懐かしのキネマ その50  【グリーンマイル】

【Green Mile】という作品は、アメリカで起こった世界恐慌(Great Depression) の1930年が舞台です。ルイジアナ州(Louisiana)の刑務所死刑囚棟でポール・エジコム(Paul Edgecomb)は看守を務めています。そこに一人の大男の黒人ジョン・コフィー(John Coffey)が送られて来ます。双子の少女を強強姦殺人したという容疑で死刑を宣告されたジョンは、その風貌や罪状に似合わないほど弱く、繊細で純粋な心を持っていました。いかつい外見に反して純真な心を持っていたジョンには触れるだけで人の病を治してしまう不思議な力がありました。

電気椅子に向かうコフィ


ある時、コーフィは局部を掴んだだけでポールの重い尿路感染症を治してしまうのです。彼はその後も、看守の1人、パーシー (Percy Wetmore) に踏みつけられ瀕死の重傷を負わされたネズミの命を救い、これを見た看守たちは、コーフィは不思議な力を神から授かった特別な存在なのではと考え始めます。同時にポールは、コーフィが電気椅子に送られること、それを行う自分たちは大きな過ちを犯しているのではないかと悩み始めます。

しばらくして、“ワイルド・ビル(Wild Bill)という凶悪な死刑囚が送られてきます。コーフィは刑務所所長のハルの妻・メリンダ(Melinda)から吸い取った病気をすぐに吐き出さず、パーシーに移します。パーシーは錯乱状態となってビルを銃殺し、まもなく精神病院に送られます。それからコーフィはポールの手を取って双子の少女の殺人事件の真相を伝え、ポールはビルが双子の少女を殺害した真犯人だったと知るのです。

しかし、コーフィの冤罪を覆す証拠は存在せず、死刑執行が決定されます。ポールたちはコーフィに脱獄を勧めるのですが、「世界中で、今も愛を騙って人が殺されている」「毎日のように、世界中の苦しみを感じたり聞いたりすることに疲れたよ」と言いコーフィはそれを拒否して死ぬことを選びます。数日後、コーフィは電気椅子に送られポールの手で処刑されます。

懐かしのキネマ その49 【ショーシャンクの空に】

原題は「The Shawshank Redemption」という映画です。冤罪、収賄、虐待、人権、友情などが入り交じった名作です。優秀な銀行員アンディ・デュフレーン(Andy Dufresne)は妻とその愛人を射殺した罪に問われ、無実を訴えるのですが終身刑の判決が下ります。そしてショーシャンク(Shawshank) という刑務所に収監されます。最初は刑務所の「しきたり」にも逆らい孤立していたアンディですが、刑務所内の古株で調達係のレディング「レッド」(Red) はアンディに他の受刑者達とは違う何かを感じ彼が気に入ります。

レッドは、屋根を修理する屋外作業のメンバーに彼を入れます。その作業の途中、アンディがハドレー刑務主任(Captain Hadley) に相続税対策について助言したことがきっかけになり、アンディは刑務官たちの資産運用や納税書類の作成などの仕事を引き受けるようになります。こうして刑務所職員からも受刑者仲間からも一目置かれる存在になっていきます。

そんなアンディを見込んだワルデン・ノートン所長(Warden Norton)から命じられ、アンディは賄賂や裏金といったノートンの貯め込んで表に出ない金を管理するようになります。アンディは刑務所内の図書室の再建や、囚人たちの教育にも熱心に取り組みます。所長は、囚人達の社会更生を図るという名目で、彼らを労働力として野外作業をさせ始め、そこからピンハネしたり土建業者達からの賄賂を受け取り始めるのです。そしてアンディは「ランドール・スティーブンス」(Randall Stevens)という架空の人物を作り出し、その多額の不正蓄財を見事に隠蔽するのです。

一方で、アンディが出そうとした再審請求はノートンにより阻まれます。ノートンの不正蓄財の事実を知り過ぎていたために、ノートンはアンディを外に出したくなかったのです。ノートンの命令により、アンディは2カ月あまりを穴倉のような懲罰房で過ごし、ようやく外に出ることが許されます。彼は元通り、所長の会計係としての仕事を続けます。

アンディにはある計画がありました。それは脱獄です。入所してから、アンディは聖書をくりぬき、その中に隠し持っていた小さなロックハンマーでこつこつと壁をくりぬいていました。その壁の穴はレッドの調達してきた映画女優のポスターで隠されていたのです。女優のポスターが何代も世代交代したのち、ようやく脱出口は完成します。そして、アンディはついにショーシャンクからの脱出に成功します。

アンディは所長の多額の不正蓄財について告発状を新聞社へ送ります。刑務所に捜査のメスが入り、ハドリー主任は逮捕され、所長は拳銃自殺します。アンディは、ノートンが貯め込んだ裏金を銀行から全て引き出しメキシコで自由の身となります。レッドは服役40年目にしてようやく仮釈放され、アンディの伝言を信じて彼が野原の木の脇に隠しておいたお金を見つけます。そこに残されたメモを見て、メキシコ(Mexico) のジワタネホ(Zihuatanejo) へ向かいます。そして、海辺で古いボートを修理し、悠々自適の生活をおくるアンディと再会を喜び合うのです。

懐かしのキネマ その48 【スターリンの葬送狂騒曲】

イギリスやフランスで作られた歴史ドラマには、なかなか興味深いものがあります。2017年に製作されたコメディ【スターリンの葬送狂騒曲】(The Death of Stalin)もそうです。題名が凄いですね。独裁者スターリン(Iosif Stalin)の死によって引き起こされるソビエト連邦政府内の権力闘争をコミカルに、しかも辛辣に描いた作品です。ロシアで上映禁止となるほど話題を集めたブラックコメディ(Black Comedy)を紹介します。

舞台は1953年の旧ソビエト連邦です。粛清という恐怖で国を支配していた絶対的独裁者スターリンが寝室で休んでいたとき、発作を起こし昏睡状態に陥いります。卒倒したスターリンの周りに、ソビエト連邦共産党の幹部たちが次々に駆けつけてきます。粛清によって有能な医師がいなくなっていた中、経験不足の若手や引退したやぶ医者までかき集めて何とか編成した医師団と看護師が、スターリンを診察します。そして「スターリンは脳出血により右半身麻痺の状態、回復の見込みはない」という医師たちの診断に、次期最高権力者の座を狙う側近たちは驚喜します。

表向きは厳粛な国葬の準備を進める一方、その裏では側近たちが後釜を狙い熾烈な争いを繰り広げていきます。スターリンの腹心だったマレンコフ(Georgy Malenkov)、中央委員会第一書記のフルシチョフ (Nikita Khrushchev)、大粛清の主要な執行者といわれたベリア(Pavlovich Berija) が3大トップとなります。そこにソ連軍最高司令官で大戦の英雄であるジューコフ(Georgy Zhukov) までが権力争いに参戦してきます。

葬儀の当日も、スターリンの遺骸の周りに立つ幹部たちは他のメンバーに対する悪口を言い合います。ベリヤが弔問客に教会の関係者を含めたことについて、フルシチョフらは「スターリン主義に反する」とさや当てする始末です。最高司令官でジューコフと組んだフルシチョフは、マレンコフを除く他の共産党幹部の同意も取り付け、ベリヤの失脚に向けた準備を進めます。葬儀後に開かれた幹部の会議でフルシチョフがベリヤの解任を提議します。ジューコフら軍人によってベリヤは連行され処刑されます。

コント的な笑いが随所にあります。スターリンが倒れ失禁します。そこに医者を呼ぼうにも名医はすでに処刑されヤブ医者しか集められないという話、閣僚会議で互いの出方をうかがって手を挙げたり下げたりで、恐怖政治が生み出した不条理な状況を笑いとペーソスで演出する映画です。

懐かしのキネマ その47 【誰がために鐘は鳴る】

1943年にゲイリー・クーパー(Gary Cooper)とイングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)が主演した映画です。原作は1940年にアーネスト・ヘミングウェイ(Earnest Hemingway) が発表した長編小説【誰がために鐘は鳴る】(For Whom the Bell Tolls)で、それを映画化したものです。

1936年7月、フランコ将軍(Francisco Franco) の率いる右派将軍たちの反乱をきっかけにスペイン内戦(Spanish Civil War) が勃発します。地主、貴族、資本家、カトリック教会などの保守勢力が反乱軍を支援したため、この反乱はスペインを二分するスペイン内戦に発展します。その後、フランコは枢軸国のドイツやイタリアの支援を受けて共和国派=反ファシスト (anti-fascist) の政府勢力と戦い、最終的に反乱を成功に導きます。

この内乱下のスペインで反ファシスト軍の一員としてスペイン内戦に参加したのが、カレッジでスペイン語を教えるアメリカ人ロバート・ジョーダン(Robert Jordan) です。内乱によって自由と正義が脅かされるのを黙認できず、共和国派の義勇軍に身を投じ、ゲリラ隊を(guerrillas)率います。敵の輸送路を断つために戦略上重要な橋梁を爆破する任務を背負います。

共和国派の村長を父にもったスペイン娘がマリア(Maria)です。暴徒のために髪を刈り取られ凌辱されますが、ジプシー(gypsy) の仲間に救われ、やがてロバートに情熱を寄せ二人は恋に落ちるのです。山中の洞窟にひそむジプシーの頭目がパブロ(Pablo) です。寄る年とともに、弱気になり我が身の安全ばかりをはかり、ロバートと反目します。パブロの妻はピラール(Pilar) といい、熱烈な共和派の支持者で陽気なジプシー女です。進んで銃をとりゲリラ戦に加わります。夫に代わってジプシーの頭目となります。

ロバートはゲリラ作戦を進めていくうちに、敵の作戦が変更となり、自分の任務である橋梁の爆破が無意味になることを知るのです。しかし連絡の不備から作戦は中止されず、彼は爆破が無駄になることを知りながら橋梁を爆破し、瀕死の重傷を負い、マリアらの仲間を逃がして士官に率いられた反乱軍の一隊を待ち伏せます。

懐かしのキネマ その46 【マディソン郡の橋】

クリント・イーストウッド(Clint Eastwood) が製作・監督・主演を務めて映画です。原作はロバート・ウォーラー(Robert Waller)の小説『マディソン郡の橋』(The Bridges of Madison County) です。大人のラブストーリーで、世界的に大ヒットします。アイオワ州(Iowa)にある屋根付きの橋が小説の舞台です。

アイオワ の小さな農場で主婦フランチェスカ・ジョンソン(Francesca Johnson)は、結婚15年目で単調な日々を送っています。ある日、夫リチャード (Richard)と二人の子どもたちが子牛の品評会(Fair) のため隣州へ出かけ、彼女は4日間、一人きりで過ごすこととなります。そこへ一人の男性が現れ道を尋ねるのです。彼はウィンターセット(Winterset) に点在するカバードブリッジ(Covered Bridge)のひとつ、ローズマン橋 (Roseman Bridge)を撮りにやってきたナショナルジオグラフィック(National Geographic) のカメラマン、ロバート・キンケイド(Robert Kincaid)です。

彼の魅力に惹かれたフランチェスカは、彼を夕食に招待します。そこから距離が縮まり、二人はデートの末、許されないと知りつつ恋に落ちそのまま結ばれます。最後の夜、「一緒に来て欲しい」と誘うロバートに、フランチェスカは荷物をまとめますが、ロバートは一人で去っていきます。数日後、リチャードと共に街に出かけたフランチェスカは雨の中、彼女を見つめ立ち尽くすロバートの姿を見ます。フランチェスカは乗っていた車のドアに手をかけ、彼の許へ行こうとしますが思い留まります。

1979年、夫のリチャードが亡くなり、フランチェスカはロバートに連絡をとろうとしますが、消息はわかりません。数年後に、ロバートの弁護士からフランチェスカの手許に遺品が届きます。そこには、手紙やフランチェスカが彼に手渡したネックレスとともに『永遠の4日間』という写真集が入っています。

1989年の冬、母の葬儀のために集まった長男のマイケル(Michael)と妹のキャロリン(Carolyn) が、母フランチェスカの遺書とノートを読みます。「火葬にしてローズマン橋から灰を撒いてほしい」というものです。フランチェスカのノートには「人生の全てを家族に捧げた。せめて残りの身は彼に捧げたい」という遺志が記されています。平凡だと思われていた母親の秘められた恋を兄妹は知ることになります。ようやくその遺志を理解し、後日2人の手で、彼女の遺灰はロバートの遺灰と同様、ローズマン橋の上から撒かれます。

懐かしのキネマ その45 【クレイマー、クレイマー】

離婚と親権という、現代社会が避けて通れない問題を取り上げた家庭劇が『クレイマー、クレイマー』(Kramer vs. Kramer)です。舞台はニューヨーク (New York)・マンハッタン(Manhattan)。仕事熱心の会社員テッド・クレイマー(Ted Kramer)と、家事と育児に励むジョアンナ・クレイマー(Joanna Kramer )夫婦がいます。二人は8年前に結婚し、5歳になる息子のビリー(Billy) がいます。仕事に夢中のテッドに、ジョアンナは愛情を感じなくなっていきます。このままでは自分がダメになってしまうと考え、逃げるように家を出ます。

その後、カリフォルニア(California) でセラピストとして働きながら、ビリーに対しては何通かの手紙を出します。ジョアンナは自分を取り戻し、再びビリーへの愛情に気づいていきます。テッドは、息子ビリーと戸惑いながらも父子二人きりの生活を始めます。息子の朝食を作り、学校まで送った後、自らは急いでタクシーで会社へ向かうのです。ジョアンナが出奔してから1年半の間に、家事と育児に精を出すテッドです。

そんなある日、ビリーがジャングルジムから転落し大怪我を負ってしまいます。そのうえ息子に気を取られ仕事に身が入らないテッドは、会社から解雇されてしまうのです。ジョアンナはニューヨークに戻ります。テッドがビリーを学校に送る様子を近くのカフェから眺め、テッドにその姿を見られます。ジョアンナはテッドをレストランに呼び出し、ビリーを引き取りたいと申し出るのです。テッドは怒りをあらわにして取り合わないため裁判となります。

ジョアンナのカリフォルニアへの出奔中に成立させた離婚で息子の養育権はテッドに渡すと認められます。ジョアンナは、母性を盾に養育権の奪還を裁判所に申し立てるのです。テッドは弁護士に相談するも、失業中のために養育権を勝ち取る見込みはほとんどなくなります。裁判の前にどうしてもビリーと会いたくなったテッドは、弁護士を通してビリーと1日を過ごせるようになり、セントラルパーク(Central Park) で再会したビリーを抱きしめるのです。

裁判でジョアンナは、テッドとの結婚生活が不幸で追いつめられており自殺寸前だったこと、自分に欠点があると考えて子どもを置いていったこと、今は立ち直って仕事もしていることを語り、ビリーは母親の元で育てられるべきと主張します。他方で、テッドの弁護士からは、テッドとの関係がうまくいかなかったことから、ビリーをきちんと育てられる保証はないと責められて涙を流す姿を見せます。結局テッドは「子の最良の利益(best interest of the child)」の原則により敗訴し、ビリーの養育権はジョアンナのものとなります。

裁判が終わり養育権者への引渡しの時がきます。ビリーをジョアンナに引き渡す日の朝、テッドは最初のころは上手くつくれなかったフレンチトーストをつくり、ビリーと二人で最後の朝食をとります。ジョアンナからの電話でテッドがアパートの階下に降りると彼女は思いつめたかのように呟きます。「ビリーは引き取らないわ。その代わり、時々会っても良いかしら? 上に行ってビリーと話してもいい?」。二人は、法廷での激しい応酬を忘れ感極まって抱擁するのです。

懐かしのキネマ その44 【誇り高き戦場】

戦争において音楽を取り上げた映画は多数作られています。私がその中で印象的だと思う作品の1つに『誇り高き戦場』(Counterpoint)があります。監督は既に紹介した「野のユリ」(Lilies of the Field)を製作したラルフ・ネルソン(Ralph Nelson)、主演はチャールトン・ヘストン(Charlton Heston)やマクシミリアン・シェル(Maximilian Schell)らです。

大戦終了間際の1944年12月、名指揮者ライオネル・エヴァンス (Lionel Evans) が率いる交響楽団は、米軍慰問協会主催のコンサートのためにベルギー(Belgium) に向かいます。しかし、演奏中にドイツ軍が反撃を開始し楽団は移動を余儀なくされます。その移動中に楽団員が乗るバスがドイツ軍に囲まれ、楽団はドイツ軍の指令本部に連行されます。

指令本部で、処刑が趣味であるドイツ軍のアーント大佐(Colonel Arndt)によって楽団員は処刑されそうになります。司令官であるシラー将軍 (General Schiller) はそれを阻止します。そしてシラー将軍は、エヴァンスに兵士の士気を高めるために演奏するように頼むのですが、エヴァンスは拒否し、楽団は地下に監禁されてしまいます。楽団員は、演奏を拒み続けるエヴァンス抜きでリハーサルを始め、コンサートマスター(concert master)であるヴィクター・ライス(Victor Rice)が代わりに指揮をします。そこにシラー将軍が来て、エヴァンスの指揮でないと意味はないと言い張るのです。ヴィクターの妻であるアナベル(Annabelle)がエヴァンスを呼び戻し、エヴァンスはようやくリハーサルの指揮をすることになります。彼は楽団員とともに計画を立て脱出しようとしますが、計画は失敗に終わります。

翌日、エヴァンスは時間稼ぎのため、シラー将軍にコンサートで演奏することを受け入れ、その日の夜、楽団は演奏を始めます。演奏が終わると、楽団員はアーント大佐によって墓の前に立たされ処刑されようとするのですが、直前にパルチザン(Partisans) が駆けつけ処刑を免れます。そして、楽団員はバスに乗り脱出に成功しますが、エヴァンスは残りアーント大佐と対決します。そこにシラー将軍が現れ大佐を射殺するのです。

懐かしのキネマ その43 【西部戦線異状なし】

第一次世界大戦におけるフランスとドイツ国境での戦いは、いろいろなメディアで紹介されています。その1つがNHKで放映された「映像の世紀」です。第1次世界大戦から、第2次世界大戦、東西冷戦からベトナム戦争、民族紛争へと続く、激動の20世紀を描き出しています。「映像の世紀」の第2集「大量殺戮の完成」では、第1次世界大戦における機関銃、戦車、飛行船による空爆、毒ガス兵器など、大量殺戮兵器の実態が描かれています。

エーリヒ・レマルク(Erich Remarque)は、1929年に『西部戦線異状なし』(All Quiet on the Western Front)という長編小説を発表し、第一次世界大戦のドイツ軍のフランス戦線を描きます。この小説が1930年に映画化されます。本作が訴えた反戦思想は、数多くの戦争映画に多大な影響を与えた古典的名作です。監督のルイス・マイルストン(Lewis Milestone)は、イデオロギーや戦争理念等の国家思想を極力排除し、純粋な戦場映画に仕上げています。

この映画の荒筋をWikipediaを参照しながら、簡略に記述してみます。ドイツ軍への学生志願兵ポール・ボウマー(Paul Baumer)は、厳しい新兵訓練に耐え、フランス軍との前線になっている西部戦線へ赴きます。爆発音がするたび怯えるポールたちに、古参兵は危険な砲弾の見分け方について教えます。戦友の1人が砲弾の犠牲となり死亡します。ポールたちは戦場の過酷さを思い知らされます。他の隊への移動が決まり、ポールたちは塹壕で待機する日々を過ごすことになります。断続的な砲弾の音に恐怖し、次第に皆ストレスを募らせ、精神に異常をきたした友人は塹壕から飛び出し、重傷を負ってしまいます。フランス軍との実戦では、機関銃や銃剣、手榴弾を駆使して徹底的に殺し合う白兵戦です。

戦闘中、砲弾を避けるため窪みに潜んでいたポールは、そこへ飛び込んできたフランス兵を刺してしまいます。フランス兵は虫の息ながらまだ生きています。罪悪感に苛まれたポールは必死に看病するのですが、朝になってフランス兵は息を引き取ります。ポールが彼の胸元から支給袋を取り出すと、そこには妻と娘とおぼしき写真が挟まれています。ポールは遺体に向かって、必ず家族に手紙を書くと誓い、泣きながら謝るのです。

ポールも負傷し、病院へ運ばれます。夜中に出血したポールは、死に際の患者が入れられるという「死の部屋」へ移されます。今まで誰も戻ってきたことがないといわれた部屋からポールは生還し、無事に退院します。休暇をもらったポールは実家へ帰省し、家族との再会を喜び合います。父親とその友人たちと食事へ行くと、実際の戦場の厳しさを知らない彼らは無責任な話しばかりで、耐えかねたポールは母校へと向かいます。

かつて扇動的な言葉で煽ってポールたち若者を戦地に次々と送り込んだ担任教師は、今も生徒たちを扇動しています。母校を訪れたポールをこの教師は理想的な若者だと褒め称え、生徒たちの前で話をしてほしいと頼みます。ポールは戦場の悲惨さを伝え、祖国のために命を犠牲にする必要はないと語りかけるのです。美談話を期待していた教師は怒り反論します。生徒たちもポールを臆病者だと罵しるのです。

前線へ戻ったポールは足を負傷した友人を背負い、病院へ向かいます。砲撃が続く中、ポールは気がつかず負傷兵に話しかけます。病院に着くと、兵士は既に息を引き取っていることを知らされます。戦闘へと戻ったポールは塹壕の中で、ふと視線の先に蝶を見つけ、手を伸ばそうと身を乗り出します。その瞬間、敵兵に狙撃され命を落とすのです。ポールが戦死した日の司令部報告には「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」と記載されているのです。作者のレマルクは、この言葉に戦争の不条理さを伝えています。

懐かしのキネマ その42 【卒業】

『卒業』(The Graduate)もニューシネマ(New Cinema) の代表といえるほど、映画フアンにはたいそう受けた作品です。アメリカ東海岸の有名大学陸上部のスターで新聞部長でもあったベン・ブラドック(Ben Braddock)は、卒業を機に西海岸のカリフォルニア州のパサデナ(Pasadena)へ帰郷します。ベンは、将来を嘱望されながらも浮かない虚無的な毎日を送っています。友人親戚一同が集った卒業記念パーティーで、将来を約束されたベンに人々は陽気に話しかけます。そのパーティーで、父親の職業上のパートナーであるミスター・ロビンソン(Mr. Robinson)の妻のミセス・ロビンソン(Mrs. Robinson)と再会します。卒業記念のプレゼント、赤いアルファロメオ(Alfa Romeo)でミセス・ロビンソンを送ったベンは、彼女から思わぬ誘惑を受けるのです。

二度目のデートの当日、約束の場所に来たのはミセス・ロビンソンです。彼女は自分の娘でベンのガールフレンドのエレン(Ellen)と別れるように迫り、別れないならベンと交わした情事を娘に暴露すると脅すのです。焦燥したベンはエレーンに「以前話した不倫の相手は、他ならぬあなたの母親だ」と告白します。ショックを受けたエレンは、ベンを追い出すのです。エレンを忘れられないベンは、彼女の大学に押しかけ、大学近くにアパートを借りてエレンを追いかけるようになります。結婚しようという彼の言葉を受け入れかけたある日、ベンは彼女が退学したことを知ります。そしてベンはエレンが医学部卒業の男と結婚することを知ります。

ようやく、彼女の結婚式が執り行われているサンタバーバラ(Santa Barbara)にある教会を聞きだし、そこまで駆けつけたベンは、エレンと新郎がまさに誓いの口づけをした場面で叫ぶ。「エレン、エレーン!!」。ベンへの愛に気づくエレンはそれに答える。「ベーンッ!」。ベンを阻止しようとするミスター・ロビンソン。悪態をつくミセス・ロビンソン。二人は手に手を取って教会を飛び出し、バスに飛び乗ります。バスの席に座ると、二人の喜びは未来への不安を予感するように「サウンド・オブ・サイレンス」(The Sound of Silence)が流れるのです。

懐かしのキネマ その41 【俺たちに明日はない】

「俺たちに明日はない」(Bonnie and Clyde) は、1967年に製作され世界恐慌時代にあった実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画です。この作品は、アメリカにおけるニューシネマ(New Cinema)の先駆的作品の1つであり、画期的な映画と評価されています。その理由は、旧来の保守的でブルジョア的な高級文化、「ハイ・カルチャー」(High culture)が誇る価値観を根本的に批判する新たな文化、カウンター・カルチャー(Counter culture)を盛り込んだ作品として登場したからです。やがて映画やテレビでは犯罪や暴力、殺人やセックスを表現することにオープンになります。芸術でいえば、アヴァンギャルド (Avant-garde)、つまり、先鋭的ないし実験的な表現を主張し、既存の価値基準を覆す思想を叫ぶのです。

『俺たちに明日はない』の荒筋です。クライド・バロウ (Clyde Barrow) は刑務所を出所してきたばかりのならず者です。平凡な生活に退屈していたウェイトレスのボニー (Bonnie) はクライドに興味を持ち、クライドが彼女の面前で食料品店の強盗を働くことに刺激されるのです。二人は車を盗み、町から町へと銀行強盗を繰り返すようになります。やがて、5人組の仲間を組織し、バロウズ・ギャング(Barrow’s Gang)という強盗団となります。当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にありました。その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す強盗団は、凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞で大々的に報道されるようになります。金持ちに狙いを定め、貧乏人からは巻き上げない「義賊的な姿勢」が共感を得、世間からは世界恐慌時代のロビン・フッド(Robin Hood)として持てはやされるのです。

多くの殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯したクライドとボニーは、遂にルイジアナ州(Louisiana)で警官隊によって追い詰められます。そして映画のエンディングは「映画史上最も血なまぐさい壮絶な死のシーンの1つ」と呼ばれるほどのシーンです。このような犯罪行為を前面に打ち出す映画は、カウンター・カルチャーの表現の1つで、仮想的権威を前提とした対抗運動でもありました。