留学を考える その1 アメリカの大学への留学説明会

今回から「留学を考える」という話題で一緒に考えていくことにします。

先日、横浜市にある聖光学院高校でのアメリカの大学への留学説明会ーCollege Fairでボランティアして、母校ウィスコンシン大学のリベラルアーツ教育や大学院教育の内容を説明してきました。このCollege Fairは神奈川県内の私立高校が主催するものでした。聖光学院の大講堂がほぼ埋まるほど、生徒、保護者、そして進路担当の教師がやってきました。

私は、この説明会ではじめて聖光学院高校が有数の進学校であることを知りました。Fairの盛況、会場で案内を担当していた高校生の態度にそのことを感じました。思わず一緒に写真を撮りたくなって、側にいた教師にシャッターを押して貰いました。

定年退職者の私には時間があります。と同時に出会った若者や教師に語れるなにかしらの知恵もあります。「自分の息子が留学したいといっているが、高い学費や生活費をだせるかどうか心配している」という保護者がブースにきました。私は自分を含め三人の子供をウィスコンシン大学で学ばせたこと、それで退職金を使いスッカラカンになったこと、教育への投資のリターンは何十杯にもなったことを語り、悩める保護者の背中を少し強めに後押ししました。

Fairの後の親睦会で、進路指導を担当する三十代後半の教師から話しかけられました。「なんとか自分ももう一度大学に戻って研究者の道を考えたい」というのです。私は43歳で大学院を出たことも語りました。教師の方々で新たなキャリアを模索している人は沢山いるようです。少しでもお役に立てたいです。

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ウィスコンシンで会った人々 その120 囲碁噺 「笠碁」

昔の道楽といえば、「呑む」「買う」「うつ」。その内最もタチの悪いのが「うつ」、博打である。身代を持ち崩し、家族が崩壊することが多かったようだ。道楽ならぬ「道落」といわれる所以である。現代の「打つ」の代表は囲碁や将棋といえよう。

囲碁は筆者の趣味の一つ。毎週二回は囲碁例会の会場予約や親睦のお世話をしている。囲碁にはいろいろな人物や話題が登場する。いくつかの囲碁にまつわる演目があるが、大抵はヘボ碁やザル碁を笑うもので、どれも江戸時代が舞台となる。

「笠碁」という演目がある。竹馬の友で碁敵の美濃屋の隠居とある旦那の噺。この二人、今日も「待ったなし」という約束で打ち始める。中盤までスラスラと何事もなく進むのだが、途中、旦那のいつもの癖がでる。「済まん、待ったさせてくれ!」どちらも棋力は二級から初段くらいのようだ。

美濃屋の隠居は「約束は約束!」とどうしても引き下がらない。そのうち旦那は、三年前の借金の話を引き合いにして、返済を待ったしてやったという。だが、隠居は「お金はお金、囲碁は囲碁」と一蹴する。そのうち、売り言葉に買い言葉になって対局はおじゃんとなる。

隠居 「借金の恩義があるから大晦日には、手伝いに行ってやれば蕎麦一杯も出さねえ、このしみったれのヘボ野郎」
旦那 「帰れ、帰れ、このザル野郎め!」
隠居 「金輪際、来るもんか!」

翌日から旦那は孫を連れて上野界隈をブラブラするのだが、退屈でしようがない。「碁敵は憎さも憎し懐かし、」。喧嘩で啖呵を切ったことを悔やむ。それを見かねた番頭が云う。

番頭 「旦那様、碁会所でも行ってはいかがですか?」
旦那 「あんなとこ行ったかて相手はいない、、」
番頭 「相手が。え? 相手が弱すぎて?」
旦那 「強すぎるんや、皆目歯が立たんのや」

美濃屋の隠居もとうとう退屈さに耐えかねたのか、旦那の店の前をウロウロし始める。丁度雨の日。それを旦那が呼び止める。

旦那 「やいやい、ザル野郎!」
隠居 「なに、どっちがザルだ、このヘボ野郎!」
旦那 「ヘボかヘボでねえか、一番やるか!!」

こうして目出度く仲直りをし再び碁盤を囲む。果たして「待った」が飛び出すのか、出さないか。サゲは「笠碁」を聴いてのお楽しみ。

 

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Memorial Union © UW-Madison News & Public Affairs  608/262-0067 Photo by:  Jeff Miller Date: 1995     File#: color slide

Memorial Union
© UW-Madison News & Public Affairs 608/262-0067
Photo by: Jeff Miller
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ウィスコンシンで会った人々 その119 へべれけ噺 「替り目」

徹宵して、ぐでんぐでんに酔っぱらった亭主が、女房が寝てしまったと思って「女房は生きた弁天様だ」とか言いながら帰ってくる。人力車を頼むがそこは自宅の前。それを起きていた女房に聞かれてしまった。弁天様だが、七福神の中で唯一の女性の福の神。また歌舞音曲を司る女性の守り神ともされる。

女房は車夫に謝り亭主を入れると、亭主はまた寝酒といって所望する。そのうち、肴がないかとねだるが残り物がない。丁度おでん屋が近くにあるので、女房におでんを注文させる。女房はなにを見繕ってくるかと訊く。

亭主 「俺の好きなものは”焼き”」
女房 「焼きって何ぃ?」
亭主 「焼き豆腐のことだ。や・き・ど・う・ふ、と言っていたら舌を噛む」
亭主 「江戸っ子は”焼き”と言えば焼き豆腐だとピンとくるんだ」
女房 「それから?」
亭主 「”がん”だ」
女房 「鳥の雁だね」
亭主 「間抜け、ガンモドキだ」

女房 「それなら”ペン”もいい?」
亭主 「”ペン”ってなんだ?」
亭主 「ハンペンのことよ、、」
女房 「ついでに”ジ”もどお?、」
亭主 「なんだ、ジって、、」
女房 「スジのことよ、、」
女房 「”ブ”もいい?」
亭主 「”ブ”ってなんだ、」
女房 「昆布だよ、お前さんの好きな、」
亭主 「変な詰め方するな、早く買ってきな!」

おでんを買いに行った留守にうどん屋が家の前を通りかかる。亭主はうどん屋を呼び止めて、冷や酒の徳利を出してお燗をしてもらったが、うどんは嫌いだからとかいって、うどん屋を追い払ってしまう。女房が帰ってくるとお燗があるのできくと、うどん屋に燗してもらったが、うどんを注文しなかったという。女房、うどん屋が可愛そうだから、何か注文しようとうどん屋を呼んだ。ところがうどん屋は知らん顔。近くにいた客が、呼んでいるよと教えると、「だめだよ。丁度今がお銚子の替わり目だ」。

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ウィスコンシンで会った人々 その118  富くじと火事噺 「富久」 

目蒲線目黒駅のそばに急な坂がある。有名な行人坂である。なぜ有名かというと坂の途中に大円寺があるからである。この寺は明和9年(1772年)の大火の火元となり、江戸八百八町のうち、六百三十町をなめ尽くした。火事は日本橋あたりまで延焼し、多数の死者も出たという記録がある。大円寺はお咎めを受けて、その後70年間再建が禁止されたという。

大火によって多くの寺社仏閣が焼失した。その復興のために、寺社奉行は富くじを認め、復興資金集めを許した。富くじ興業はその後、娘を売ったり人を殺めて金を工面するなど、射幸心を煽るという理由で次第に自粛され中止となっていく。「富久」は火事と酒、そして宝クジにまわつる演目である。

日本橋の花柳界に久蔵という太鼓持ちー男芸者がいた。いわゆる幇間である。性格はよく如才ないのだが酒を呑むと喧嘩をふっかける。酒乱が元ですっかり客がつかなくなり仕事にあぶれ、こ汚い長屋に住んでいる。そこに湯島天神の富くじを売って歩く男がやってきて、残り物のくじを一本を買わされる。それを大事に大神宮のお宮にしまう。

半鐘の音で起こされた久蔵、火事場にかけつけて手伝うように差配の旦那に言われる。急いで消火を手伝い、その甲斐あって用意された酒を徹宵して飲てみ寝込む。その夜、また半鐘が鳴る。なんでも自分の長屋のあたりから出火したと言われる。かけつけると長屋はすっかり焼け落ちている。とぼとぼと旦那の所に戻る途中、大勢の人だかり。その日は湯島天神の境内で富の開帳があるという。

やがて、目隠しをした坊主が富の番号を読み上げる。

坊主 「鶴の1555番! 鶴の1555番!」
聴衆 「あっ残念、もうちょっとの違いだ、、」
別な聴衆 「2,3番の違いか?」
聴衆 「500番違いだ、、」

久蔵 「あ、たった、、あ、たった、、、、」 と久蔵は座ってしまう。
聴衆 「富の開帳には、こんな男が必ず出てくるんだ、、、」

千両と引き換えに富札を求められた久蔵だが、火事で札が無くなったことに気づきガックリ。だが、近所の者が大神宮の神棚を持ち出してくれていたので富札は無事久蔵のもとにかえり千両を手にするという噺である。

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ウィスコンシンで会った人々 その117  人情噺 「火事息子」 その2 火事と喧嘩

さて、本題の火事と喧嘩である。神田は質屋伊勢屋の一人息子の藤三郎。なぜか小さいときから火事が好きでしょうがない。いってみれば火事道楽である。やがて町火消しになろうとして町内の鳶頭のところへ頼みに行くが断られる。藤三郎は体中に刺青をしたりして素行がよくないので、家からは勘当されている。

鳶頭は町火消という民間の消防団の頭もしていた。藤三郎は別の町火消のところへ行っても、すでに鳶頭から回状がまわっていて断られる。火消しになるためには厳しい条件があった。藤三郎はそれに合わず、仕方なく火消屋敷の人足になる。

ある北風が強く日。伊勢屋の近くから火事が出た。質蔵の目塗りをしようと左官の親方に頼むが、手が回らないという。さいわい質蔵は風上であるが、それでも、質蔵に火が入っては一大事と質蔵に目塗りをすることになった。主人は高い所を怖がる番頭を蔵の屋根へ上げ、丁稚の定吉に土をこねさせ屋根へ放り上げる。だが番頭は片手で半てんを押さえている。怖がって土を上手く受けとめれない。顔に土が当たって顔に目塗りをしている有様だ。

これを遠くから見ていた一人の火消しのような者が屋根から屋根を伝わってきてくる。そして番頭の帯を折れ釘に結ぶ。これで番頭は両手が使えるようになる。ようやくのことで目塗りが終わる。幸い風が止んで鎮火。そこに火事見舞いの人たちが入れ替わり立ち替わり伊勢屋にやってくる。火事見舞いではササが振る舞われる。

火事見舞いだが、紀伊国屋からは風邪をひいた旦那の代わりに倅もやって来た。伊勢屋は自分の息子と比べ羨ましく、思わず自分の息子の愚痴も出る。そこへ番頭がさっき手伝ってくれた火消しが旦那に会いたいと言っていると取り次ぐ。旦那は店に質物でも置いてあるのだろうと思い質物を返すようにと言うが、番頭は口ごもってはっきりしない。

よくよく聞いてみると火消しは勘当した倅だというのだ。もう赤の他人なんだから会う必要はないという旦那を、番頭は「他人ならお礼を言うのが人の道ではないか」と諭され、それも道理と一目会って礼を言おうと台所へ行く。

かまどの脇に短い役半てん一枚で、体の刺青をだした息子の藤三郎がいる。お互いに他人行儀のあいさつを交わすが、息子の刺青を見て、折角大事に育てた親の顔へ泥を塗るような姿だと嘆く。

旦那 「お引取りを、、」
藤三郎 「それではこれでお暇を」
と言うが二人を番頭が引きとめ、おかみさんを呼ぶ。奥から猫を抱いたおかみさんが出てくる。火に怯えずっと抱いたままだという。

番頭 「若旦那がお見えでございます」 
おかみさん「猫なんか焼け死んだって構やしない」

と猫を放り出す。せがれの寒そうななりを見たおかみさん、蔵にしまってある結城の着物を持たせてやりたいと涙ぐむ。

旦那 「こんな奴にやるくらいならうっちゃってしまったほうがいい」
おかみさん 「捨てるぐらいならこの子におやりなさい」
旦那 「だから捨てればいい、わからねえな、捨てれば拾って行くから」
おかみさん 「よく言っておくんなさった。捨てます、捨てます、たんすごと捨てます」

おかみさん 「この子は粋な身装も似合いましたが、黒の紋付もよく似合いました」
おかみさん 「この子に黒羽二重の紋付の着物に仙台平の袴をはかして、小僧を伴につけてやりとうございます」
旦那 「こんなヤクザな奴にそんな身装をさしてどうするんだ」
おかみさん 「火事のおかげで会えたから、火元に礼にやりましょう」

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ウィスコンシンで会った人々 その116  人情噺 「火事息子」 その1 江戸の華

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれた時代があったようである。江戸は大火が多く、火消しの働きぶりが華々しかったともいわれる。江戸っ子は気が早いため派手な喧嘩が多かったらしい。「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腑はなし」という言葉すらある。

当時はどの家屋も木造。一端火事が起きると、材木や大工、左官、鳶職人などの建築に従事するものの仕事が増えた。中には火事の発生を「待望する」者もいた。火消人足の中にも、本業である鳶の仕事を増やそうと、強い風を利用し、「継火」という他の家屋などに延焼させる犯罪行為をする者も現れた。

こうした江戸に町人による火消の組織ができる。「町火消」である。今の消防団である。幕府の直轄の火消しとして「定火消」ができる。旗本がその役にあたる。今の消防署である。火の見櫓を備えた商家や武家屋敷も江戸の生活を描いたものに見られる。

現在も東京には「上野広小路」、名古屋や京都には「広小路」通」などの地名が残っている。札幌の大通り公園も広小路である。広小路は大火事から生まれたものである。延焼を防ぐための広場や空地である火除地なのだ。

火除地や広小路ができる前に、そこに住んでいた者達は移住を命じられ江戸の外縁部や埋立地が与えられる。隅田川をはさんだ右側、東西の流れる北十間川、北東に伸びている曳舟川付近が移住先として選ばれた。こうして江戸は街が拡大し発展していく。歌川広重の「名所江戸百景」にも火の見櫓や火除地が描かれ広々とした空間が特徴となっている。

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ウィスコンシンで会った人々 その115 幽霊噺  「お化け長屋」

肝試しやお化けが話題となる季節は去った。秋のお彼岸も終わり、霊も幽霊も暫く静かな時を過ごしているのではないか。だが幽霊やお化けは人間にとって永遠の話題である。なぜなら、皆等しく幽霊になる可能性があるからだ。祭りなどで「ひょっとこ」や「おかめ」が登場したり、縁日でお面をかぶる姿は、ハロウィーン(Halloween)の仮装とも合い通じるものがある。死んでから自分に似せた面をカメの前に架けておけば、家が富み栄えるという昔話もある。人はあるものに変身したいという潜在的な憧れがあるようだ。

ある長屋に一軒の空き家がある。そこを長屋の連中は、物干しにしたり物置として使っている。家主はこの物置を空き部屋として貸そうとする。長屋に古くから住んでいる通称、古狸の杢兵衛が物置が無くなると大変だと一計を案じる。借り手が訪ねてきたら、家主は遠方に住んでいるので自分が長屋の差配をまかされているといって杢兵衛の家へ来させて、借り手を脅して空き家に借り手がつくのを防ごうという算段だ。

早速、借り手が杢兵衛のところへ来る。杢兵衛は怪談じみた話を始める。3年程前に空き家に住んでいた美人の後家さんのところへ泥棒が入り、あいくちで刺され後家さんは殺された。空き家はすぐに借り手がつくが、皆すぐに出て行ってしまうという。後家さんの幽霊が出るという話を借り手に披露する。

借り手が恐がりなのを見透かした杢兵衛は、身振り手振りを加え怪談話をする。恐がってもうわかったから止めてくれという借り手の顔を、幽霊の冷たい手が撫でるように濡れ雑巾で撫でると借り手は大声を出して飛び出して行ってしまう。大成功だ。借り手の坐っていたところを見るとがま口が忘れてある。成功、成功と拾ったがま口を持って仲間と寿司を食いにいく。

次に来たのが威勢のいい職人風の男。前の男を恐がらせて追い返した杢兵衛、自信たっぷりで怪談話を始めるが、こんどの男は一向に恐がらず、話の間にちょっかいを入れて混ぜっ返す始末だ。困った杢兵衛さん、最後に濡れ雑巾で男の顔をひと撫でしようとすると、男に雑巾をぶん取られ、逆に顔中を叩かれこすられてしまう。男はすぐに引越して来るから掃除をしておけと言い残して帰ってしまう。そこへ長屋の住人が様子を聞きに来る。

杢兵衛 「あいつはだめだ、全然恐がらねえ、家賃なんかいらないって言ってしまったからお前と二人で出そう」
長屋の住人 「冗談じゃねえ、がま口なんか、置いて行かなかったのか?」
杢兵衛(あたりを探して) 「さっきのがま口持って行っちゃった、あの野郎!」

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ウィスコンシンで会った人々 その114  読み書き噺 「七の字」

江戸時代には読み書きできる者はかなりいたらしい。それは寺子屋の普及にあるようである。寺子屋は読み書きソロバンなど基礎的なことを教えていた民間の施設である。道徳なども教えていたとWilipediaにある。寺子屋が一般庶民の間に定着し、それによって識字率がかなり高くなったようである。

街頭で読み上げながら売り歩いた「読売」を競って買い求める庶民が多かった。「読売」は瓦版ともいわれ、かなり娯楽志向のガセネタもあったようだ。文字通り「人騒ガセのネタ」だ。タブロイド紙である。裏を返せば、読み書きができる庶民が多かったということである。苗字帯刀がご法度の頃である。

「読売」についてもう一つ。佐伯泰英の時代小説「酔いどれ小籐次留書」や「吉原裏同心」、「古着屋総兵衛」などでは、犯人の動きを探ったりおびき寄せるために、意図的にガセネタを「読売」で流す。現代も政治や経済の世界ではもこうした手法は使われる。

さて、演目「七の字」である。貧乏長屋の紙屑屋、七兵衞は「くず七」というあだ名で知られていた。家族がいなかった叔父が亡くなり、くず七は財産を相続してたちまち金持ちになる。そこで長屋を引き払い、一軒家に移って悠々と暮し始めた。それまで仲良くしていた住人との付き合いをぷっつりやめる。長屋の住人には歯牙にも掛けず、尊大な振る舞いで周りの者を呆れさせる。性格がすっかり変わってしまった。

ある日、くず七が床屋の前を通りかかると、床屋にたむろしていた長屋の太助と源兵衛がくず七を見付ける。二人が呼び入れて見ると、くず七は腰に筆と筆壺の矢立を差しているので、二人は問い詰める。

太助 「くず七、てめえ矢立なんぞ腰にさして、、長屋にいた頃は、自分の字も書けなかったはずだ」
くず七 「いいや、長屋にいた頃はあえて書かなかっただけだ。叔父が死んでから書き始めた」
源兵衛 「じゃ、ここで自分の名前の七って字を書いてみろ」
くず七 「書けたらいくら出すか?」
太助 「いやなこというな、、いくらでもやるよ。一文でも二文でも」
くず七 「さすが貧乏人だ。付き合いたくないな。一両出すなら書いてやら、、」
源兵衛 「今は一両を持ってねぇから、これから集めてくる。昼過ぎにここへこい!」

一両の工面に太助と源兵衛は床屋を飛び出す。他方、くず七は「さて、さて誰に字を教わろうか」と町内の手習いの師匠の所へやってくる。師匠の女房がいて教わることになった。「わかりやすく、この火箸を使い横に一本、縦に一本置いて、かかしにします。足を右に折って曲げれば七になります」と教わり、くず七もなんとかやってみて納得する。

くず七は勇んで床屋に戻ってきた。源兵衛と太助も一両集めてきて待っていた。くず七はもどかし気に、横に一本、縦に一本置いてかかしをつくる。二人は「こりゃ書けそうだ。一両取られる」と驚いて頭を下げて謝った。

太助 「勘弁してけれ。確かに書けるようだ。謝るからこの一両はなかったことにしてくれ」
くず七 「いいや。そうはいかない。この足を…………」
源兵衛 「わかったよ。右に曲げるんだろう?」
くず七 「いいや。左に曲げるのさ」

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ウィスコンシンで会った人々 その113 酒噺 「禁酒番屋」

「人、酒を呑み、酒、酒を呑み、酒、人を呑む」という教訓めいた言葉がある。酒は百薬の長であり、依存症やアルコール性肝障害にもなりうる。日本人の半数は遺伝的にアルコールを分解する力が弱いといわれる。そのあたりの按配を考えて酒を嗜みたい。

ある藩で月見の宴席が開かれた。そこで酒の上の刃傷沙汰が起き若侍二人が死ぬ。それ以来殿、様から禁酒令が出た。主君自身も酒を断つことを宣言した。しかし、なかなか禁令が行き届かず、チビリチビリやる者が続出する。これでは駄目だと門の脇に番屋を建てて、飲酒の点検と酒の持ち込みを厳しく取り締まった。いつしか人呼んで禁酒番屋といわれるようになった。

酒好きな近藤という侍が贔屓の酒屋を訪れ、五合升で2杯を平らげた。さらに何とか工夫して番屋をかいくぐり、自分の小屋まで寝酒として一升届けてくれと頼む。酒の配達が露見すれば営業停止にもなりかねない。店の者は仕方なく、小僧の一人に知恵をつけて酒を届けさせることになった。徳利を下げては門をくぐれない。最近売り出された”カステラ”を買ってきて、五合徳利2本を入れ替えて持ち込めば分からないと言い出した。小僧は菓子屋のなりをして番屋にいく。

番兵 「その方は何者だ!」
小僧 「向こう横町の菓子屋です。近藤様のご注文でカステラを持参しました」
番兵 「近藤は酒飲みだが菓子を食べるようになったのかな? 間違いがあっては困る、こちらに出せ」
小僧 「お使い物で、水引が掛かっています」
番兵 「進物か。それなら通れ」、「アリガトウございます。ドッコイショ」
番兵 「待て!今『ドッコイショ』と言ったな」
小僧 「口癖ですから」
番兵 「役目の都合、中身を改める、そこに控えておれ、、」

番兵が風呂敷をとくと徳利が出てくる。

番兵 「徳利に入るカステラがあるか!」
小僧 「最近売り出された”水カステラ”でございます」

番兵は、水カステラといわれた徳利を口にしそれを全部飲んでしまった。そして、”この偽り者”と叫んで小僧を追い返してしまう。店に帰って相談し、今度は油屋に変装して”油徳利”だと言って通ってしまうと支度を整えて出かける。

小僧 「お願いでございます」
番兵 「通〜れェ」 先程と違って役人は酔っている。」
小僧 「油屋です。近藤様のお小屋に油のお届け物です」
番兵 「間違いがあっては困る、こちらに出せ。水カステラの件があるから一応取り調べる」
番兵 「控えておれ、控えておれ。今油かどうか調べるから、、」
番兵 「なんだこれは! 棒縛りだ、この偽り者! 立ち去れ!」

またもや失敗。都合二升もただで飲まれてしまった。腹の虫が収まらない酒屋の亭主。そこで若い衆が、今度は小便だと言って持ち込み、仇討ちをしてやろうと言いだす。正直に初めから小便だと言うのだから、こちらに弱みはない。皆で小便を徳利に詰め番屋に出かける。

小僧 「近藤さまに小便をお届けにきました」
番兵 「なに、小便と? 初めはカステラと偽り、次は油、またまた小便とは、、、」
番兵 「これ!そこへ控えておれ。ただ今中身を取り調べる」
番兵 「今度は熱燗をして参ったとめえるな。けしからん奴。小便などと偽りおって、」
番兵 「手前がこうして、この湯のみへついで…………ずいぶん泡立っておるな、」
番兵 「ややっ、これは小便。けしからん。かようなものを持参なして、、、」

小僧 「ですから、初めに小便と申し上げました」
番兵 「うーん、ここな、正直者めが、いや不埒なものを、、、」

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