心に残る名曲 その百二 ベートーヴェン その7 「月光ソナタ」

ベートーヴェンの作品で最もポピュラーな曲がこのピアノソナタ第14番嬰ハ短調です。別名「月光ソナタ」(Moonlight Sonata)です。ベートーヴェンが30代のときの作品です。

 「月光ソナタ」という名称は、ドイツの音楽史家で詩人であったレルシュタープ(Ludwig Rellstab)のコメントからつけられています。1832年といえばベートーヴェンの死後5年が経過した年です。レルシュタープはこの曲の第1楽章の印象を指して「スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう」と語ったことに由来しています。

ピアノソナタ第14番は三楽章からなります。第一楽章は、「Adagio sostenuto」といってアダージョより少しテンポを抑え気味にという調子です。第二楽章は「Allegretto」という少し速い速度で演奏されます。第三楽章は、「Presto agitato」とあるように、極めて速く興奮気味に演奏されます。嵐のような情景が浮かびます。

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心に残る名曲 その百一 ベートーヴェン その6 「フィデリオ」

ベートーヴェン唯一の歌劇がフィデリオ(Fidelio) です。完全に聴覚を失った1816年に作られたようです。この歌劇は、主人公レオノーレ(Leonore)がフィデリオという名で男性に変装し、牢獄に潜入し、政治犯として拘留されている夫フロレスタン(Florestan)を救出する物語です。

ベートーヴェンは「フィデリオ」への序曲を作曲するにあたり、何度も推敲を重ねたようです。そして「フィデリオ序曲」とか「レオノーレ序曲」などs4曲を書いています。ベートーヴェン自身は自由主義思想への強い共感を抱いていて、英雄を崇拝するような作風が強く反映されているといわれます。男声合唱による政治犯達の自由を謳う力強い囚人の合唱、フロレスタンをレオノーレが助けにやってきて救出する場面、そしてフィナーレの合唱は第九番の合唱を思い起こすほどです。

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心に残る名曲 その百 ベートーヴェン その5 交響曲第三番、交響曲第五番、交響曲第六番

「楽聖」と呼ばれるベートーヴェンの作品で、交響曲は作品の華といえるものです。
交響曲第三番変ホ長調についてです。1804年、ナポレオン(Napoleon Bonaparte) はフランス帝国の皇帝であることを宣言します。ベートーヴェンは皇帝への畏敬を表しながらも複雑な思いでこの曲を作ります。自分より一歳年上のナポレオンの超人的な指導力に恐れと敬意を抱いたようです。やがてナポレオンへの独裁政治に幻滅を感じながら、「英雄(Eroica)」を作曲します。交響曲の中でも最も壮大にして華麗な曲です。第二楽章は「葬送行進曲」(Funneral March on the Death of Eroica)とよばれ、演奏者たちはこれまで聴いたことのない曲にいかに演奏するかで、数週間のリハーサルで戸惑ったといわれます。後世の評論家は、「最も独創的、荘厳、かつ深遠な響きの音楽」と讃えています。

 次ぎに、交響曲第五番ハ短調です。ベートーヴェンの作品で最も知られた曲です。冒頭、半拍を置くシンコペーションによって曲が始まります。出だしの四つの音符が、この曲の類い希な人気を示しています。第一楽章の「Allegro con brio」は輝きをもって速く、第二楽章の「Andante con moto」は歩くような速さでしかも躍動感を示し、第三楽章の「Allegro」は陽気でしかも快活に、そして第四楽章の「Allegro – Presto」快速さという構成となっています。作曲したのは、1805年頃といわれますが、1808に第六番と一緒にウィーンで初演奏されたというエピソードがあります。通称「運命」と呼ばれています。

第五番とともに双璧といわれる交響曲第六番ヘ長調は、1808年に作られます。ベートーヴェンは自然と親しみ、ウィーンにいたとき田舎を長い時間をかけて散歩したといわれます。ベートーヴェン自身が、絵画的な描写というよりも感情の表現をあらわす曲であるといっています。古典派交響曲としては異例の五楽章で構成されています。第一楽章の「Allegro ma non troppo」はなはだしくなく速く、印象的な旋律です。第二楽章の「Andante molto moto」は、散歩する情景を表します。鳥の鳴き声も聞こえます。第三−四楽章の「Allegro」は文字通り嵐の描写です。そして第四楽章の「Allegretto」は嵐の後の喜ばしい感謝の気持ちの牧歌となり、聴く者をしてあたかも「田園」を散策しているかのように誘います。

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心に残る名曲 その九十九 ベートーヴェン その4 ソナタ形式を飛躍的に発展

ベートーヴェンはファイファー(Tobias F. Pheiffer)という宮廷オルガン奏者に師事します。彼の指導によってクラヴィアやオーボエの奏者としても長足の進歩を遂げたようです。宮廷での仕事の中でボンのオペラ劇場の通奏低音奏者となります。1787年にウィーンのボヘミヤ系貴族、ヴァルトシュタイン伯(Ferdinand von Waldstein)と出会います。彼はベートーヴェンの演奏を聴いて献身的なパトロンとなります。ヴァルトシュタインは、ベートーヴェンをモーツアルトの後継者という触れ込みで道をつけていきます。ベートーヴェンは、こうしてウィーンの貴族社会に受けいれられていきます。1790年にはハイドンがロンドンに向かう途中、ボンに立ち寄り、ベートーヴェンの楽譜を見せられ、それが印象に残ったといわれます。後にベートーヴェンはピアノソナタ第21番ハ長調をヴァルトシュタイン伯に献呈したほどです。この曲は「ヴァルトシュタイン」という通称でも知られています。

 聖ステファン大聖堂(St. Stephan Cathedral)のオルガン奏者、ヨハン・アルブレヒベルガー(Johan Albrechtberger)に師事します。アルブレヒベルガーは、古い流儀の対位法に造詣が深く、ベートーヴェンは求めていた幅広い技術を身につけていきます。1795年にウィーンでピアニストとしてデビューします。自作のピアノ協奏曲第二番とモーツアルトの曲を弾きます。1800年には大がかりな公開演奏会を開きます。ピアノ協奏曲第一番、七重奏曲、交響曲第四番などを演奏します。

ベートーヴェンの作品と業績についてです。それまで声楽より劣るとされていた器楽を高い水準に引き上げたのがベートーヴェンです。感情の激しさと曲の構造の精緻さが結合したといわれます。先達から引き継いだ対位法とかソナタ形式を飛躍的に発展させ、特に交響曲と弦楽四重奏曲にその楽曲が顕著に示されているといわれます。

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心に残る名曲 その九十八 ベートーヴェン その3 「交響曲第三番変ホ長調 英雄」

ベートーヴェンの創作を三つの時期に分類したのがロシアのウィルヘルム・レンツ(Wilhelm von Lenz)という著作家です。ベートーヴェンの作曲活動を知るうえで非常に興味ある話題なので取り上げることにします。

 第一期は、1794年の3つの第一期はピアノトリオを(Piano trio)完成し、1800年の交響曲第一番と七重奏曲を作った時期です。この期の作品は、ベートーヴェンが得意とするピアノによる曲が目だつようです。そこには、2つの特徴である対照的なダイナミックさを個性的に使用することや、クレッシエンドから突然ピアニッシモになるといった工夫がみられることです。これは即興演奏からの技法が次第に入り込んでくるためといわれます。

 

 

 

 

 

 

 

第二期は1801年から1814年頃で、嬰ヘ短調ソナタ「月光」、ピアノ三重奏曲第7番(大公)、交響曲第三番「英雄」(Eroica)やピアノ協奏曲第四番、即興的素材の使用が目立つ時期といわれます。和声は基本的に単純で和声が基本的な拍数との関係で使われます。ストレスとアクセントを使います。その結果、ベートーヴェンの曲はあらゆる作曲家の中で、同じ旋律を繰り返すことが最も少ないといわれます。

第三期は1814年から没年の1827年の時期です。ベートーヴェンはヘンデルに傾倒し、より対位法を本格的に使用するようになります。「英雄」がそうです。第一楽章は複数の主題、緩徐章と呼ばれる第二楽章の展開部は比較的短く叙情的で、第三楽章はスケルツォ(scherzo)、メヌエット(minuet)など舞踏的な性質が特徴で、終楽章の第四楽章は以前よりずっと重要視され、特に主要楽章となり、活気のある優雅さが特徴といわれます。

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心に残る名曲 その九十六 ベートーヴェン その1 「ドイツ3大B」

学校の音楽教室といえば、歴代の作曲家の肖像画がずらりと並んでいたものです。とりわけ、少々「怖い」顔でペンを持ち楽譜に向かうのがベートーヴェン(Ludwig van Beethoven)でした。ドイツが生んだ三人の作曲家がバッハ(Johann Sebastian Bach)、ブラームス(Johannes Brahms)、そしてベートーヴェンです。「ドイツ3大B」と呼ばれる所以です。

 1770年生まれのベートーヴェンは、楽才では世界的にしられています。特に器楽形式である交響曲を高度に完成させ、作品はウィーン古典派の頂点を示すといわれます。

ベートーヴェンの家は、オランダ南西部からフランス北東部にまたがる地方であるフランドル (Flanders)の出で、祖父の代にボン(Bonn)に移住します。祖父はケルン選帝候(Kurfurst)の合唱団の歌手でやがて楽長の座につきます。息子のヨハンも同じ合唱団にいたようです。当時の音楽家と同じく、音楽を職業とする家で育ちます。6歳のときにクラヴィア協奏曲やトリオを演奏したようです。クラヴィア(Clavia)とは、鍵盤つきの弦楽器のことです。ピアノやハープシコード(harpsichord)を指します。

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心に残る名曲 その九十五 ヴェーバー その3 「舞踏への勧誘」

ヴェーバーの三回目です。「魔弾の射主」は17世紀半ばのボヘミヤの山村地方が舞台です。題材は自然や民衆的な人間性を要素としています。ヴェーバーの音楽史上での意義は、主としてオペラの領域にあるといわれます。彼の特色が集大成となったのが代表作となったこの「魔弾の射主」といわれます。ドレスデン(Dresden)でもこの曲は大変な人気だったようです。25回に渡って演奏されたといわれます。

 1825年に歌劇オベロン(Oberon)を作曲します。オベロンとは西欧の妖精といわれます。この歌劇はロンドンのコベントリーガーデン(Coventory Garden)劇場の依頼で作られたものです。

ヴェーバーの才能は、オペラ以外にも各種多様な作品を生み出したことに示されます。彼自身がすぐれたピアニストであったため、ピアノ曲、ピアノ合奏曲に注目すべき作品があります。「舞踏への勧誘変ニ長調」(Invitation to Dance)もそれです。誰にも覚えやすい優しくも華麗な旋律です。ロンド形式(Rondo)といって、異なる旋律を挟みながら、同じ旋律であるロンド主題を何度も繰り返す楽曲で知られています。踊りは確かに同じような動作の繰り返しですから、ロンド形式の音楽が必要なのでしょう。

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心に残る名曲 その九十四 ヴェーバー その2 魔弾の射手

ヴェーバーは11歳で初めてオペラを作曲したというのですから、その才能はうかがい知るべしです。1821年に初演された「魔弾の射手」は3幕のオペラです。ロマン派オペラの先駆的作品ともいわれ、その中でも「序曲」(Overture)、「狩人の合唱」(Chor der Jager)が特に有名です。

 「魔弾の射手」によってドイツ・ロマン派のオペラ様式を完成、そしてワーグナー(Richard Wagner)へと流れを導いた作曲家といわれています。「魔弾の射手」の大成功によって、ドイツ国民オペラの金字塔を打ち立てます。この曲によってワーグナーやベルリオーズなど、後に大作曲家となる多くの人々が作曲家を志したともいわれています。

「魔弾の射手」や「オベロン」(Oberon)などのオペラのほか、「舞踏への勧誘」(Aufforderung zum Tanz)などの器楽曲も残しています。また、オーケストラの配置を現在に近い形に改め、指揮棒を初めて用いた人としても知られています。

序曲のことです。オペラ,オラトリオ,バレエ,組曲などの初めに導入として演奏される器楽曲で、19世紀にはしばしば独立した演奏会用序曲が作曲されます。メンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」(Die Fingals-Hohle),ブラームスの「大学祝典序曲」(Akademische Fest-Ouverture)などの名曲が生れます。

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心に残る名曲 その九十三 ヴェーバー その1 対位

カール・マリア・フォン・ヴェーバー(Carl Maria von Weber)は 1786年生まれで、ドイツのロマン派初期の作曲家、指揮者、ピアニストです。我が国でもたいそう知られた作曲家です。

 ヴェーバーの生い立ちからです。通常、貴族の姓の前につけられるのが「von」ですが、しかし、父祖は製粉業とか農業など地味な家柄だったようです。虚弱な体質で、幼少から座骨を患い、終生足が不自由でありました。父は音楽教育に熱心で、各地で有名な音楽家に息子を師事させていました。10歳にしてすでにハイドン(Franz Haydn)から対位法(counterpoint)を学んでいます。

対位法とは、主旋律に対して和音で伴奏をつけるのですが、伴奏部分も主旋律にすることです。心地良いハーモニーを追求していく中で生まれた理論ともいわれ、基本は3度と6度の和音を使います。旋律と旋律を重ねる方法でもあります。

ヴェーバー家はモーツアルト家と縁戚関係にあったことも幸いしています。17歳でブレスラウ(Breslau)の歌劇場で指揮者兼作曲家として赴任し、音楽家として独立します。1813年にはプラハ(Prague)市立劇場で指揮者となり、さらに1817年にドレスデン(Dresden)宮廷劇場の音楽監督となります。そして1821年にベルリンの王立劇場のこけら落しで、歌劇「魔弾の射手」(Der Freischutz)を自ら指揮をします。そして万雷の喝采を浴び、演奏は大成功だったと記録されています。

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心に残る名曲 その九十三 グノーと「アヴェ・マリア」

チャールス・グノー(Charles Gounod)の二回目です。ローマ留学を終えて、グノーはパリに戻ります。そして国外伝道会教会の合唱長・オルガン奏者に就任します。宗教音楽の敬虔さと抒情的な表現の調和を込めた沢山の宗教曲を作ります。宗教音楽とはカトリック教会の典礼音楽のことです。

グノーはオペラ「ファウスト」(Faust)も作曲します。この曲はやがてフランスオペラの代表といわれるほど名声を博します。しかし、ドイツではゲーテ(W. Goethe)の劇詩から離れているという理由で「マルガレーテ」(Margarethe)と呼ばれるようになります。

「ファウスト」は5幕からなり、老学者ファウストが自分の書斎で、人生をかけた自分の学問が無駄であったと嘆くのです。そこに悪魔メフィストフェレスが現れ、 ファウストの望みを聞くき、美しい娘マルガレーテの幻影を見せます。「金の子牛の歌」、「宝石の歌」が有名です。「兵士の合唱」は北大男声合唱団にいたとき私も歌ったことがあります。

結びに、グノーといえば「アヴェ・マリア」です。この曲は、バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻の前奏曲第一番ハ長調の伴奏を用いています。 その他、「ロミオとジュリエット」(Romio and Juliet)という作品もあります。音楽事典には「幻想交響曲のベルリオーズ(Hector Berlioz)によって敷かれた音楽復興の基礎を新たな軌道に載せたフランス楽派の祖」といわれます。

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