懐かしのキネマ その30 【ミュージック・オブ・ハート】

音楽が子ども達にもたらす素晴らしさを伝える映画(Music of Heart)です。製作は1999年で舞台はニューヨーク(New York) の東ハーレム(Harlem) 地区にある荒れた小学校です。この映画は、実在の人物であるロベルタ・ガスパーリ(Roberta Guaspari)を映画化しています。ロベルタを演じるのメリル・ストリープ(Meryl Streep)です。

夫と別居し実家のニュージャージー(New Jersey)に戻ってきたロベルタは、友人のアドバイスでヴァイオリンの特技活かしてハーレム地区の荒れた小学校でヴァイオリン・クラスの臨時教員となります。初めは誰も真剣でなかった子どもたちで、ロベルタは荒れた子ども達に悪戦苦闘します。ですが徐々に子ども達もヴァイオリンを楽しむようになりロベルタの熱心な指導でみるみる上達していきます。当初約50人の子供たちに教えていたのが、好評になり10年後には同じ地区内の3つの小学校の生徒全員で150人ほどに教えるようになります。

子ども達の演奏会を開き、結果は大成功。校長や親達から絶賛されます。教育を通じロベルタも自立した強い女性へと成長していきます。それから10年間、ロベルタの授業は続きますが、市の予算の都合でロベルタは解雇勧告され、ロベルタのクラスが閉鎖されることになります。そこからクラス継続の市民運動が始まります。ロベルタはクラスを存続させるためチャリティーコンサートを開くことを決意。一流のヴァイオリニストなど様々な賛同者の協力を得てカーネギー・ホール (Carnegie Hall) でのコンサートを成功させます。

ロベルタを演じたメリル・ストリープの熱演と彼女のヴァイオリン演奏の演技が見所です。ヴァイオリニストのアイザック・スターン(Isaac Stern)も登場します。演奏シーンはカーネギー・ホール(Carnegie Hall)が使われています。学校は教師の情熱で成果を生み、それに揺り動かされる市民で支えられるというテーマです。

懐かしのキネマ その29 政治体制への批判と音楽 【Le Concert】

人種偏見や迫害を描く映画は残酷なイメージを抱きがちですが、必ずしもそうではありません。ユーモアとエスプリ(esprit)が効いた体制批判の映画もあるのです。それが2009年にフランスで製作された「コンサート」【Le Concert】です。ユダヤ系ロシア人が音楽を通じて長い厳しい道を歩みつつ、なお弛まなく挑戦する姿を描いた名作です。音楽好きな人も映画が好きな人にも是非観てもらいたい作品です。

映画【Le Concert】の荒筋を紹介します。舞台はモスクワ(Moscow)のボリショイ(Bolshoi Theater) 劇場です。かつてボリショイ歌劇場交響楽団(Bolshoi Theater Orchestra) で世界的な指揮者「マエストロ」といわれたアンドレ・フィリポ (Andrey Simonovich Filipov) は、今は同劇場の掃除夫として働きアル中になっています。アンドレは30年前に、当時のブレジネフ政権(Leonid Brezhnev)によるユダヤ人楽団員の排斥に抵抗したために、チャイコフスキー(Tchaikovsky)のヴァイオリン協奏曲ニ長調を演奏中に秘密警察、KGBのエージェントであるイワン・ガブリロフ(Ivan Gavrilov)によって中止させられ、団員とともに楽団を解雇され掃除夫となっています。

アンドレが劇場支配人の部屋を掃除しているとき、一枚のファックスが出てきます。アンドレはそれを手にとって読むと、パリの有名なシャトレ劇場(Chatelet Theatre)からのもので、ロサンジェルス交響楽団(Los Angeles Philharmonic Orchestra)の代わりにボリショイ楽団にパリで演奏してもらいたいという招待状なのです。アンドレはそのファックスを手にして、かつての団員に呼びかけオーケストラを組織し、ボリショイ楽団になりすましてパリで公演しようと画策するという奇想天外な展開です。

アンドレは、古いユダヤの音楽やジプシー音楽を弾いているかつての団員など、追放された仲間に声をかけてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をシャトレ劇場で演奏しようと持ちかけるのです。この曲はKGBによって中止に追い込まれた怨念の曲でありました。なりすましのボリショイ楽団はパリ公演のためにパスポートを業者に偽造させたり、楽器は借り物、演奏会用の洋服や靴をそろえるなどドタバタが続きます。そしてパリにやってくるのです。だが団員は物見遊山ツアー気分で、パーティを楽しんだり、持参したキャビア(caviar)を売ったり、タクシーの運転手などをして金儲けを始める有様です。そんな状態で団員は集まらずリハーサルは流れてしまいます。

パリに在住するヴァイオリニストのアンマリー・ジャケ(Anne-Marie Jacquet)は、ヴァイオリン協奏曲の演奏者として出演を依頼されます。彼女は、ロシア以外でも有名だったアンドレと一緒に演奏したかったので申し出を引き受けます。かくしてパリでの公演の幕が上がります。ですが練習不足やリハーサルなしのぶっつけ本番で、調子っぱずれの演奏が始まるのです。聴衆はざわつき始めます。それでも、自主的にハーモニーを引きだそうとする団員の気持が浸透し、だんだんとオーケストラも調子がでてきます。アンマリーの類い稀なるヴァイオリン独奏の技巧にも聴衆は魅了されていきます。パリ公演は大成功裏に終わり、その後この楽団はアンドレを指揮者とする「アンドレフィリポ・オーケストラ」として再出発します。世界各地での演奏会にはアンマリーがいつも独奏者として同行するというストーリーです。

懐かしのキネマ その28 「手錠のままの脱獄」

これまで人種偏見や差別を主題とした映画を紹介しています。1958年制作の【手錠のままの脱獄】(The Defiant Ones) は手錠で互いに繋がれた黒人と白人の囚人が、激しく反目し合いながらもやがて絆を深めていくストーリーです。主演はシドニー・ポワチエ (Sidney Poitier) とトニー・カーティス(Tony Curtis)。監督はスタンレー・クレーマー (Stanley Kramer)です。人種差別が激しい1950年代に製作されたところに意義がある名作といえましょう。

囚人護送車がサウスカロライナ(South Carolina) の田舎町を移動中に、真夜中に転落事故を起こしてしまいます。事故のどさくさに紛れて囚人のジャクソン(Jackson) とカレン(Cullen)の二人が脱走します。ジャクソンは白人、カレンは黒人で、お互い50cmの長さの手錠で繋がれています。二人は川を渡り、北部を走る鉄道を目指し逃亡を試みます。逃げた直後から2人の意見がまったく合いません。ジャクソンが「南へ逃げよう」と言えば、黒人カレンは「南へ行ったら黒人は酷い目に合わされるから北へ逃げよう」と言うのです。

そんな二人が手錠でつながったまま逃亡する途中、人に見られそうになって大きな穴に飛び込むのですが、その穴は粘土堀りの穴だったので二人は出ようとしますが滑り落ちを繰り返します。人種偏見からたびたび反発し合う2人ですが、追っ手から逃げるためには助け合うしかありません。どう猛なドーベルマン2頭を含む警察犬も動員され雨中の山狩りが始まります。2人の囚人は増水した谷河を渡り、崩れ易い採掘坑に身をひそめ、沼地で食用ガエルをとり、必死の逃走を続けます。鎖で繋がれた2人は心ならずも協力しなければならないのですが、互いの憎悪はつのる一方です。

夫に捨てられ、子どもと2人で暮らしてきたという女が、北に逃げたいというカレンに沼地を抜ける近道を教えます。しかし、カレンが発った後、それが流砂に埋まる死の道だと知ったジャクソンは、女を振り切って憎みあっている筈の黒人のあとを追い、カレンを助けます。しかしその時少年の撃ったライフルの弾丸がジャクソンの胸を貫きます。追手は銃声で迫り、警察犬の吠え声がします。鉄道線路にたどりついて2人は、通過する列車に飛びつきます。しかし、先にはい上がったカレンの手をジャクソンがつかみながらも、力つきた2人は車外に転落してしまいます。捜索隊が追いついた時、虫の息ながら微笑みするジャクソンを膝に、追っ手に追い詰められぐったりする2人です。黒人のカレンはジャクソンを腕に抱いて静かに民謡を口ずさむのです。

懐かしのキネマ その27 「アラバマ物語」

2020年は「Black lives matter.」(黒人の命は大事だ)というスローガンが全米に広がりました。アメリカにおける根深い一連の人種差別事件が基で起こった現象です。人種差別撤廃運動というのは公民権とか人権の回復ということです。「アラバマ物語」(To Kill a Mockingbird)は、1962年に作られた映画です。奴隷制度が廃止された1865年から100年以上も経てもなお続く社会問題を取り上げています。この映画の題名は、原題とは似てもにつかないものです。題名ををつけるのは難しいことは想像できます。

映画の舞台は、1920年代の大恐慌時代です。南部アラバマ州(Alabama) の小さな街メイコム(Maycomb)です。当時のアメリカ南部では、「ジムクロウ法」(Jim Crow Laws)という人種差別的内容を含む南部諸州の州法がありました。その法律のスローガンとは、「分離すれども平等 (separate but equal)」というもので、多くの人種隔離策が合法とされていました。とりわけアラバマ州は全米で最も人種差別が激しい州でした。

弁護士アティカス・フィンチ(Atticus Finch)は、白人女性への性的暴行容疑で逮捕された黒人青年の弁護を引き受けます。やがてフィンチは自身だけでなく家族まで迫害を受ける羽目に陥ります。裁判では陪審員は全員白人で、到底被告側に勝ち目はありません。ですがフィンチは自分の良心に従って弁護に臨むのです。その姿を通じて、子どもたちも身近な社会に存在する不平等や不正義について、「正義は必ずしも報われない」ということを学んでいきます。このことはフィンチの娘の視点で描かれています。

この映画の原題「To Kill a Mockingbird」の Mockingbirdとは、物まねをする鳥、マネシツグミのことですが、映画では社会的な弱者、黒人を指す喩えとなっています。主演のグレゴリー・ペック(Gregory Peck)は、この映画でアカデミー賞・最優秀男優賞を受賞します。生涯の俳優として、本当の当たり役がこの弁護士アティカス・フィンチだといわれるほどの名演技です。アメリカンヒーロー(American Hero)は誰か、と問われると、並みいるヒーローに交じって必ずフィンチの名前が挙げられるほどです。アメリカ人が理想とする「アメリカの良心」とか「アメリカの美徳」というような、なにかアメリカへの肯定的な賛歌が感じられる映画です。

懐かしのキネマ その26 「招かざる客」

アメリカにおける人種差別問題は奥深いものがあります。今も続く社会問題です。3月にはアジア系人種を狙った殺人事件もありました。人種差別を正面から取り上げた映画も沢山あります。前回は【夜の大捜査線】を取り上げました。今回は【招かざる客】(Who’s Coming to Dinner)という1967年の作品です。この作品は、白人と黒人の結婚観を肯定的に扱った作品の一つです。1967年といえばベトナム反戦運動が高まり、公民権運動が最高潮に達した時期です。

サンフランシスコ空港(San Francisco)に降りたった30代後半の黒人男性と20歳位の白人女性のカップルが人目を引きます。通りすがりに眉をしかめる者さえ見受けられます。男性の名は、ジョン・プレンティス(Dr. John Prentice)といい、聡明で優秀な医師です。女性の名はジョアンナ(Joanna)で大新聞編集主幹のマット・ドレイトン(Matt Drayton)の娘です。ジョアンナはジョンを連れて両親の邸宅にやってきます。2人は両親に結婚の意思があることを告げます。ドレイトンは、人種差別反対のキャンペーンなどをおこなってきた筋金入りのリベラル派です。妻のクリスティーナ(Christina)も進歩的な考えの持ち主なのですが、娘の結婚話に驚きその心中は複雑です。

そんな中、ジョンの両親も、息子のフィアンセにいち早く会いたいと、サンフランシスコへとやって来ます。しかし息子の相手が、白人の若い女性だと思ってもいなかったため大いに困惑するのです。ジャーナリストのマットの親友で、やはり進歩的な考え方を持つ神父が、「リベラルの化けの皮が剥がれたな」などと、マットをからかいます。マットは、理想を掲げて長年戦ってきたジャーナリストです。己の内部にもある差別心に真摯に対峙せざるを得なくなるのです。

「招かざる客」の監督は社会派といわれるスタンリー・クレイマー(Stanley Kramer)、主演はスペンサー・トレーシー(Spencer Tracy)、シドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)、キャサリン・ヘップバーン(Katharine Hepburn)です。クレイマーは「渚にて」(On the Beach)、「ニュールンベルグ裁判」(Judgment at Nuremberg) 、「手錠のままの脱獄」(The Defiant Ones) を手掛けています。

懐かしのキネマ その25 人種差別と「夜の大捜査線」

ミシシッピ州(Mississippi)の小さな町スパルタ(Sparta)に夜行列車から一人の黒人が降り立ちます。フィラデルフィア(Philadelphia)市警殺人課の敏腕刑事ヴァジル・ティッブス(Virgil Tibbs)です。彼は、人種偏見と差別が厳しい小さな町スパルタで起きた殺人事件に偶然捜査に加わることになります。捜査で対立する白人の人種差別的な警察署長との緊張を描いたサスペンス映画が「夜の大捜査線」(In the Heat of the Night)です。

スパルタで有力者の殺人事件が発生します。うだるような熱帯夜のなか、巡回していたパトカーの警官が死体を発見します。人種偏見の強い町の駅待合室にいた「よそ者」刑事ヴァジルは警官によって容疑者として連行されます。白人警察署長ジレスピ(Chief Bill Gillespie)の前に突き出されてしまいます。

滅多にない殺人事件に手を焼く署長ジレスピは、地元市長からの圧力もあって、屈辱感を覚えつつも都会のベテラン刑事ティッブスに捜査協力を依頼します。署長はもともと頑固な差別主義です。人種偏見が根強い町であるために、捜査は暗礁に乗り上げます。ですが次第にティッブスの刑事としての能力に署長も一目置くようになります。ティッブスと署長との間には奇妙な友情のようなものが生まれます。ティッブスが町を去る日、駅には彼を晴れやかな表情で見送る署長の姿があります。

懐かしのキネマ その24 黒人俳優と「野のユリ」

読者にいつかは是非観ていただきたい作品に「野のユリ」(Lilies of the Field)があります。1963年の社会派作品です。黒人青年のホーマー・スミス(Homer Smith)はアリゾナ(Arizona) の砂漠を放浪していました。車の故障で砂漠の一軒家にたどり着きます。そこには東ドイツからの亡命者である5人の修道女が住んでいます。ホーマーを見た修道女マリア院長は、ホーマーを「神が遣わした者」と信じ込み、この砂漠の荒れ地にある思いを抱きます。

屋根の修理だけを引き受けることにしたホーマーですが、院長はいっこうに賃金を支払おうとしません。食事も誠に質素でホーマーの腹を満たすことはありません。それどころか、マリア院長は無理やりホーマーに教会堂(chapel)の建設を手伝うように迫るのです。ホーマーは聖書の一節を引用して、自分は正当な賃金を貰えるのだ、と主張します。マリア院長はルカによる福音書12章27節の【野のユリはいかにして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。されど、我汝らに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだにその装い、この花の一つにも及ばざりき】と読み上げ、不満を言ってはならないと講釈するのです。この画面は実に秀逸です。

夕食が終わると、ホーマーは修道女に英語を手解きし、唄を教えます。それが「Amen」です。ホーマーは嫌々ながらも修道女たちに協力するようになっていきます。建築仕事に自信のあるホーマーはプライドを刺激され、教会の建設に執念を燃やし始めます。ホーマーは自分の作品として独りで建設することにこだわり、町の人々の協力を断わります。ですが次第に考えを改めて、町の人々と協力して教会の建設を進めるようになります。

マリア院長と修道女たちは、慈善団体に手紙を出し、寄付金を募り、地元の建設会社に資材の提供を頼み込みます。彼女たちの熱意にほだされた社長はとうとう建設資材を寄付することを申し出ます。紆余曲折、マリア院長の望んだ教会堂は奇跡的に完成します。ホーマーは自分の名を鐘の尖塔に刻みます。教会堂完成のお祝いが終わった夜、ホーマーは翌日の献堂ミサに出席することもなく、車で放浪の旅に戻ってゆきます。最後のシーンには「Amen」というテロップが流れます。

ホーマーを演じたのは、黒人俳優としては初めてアカデミー主演男優賞を受賞したシドニー・ポワチエ(Sidney Poitier)です。ハリウッド映画(Holleywood)における黒人俳優の地位を向上させた先駆者的な名優です。1968年『招かれざる客』(Who’s Coming to Dinner)、『夜の大捜査線』(In the Heat of the Night)でも主演し、社会的かつ人種差別問題に真正面から取り組んでいます。

懐かしのキネマ その23 アクション映画「ダーティ・ハリー 」

1971年製作でクリント・イーストウッド(Clint Eastwood) が演じる「ダーティ・ハリー」 (Dirty Harry)は現代の西部劇のようなアクション映画です。ハリー・キャラハン(Harry Callahan) 刑事は、職務遂行のためには暴力的な手段も辞さなく、しかも組織と規律から逸脱していくアウトロー的、かつ直情径行で信念を貫徹する性格です。それゆえ仲間からは【汚い損な役回り】、ダーティ・ハリーと呼ばれています。キャラハンはアイルランド系の刑事。アイルランド人の国民性として、直情的とかおしゃべり好き、負けん気が強い、褒め言葉を素直に受け入れない、などが特徴だといわれます。少々ステレオタイプの響きがありますが、、、

ベトナム帰還兵の偏執狂的連続殺人犯との攻防を繰り広げるのが「ダーティ・ハリー」です。 その後次々とシリーズ化され、『ダーティ・ハリー2』 、『ダーティハリー3』、『ダーティ・ハリー4』、『ダーティ・ハリー5』と続きます。その後に撮影されたアクション映画にも影響を及ぼします。アウトローな性格ながら、警察規則と信念との狭間で正義を貫く様が映画ファンを魅了してきました。

主人公キャラハン刑事の使用している銃は、この映画で有名になったといっても過言ではない凄い威力の拳銃『44マグナム』です。本来は狩猟用に開発されたものといわれ、象すら倒すといわれ装填される弾丸は.44マグナム弾です。「ダーティ・ハリー」で一気に人気がでた拳銃です。

サンフランシスコで狙撃殺人事件が発生します。スコルピオ(Scorpio)と名乗る犯人は警察に対し、10万ドルを支払わなければ、次の犠牲者として黒人か神父を狙うと予告してきます。キャラハンは新しい相棒と共に、犯人の要求通り金を用意しますが、公衆電話を使った犯人の要求に振り回されます。何とか犯人を逮捕するのですが、証拠が認められずに、犯人は釈放されてしまいます。ここからハリーとスコルピオの闘いが再開です。

懐かしのキネマ その22 マカロニ・ウェスタンと日本映画

マカロニ・ウェスタンは日本でも大層な人気を集めました。主演俳優の個性的な演技が大いに受けたものです。ジュリアーノ・ジェンマ(Giuliano Gemma)、フランコ・ネロ(Franco Nero)、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)といったキャラクターです。3人とも視聴者に強烈な印象を与えました。『荒野の1ドル銀貨』、『南から来た用心棒』、『星空の用心棒』。どれも流れ者が用心棒となって悪を懲らしめるのです。勧善懲悪映画の【真髄】ともいえましょうか。

日本では1970年代からマカロニ・ウェスタンの影響を強く受けた時代劇が制作されていきます。テレビドラマでは笹沢左保の時代小説『木枯し紋次郎』、池波正太郎の『必殺仕掛人シリーズ』、小池一夫の『子連れ狼』、『御用牙』、子母澤寛の『座頭市と用心棒』などです。悪を退治するだけでなく、権力者の弱みを握って己の正義を貫くという主張です。どの作品もマカロニ・ウェスタンのスタイル、演出、音楽などの要素を取り入れたものとなっています。

マカロニ・ウェスタンでは、「既成のヒーロー像の逆をいく」というのが基本コンセプトなので、『続・荒野の用心棒』のような強烈なインパクトのあるアンチヒーロー像が必要でした。その要求を満たすため様々な主人公が登場しました。聖職者のガンマン、棺桶を引きずったヒーロー、盲目のガンマンなどです。やがてガンマンという主人公のアイデアが枯渇し、1970年代に入るとそのブームは失速していきます。原作者がシナリオを作っても、興行的な見通しが立たなくなったのです。マカロニ・ウェスタンの復活は1971年の「ダーティハリー」(Dirty Harry) や1982年の「ランボー」(First Blood)まで待つことになります。

懐かしのキネマ その21 荒野の用心棒

セルジオ・レオーネ(Sergio Leone)監督の元祖マカロニ・ウエスタンが「荒野の用心棒」です。黒澤明の傑作「用心棒」に着想を得て製作した作品です。テレビ西部劇「ローハイド」(Rawhide) で人気が出ていたクリント・イーストウッド(Clint Eastwood) は、本作の成功で映画スターとしてブレイクします。その後、「夕陽のガンマン」、「続・夕陽のガンマン」の2作で主演し、俳優としての地位を確立していきます。

アメリカとメキシコ国境にある小さな町サン・ミゲル(San Miguel).に、葉巻をくわえ薄汚いポンチョをまとった流れ者のガンマン・ジョーが(Gunman Joe) 現れれます。ジョーは酒場のおやじから、この街では二人の保安官の2大勢力が常に縄張り争いをしていること、今やサン・ミゲルの街は荒廃しきっていて、その挙げく儲かっているのは棺桶屋だけだと聞かされるのです。ジョーはからんできたゴロツキ4人をたった1人で早撃ちで瞬殺し、スゴ腕ぶりを見せつけます。そして用心棒として雇われるのです。そして、両陣営を争わせ共倒れさせようと密かに計略をめぐらします。

マカロニ・ウエスタンの人気は、アメリカにおける大ヒットから生まれます。暴力的なシーンを多用した乾いた作風や激しいガン・ファイト(Gun fight)が、それまでのアメリカで西部劇の価値観を大きく変えたと言われています。「映画は娯楽」を徹底的に追求した新しい映画のジャンルといえましょう。