ユダヤ人と私  その26 アメリカの大学とユダヤ系

アメリカの大学の発展、とくに超一流大学といわれる大学経営の充実にはユダヤ系の資産家が深く関わっています。多くの総合大学にはヒレル・インターナショナル(Hillel International)という団体があります。ユダヤ系の学生や留学生を支援しています。 Hillel とは1世紀頃のパレスチナにおけるユダヤ議会(The Jewish Sanhedrin)の議長であり霊的指導者の名前です。

Hillel Internationalが設立されたのは1923年で、イリノイ大学アーバナ・シャンペン校(University of Illinois, Urbana-Champaign)です。創立したのはバーナイ・ブリス(Bnai Brith)という資産家です。翌年、ウィスコンシン大学のノーマン・ナサク(Norman De Nosaquo)という学生がHillel Internationalに手紙を書き、それがきっかけでUW-Madison内にヒレルの組織ができます。

1937年にリー・レビンジ(Lee Levinge)というユダヤ人の研究者が「The Jewish Student in America」という論文を書き、その中で1,400の大学でユダヤ人が学んでいることを報告しています。1939年になるとHillel Internationalは全米の12大学で財団を組織し、その他18大学に支部組織をつくります。その後、オハイオ州立大学(Ohio State University)、ジョージ・ワシントン大学(George Washington University) などにその組織が広がっていきます。

今や、ほとんどの大学でユダヤ系アメリカ人が学んでいます。一流大学の1/4がユダヤ人で、1/5がアジア系の学生が占めるといわれています。こうした学生は学費の全額を払うので、私立大学では大いに歓迎されています。学費の納入が困難な学生を救うために、州立大学ではアファーマティブ・アクション(Affirmative action)があって黒人やヒスパニックの学生を優先的に受け入れる枠を設けています。

大学教官の採用でもアファーマティブ・アクションが働いています。適度な資質又は研究成果があったとしても、マイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁があるといわれてきました。特に女性のキャリアを阻む障壁のメタファー(metaphor)が「ガラスの天井(glass ceiling)」といわれるものです。「ガラスの天井」は男女を問わずマイノリティの地位向上を阻む壁としても用いられるようになりました。ただ大学の研究と教育の質を維持するために、アファーマティブ・アクションに対して疑問視する人々が大勢いるのも事実です。

一流大学の学長や理事にはユダヤ人が多くいます。特に第二次大戦後はそうです。この現象は、ロックフェラー(Rockefeller)、JPモルガン(J.P. Morgan)、ハリマン(Brown Brothers Harriman)、メロン(Andrew Carnegie)、ロスチャイルド(Rothschild)といった資産家がこぞって大学に多額の寄附ををすることに現れます。大学は財団をつくり、大学経営の財源とするのです。このように大学経営には資産家からの寄附が欠かせません。そのために理事会(Board of Regents)は資産家や銀行家などで組織し、学長(president)選びなどで巨大な権限を有するようになりました。現職の教職員は理事にはなれません。アメリカの大学で一番偉いのは学長ではなく理事会なのです。これがアメリカの大学のガバナンスです。

ユダヤ人と私  その25 アメリカのインターネットと金融界とユダヤ系人

ンターネット関連の業界をみると、オラクル(Oracle)の創始者ラリー・エリソン(Larry Ellison) 、フィイスブック(Facebook)の創始者マーク・サッカーバーガー(Mark Zuckerberg)、デル(Dell)のマイケル・デル(Michael Dell)、グーグル(Google)のラリー・ペイジ(Larry Page)など蒼々たる人材がユダヤ系です。恐らくこうした起業家は多くの投資をユダヤ人から受けたのではないでしょうか。例えば投機家であり投資家であるジョージ・ソロス(George Soros)。彼もユダヤ系アメリカ人です。世界最大級の投資銀行であるゴールドマン・サックス(Goldman Sachs)の創始者はマーカス・ゴールドマン(Markas Goldman)。彼もユダヤ系です。

リーマンブラザーズ(Lehman Brothers)の創業者は、ドイツ南部から移住したアシュケナジムユダヤ系移民、ヘンリー(Henry)、エマニュエル(Emmanuel)、マイヤー(Myer)のリーマン兄弟(Lehman Brothers)です。1850年に創立されアメリカで第4位の規模を持つ巨大証券会社でした。2008年9月に破産し、その影響は「リーマンクラッシュ(Lehman Crash)」と呼ばれました。 財閥のロスチャイルド家(Rothschild)もアシュケナジムです。

しかし、ユダヤ系の人々が世界の金融や資本を支配しているというのは言い過ぎです。世界経済のほんの一握りの影響です。なぜかユダヤ人の活躍が話題となりがちですが、それはたまたま彼らの家庭環境や受けてきた教育、所属していたコミュニティの影響が大きいと思われます。金融界どの人物にも共通するのが、超一流の大学で高等教育を受けてきたことです。そして全員上昇志向であるのは頷けます。「成功の半分は忍耐だ」というユダヤ人の格言もあります。

現在のニューヨーク・タイムズ(New York Times)の社主はアーサー・サルツバーガー(Arthur Sulzberger Jr.)でユダヤ系です。この新聞の伝統はリベラルな論調で知られています。多くのユダヤ人はこの新聞を読んでいます。議論好きだからだでしょうか。

ユダヤ人と私  その24 世界経済とユダヤ人

新聞紙上などでアメリカの経済界の人物を見渡しても、ユダヤ系アメリカ人の活躍は抜きんでています。アメリカ中央銀行である連邦準備制度理事会(Federal Reserve System:FRS)の第15代議長はジャネット・イエレン(Janet Yellen)です。史上初の女性議長です。副議長はザンビア出身のスタンレーフィッシアー(Stanley Fischer)。彼は2013年にまでイスラエル中央銀行総裁です。イエレンの前任者のベン・バーナンキ(Ben Bernanke)。さらにバーナンキの前任者は、アラン・グリーンスパン(Alan Greenspan)です。偶然かどうか分かりませんが全員ユダヤ系です。特にグリーンスパンは四代の大統領に仕えた人です。

ユダヤ系の経済学者のことですが、クリントン(William Clinton)政権での財務長官はローレンス・サマーズ(Lawrence Henry Summers)です。かれはハーヴァード大学の学長を歴任した経歴があります。女性は統計的にみて数学と科学の最高レベルでの研究に適していないといった発言などによって学長を辞任し、さらに連邦準備制度理事会(Federal Reserve Board: FRB)議長候補として有力視されましたが辞退します。FRBは七名の理事で構成されますが、一時は五名までがユダヤ系の人であったことがあります。ドナルド・コーン(Donald Kohn)もイエレンとともにFRBの理事でした。

世界銀行 (World Bank: WB)と国際通貨基金(International Monetary Fund: IMF)があります。いずれもワシントンDCに本部があり、共に国際金融秩序の根幹を占めています。二つともアメリカが実質的な拒否権を持っています。世界銀行の出資額の 16%、IMFの出資額の18%がアメリカであるからです。第10代世界銀行総裁だったのがポール・ウォルフォウィッツ(Paul Wolfowitz)です。彼もユダヤ系アメリカン人です。アメリカが金融の中心であるのは世界銀行と国際通貨基金をいわば抑えており、その出資はユダヤ系の金融資本といわれます。

ユダヤ人と私 その23 タルムードとベーグル

なんともとぼけたようなタイトルですが、ユーモアは人間味と笑いとペーソスに溢れ、知的で機知に富んでいるものです。ユダヤ人は交渉や商談商談の最中にジョークを盛んに活用するといわれます。辛辣なジョークもユーモアとともに相手を丸め込む手段となります。ユダヤ人は話術を磨くことで難局を切り抜け、3000年の歴史を歩んできたのでしょう。

ユダヤ人のユーモアの起源は、紀元前10世紀にイスラエルを統治したソロモン王が記したとされる旧約聖書の「箴言(Book of Proverbs)」といわれます。この書には3,000あまりの格言があるといわれます。ユーモアがもたらす効用を熟知するのはこうした書物に辿ることができます。

以下の名句の中に差別用語がでてきますが、原典からの引用なのでそのまま使っています。

●ベーグルを全部食べてしまったら、穴しか残らない。
とぼけたようなジョークです。ベーグル(bagel)は真ん中に穴のあいた歯ごたえのあるパン。大事なものは残しておくべきということでしょうか。「五円玉使ったら穴しか残らない」。

●アイディアに税金はかからない。
なににでも税金がかかる時代です。合法的な税金逃れが提案されています。寄附をするとか、ふるさと納税とか、医療費控除とか、「知らない人は損をして、知ってる人が得をする」のがアイディアということでしょう。

●10回尋ねるほうが迷うよりまし。
あれこれと迷うと良い考えが浮かびません。周りに助言をもらったり提案してもらうことがよいようです。解決方法を探すには尋ね歩くことです。

●返答しないのも立派な返答である。
これは難しい名句です。あまり喋りすぎると矛盾が生じることがあります。言い訳しないで黙り込む。短く要領よく答えるのが大事なようです。

●バカとは決して商売をするな。
商売相手を見極めよ、という警句です。たとえ儲かっても相手によってはうしろめたさが残ることもあります。

●バカに決して腹を立ててはならない。
バカに旗を立てるのがバカ、ということです。笑ってやりすごすこと、無視することです。

●もっともバカなのは、自分を賢いと思い込んでいるバカだ。
皆、「自分を賢い」と密かに思っています。これが「バカ状態」です。バカにつける薬はない、というフレーズもあります。

●学習を怠る人はすべてに欠ける。
なんともいえないいい響きの言葉です。努力とか精進とかを欠かしては成長がないということです。歩きながら、自転車に乗りながらスマホを操作する人は学習を怠っている証左です。

●無知な人には老年は冬だが、学習を重ねた人にはそれは収穫期だ。
励ましになるような、同情をかうような言葉にも響きます。無駄に時をつかい、歳をとってはならないことです。老年は意味ある時代です。

●学べば行動したくなる。
学ぶことは好奇心があるからです。学んで実行したくなるのは、真の学びといえるのではないでしょうか。行動するとまた学びに返ってくるものです。

●口数を少なくして行動せよ。
冗長で話をくどくどとする人は周りから嫌われます。誰も耳を傾けないのです。行動したり実践することが雄弁に語るのです。

●時間ができたら勉強をする、と言っていたのでは、いつまでたっても時間はできない。
勉強する人は時間を惜しんでも勉強します。時間を作る人のことです。暇になったらなにかをしようではなく、今の時を将来のために有益に使うことを示唆しています。

素のベーグルはたまらないですね。暖めてクリームチーズを塗るのが定番の食べ方。厚くハムをはさむのもええです。

ユダヤ人と私 その22 タルムードからの名句

トケイヤー師は、「タルムード(Talmud)」からいろいろな名句や言葉を紹介しています。タルムードユダヤ教徒の生活や信仰の基となっている聖典です。いくつかの本からその一部を紹介することにします。「本日、「いいかげん」日和:そのまんま楽しく生きる一日一話」、「ユダヤ人5000年のユーモア―知的センスと創造力を高める笑いのエッセンス」は笑えて考えさせられます。また烏賀陽正弘著の「ユダヤ人ならこう考える」からも引用します。

一人の古い親友は、新しくできた10人の友人よりも大事だ。
友達の大切さを強調しているのですが、とりわけ親友はなににもまして代え難い存在であることです。友人をつくり親友を探すことを勧める名句です。

豚は食べ過ぎる。苦しんでいる人間は話し過ぎる。
食べ過ぎるとブヨブヨに太り病気になりがちです。話が冗長になるのは苦しんでいるか、困っているために、言葉を探そうとするからなおさら話が長くなるのです。国会の答弁のようです。

ロバは長い耳によって見分けられ、愚か者は長い舌によって見分けられる。
饒舌で長い演説をするもの、国会で長々と答弁する大臣がいます。「そもそも」とか「いずれにせよ」など余計なフレーズで言い訳や説明をすることへの警鐘の言葉です。

貧しい者は僅かな敵しかいないが、金持ちは僅かな友しかいない。
金持ちは孤独になりがちで、貧しい者のほうが生きていくうえで幸いであるということです。何が大事かと言えばそれは友ということでしょう。

人から秘密を聞き出す事は易しいが、その秘密を守る事は難しい。
森友学園や加計学園をめぐる土地の売却や認可の過程にある秘密のことをこの名句は指摘しているかのようです。名句の真骨頂といえるでしょう。公文書管理の難しさを指摘しています。

三つのものは隠す事が出来ない。恋、咳、貧しさ。
恋は誰かに感づかれ、咳は隠しようもなく、貧しさは周りの者から見破られます。自然に振る舞うのがよいようです。隠せば隠すほどぼろがでます。学校設立認可を巡る官庁間の鬩ぎ合いもそうです。

侮辱から逃げろ。しかし名誉を追うな。
周りから蔑まれても落ち込むことなく静かに勇気をもって退く。だが名誉は追っかければ追っかけるほど逃げていく。それは名誉を求めるのは愚かな行為であるというのです。

ユダヤの名句やジョークは知的なものが目だちます。長く苦しい歴史が生んだ智恵といえるでしょう。馬鹿馬鹿しいギャグやコントの比ではありません。

ユダヤ人と私 その21 タルムードの教えから

一般には、旧約聖書を分かり易く解説したものが「タルムード(Talmud)」だと言われています。このことに関してラビであるマーヴィン・トケイヤー師(Marvin Tokayer)は「タルムード的」という言葉を頻繁に使い、しきりに賞賛しています。ユダヤ教の霊的な指導者ですから当然のことといえます。トケイヤー師は在日米空軍の従軍牧師(chaplain)として日本に滞在し、退役後は日本ユダヤ教団に勤務し1976年まで日本に滞在しています。その間日本語で20冊の本を著しています。

「タルムード」は素晴らしい書物といわれていますが、全巻を日本語に翻訳されて出版されていません。書店が日本語に翻訳する許可を求めても、発行元はそれを許可しないといわれています。 どうしてかといいますと、ユダヤ以外の民族、いゆる異邦人にとって不快感を抱くに十分な内容もそこに書かれているからだといわれていますが、真偽は定かではありません。

「タルムード」は「口伝律法」と呼ばれています。文字通り古代から言い伝えられてきた教えです。口伝律法が必要だったのは、現実の状況に適合する規定をつくるために成分律法と直接関係のない広範囲な権威を認めなければならなかったからです。

平凡社の「世界大百科事典」によりますと「タルムード」は三つの内容となっています。第一はミドラッシュ(Midrash)です。これはモーセ五書であるトーラ(Torah)本文分の講解や解釈です。第二はハラハ(Halakhah)と呼ばれ古から受け入れられてきた慣習や権威ある律法学者の判定や裁定のことです。Halakhahの原意は「歩き方」といわれています。第三はハガダ(Haggadah)です。これは説話や民話、伝説など基づく教えのことです。

旧約聖書に書かれていない物語や様々な逸話は、ユダヤ教のあり方、思想、歴史、生活、人物などに及びます。こうした逸話の概念用語は「アガダ(Aggadah)」と呼ばれ、その意味は「語り」といわれます。口伝律法はユダヤ教の口伝えの伝統を示すといえます。

ユダヤ人と私 その21 「学びの宗教」

このシリーズの[その1]でミルウォーキーの近くに住む医師で熱心なユダヤ教徒であるDr. Robert Jacobs一家のことに触れました。国際ロータリークラブの会員で地域貢献活動にも極めて活発な方です。Jacobs氏はユダヤ系といってもアシュケナジム(Ashkenazim)です。ドイツ系ユダヤ人のことです。国際ローターリークラブ奨学生であった私のスポンサーでもありました。

アシュケナジムのユダヤ人は子供の教育を大事にしています。週2回、子供達をシナゴーグ(Synagogue)での教典の勉強会に通わせています。神と人間との関係を定めた「トーラ」(Tola)」、慣習や倫理、専門知識など、より具体的に人間同士の関わりについて定めた「タルムード」(Talmud)を学ばせ、大人への仲間入りを準備させるためです。Jacobs氏は子供にヘブライ語も学ばせていました。近くにユダヤ人学校がないために公立学校で勉強させ、下校後シナゴーグで勉強させていたといいます。

ユダヤ教は、経典を学習する「学び」の宗教であると主張する学者がいます。この学者によればタルムードの解釈をめぐっては、先人たちの考えを決して鵜呑みにしないのだそうです。今の時代に合わせて教えが妥当するのかを検証します。そして様々な新しい視点を取り入れて議論しながら、幅広い知識を身につけるのユダヤ人の学習スタイルだといわれます。

特にアシュケナジムのユダヤ人には、教育は投資であるという徹底した考え方があります。彼らの多くは公教育のレベルが非常に高い地域や名門私立校のある街を選んで暮らします。たとえその街の固定資産税が高くても、自分の子供にとってベストな環境を選ぶといわれます。子供達に高い望を期待するのがユダヤ人です。学力のみならず、道徳的な基盤となる人格形成もユダヤ人の教育機関が担っています。

ユダヤ人が集まった街があちらこちにあります。その代表的がイリノイ州(Illinois)のスコーキー(Skokie)です。1960年代には40%の人口がユダヤ系だったそうです。2009年には、イリノイ・ホロコスト博物館兼教育センター(Illinois Holocaust Museum and Education Center)がスコーキーに造られます。いうまでもなくユダヤ人の浄財によるものです。

ユダヤ人と私 その20 セファルディムとミズラヒム

第一次大戦前のオスマン帝国(Osman Empire)時代のパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況は、イスラエルの建国後とは全く異なっていたようです。セファルディムがパレスチナ(Palestina)での実権を握っていたのです。というのはスペインがレコンキスタ(Reconquista)という国土回復運動を完了したとして、1492年のユダヤ人追放令によって、多くのユダヤ人、セファルディムがイベリア半島からオスマン帝国領に避難してきます。オスマン帝国は、ミレット制(millet)といわれる保護と支配を兼ねる特殊な宗教自治体を設け、各宗教や宗派の宗教的な自治を認めてきました。ユダヤ教徒ではその自治を担ってきたのがセファルディム系でした。彼らはオスマン帝国によって庇護されてきたのです。

Petty Officer 2nd Class Bridget Shanahan, a corpsman with Shock Trauma Platoon, 2nd Combat Logistics Battalion, and Lance Cpl. Michael Johnson, a wireman with Communications Platoon, Headquarters and Service Company, 2nd Battalion, 25th Marine Regiment, Regimental Combat Team 5, hand out stuffed animals to a second grade student at Houran Primary School in Rutbah, Iraq, Dec. 2. Not only was this the first time most of the children at Houran had ever interacted with Coalition forces, but it was an education in the integral role that females serve in the U.S. military.

しかし、第一次大戦後はイギリスによるパレスチナの委任統治が始まると情勢は一変します。19世紀末からユダヤ国家建設運動であるシオニズムが台頭するにつれて、国家建設を主導しパレスチナへの移民し入植していきます。その中心がアシュケナジムです。そのため建国後政治や社会、経済や文化といったあらゆる面でセファルディムに代わって権力や影響力を握ることになります。

ナチスの露骨な反ユダヤ主義的な政策のために、パレスチナへの移民の中心となったユダヤ人はドイツやポーランドなど中央ヨーロッパの出身者です。こうした移民の特徴は、資産家というカテゴリに属する人々です。イギリスによる委任統治政策は1,000パレスチナ・ポンド以上の資産を有するユダヤ人に限り、無制限にパレスチナへの入国を許可します。ドイツ系ユダヤ人はパレスチナに膨大な資本と技術をもたらし、経済の再生産を促すことになります。こうしたユダヤ人はアシュケナジムです。ドイツ系ユダヤ人を受け入れることで、パレスチナは経済的に自律的な社会の成長をとげていきます。

もう一派のユダヤ系の人々のことです。1948年のイスラエルの建国後、アシュケナジムに加えてアラブ諸国やイスラム世界からユダヤ人が増加します。こうした人々は伝統的なアラブ世界やイスラム教が多数派の社会のユダヤ人で「ミズラヒム(Mizrachim)」と呼ばれました。「ミズラハ Mizrach」 とはヘブル語で「東」を意味し、文字通り中東やモロッコ(Morocco)から移住してきたユダヤ人です。「ミズラヒム」の人々は、イスラエル建国への反発から生まれたイスラム世界におけるユダヤ人迫害が強くなり、イスラエルに移住を余儀なくされた人々のことです。こうした東方系のユダヤ人は、セファルディムとしてくくられているようです。

以上の考察から、イスラエルという国は、人種のるつぼであり多民族で他文化の国であるということがわかります。

ユダヤ人と私 その19 アシュケナジムとセファルディム

イスラエルの民族や文化の理解のためには、ユダヤ人の内部のエスニックな事情を知っておく必要があります。といいますのは、イスラエル人とは曖昧な総称であり、その解釈は様々で時に誤解が生まれるからです。

ユダヤ人は大きく二つに分類される人種といわれます。その第一がアシュケナジム(Ashkenazim)、第二はセファルディム(Sephardim)です。前者は一般にドイツ系ユダヤ人であり、後者はスペイン系ユダヤ人といわれます。

アシュケナジムは、もともとドイツのライン川(Rhine River)流域や北フランスに定住していたユダヤ人とその子孫です。その後東ヨーロッパやロシアへ移住していきます。ユダヤ系のディアスポラ(diaspora)と呼ばれてもいます。白系ユダヤ人ともいわれます。ドイツ語に似たイディッシュ語(Yiddish)を使っていました。アシュケナジムの語源は、旧約聖書におさめられた創世記(Book of Genesis)10章3節ならびに、ユダヤの歴史書である歴代誌(Books of Chronicles)上1章6節に登場する男性の名前です。

他方、セファルディムは中世にスペイン、ポルトガルが位置するイベリア半島(Iberial Peninsula)に住んでいたユダヤ人の子孫です。ユダヤ系スペイン語である「ラディノ語(Ladino)」を使っていました。セファルディムは有色人種、南欧系及び中東系ユダヤ人を指す語として大雑把に使われています。セファルディムの意味はヘブル語でスペインを意味します。この二つの民族が今日のユダヤ社会の二大勢力となっています。

ユダヤ人は当初は、ヨーロッパとイスラム世界とを結ぶ交易商人だったといわれます。ヨーロッパとイスラム間の直接交易が主流になったこと、ユダヤ人への迫害により長距離の旅が危険になったことから定住商人となり、キリスト教徒が禁止されていた金融業等へと進出していきます。

ユダヤ人と私 その18 ユダヤ人と日本とのつながり

ユダヤ人と日本人は世界史の中で寄り添うような関係を持ったことがあります。日露戦争の経緯にその関係がうかがわれます。

戦争の遂行のために日本は膨大な戦費を必要としていました。そのために国債を発行し外貨を得ようとします。当時の日本銀行副総裁、高橋是清はそのための外貨調達に非常に苦心したといわれます。投資家からは日本の敗北予想、国債支払い能力の不安などで外貨調達は困難を極めます。

高橋らの努力で、帝政ロシアを敵視するユダヤ系のアメリカ人銀行家ジェイコブ・シフ(Jacob H. Schiff)は、500万ポンドの外債を引き受け、その後も追加の融資をします。融資の理由はロシア国内での反ユダヤ主義(Antisemitism)に対するシフらユダヤ人の抗議であったといわれます。反ユダヤ主義の例は、ポグロム(pogrom)というユダヤ人への集団迫害です。

日本は3回にわたって7,200万ポンドの公債を追加募集します。シフはドイツのユダヤ系銀行やリーマン・ブラザーズ(Lehman Brothers)などに呼びかけ、この募集も実現するという幸運に恵まれるのです。日本はシフなどのユダヤ系投資家によって軍費を調達し日露戦争を遂行できます。日露戦争は、帝政ロシア崩壊のきっかけとなったといわれます。

シフは実業家として成功します。同時に彼は寄附や慈善とか形で同胞に貢献します。ヘブライ・ユニオン・カレッジ(Hebrew Union College-Jewish Institute of Religion)の創立に援助します。このカレッジは、聖職者を養成するユダヤ教改革派の神学校です。その他、コロンビア大学(Columbia University)とかイスラエル工科大学(Israel Institute of Technology)などにも多額の資金を提供したことで知られています。

今もアメリカにあるまざまなユダヤ人の団体、例えばアメリカシオニスト機構(Zionist Organization of America: ZOA)とかアメリカ・イスラエル公共問題委員会(American Israel Public Affairs Committee: AIPAC)アメリカとイスラエルの関係を維持する強力ななロビイスト団体であると同時にイスラエルに多額の支援をしています。