「石の心」ということを強調したプロ棋士がいる。梶原武雄という人だ。この人にはいろいろな話題があるようだが、石の形、石の効率、石の働きをことさら大事にしていたことがわかる。それが「石の心」というフレーズに表れている。
「石に心はあるのか?」という野暮な問いはやめて、一つひとつの石には棋士の思いと考えが込められているという意味に解したい。石を働かせるのも腐らせるのも打ち手の読みや戦術次第である。石に意図を込める、石に役割を与える、といった調子のことだろう。
下手はどかく石を取ることに喜びを感じる。これを「取りたい病」というのだそうだ。だが、上手になると石を捨てることに喜びを感じるのだそうである。囲碁はこのように感情さえ伴うゲーム。深い読みと心が表れるのである。
地を小さく囲うのではなく、大きく広げて相手の「ヤキモチ」を待つ。入ってきた石は例え取れなくとも小さく活かす。そのことによって自然に壁ができて、活きられた分の見返りを手にする。「活きてもらうが、こちらもいただく」という呼吸が「石の心」につながる。どちらかが一方的に大もうけをすることは囲碁にはない。
このようなことを云っても、最後はどちらが地が多いかによって勝敗が決まる。筆者の場合、あまり部分にこだわらず、また地にこだわらず打つのが好きなのだが、地合いで敗れることが多い。もう少し「地に辛く」打つのを心掛けようと考えてはいる。