを感じるのだそうである。囲碁はこのように感情さえ伴うゲーム。深い読みと心が表れるのである。

地を小さく囲うのではなく、大きく広げて相手の「ヤキモチ」を待つ。入ってきた石は例え取れなくとも小さく活かす。そのことによって自然に壁ができて、活きられた分の見返りを手にする。「活きてもらうが、こちらもいただく」という呼吸が「石の心」につながる。どちらかが一方的に大もうけをすることは囲碁にはない。

このようなことを云っても、最後はどちらが地が多いかによって勝敗が決まる。筆者の場合、あまり部分にこだわらず、また地にこだわらず打つのが好きなのだが、地合いで敗れることが多い。もう少し「地に辛く」打つのを心掛けようと考えてはいる。

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ウィスコンシンで会った人々 その40 スピードと馬力

ワールド・カップのフィーバーも終わり日常の静けさが戻ってきた。虚構新聞にあった「なでしこの勝利」はやはり誤報であった。「なでしこの選手はおしとやかで、清々しく、礼儀正しく、控えめな女性でなく、肉食系の怖い存在だった」というの虚構新聞の調子だった。だが、決勝まで勝ち進んだからには、相当に肉食系であるのもあながち虚構ではないといえそうだ。編集長も少しは溜飲を下げたかもしれない。

外国の選手、特にアメリカやドイツの選手のように「なでしこ」にはもっと背丈と横幅が欲しいという印象である。いくら組織的でチームワークを大事にするといっても個々の力に差があるとチームワークはずたずたに裂かれる。それが決勝戦の前半であった。組織の力は個々の強さ、スピードがあってはじめて活きる。敏捷さがあって縦のドリブルと突破力が欲しい。ネイマール、メッシはこうした技を持ち、相手を引きつけてラストパスを出す。彼らはボールの納め方やコントールが正確だ。ゴールに向かったボールを保持し、ゴールエリア内でドリブルを仕掛ける。相手はうかつに近寄るとPKをとられる。まるで獲物を狙うようである。

一度FCバルセロナの試合を観た。メッシには二人のディフェンダーがついていた。反則をとりフリーキックを成功させた。イニエスタとシャビといった選手も個人技、早さと敏捷さが凄かった。こうした選手とパス回しをするとスペースができて相手は置き去りにされる。

さて、素人ながら「なでしこ」の今後に期待することである。まずは世代交代によるFW、DFに背の高い大柄な選手が欲しい。彼らにスピードがあればもっとよい。ヘッディングが強くルーズボールを味方が拾う展開が欲しいのである。このような場面では相手はミスキックをしがちなのである。そしてオウンゴールを献上する。相手を押し込むにはスピードと縦の突破ができる選手が欲しい。

来年のリオでのオリンピックでは、世代交代によるスピードと馬力のある「新生なでしこ」をみたいものである。

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ウィスコンシンで会った人々 その39 「石の効率」

「石の効率」ということを考える。「二線敗線、四線勝線」という格言がある。十九路盤ではできるだけ中心に向かって石が打たれる。武宮正樹九段はかつて「宇宙流」という戦法を使い囲碁界に革命のような衝撃を与えた。彼は、碁盤の中心を宇宙にみたて、石が中央に向かい地を作ることを提案した。

地を取ろうとすると、どうしても隅や辺に石が向く。時に二線を必要以上にハウこともある。二線では地が1目ずつしか増えないのに相手の厚みがそれ以上に増し良くないのである。それとは対照的に四線をノビていくのは、地が3目ずつ増えていくので効率がよい。これを「石の効率」という。

四線を重視するのは、囲碁の布石の段階である。定石などが形成される。両者互角の情勢である。中盤の戦いが終わると終盤に入る。このとき、二線のハイは極めて大きなヨセとなる。だから格言はどのような場合にも当てはまるとは限らない。序盤は四線、終盤は二線と覚えておけばほぼ間違いない。

さらに、「石の効率」だが、効率が良いというのは石が働いている状態のことである。効率が悪い石とは、ダンゴのように固まった石、駄目
詰まりになったような石、「空き三角」になったような石をいう。「空き三角」の石とは相手には、全く響かない無駄になっている状態のことをさす。上手はこのような効率の悪い石の形に持ち込もうとする。

相手の厚みに近づきがちなのが下手。相手の地が大きく見えるからである。「ヤキモチ」を焼いて、相手の陣地に石を打ち込んで地を荒らそうとする。だが、大抵の場合こうした石の落下傘部隊は召し捕られるか、追い立てられてバンザイとなる。相手の石を自分の厚みに誘い込むというのが上手の戦術でもある。囲碁ではヤキモチをやくのが、最も石の効率が悪くなる実戦心理といえる。

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ウィスコンシンで会った人々 その38 「虚構新聞」から

FaceBook上でおやと思った新聞記事を読んだ。タイトルを見ると「17歳にも選挙権を、 国会前で人間の鎖」、これは嘘ニュースです、、とある。よくながめるとこのサイトは「虚構新聞」とある。すっかりはめられた気分になったが、その発想が面白かった。

「17歳にも選挙権を、、」という記事を読むと「選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が成立したことを受け、23日、選挙権が与えられなかった17歳にも権利を求めるデモが行われ、17歳の少年少女6千人(主催者発表)が「人間の鎖」を作って国会議事堂を取り囲んだ」とある。なんだか本当のような話題であった。

別の嘘ニュースには次のようなのがある。「民主主義」特許使用料、各国に請求、ギリシャ」事実上の債務不履行に陥ったギリシャ政府は、同国発祥の「民主主義」を国際特許として出願、政体として採用する世界各国に使用料を求めていく方針であることが分かった。年間数兆円規模の特許収入が見込まれることから、財源確保と健全化に道筋をつけたい考えだ。財政難を救うために窮余の一策「民主主義」から特許料をとろうという発想が愉快だ。

筆者が真剣に読んだニュースがある。「安倍内閣、女性省を設置することにした。」というのである。もう少し読むと、「この省はすべて女性だけで8,000人の職員を置く」というのである。どんな業務をするのかは知らないが、「女性が輝く日本へ」という安倍内閣の成長戦略があり、「待機児童の解消」「職場復帰・再就職の支援」「女性役員・管理職の増加」と謳うのであるから、女性省の設置もまんざらでないと思うのである。

笑ったのは、「新国立競技場、CG式で決着、現行計画は破棄」である。東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場の建設を巡る問題で、文部科学省は現行の建設計画を全面的に見直し、ゴーグル型ディスプレイを用いたバーチャルリアリティー(VR)方式で進めることを決めた。今のデザイン案を維持したまま総工費を抑えるための「苦肉の策」である。この案は実現が可能なような気がするのだが、いかがであろうか。

その他、ユニークなテーマもある。どれも風刺というかエスプリがきいて楽しくなる。
・陸自の高齢化深刻「ノンステップ戦車」開発も
・学費無料、内閣直轄のエリート大学を京都に

このようなサイトを「馬鹿馬鹿しい」といって切り捨てないで、その発想を楽しむのも一興だと思うのである。

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ウィスコンシンで会った人々 その37 「一目置く」と急所

囲碁は相手と交互に打つゲーム。時に相手の良い手には敬意を表し、引き下がるのが良い。それを勘違いして逆襲でもしようならこっぴどく痛めつけられる。だから、「一目置く」のが囲碁の基本である。一歩譲るとか遠慮するのである。囲碁の格言は人間の機微に通じて奥が深い。

囲碁にも将棋にも急所がある。相手にとっての急所は自分の急所であり、重要な着目点となる。急所をはずしては相手に楽をさせるばかりか、形勢を損じる。戦争を考えても急所の大事さは同じ。急所とは自分の弱点である。逆の場合もある。問題はどちらが先に打つかである。幅広く陣地を拡大しようととして、急所を逃しては勝機を逸する。「大場より急場」という格言も同じ意味である。

下手は得てして攻撃を優先しがちである。攻撃とは反撃を食らわないように自陣を備えることから始まる。急所とか要所を押さえておけば安心して攻撃にでることができる。自分の大切な所、相手が攻撃を狙うところが急所である。

囲碁の戦術を戦争と比較してみる。太平洋戦争の戦略上の要諦とは、南方の石油や食料資源を確保することであった。そのためには、ベトナム、フィリッピン、台湾、琉球列島を結ぶ空海圏が急所で、それを守ることであった。しかし、守備範囲が伸び過ぎてこの急所の備えを怠ったために輸送船はことごとく潜水艦の餌食となった。

囲碁ではしばしば捨石を使う。捨石によって陣形を立て直し、先手を取ることが多い。捨石には役割がある。決して無駄になるのではない。

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ウィスコンシンで会った人々 その36 「アタリ、アタリ、はヘボ碁の見本」

八王子市内の小学校での囲碁教室も三週目を迎えた。全くの初心者ばかりなので石の置き方から教えている。数人の母親も参加している。九路盤を使って「石取り」、「陣取り」から始めている。黒板に自作の大盤をおいて、黒く塗った黒と白の丸い磁石を使って説明する。オセロと勘違いしているのもいるが、それはそれでよいと思っている。辛抱強く教えるほかない。

石取りでは、どうしても「アタリ」の石をうって囲もうとする。「アタリ」は取られそうな形の石のことである。囲めば相手の石がとれるが、「アタリ」になった石が逃げれば自分の石が弱くなっている。そして取ろうとした石が取られる。だから石はできるだけ二石か三石にぴんと真っ直ぐに伸びることを教える。だがなかなか言うことをきかない。この状態に似たことを表現する格言に「アタリ、アタリ、はヘボ碁の見本」というのがある。「アタリ」はできるだけ我慢して打たないに良いことが多い。「取ろう取ろうは取られのも」という囲碁の格言をこれから教えていくことにする。

石のぶつかり合いでは、上手は真っすぐ打ち、下手は「コスム」を多用しがちだ。「コスム」とは斜めに打つことである。「コスム」のほうは、後で「空き三角」とか「ダンゴ石」という美しくない形ができやすい。真っすぐには、オシ、ノビ、一間トビなどがある。一間トビでは割り込みという手があるが、概して良い形を維持することができる。安定した石になることだ。

真っ直ぐには、一間トビ、ノビ、オシがある。一間トビではワリ込みによる切断があるものの、一般的には良い形を維持することができる。子供向けの囲碁教室にとって、少しややこしくなったので次回に譲る。

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ウィスコンシンで会った人々 その34 ローカル鉄道とぽっぽや

またまた鉄道路線廃止のニュースに接した。長年育った北海道の話である。筆者は1945年の終戦直前に樺太から美幌に引き揚げてきた。父は抑留後1948年に無事家族に合流することができた。樺太鉄道で働いていたので、美幌の駅で再就職することになった。成田家にとって鉄道生活は「鉄道員(ぽっぽや)」ほど話題性はないが、抑留とか引き揚げという体験には、ぽっぽやの駅長以上の生々しいドラマがあったはずである。

1987年に国鉄の民営化によりJR北海道が誕生した。この新会社が最初に取り組んだ課題は経営基盤を固めるということであった。その方策として最も手っ取り早かったのが、赤字路線の廃止であった。北海道の道北や道東は人口密度が極めて薄い。

美幌は屈斜路湖や阿寒湖を控えた小さな町である。ここに相生線というのがあった。相生線は美幌駅と終点北見相生駅の間で、たったの37キロ。北見相生駅は阿寒湖やオンネトーへの玄関口で、阿寒湖まではバスで25分という近さだった。

戦後、この路線に国鉄が持っていた土地が職員に貸し出された。食料を得るためにトウキビやトウモロコシ、カボチャ、大根、人参などを作った。畑は相生線にある活汲という駅のそばにあった。線路にトロッコを乗せて道具や肥料を乗せ、帰りは収穫物を運んだ。汽車は一日数本しかなかったのでトロッコを使えた。相生線そばの畑は我が家の食糧難を救った地でもある。だが1985年に廃止された。

「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影の舞台はどこかはわからない。だがあの吹雪や駅舎や線路のたたづまいは相生線のような気がする。単線の線路脇に立つ腕木式の信号機、転車台、切符の手動販売機など。信号機だが暗くなるとカンテラが灯される。腕木が水平なら汽車は停止、45度斜めに下がれば進行を示す。こうした作業は人手に頼っていた。それだけに信頼度の高い仕組みだったといえる。

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