ウィスコンシンで会った人々 その116  人情噺 「火事息子」 その1 江戸の華

「火事と喧嘩は江戸の華」といわれた時代があったようである。江戸は大火が多く、火消しの働きぶりが華々しかったともいわれる。江戸っ子は気が早いため派手な喧嘩が多かったらしい。「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し、口先ばかりで腑はなし」という言葉すらある。

当時はどの家屋も木造。一端火事が起きると、材木や大工、左官、鳶職人などの建築に従事するものの仕事が増えた。中には火事の発生を「待望する」者もいた。火消人足の中にも、本業である鳶の仕事を増やそうと、強い風を利用し、「継火」という他の家屋などに延焼させる犯罪行為をする者も現れた。

こうした江戸に町人による火消の組織ができる。「町火消」である。今の消防団である。幕府の直轄の火消しとして「定火消」ができる。旗本がその役にあたる。今の消防署である。火の見櫓を備えた商家や武家屋敷も江戸の生活を描いたものに見られる。

現在も東京には「上野広小路」、名古屋や京都には「広小路」通」などの地名が残っている。札幌の大通り公園も広小路である。広小路は大火事から生まれたものである。延焼を防ぐための広場や空地である火除地なのだ。

火除地や広小路ができる前に、そこに住んでいた者達は移住を命じられ江戸の外縁部や埋立地が与えられる。隅田川をはさんだ右側、東西の流れる北十間川、北東に伸びている曳舟川付近が移住先として選ばれた。こうして江戸は街が拡大し発展していく。歌川広重の「名所江戸百景」にも火の見櫓や火除地が描かれ広々とした空間が特徴となっている。

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