認知心理学の面白さ その十四 エリク・エリクソンとアイデンティティ

錚々たる学術的な成果を残したユダヤ人の心理学者を取り上げています。なぜかユダヤ人の心理学への関心は高いようです。その理由は差別や迫害、そしてトーラ(Torah)というユダヤ教の教えに由来しているような気がします。「Torah」とは生きる意味とか道という意味です。「Torah」には律法(teaching)、教義(doctrine)、教導(instruction)という意味も込められています。「人とはなんぞや」、「いかに生きるべきか」、「人はどこへゆくのか」を「Torah」は示唆しているようです。今回はエリク・エリクソン (Erik Erikson)です。手元に「主体性:青年と危機」という本があります。私が立教大学時代に求めた一冊です。

「株式会社アイデンティティブランディング」より

エリクソンは帝政ドイツのフランクフルト(Frankfurt)で母方がユダヤ系デンマーク人の子として生まれます。Wikipediaによりますと、エリクソンは北欧系の風貌からユダヤ系社会やユダヤ教の教会で逆差別を受け、またドイツ人コミュニティからはユダヤ人であるという理由で差別を受けたとあります。父親が不明という背景も加えて、エリクソンはこうした複雑な状況のなかで育ち、それが後年の研究の動機になったようです。

エリクソンは友人の紹介で、ジクムント・フロイト(Sigmund Freud)の娘であるアンナ・フロイト (Anna Freud)がウィーンの外国人の子弟を対象に始めた私立の実験学校で教師を勤め、その経緯でアンナの弟子となり薫陶を受けます。やがて彼はウィーン精神分析研究所の分析家の資格を取得します。これはいわば国家資格にあたります。ドイツでナチスが政権の座につくとエリクソンはウィーン(Viena)からコペンハーゲン(Copenhagen)を経てアメリカへと渡り国籍を取得します。

エリクソンが有名な「アイデンティティ」の概念にいき着いた背景には、マサチューセッツ州(Massachusetts)のストックブリッジ(Stockbridge)にあるオースティン・リッグス・センター(Austen Riggs Center) にて同一性に苦しむ境界例のクライアントに出会ったことが契機となったようです。そこでエリクソンは「アイデンティティ」という概念、つまり「自己同一性」とか「主体性」の研究に従事します。自己同一性とは「これこそが本当の自分だ」といった実感のことです。自己がつねに一貫した存在であるという内的な体験のこととされています。

青年期は「自分とは何か」「これからどう生きていくのか」「どんな職業についたらよいのか」「社会の中で自分なりに生きるにはどうしたらよいのか」といった問いを通して、自分自身を形成していく時期です。自我同一性がうまく達成されないと「自分が何者なのか、何をしたいのかわからない」という同一性拡散の危機に陥るとエリクソンは主張します。さらに酷くなると精神病や神経症が発症したりします。1994年にオースティン・リッグス・センターには Erikson Institute for Education and Researchという研究所も開設されます。
(アイデンティティのイラストは「株式会社アイデンティティブランディング」 から引用)

認知心理学の面白さ その十三 「自由からの逃走」とフロム 

私が北海道大学に入学したのは1961年です。丁度、安保闘争が収束し、なんとなく弛緩したような雰囲気がキャンパスにありました。そして先輩から言われたことは「本を読め、」ということでした。早速マルクシズム(Marxism) に傾倒するのもいました。寮生活をすると先輩からの「理論的指導」という洗礼を受けるのです。

私は祖母の家に下宿してましたから、先輩からの「指導」は受けませんでした。ですが、「三太郎の日記」とか「チボー家の人々」、「プロテスタンチズムと資本主義の精神」といった新人学生には登竜門となるような流行の本を買い求めました。「自由からの逃走」(Escape from Freedom) という本もそうです。

この本の著書はエリヒ・フロム(Erich Fromm)というユダヤ系のドイツ人心理学者です。ハイデルベルク大学(Heidelberg University)で社会学や心理学、哲学を学び、カール・ヤスパース(Karl Jaspers)、マックス・ヴェーバー(Max Weber)の弟であるアルフレート・ヴェーバー(Alfred Weber)らの影響を受けます。フロムはナチスが政権を掌握した後、ジュネーヴ(Geneva) に移り、さらにアメリカへ移住します。コロンビア大学(Columbia University)で教えた後、ヴァモント州( Vermont)のベニントン大学(Bennington College)で教鞭をとります。

フロムの代表作「自由からの逃走」ではファシズムの心理学的起源を明らかにし、ナチズムに傾倒していったドイツを考察し、国民はどうして国家社会主義にのめり込んでいったかを分析します。このような状況を生み出すこととなった根源として考えられたのが「自由」です。「自由からの逃避のメカニズム」として破壊性と機械的な画一性も示唆します。どういうことかといいますと、思考や感情や意思や欲求は、個人の自発的なもの由来ではなく社会や他人による影響の大きさにあるとします。例えば、人は人道主義的な倫理を信奉していてもそれが達成できない状況では、権威主義的な理想に助けを求めるというのです。そうした傾向は人間の破壊性や同調性に由来するという主張です。

認知心理学の面白さ その十二 アブラハム・マズローと自己実現

マズロー(Abraham Maslow) は日本でも人気のある社会心理学者の一人です。彼は、20世紀初めにポグロム(pohroma)をのがれてウクライナ(Ukraine)のキエフ(Kiev)からニューヨーク(New York)に移住したユダヤ系ロシア人移民です。ポグロムとは1900年代にロシア国内で起きていたユダヤ人差別と迫害運動のことです。

マズローの理論はしばしば引用されます。それは後述する「欲求の段階説」が人の発達にとって理解しやすいこと、そして「自己実現」という道徳的かつ創造的な生き方を分かりやすく説明しているからです。この発達の考え方はユング (Carl Jung)、さらにピアジェ(Jean Piaget)らと共に唱道した「トランスパーソナル心理学」(Transpersonal Psychology) とか人間性心理学と呼ばれる研究分野です。

マズローは、心が健康でも心に悩みを抱える人にもあてはまるアプローチを提案します。マズローは自由意志を用いて、創造的で幸せな生き方を実現することは、人の誰もが本来持っている能力であるとも主張します。「自己実現」を経過する人には、「至高の体験」(Peak Experience)と呼ばれる経験をしたことがあるということも指摘します。すべてのことに意義が感じ、我と世界が一体であることが感じるという体験です。こうした発見から、自己を超越する能力に特に注目するという分野が生まれます。これが「トランスパーソナル心理学」です。なるほど理論が親しみやすく教育的という印象を受けます。

しかし、「自己実現」をなし遂げる人はわずかです。そんなに簡単ではない生き方です。マズローは天職を見つけ幸せになること、至高体験を得ることなどを恐れる性質が人間にはあることをマズローは発見します。この性質を「ヨナ・コンプレックス」と名付けました。ヨナ(Jonah)とは、旧約聖書ヨナ記(Book of Jonah) の逸話に出てくる人物です。ヨナはニネベ (Nineveh) の街を破壊から救うようにとの神の言葉をうけるのですが、恐ろしくなって逃げるのです。それが原因で魚に飲み込まれるというエピソードです。ついでですが、ニネベはイラク北部にある今話題の街モスル(Mosul)のことです。

認知心理学の面白さ その十一 「認知療法」と「行動変容」

ドナルド・マイケンボウム (Donald Meichenbaum)という研究者が1977 年に著作のタイトルで初めて「認知的行動変容(cognitive behavior modification)」という用語を使います。彼は、自己教示トレーニングを強調し、外部からの強化による行動変容よりも「自分との内的な対話」を通して自己肯定的で問題解決に前向きに取り組めるような自己教示を行っていくことができると主張します。マイケンバウムは、「失敗したことやミスをしたことが事実であっても、その原因は自分の至らなさや足りなさを認めながらも、環境や偶然の要因も関係している」という現実的で問題解決を促進する認知を持つように勧めます。

マイケンバボムの研究は、主として障害のある人々の行動の変容に認知的な自己教示をすることによって、自分の考えを振り返り反省し、新しい行動につなげようとするものでした。彼の主張する認知的行動変容の理論に先立つのが、ベック(Aaron Beck) の「認知療法」であることは、すでにその一で説明しました。要はベックは人々が自身の経験をどう知覚しているかを検討することを重視し、その知覚がどれほど歪んでいるかを人々が認識し、その状況を評価するうえでの合理的な様々な可能性を秘めた考え方を見いだす助けを示すものでした。

「認知療法」は,感情や認知も行動の一部であるという主張のもとに「行動療法」と必然的に接近し、融合されていった経緯があります。それ故、「認知的行動療法」(cognitive behavior therapy: CBT)と呼称されるに至っています。CBTでは、自責的で悲観的な認知を修正していくための「認知的アプローチ」と非適応的で効果の乏しい行動を改善していくための「行動的アプローチ」との二つの技法が組み合わされて行われます。

認知心理学の面白さ その十 認知的行動変容

少し古い話に戻ります。1960年代、アメリカでは一時ティーチングマシン(teaching machine)が学校で流行ったことがあります。それを日本の教育工学会の学者が踊らされておじゃんとなりました。コンピュータ上のドリル学習が紙のワークシートに置き換わっただけでした。行動主義理論とプログラム化された学習教材が結びつき、子供の学習で正答には褒美を与えて学習の効果を上げようとするものです。日本教育工学会というところは新しいものに飛びつくのが大好きです。行動主義心理学者のジョン・ワトソン(John Watson)や行動分析学者バラス・スキナー(Burrhus Skinner)の影響を引きずって学会活動は学校になんの役にもたたず無残な結果に終わりました。

  人間の行動が道具的条件づけと呼ばれるオペラント(operant) と環境との関わりによって形成され維持され、また抑制されるというスキナーの研究は、子供の学習にも大きな影響を及ぼし、応用行動分析の礎石となりました。しかし、複雑な人間の存在を行動とその環境の記述に限定することへの批判が高まるのは当然でした。人間を情報処理機械とみなしてその知的機能をモデル化する研究が始まり、クラーク・ハル(Clark Hull)らが提唱する人間の内的過程の解明が進みます。

人間の心や情感などの仕組みをモデル化して、そこから行動を説明するような発想をしたのがハルです。彼は、目に見える行動ではない人間の内側で起きている心とか感情の働きを分析できると唱えます。これは方法論的行動主義と呼ばれました。こうしてティーチングマシンは完全に廃れ、いかに子供の学習の動機付けを内側から持続させたり高めたりできるかというテーマに関心が移っていきます。

ドリル学習といえばフラッシュカードもその類です。ただ、知識の習得では暗記も必要です。暗記したことをつなぎ合わせて、少しずつ全体を見渡せるかが学習の成果につながります。

認知心理学の面白さ その九 トールマンの目的的行動主義とは

エドワード・トールマン(Edward  Tolman)は、認知心理学の先駆けとなった心理学者といわれます。マサチューセッツ工科大学(MIT)を卒業後、ハーバード大学 (Harvard University)で学位を取得し、カルフォルニア大学 (University of California, Berkeley) の教授になります。その後ドイツに留学しゲシュタルト心理学に触れたことが、その後の理論形成に大きな影響を及ぼしたといわれます。

‘The best way to teach my son is by example, you know: Monkey see, monkey do…’


トールマンはメイズ走行などを使い、ネズミの学習実験に従事し、ネズミの目的的な行動を観察します。そこから行動は常に目標に向かって生じるという説をたてるのです。いわば認知的な学習をするというのです。トールマンによれば、人は環境を認知して行動しているため、人がどのように環境を見ているのか、また行動の目的とそれを導く手立てや媒介するものを知らなければならないと主張します。

こうした仲介となる変数を主張することは、ワトソンの行動主義や媒介過程を徹底的に無視するスキナーの行動主義とも異なります。それ故に「目的的行動主義」(Purposive Behaviorism) とか、ハルも研究していた「新行動主義」(Neobehaviorism) などと呼ばれることもあります。こうした理論は、ゲシュタルト心理学との親和性が強い認知説を反映しているといえます。

彼は、すべての行動は目標に方向づけられているとし、学習は目的に関わる高度に客観的な証拠事実であると述べます。外部の世界にある部分的な信号(sign)を見出すことで、問題解決のヒントとなる「認知地図」を作成するの学習過程であるというのです。部分から全体性(ゲシュタルト)が予測されることで行動が形成し変化すると主張します。ですから行動というのは、刺激(独立変数)と反応(従属変数)の直接的な結合ではなく、その間に媒介変数としての内的過程が介在すると主張します。この学習理論は潜在的学習(Latent Learning) と呼ばれます。

行動主義は心理学に革命をもたらしましたが,ほどなくその極端な主張への反省が生まれます。トールマンの立場はゲシュタルト心理学ともを持つものであり、後の認知心理学の誕生を準備したともいえる心理学者です。

認知心理学の面白さ その八 クラーク・ハルと新行動主義心理学

ハル (Clark Hull)は学習心理学を専門とし、20世紀中葉において最も影響力の大きかった心理学者の1人といえます。その方法は、観察しうる現象を数量的なデータで測ることを重視することです。確かに、数字を示すことは研究が科学的であるかを問われるときには非常に役に立つ便法です。その延長上で心を研究すること、すなわち目に見えない対象をなんらかの方法で測定するならば、見えない心も科学的な研究が可能ではないかというのがハルの主張です。見えないものを数値化するとは大変な作業なのですが、、

ハルの方法は新行動主義 (neo-behaviorism) と呼ばれています。学習の理論を数学的に厳密化すること、また精神分析の諸概念を学習理論に統合することを目指します。先に仮説を立て、実験による検証をする仮説演繹法を導入し、行動や学習の過程を数式で表すという便法です。後にハルは催眠の研究にも業績を残しています。

ハルの貢献は、刺激と反応の間に介在する人間内部の諸要素、有機体(organism) を考慮する新行動主義を提唱します。有機体の内的要因、別称認知要因として有機体の論理的構成概念を新行動主義に持ち込むこむのです。それによって認知心理学の有り様をこの「方法論的行動主義」によって導こうとしたことです。認知過程という目に見えない心の働きを行動のデータに基づいて分析するという方法は、方法論的行動主義がなければ生まれなかったかもしれません。ですが、なぜ同一の刺激や状況において個体は異なる反応を示すのかに答えるのは簡単ではありません。

心理学の研究対象に心とか魂とか意識を持ち込んだハルにも、もしやして矛盾があったのではないか思われるふしもあります。それは客観的に測定することが科学の条件であると考える狭い意味での科学という定義からすれば、彼の方法論的行動主義は、はたして行動主義なのかということです。ハルは、方法論的行動主義は科学の分野に位置づけられることに期待していたと考えられます。