留学を考える その29 ルイジアナ —-Sportman’s Paradise

ルイジアナ州(Louisiana)は歴史や文化に関して実に興味ある州です。 かつてヨーロッパ諸国の植民地であったことを物語る州です。州内の幾つかの都市圏では、多文化、多言語の遺産が残っています。18世紀に領域を支配したフランス人やアカディア(Acadian)と呼ばれたフランス系入植者、さらに1821年まで北米や中南米を支配したヌエバ・エスパーニャ(Nueva Espana)と呼ばれるスペイン人の文化に強く影響されたところです。またネイティブアメリカン(インディアン)や、西アフリカから奴隷として連れてこられたアフリカ系アメリカ人(Aflican American)の文化の影響も見られます。混合文化というのでしょうか。

フランス系アカディア人は、ルイジアナ州南西部、特にアチャファライア盆地(Atchafalaya Basin)など湿地に入植して農産物を生産します。こうした人々はケイジャン(Cajun)と呼ばれるようなり、言語や音楽、料理などにフランスの影響を持ち込み English)と呼ばれるフランス語を基礎とする英語の方言が今も使われます。アクセントに特徴があります。YouTube上にはケイジャン英語の特徴が紹介されていて面白いです。

元フランス領であったルイジアナは1812年にアメリカ合衆国の州になります。アメリカが買収したのです。民法は近代市民社会の法の規範と呼ばれたナポレオン法典(Code Napoleon)が援用されます。「法のもとの平等」、「国家の世俗性」と「信教の自由」などが基礎となっています。

フランス植民地時代の影響は行政区の名称にもあります。通常、州内の区画はカウンティ(county)が使われますが、ルイジアナではパリッシュ(parish)が使われます。Parishとはキリスト教会が用いる「教区」のことです。ルイジアナ州だけがParishを使うのもフランスの影響が大きいということです。そのた、地名をながめてもフランス語だらけのような印象をうけます。州都はベイトンルージュ市(Baton Rouge)、最大の都市はニューオーリンズ市(New Orleans)です。「Louisiana」とは「Land of Louis」。つまりルイ十四世(Louis XIV)の統治下で名付けられたところです。

ルイジアナはミシシッピー川沿いに発達します。ミシシッピ川流域の農産物の輸出港として発展し、のちには工業都市・観光都市としても発展したのがニューオーリンズです。フランス植民地の雰囲気が残るあたりが観光の中心です。フレンチ・クオーター(French Quarter)です。ですが現存する建物はスペイン統治時代のものが多いといわれます。

独立戦争後は、さまざまなアングロアメリカン(Anglo-Americans)と呼ばれる英国系の米国人の入植者が増加し、やがて英語が公用語となっていきます。ですが、今でもルイジアナに住むネイティブアメリカンは合衆国でも最も多いところとなっています。

ルイジアナのライセンスプレートには「Sportman’s Paradise」とあります。温暖な気候のもとで、釣りをはじめとする野外活動が盛んだからでしょう。

高等教育機関です。ベイトンルージュにあるルイジアナ州立大学(Louisiana State University)、ラフィヤット(Lafayette)にあるルイジアナ大学(University of Louisiana) が有名です。

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留学を考える その28  ケンタッキー州—Bluegrass State

ケンタッキー州(Ketucky)といえば、(Stephen Foster)が作詞作曲した「ケンタッキーの我が家」(My Old Ketucky Home)を想い出します。70代以上の人なら誰もが聞き口ずさんだことのある哀愁味漂う曲です。フォスターは他にもスワニー河(Swanee River)、オールドブラックジョー(Old Black Joe)、夢見る人(Beautiful Dreamer)など150曲余りを作りました。彼は「アメリカの音楽の父」と呼ばれています。

私と家族はかってジョージアからウイスコンシンへ向かう途中、ケンタッキーをとおりました。「ケンタッキーの我が家」のメロディが浮かんだのはいうまでもありません。ですがMy Old Ketucky Homeが公式な州歌であることを知ったのは、ずっと後のことではあります。

ライセンスプレートには「Bluegrass State」とあります。草原を遠くから眺めると青紫色のつぼみが一面広がり、「青い草」に見えたので名付けられたとあります。ブルーグラス・ミュージック(Bluegrass Music)です。スコットランドやアイルランドの音楽を基にしています。アップテンポ(uptempo)の曲が時代と共に多くなり、速弾きなどのインプロヴァイズ(improvise)即興演奏もあります。お隣テネシー州(Tennessee)でもこの音楽は盛んです。

ケンタッキーはイリノイ、インディアナ、オハイオ、ミズリー州に囲まれ、オハイオ川とミシシッピー川で州境をなしています。東側にはアパラチア山脈(Appalachian Mountains)が聳えていて、豊かな自然に恵まれています。この州はなんといっても「ブルーグラスの州」と呼ばれ、肥沃な土壌からの多くの農産物がとれます。州都はフランクフォート(Frankfort)。最大の都市はルイビル(Louisville)となっています。

レキシントン(Lexington)大都市圏はケンタッキー州の文教地域でもあります。フランクフォートには、アフリカン・アメリカンのための高等教育機関として設置されたケンタッキー州立大学(Kentucky State University)がキャンパスを構えています。また、レキシントンにはケンタッキー大学(University of Kentucky)があります。

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留学を考える その27  カンザス州—Great Plains

カンザス州(Kansas)は地図を見ますと合衆国の「へそ」にあります。北側はネブラスカ州、東側はミズーリ州、南側はオクラホマ州、そして西側はコロラド州となっています。州都はトピカ市 (Topeka)、州最大の町はウィチタ市 (Wichita)です。カンザス・シティ (Kansas City)もミズリー川沿いにある活気のある町です。

州名、Kansasは、ネイティブアメリカンである「Kansa族」に由来します。 「Kansa」とは「風の民」、とか「南風の民」と呼ばれていたようです。かって、ネイティブアメリカンはカンザスでアメリカ・バイソン(bison)やバファローを捕獲して暮らしていたといわれています。部族のほとんどは、西部開拓の影響で西へ北へと追いやられた歴史があります。19世紀初頭に東部の森林地帯から強制移住させられされてカンザスに定住しました。居留地区があちこちにあります。

アメリカの「大平原」(Great Plains)というのは、この州がもっとも当てはまるのではないかと思えるくらいの景色が広がります。平原をさす単語に「prairies」というのもあります。大平原はまさに一大穀倉地帯です。平坦でときになだらかに起伏しているのですが、農業生産品は牛、豚や羊、小麦、トウモロコシ、ひまわり種、大豆、綿、及び塩となっています。ライセンスプレートのデザインはその州を表しますが、カンザス州のは小麦の穂が配置されています。

高等教育機関として、ローレンス市に拠を置くカンザス大学(University of Kansas)、カンザス州立大学(Kansas State University) 、ウィチタ州立大学(Wichita State University)、教員養成カレッジであるエンポリア州立大学(Emporia State University)も人気があります。

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留学を考える その26  アイオワ—America’s Heartland

アイオワ州(Iowa)のライセンスプレートには、穀物を保存するサイロや納屋が背景に印刷されています。トウモロコシと小麦の生産で有名なアイオワが今回の話題です。北はミネソタ州、東はウィスコンシン州及びイリノイ州、南はミズーリ州(Missouri)、そして西はネブラスカ州(Nebraska)及びサウスダコタ州(South Dakota)に囲まれています。州都で最大の都市はデモイン(Des Moines)です。

アイオワには、東がミシシッピー川(Mississippi)、そして西はミズリー川が流れています。豊かな農産物などがこの川を使って運ばれています。アイオワは結構なだらかな丘陵が折り重なって農作物の生産に適しています。

アメリカの中西部は「コーンベルト」と呼ばれトウモロコシの一大生産地です。アイオワはその中で生産量が全米でトップを誇ります。車でどこまで走っても穀倉地帯が広がります。豊饒の地といえましょう。大豆、豚の生産量も全米第一位となっています。従って、穀物市場の金融や流通、そしてバイオテクノロジー研究開発などでも盛んな州です。

アイオワのあたりは、「アメリカの中心」とか「アメリカの心臓部」(America’s Heartland)とも呼ばれて、恐らく世界一の農業地帯であります。アメリカは工業国ではありますが、なんといっても主役は農業なのです。トウモロコシと小麦の生産高からは、アメリカは農業国と呼ぶにふさわしいといえます。

アメリカの小学校では、アメリカの探検と開拓の歴史を学びます。そこに登場するのは、フランスからきたジャック・マークエット(Jacques Marquette)とルイス・ジョリエ(Louis Jolliet) という探検家です。この二人が中西部を探検したのは1670年代の頃です。マークエットはもともとフランスの宣教師でした。一方ジョリエはカナダ、ケベック生まれのフランス人でした。この二人の探検家は一緒に主にミシシッピー川(Mississippi)とその支流を使いアイオワ、ウィスコンシン、ミシガン、イリノイなどを調べメキシコ湾にも到達します。ジョリエの貢献は、彼の名前を付けた町が沢山あることに現れています。

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留学を考える その25 インディアナ—The Crossroads of America

インディアナ(Indiana)の州都はインディアナポリス(Indianapolis)。ちょうど鉄道や沢山のインターステイツ(ハイウエイ)が交差するところにあります。また「ユニオン・ステーション」(Union Station)が最初に建てられたところとしても知られています。そのため、ナンバープレートには「The Crossroads of America」と印字されています。合衆国の大きな駅はユニオン・ステーションと命名されているのをご存じでしょうか。

北にミシガン州(Michigan)、東にオハイオ州(Ohio)、東にケンタッキー州(Kentucky)そして南と西にイリノイ州(Illinois)と接しています。北西部はシカゴ市の巨大な都市圏となっていて、産業が盛んです。その中心がゲーリー市(Gary)です。

インディアナはCorn Beltと呼ばれるウモロコシの農場が広がります。トウモロコシは養鶏や養豚の飼料となります。飼料は世界中に輸出されています。アメリカの穀物地帯でもあり、Grain Beltともいわれ、市場を押さえています。その中心がインディアナということです。大豆、鶏卵、メロン、トマト、ブドウ、タバコ、ハッカの生産も盛んです。

州北西部は合衆国内の最大なスチール生産地域となっており、製造業は自動車、電気設備、化学製品、ゴム、石油及び石炭製品、並びに産業機械となっています。研究開発の中心は、インディアナ大学(Indiana University), インディアナ州立大学(Indiana State University)、パディユ大学(Purdue University)、ボール州立大学(Ball State University)、ノートルダム大学(University of Notre Dame)などの大学です。インディアナ大学は1820年に設立された大学システムです。州内に8つのキャンパスを有します。その基幹キャンパスがBloomingtonにあります。
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留学を考える その24 イリノイ州—Land of Lincoln

シカゴ(Chicago)は誰でも聞いたことのある大都会。日本から直行便で12時間、オヘア国際空港(O’Hare International Airport)に着くとそこはシカゴ、イリノイ州(Illinois)です。

ここの州都はシカゴではなくスプリングフィールド(Springfield)です。エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が弁護士や上院議員として活躍したことで知られています。アメリカは一番大きな街が州都になるとは限りません。例えばカリフォルニアは州都がサクラメント(Sacramento)です。サンフランシスコやロスアンジェルスは遥かに大きな都市ですが州都ではありません。

さて、リンカーンのことです。アメリカ第16代の大統領です。その功績は人種差別運動の先駆者ともいうべき人とされています。その運動の伏線には、ハリエット・ストウ(Harriet E. Stowe)という小説家が書いた「アンクル・トムの小屋」(Ancle Tom’s Cabin)があります。この作品で、当時の黒人の生活と差別の実態が全米の人々に知れ渡ることになります。差別への関心がやがて、アメリカを二分する南北戦争(Civil War)へと展開していきます。

アメリカ南部は綿花を栽培することが中心。畑には多くのが黒人労働者が使われていました。映画「風と友に去りぬ」(Gone with the Wind)は、南部が舞台でした。メイド役の黒人女性が、一人娘の死で打ちひしがれる農場主レッド・バトラー’Rhett Butler)を慰めるシーンがありました。帰還する兵士アシュレー(Ashley Wilkes)を見て、スカーレット・オハラ(Scarlett O’Hara)がかけ寄ろうとするのを押しとどめるのはこのメイドでした。

南北戦争の最中、共和党員であるリンカーンは二分しかかったアメリカを一つにしようと呼びかけた有名な演説をします。それが1862年9月22日の奴隷解放宣言(Emancipation Proclamation)と1863年11日9日のゲティスバーグ演説(Gettysburg Address)です。イリノイ州のナンバープレートには「Land of Lincoln」と記されています。

高等教育機関では、シカゴ大学(University of Chicago)、ノースウェスタン大学(Northwestern University)、イリノイ大学(University of Illinois, Urbana-Champaign)など名だたる大学があります。州内には公立私立併せて20以上の4年制大学があます。その他多くのリベラルアーツのカレッジや公立のコミュニティ・カレッジがあります。日本の留学生も多いところです。
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tomtud 5539835467_a7d3d8de23_b univ_illinois_urbana University of Illinois, Urbana-Champaign

 

 

留学を考える その23 アイダホ—Famous Potatoes

復帰前の1970年に沖縄に赴任したとき、那覇市内の公設市場で見たときのジャガイモ、馬鈴薯があまりに大きので驚いたものです。袋にアイダホ(Idaho)が印字されていたのを覚えています。本土復帰の前でしたので、たくさんの食料品がアメリカやヨーロッパから沖縄に入ってきていました。ランチョンミート(luncheon meat)もそうです。数年前に、スパムという商品名がついていると友人から教わりました。

北海道育ちの私はジャガイモをよく食べていましたが、Idahoのは格別大きかったです。アメリカ人は実にジャガイモとステーキの組み合わせが好きです。ジャガイモには肉汁がかけられます。

「Famous Potatoes」というニックネームがつくのがアイダホ州(Idaho)です。北はカナダのブリティッシュコロンビア州(British Columbia)に接し、西はワシントン州(Washington)とオレゴン州(Oregon)に、南はネバダ州(Nevada)とユタ州(Utah)、そして東はモンタナ州(Montana)とワイオミング州(Wyoming)に接しています。州都はボイヅイ(Boise)。大部分が山岳地帯となっていますが農業も盛んな州です。アイダホ州の別な愛称は「宝石の州」。

アメリカのライセンスプレートは、州や郡ごとに独自のデザインで発行されており、非常に色彩豊かです。そして特徴を表現するキャッチフレーズが印字されています。通常2年ごとにプレートのデザインは変わります。追加の手数料を支払えば自分のライセンスプレートを作ることもできます。それ故、一つの州には沢山のプレートがあり、蒐集家を喜ばせてくれます。合衆国の多様性を感じることの一つがライセンスプレート。

高等教育機関ですが、アイダホ大学(University of Idaho)、アイダホ州立大学(Idaho State University)、 ブリガム・ヤング大学アイダホ校(Brigham Young University, Idaho)、ボイヅイ州立大学(Boise State University)などがあります。アイダホ大学は世界で初めてラバのクローンを誕生させたことで知られています。なお、ブリガム・ヤング大学は末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教会)が運営しています。

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留学を考える その22 ハワイ州—Aloha State

旅行好きな人もそうでもない人も一度は立ち寄るところがハワイ(Hawaii)です。言葉が通じ、食べ物が豊富で美味しく、景色がエキゾチックで、気候が温暖なのですから人気が高いのもうなずけます。誠に手頃な観光地です。ですが文化や歴史の多様さもまたハワイの魅力です。

ハワイ固有の文化はポリネシア系(Polynesian)です。音楽、舞踊、服装、料理などがそうです。1778年にイギリスの探検家、ジェームス・クック(James Cook)によって世界に紹介されます。 州として合衆国に編入されたのは1959年。カメハメハ大王(King Kamehameha the Great)の統治が長く続きました。その間、日本から多くの人々が移民しました。主としてオアフ島(Oahu)やハワイ島(Big Island)でのサトウキビ、パイナップル、珈琲栽培のためです。琉球からの移民が目立ちました。今も琉球の名前を持つ人々が大勢住んでいます。

先住のハワイ人やポリネシア系が約10%なのに比べ、日系人は17%を占めます。政治、経済、社会における活躍は目覚ましいものがあります。日系人の活躍としては、戦時中の志願兵の活躍が特筆されます。ハワイで生まれの若い日系アメリカ人の多くは、祖国に対する忠誠心を示し陸軍の大隊に入ります。この部隊は日系人だけで組織されていたようです。やがてアメリカ本土の日系人部隊と合流し第442連隊戦闘団(he 442nd Regimental Combat Team)となりヨーロッパ戦線にて戦果を上げます。オアフ島の真珠湾に浮かぶ戦艦アリゾナ記念館(USS Arizona Memorial)や戦艦ミズリー号(USS Missouri)などを訪れると太平洋戦争の歴史が身近なものとなります。

ハワイ州は、大小100位の島々から成ります。これらは海底火山によってつくられました。州都ホノルル(Honolulu)のあるオアフ島は最も知られていますが、是非訪ねたいのはハワイ島やカウアイ島(Kauai)、モロカイ島Molokai)などです。ハワイ島には日系移民によって開発された一番大きな町、ヒロ(Hilo)があります。そこに日系移民博物館があります。驚くことに、館内の展示物には代々の天皇の「写真」が飾ってあります。日本に対する深い想いがこめられているのを感じます。近年マウイ島(Maui)が非常に人気あります。アメリカ本土の都市から沢山の直行便があるほどです。登山、ハイキング、水泳、自転車などでのツーリングが楽しめます。私事ながら、2010年の家族との再会はマウイ島でした。

ハワイ島のマウナケア山頂(Mauna Kea)付近は、国立天文台が設置したすばる望遠鏡があります。周りには世界各国の天文台も並んでいます。ここに兵教大の院生とで天文台内部を見学する許可を得て訪ねました。ついでに山頂へも登ったのですが、酸素が薄くて息が苦しかったのを覚えています。一行にいた理科の教師にはたまらない見学ツアーとなったようです。ハワイ島のキラウエア(Kilauea)火山からの熔岩流は今も蒸気を上げています。そして虹が地平線から地平線まで見事なアーチを描きます。

ハワイ大学(University of Hawaii)システムとして3つの四年制大学、7つの二年制短期大学(Community College)を擁しています。基幹大学はホノルルにあるハワイ大学マノア校です。附属研究機関としてハワイ島にあるマウナケア天文台があります。大小の島々からなるハワイでは、インターネットや衛星放送などによる教育が盛んに行われています。いわゆるeラーニング(e-learning)です。

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留学を考える その21 ジョージア州—Peach State

私がアメリカ留学のために国際ロータリー財団主催の英語研修で2か月過ごしたのがジョージア州(Georgia)のステイトボロ(Stateboro)という小さな町です。家族を引き連れての短い滞在でした。各国からの50名くらいの奨学生と一緒に、南部の人々の親切さ(Southern Hospitality)や暖かい気候を満喫しました。そのせいもあってか、私の英語には南部訛りがあるようです(^^)。

南部アトランタ(Atlanta)はジョージア州最大の都市であり州都です。コカコーラやCNN、保険会社アフラック(Aflac)の本社などがあることでも知られています。ここはまた映画の舞台でもあります。「風と共に去りぬ」を書いたマーガレット・ミッチェルの博物館(The Margaret Mitchell House)がダウンタウンにあります。マーチン・ルーサー・キング牧師が説教していたエベネゼル・バプティスト教会(Ebenezer Baptist Church)、そして氏の功績を称えるThe King Center博物館は必ず立ち寄るべきところです。政界ではジミー・カーター大統領(James A. Carter)がでたところです。

大西洋側にサバンナ(Savana)という港町もあります。植民地時代は、サバンナは綿花のヨーロッパへの輸出港でした。今も貯蔵倉庫が建ち並び、多くのレストランなどに改装されています。マスターズ・トーナメントのゴルフ大会が開かれるのがオーガスタ(Augusta)です。メンバーは世界中に約300名、会員になるためには数10年程待たなければならないそうです。

有名な人物を輩出した割には、ライセンスプレートは明るくのどかなものです。プレートには桃がデザインされています。ジョージア州はスイカ、メロンなどの果物が多いのです。特に桃は有名なので「Peach State」桃の州と呼ばれています。

大学ですが、1785年創立の高等教育機関であるジョージア大学(University of Georgia)、ジョージア州立大学(Georgia State University)が知られています。

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留学を考える その20 フロリダ州–Sunshine State

日本人にもフロリダ州(Florida)はよく知られています。子どもや親にとってはわくわくするところです。その第一は、オーランド(Orlando)にあるディズニー・ワールド(Disney World)です。世界一の娯楽施設です。その広さはJR山手線内の約1.5倍というのですから、まさに桁外れのものです。その敷地内には、4つのテーマパークを中心に、ウォーター・パーク、エンターテイメントエリア、マリーナ、ゴルフ場、牧場、キャンプ場などが配置されています。

タイフーン・ラグーン(Tyhoon Lagoon)、マジック・キングダム(Magic Kingdom)、、、どれをとっても娯楽の粋を集めてそのアイディアを競っています。レストランにはミッキーマウスや小熊のプーさんがテーブルを回って写真を一緒に撮ってくれます。子どもたちはもう大喜びです。夢を子ども達に与えるのがこうしたテーマパークの「テーマ」といえましょう。オーランドにはユニバーサルスタジオ(Universal Studio)もあります。ディズニー・ワールドとあわせて毎年6,000万以上の人々がオーランドを訪れるというのです。

その第二はアメリカ航空宇宙局 (National Aeronautics and Space Administration: NASA) のケネディ宇宙センター(ohn F. Kennedy Space Center)があります。数々のロケットやスペースシャトルが打ち上げられてきたところです。軍事用の偵察衛星や通信衛星、気象衛星、そして惑星探査機の打ち上げにセンターが使われています。

フロリダの州都はタラハシ(Tallahassee)。ライセンスプレートには「Sunshine State」とあります。文字通り太陽の降り注ぐ温暖な州です。特に冬は、各地から避寒客がやってきます。冬、極寒の中西部では、「フロリダに行ってくる」というフレーズは周りの人からは羨ましがられるのです。

フロリダはまた豊富な漁猟資源でも知られています。特産のエビや牡蠣(かき)でも有名です。映画「フォレストガンプ(Forrest Gump)」の終盤で、ベトナムの戦友と再会しエビ捕りにでかけるシーンがあります。柑橘類の果実及びジュース生産も盛んな州です。

フロリダ州の大学です。フロリダ州で最古、最大規模の大学がフロリダ大学(University of Florida)です。1853年に神学校として創立されという興味ある歴史を有しています。フロリダ州立大学(Florida State University)も知られています。
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