ユダヤ人と私 その5 世界に散ったユダヤ人とシオニズム運動

紀元前11世紀頃、古代イスラエル(Israel)王国が誕生します。王国の混乱により紀元前722年にアッシリア(Assyria)によって陥落し、メソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国、いわゆるペルシア帝国(Persian Empire)の時代となります。ペルシアとは現在のイランの古名です。ペルシア帝国は紀元前4世紀にギリシャのアレクサンダー大王(Alexander the Great)によって滅ばされるまで続きます。

イスラエル王国は滅亡しますが、地中海世界の諸都市にはユダヤ人共同体が多く存在したといわれます。人や物資が地中海世界を自由に往来する中で離散したユダヤ人は活躍し、そこで定着し永住します。そしてコミュニティをつくるのです。

世界に散ったユダヤ人(Diaspora)がイスラエルの地に国を造ろうとした運動は、シオニズム(Zionism)と呼ばれます。宗教的、文化的復興を目指す近代化運動のことです。民族主義の昂揚とか祖国回復の運動ともいわれます。今のイスラエルはもともとエルサレム(Jerusalem)の歴史的地名であるシオン(Zion)から由来しています。イスラエルの地全体への形容詞がシオンであり、シオニズムの語源となっています。

ヤコブ・ラブキン(Yakov Rabkin)というモントリオール大学の教授は次のようにいいます。
「シオニズムとは、もともと宗教的共同体だったユダヤ人社会に欧州のナショナリズムを当てはめたものだという見方もある。ヘブライ語を持つ国民、民族として「ユダヤ人」を位置づけ、彼ら自身の国民国家を持つべきだという新しい考え方だった。」

ラブキンはさらにいいます。
「中東紛争はイスラム教徒とユダヤ教徒との宗教紛争ではない。実際には、両者は何世紀にもわたって共生、共存してきた。一握りのシオニストが武力を行使して、そこに居住していたパレスチナ人を彼らの意思に反して、家から追い出した。」

こうしたシオニズムの批判が予言するように、イスラエルは建国の長い経緯をとおして、パレスチナ人およびアラブ諸国との間にパレスチナ問題を抱えてきました。ユダヤ人共同体は一枚岩ではなく、集団内外でも文化に融合し、多民族と共存し平和的な国造りをしようとする人々など異なる考えがあります。

ユダヤ人と私 その4 「お前はユダヤ人か?」

自分は紛れもなく国籍は日本人ですが、一度だけ「お前はユダヤ人(Jew)だろう」と揶揄されたことがあります。ウィスコンシン大学で苦学し、懸命にアルバイトをしていたときに一緒に働いていた大学の職員から掛けられた言葉です。相手も半分、冗談にいったに違いないのです。

本当に経済的に苦し時代でした。子供は大きくなり、家内も懸命に働いていました。博士課程の授業料も堪えました。そんな理由で毎日、大学構内の芝刈りや木の剪定作業、そして週末は院生宿舎の管理人室で仕事をしていました。私のそんな働きぶりをみて、ユダヤ人ではないかと思われたらしいのです。実をいうと「お前はユダヤ人だろう」などと言うことは、働き過ぎで金儲けに走っているなど、人種差別や偏見を示唆するステレオタイプば表現です。戦前、勤勉な日系アメリカ人が卑下されて「ジャップ(Jap)」といわれたのと同じ感覚なのです。

古代ローマのエルサレム総督(Governor General)のピラト(Pontius Pilatus)はユダヤ人でした。イエス・キリスト(Jesus Christ)は彼によって殺されたと信じられています。キリストを金で売って裏切ったイスカリオットのユダ(Judas Iscariot)がユダヤ人への偏見や憎悪につながっているともいわれます。

ユダヤ人に対する偏見は世界中にあります。シェークスピア(William Shakespeare)も「ヴェニスの商人」(The Merchant of Venice)でユダヤ人を主人公にしています。ユダヤ人金貸し、シャイロック(Shylock)です。強欲で金儲けが上手くてずる賢いというイメージをこの作品は広めたようなところもありますが実はそうではありません。シャイロックの無念さを思いながら、迫害されてきたユダヤ人が現在の国際金融を作り出してきた源泉がシャイロックの生き様にあると考えたくなります。

ユダヤ人と私 その3 唯一の神、ヤハウェと十戒

Jacobs氏一家は敬虔なユダヤ教徒です。ユダヤ教(Judaism)がキリスト教と一線を画する点は、新約聖書(New Testament)イエス・キリスト(Jesus Christ)の誕生には言及しないことです。ユダヤ教は旧約聖書(Old Testament)における唯一の神、ヤハウェ(Yahwe)を拠りところとします。ヤハウェは全世界の創造神とされています。

新約聖書では、ヤハウェはジェホバ(Jehovah)というように使われています。「Jehovah」の語源は、ヘブル語の「havah」(to be, being )、つまり、存在するという意味です。出エジプト記の3章14節には、「神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」God said to Moses, “I am who I am.”  アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神がジェホバということです。

モーゼ(Moses)が記したといわれる旧約聖書の最初の5つの書のことをトーラ(Tolah)と呼びます。トーラは教えとか律法という意味です。ユダヤ人は、モーゼがエジプトでの奴隷状態から脱出して、シナイ山(Mt. Sinai)にて50日間修行しているとき与えられた教えと信じています。その教えの中心が十戒(Ten Commandments)です。

さて、礼拝所シナゴーグには十字架ではなくユダヤ教あるいはユダヤ民族を象徴するダビデの星(Star of David)が飾られています。二つの正三角形を逆に重ねた六角星、ヘキサグラム(hexagram)といわれる形をしています。イスラエルの国旗にも描かれているエンブレムです。ダビデの星がシンボルとして使われたのは比較的歴史が浅く17世紀のヨーロッパで広がっていきます。礼拝所で目だつものに七本のロウソク立てー燭台(candelabrum)があります。これはメノーラ(Menorah)と呼ばれて西暦70年頃から使われていたという記録があります。メノーラもまたユダヤ教の象徴的存在です。

ユダヤ人と私 その2 シナゴーグとタルムード

大分話は遡ります。1977年にウィスコンシン大学に入って早々、Jacobs氏はマディソン(Madison)までワゴン車で留学生を迎えにきてくれました。所属されていた地元のロータリクラブが我々をもてなす活動を主催したのです。私はJacobs氏宅で生まれて初めてのホームスティを楽しむことになりました。

その時、ご自身が長老をされているユダヤ教の礼拝所、シナゴーグ(Synagogue)に連れて行ってくれました。礼拝所に入る前にヤマカ(yamaka)という皿に似た帽子をかぶります。シナゴーグは、礼拝や結婚、教育、文化行事などを行うコミュニティーの中心的場所です。丁度、ユダヤ教典であるタルムード(Talmud)の学習会がひらかれ、信徒の人々がラバイ(rabbi)と呼ばれる教師を中心に学んでいました。タルムードはユダヤ教徒の生活や信仰の基となっている教典です。

「Jacobs」という名前はヘブライ語起源の人名です。旧約聖書の創世記(Book of Genesis)12章以下に記されています。ユダヤ教の始祖といわれるアブラハム(Abraham)と妻サラ(Sarah)から生まれたイサク(Isaac)の息子がJacobです。ユダヤ人の祖とも称されています。Jacobはヤコブという慣用表記で使われています。創世記には、大洪水(great flood)やノアの箱舟(Noah’s Ark)の物語、バベルの塔(Tower of Babel)の話が登場します。

ユダヤ人と私 その1 Dr. Robert Jacobs

なぜか、私はユダヤ人の方々やユダヤ教(Judaism)から薫陶を受けてきました。その体験を記すのがこのシリーズです。だた人種や宗教は微妙な話題でもあります。複雑な歴史的背景と人々の異なる信条や思想も織りなっているので細心の注意を払っていくつもりです。

私のかけがえのない恩師、先輩、友人にアメリカ人外科医師がいます。専門は足や足首の診断と治療である足病治療(podiatry)です。足の外科学というのでしょうか。「ミルウォーキー(Milwaukee)の近くでクリニックをひらいています。この方の名前はDr. Robert Jacobs。敬虔なユダヤ教の信徒です。医者としての仕事はもちろん、地域や国際的な医療奉仕活動にもつとに熱心な方です。

国際ロータリインターナショナル(Rotarty International)から奨学資金をいただき、ウィスコンシン大学(University of Wisconsin-Madison) に留学したとき、ロータリが推薦するスポンサーとなってくれたのがJacobs氏です。国際ロータリは、世界各地のロータリクラブを会員とする連合組織です。201カ国と地域に34,558のクラブがあり、会員総数は1,220,000人といわれます。日本国内のロータリクラブ数は2,287、会員数は88,300人とあります。私は那覇で幼児教育に携わっていたとき、那覇東ロータリクラブの推薦を受けてロータリインターナショナルから奨学資金を受けることができました。1977年のことです。

ユダヤ人と日本人 その32 「反ユダヤ主義者がユダヤ人を形成した」

これまで小説や映画、ミュージカル、ドキュメンタリーなどのメディアを通して、反ユダヤ主義(Anti-semitism)がいかに世の中に浸透してきたか、特にロシアやソ連におけるユダヤ人の迫害、ポグロムを中心に調べてきた。同時にこうしたユダヤ人や少数民族に対する偏見や迫害をいかになくすることができるかを考える。

このシリーズの冒頭で、個人的な交誼を続けるユダヤ系アメリカ人医師のことを紹介した。地元のロータリークラブの会員としてクラブの精神を実践しておられる。ロータリークラブは地域社会貢献、職業専門性の発揮と道徳水準の向上、国際理解、親善、平和への貢献などを掲げている。この医師は開発途上の中南米の医療活動をしたり、留学生のお世話などをして活躍している。

この医師は、自ら反ユダヤ主義反対のための活動を組織したりしない。また、宗教活動を止めてアメリカの世俗的な社会に同化しようとするようなこともしない。トーラ(Torah)である「モーセ五書」やタルムード(Talmud)という生活と信仰の教えを重んじる生き方をしている。自分たちユダヤ人が、その性格とか風貌とか職業が反ユダヤ主義を惹き起こしているとは考えない。反ユダヤ主義者がユダヤ人なる者を形成し結束させてきたと考えているに違いない。

「ヴェニスの商人」に登場する守銭奴を強調することやアーリア人種の高邁さや優秀さを喧伝したナチスなどの国家社会主義が、実は「ユダヤ人とはかくかく、しかじか」というイメージを作り上げたのである。翻って、戦前のわが国における近隣の人々に対する偏見の感情も反ユダヤ主義と同じ線上にある。朝鮮人や中国人に対する差別をみても、彼らが大大東亜共栄圏などを形成したのではない。八紘為宇という叫喚的なスローガンは、日本人の一部がでっち上げ反理性的に国民の思想と行動を縛ってきた。

権力への適応ではなく、迫害・離散への適応という形で生き延びてきたのがユダヤ人である。通常土地に同化し、混血してその国の人間になってしまう。しかしユダヤ人たちは、混血はしたものの、自らの信仰と民族としての誇りを忘れずに、ひたすらユダヤ教の教えを守って生活した。彼らの宝と言えば、そのユダヤ教と未来を託す子供たちへの教育以外にはいなかった。

アラブ諸国には石油という財産がある。イスラエルにはそれがない。日本も全く同じ状況にあるといってよい。ユダヤ人が、すぐれた人々を輩出した最大の原因は、常に異邦人として存在し続けてきたこの二千年間の緊張感そのものである。厳しい歴史のなかでユダヤ人は、優秀でなければ生き延びて来れなかったということを知っていたのではないか。

聖書的にいえば、ユダヤ人は“神から選ばれた特別な人間”といえる。しかし、彼ら自身は外に向かってそれを公言することはない。むしろ自分たちに危機が迫るとき団結するのに使うのである。決して彼らは特別の民族でもではない。排他主義とか選民主義とエゴイズムといったステレオタイプなユダヤ人に対する呼び方こそが「反ユダヤ主義」を象徴している。だが、注意しなければならないことは、「反ユダヤ主義」というフレーズを単純なイデオロギーでくくるのは間違いであることである。こうした「主義」の根っ子には人種や宗教、言語や文化の違いという実に悩ましい課題がある。

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ユダヤ人と日本人 その31 ウクライナとユダヤ人

ウクライナ(Ukraine)は、このところとみに世界中から注目されている国である。ロシア政府に後押しされた親ロシア派によるクリミア(Crimea)半島の独立選挙やロシア連邦への編入、東ウクライナ地方の主権回復の動きである。筆者は、このウクライナの内戦状態は、旧ソ連体制による少数民族への迫害など、人種問題がからんでいるのではないかと推測している。ユダヤ人の存在や影響も大きいと察する。ミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」で描かれるテヴィエ家(Tevye)らの住み慣れた村から追放の姿は、今のウクライナにおける内戦状態そのものである。

Wikipediaによれば、主要民族はウクライナ人で、全人口の約8割を占める。ロシア人は約2割を占める。ロシア系が多いのは、ドネツィク州(Donetsk)などウクライナの東部となっている。ブルガリア人(Bulgaria)、ハンガリー人(Hungary)、ルーマニア人(Romania)、ユダヤ人などで構成される多民族国家である。

ウクライナは昔から「ヨーロッパの穀倉地帯」として知られている。19世紀以後産業の中心地帯として大きく発展してきた。天然資源に恵まれ、鉄鉱石や石炭、岩塩など資源立地指向の鉄鋼業を中心として重化学工業も盛んである。1986年4月、爆発による深刻な大気汚染を引き起こしたチェルノブイリ原発(Chernobyl)を抱える国でもある。

ウクライナは東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア(Slovakia)、ルーマニア、モルドバ(Moldova)、北にベラルーシ(Belarusi)、南に黒海を挟みトルコ(Turkey)が位置している。第一次世界大戦前、ウクライナはロシア帝国の支配下に入った。大戦後に独立を宣言するも、ロシア内戦を赤軍が制することにより、ソビエト連邦内の構成国となった。1991年ソ連邦崩壊に伴いウクライナは再度独立して今に至る。

なぜウクライナの西側の人々がロシアを嫌うかであるが、第二次世界大戦中、西側はポーランド領であったが大戦後はソ連に統合された経緯がある。ソ連邦崩壊に伴いウクライナは共和国として独立した。アメリカがウクライナの反ロシア派を支援した背景には、ロシア帝国時代やソ連時代にロシア勢力から弾圧を受けた非常に多くのウクライナ人がアメリカに亡命を余儀なくされたという歴史上のいきさつがある。

2004年、ウクライナの大統領選挙の結果に対しての抗議運動はオレンジ革命といわれる。この選挙ではアメリカのウクライナ系政治団体の資金援助や「開かれた社会の財団」(Open Society Foundations)の支援があった。この財団は、ハンガリー系およびユダヤ系アメリカ人の投機家であり投資家であるジョージ・ソロス(George Soros)が主宰している。

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ユダヤ人と日本人 その30 トロフィム・ルイセンコ その2 地に墜ちた学問の権威

ルイセンコの獲得形質の遺伝という学説はネオ・ダーウイニズム(Neo-Darwinism)とも呼ばれる。平たく一つの例でいえば、植物は冬の低温状況に一定期間さらされることによって開花能力が誘導される、といったことである。つまり寒いソ連においても品種改良に時間をかければ多くの植物が育ちうるという立場である。

「獲得形質も遺伝する」というルイセンコの説は、スターリンの主張した「弁証法的唯物論」に適合する学説として賞賛され、1940年までスターリンの支持を得る。そしてソ連の科学界での支配的な立場を占める。ルイセンコの学説に反対する生物学者はポストを奪われ強制収容所に送られたり粛清された。

日本の学界にも1947年に導入されルイセンコの学説を擁護する学者があらわれる。日本農民組合、日本共産党、社会党などもソ連農業を理想と考えミチューリン農法を支持し、政府に対して支援や研究に取り組むことを求めた。例えば春播き麦への注目、温度管理の必要などでこの農法の普及や導入のきっかけとなった。一時、低温処理を利用した農法は、東北や北海道の農業にも少なからず影響したがさしたる効果は上げられなかった。

スターリンの死、スターリン批判によって「社会主義の英雄」といわれたルイセンコは似非科学者と烙印を押されそのの学説は完全に否定される。学問上のポグロム政策(攻撃と迫害)に積極的に荷担し、ソ連の科学の発展に由々しい損失を与えたのがルイセンコであった。

メドヴェージェフ兄弟は著書「知られざるスターリン」で、ルイセンコのスターリンによって庇護された唯物論的で階級的な学説を次のように糾弾する。

犯罪的な地に墜ちた学問の権威、生物工学の発展の遅れがもたらされた。さらに原子物理学や宇宙工学の分野での高価な開発の肥大化がロシアの学問を過度に国庫に依存させることになった。ソ連では学問は技術や経済発展の推進力にならなかった。学問は常に復興を繰り返し、技術と経済発展は基本的にすでに外国で達成されたものの模倣を通して行われてきた。

ルイセンコ学説後、ソ連において自然科学を含めてあらゆる学問は、国家と同様に階級的な性格を持つという旧くなったテーゼが蔓延した。科学の方向を観念論的と唯物論的なものに分かつ考え方がソ連の科学の進展を遅らせたのである。

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ユダヤ人と日本人 その29 トロフィム・ルイセンコ その1 生物学論争

スターリンの「活躍」は共産党政権の権力争いはもちろん、科学や芸術の論争にも介入するという特異さがある。その活動は天才ともいうべき稀有のペルソナを示している。国民を隷従的境遇に押しつけながら、連合国からは超国家主義などと漠然的に呼ばれるが、その実体は定かではない。たが他方、彼がいなかったならソビエトの近代化はなかったといわれる。

メドヴェージェフ兄弟は著書「知られざるスターリン」の中で次ように結論づける。

「学者の弾圧、貴重な学派の壊滅、出世主義者やファナティックな教条主義者の台頭、無学者の抜擢、、、、スターリンが学問上の論争に介入すると、ほとんどがこのような結果で決着した。スターリンの介入によってソ連における広い分野での学問や科学の進歩が遅れた。」

トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko)という生物学者は、スターリンによって庇護された学者の一人である。彼は、生物の遺伝子の存在を否定し、個体が得た形質である獲得形質がその子孫に遺伝するという「獲得形質の遺伝」、すなわち後天的な特徴を継承するという立場である。遺伝学の祖はオーストリアのメンデル(Gregor Mendel)といわれる。メンデルは、遺伝形質は遺伝粒子によって受け継がれるということを提唱した。粒子とは遺伝子のことである。メンデルの学説に異を唱えたのがルイセンコであった。

環境因子が形質の変化を引き起こし、その獲得形質が遺伝するというのがルイセンコの立場であった。この学説に伴いソ連における反遺伝学キャンペーンが始める。この学説は、ミチューリン(Ivan Michurin)という育種家が先鞭をつけたといわれる。ミチューリンの名を冠したのでミチューリン主義農法とも呼ばれ、これがソ連農業の中心となっていく。その後わが国にでも一時であるがミチューリン農法が導入されていく。

1945年に遺伝学における論争が始まる。ルイセンコ論争とも呼ばれている。ところがアメリカなどで生物学研究や品種改良が進む。そこからルイセンコやダーウィンの種形成の思想と矛盾する新たな理論が提起される。進化と種の起源の問題を論議すれば、必然的に遺伝のメカニズムにも触れざるを得なくなる。これが遺伝に関わる論争である。ルイセンコの学説を批判する者は、ルイセンコの方向性が現実的に不毛であることに注目したのである。

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ユダヤ人と日本人 その28 ローゼンバーグ事件 その2 マッカーシズム

1950年代半ば、アメリカでは激しい反共産主義者運動が起こる。これは「マッカーシズム(McCarthyism)」と呼ばれた。合衆国政府や娯楽、メディア産業における共産党員と共産党員と疑われた者への攻撃的非難行動のことである。この先導者はウィスコンシン州選出の共和党上院議員のジョセフ・マッカーシー(Joseph McCarthy)であった。

以来、国内の様々な組織において共産主義者の摘発が行われた。この行動は後日「魔女狩り」とされ、1954年12月の上院におけるマッカーシーの譴責決議で幕を閉じる。ローゼンバーグ夫妻が関わったとされるソ連への原爆製造に関する資料の漏洩は、アメリカ国内におけるこうした極端な共産主義運動や非米活動の排斥の中で起こったことに注目すべきである。

ローゼンバーグ夫妻への死刑判決に対して、国内外から「冤罪である」とか「法的なリンチである」との声があがる。原子物理学者であるアルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)やロバート・オッペンハイマー(Robert Oppenheimer)、哲学者のポール・サルトル(Jean Paul Sartre)や小説家のジャン・コクトー(Jean Cocteau)、さらにはローマ法王ピオ12世(Pople Pius XII)、パブロ・ピカソ(Pablo Piccaso)らが嘆願書に名を連ねる。だが、アメリカ国内では判決に対する批判は少なく、ユダヤ系団体からも特に支援はなかった。

マッカーシズムが吹き荒れるアメリカではローゼンバーグ夫妻の処刑を中止させることは困難であったようである。1950年6月には朝鮮戦争も勃発し、共産主義への脅威を国民は抱いていた。大統領であったアイゼンハワー(Dwight Eisenhower)も国内外からの死刑中止の嘆願を受け付けなかった。アメリカにおける反共産主義思想も反ユダヤ主義思想も極端に教条的な偏りと心情的な不合理性を有していたことでは共通している。ローゼンバーグ事件は冷戦の申し子のようなものだったと思うのである。

日本では、ローゼンバーグ裁判の様子がしばしば報道されていた。残される二人の息子に対する同情や共感も話題となった。1995年に、アメリカによるソ連暗号解読プロジェクト「VENONA」が機密扱いを外され、ソ連の暗号通信の内容が明らかになり、その中で原爆製造に関わる諜報活動が紹介される。ローゼンバーグ夫妻の行動が白か黒かははっきりしないが、部分的に関わっていたことが伺われる。

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