聖書の中の女性の生き方 その十二 「エリザベト」

elizabeth Bowyer_Bible_artists_image_9_of_10._the_visitation_of_Mary_to_Elizabeth._Bonvicino%5B1%5D maxresdefaultエリザベト(Elizabeth)は洗礼者ヨハネの母として知られています。イエスの母、マリアの従姉妹でもあります。夫は祭司であるザカリア(Zacharias)です。

Elizabethという名前はポピュラーです。Elisabethともいわれます。Wikipediaによりますと、Elizabethはもともとヘブライ(Hebrew)語名のエリシェバ (Elisheba) がギリシア語に転じたものでエリシェバのエリ(Eli)はヘブライ語で「わが神–My God」、シェバ(sheba) は「誓い–sworn」を意味し、エリシェバとは「わが神はわが誓い」と解説されています。

エリザベトがヨハネを身ごもったとき、従姉妹のマリアが訪ねてきます。そのとき、エリザベトの「胎内の子がおどった」とあります(ルカ1:41)。エリザベトは聖霊に満たされマリアに「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」と告げます。(ルカ1:42−45)

彼女はローマカトリック教会や東方正教会(Eastern Orthodox Church)、聖公会(Anglican Church)では聖人として崇敬されている女性です。また、妊婦の守護聖人ともされています。東方正教会は9月5日、ローマカトリック教会は11月5日を祝祭日としているくらいです。

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聖書の中の女性の生き方 その十一 「サロメ」

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新約聖書の中には、悪女とみなされる女性も登場します。サロメ(Salome)です。サロメはヘロデ・アンティパス(Herod Antipas) 王の継娘です。イザベル(Jezebel)という女性もそうです。彼女はイスラエル王国のアハブ王(King Ahab)の王妃です。イスラエルの神、支配者としてバール(Baal)を信仰した女性です。Jezebelとはヘヴル語で「不貞」とか「糞の山」という意味だそうです。

さて、紀元前37年頃から、パレスティナ・ユダヤ(Palestine-Judea)地区に成立された国家はヘロデ一家による支配によるもので、ヘロデ朝(Herodian Dynasty)と呼ばれます。ヘロデの孫娘にヘロディア(Herodias)がいました。彼女は最初は王位継承者であるヘロデ二世のポエトス(Poetos)と結婚しますが、ポエトスは暗殺されます。そして叔父であるヘロデ・フィリポ(Herod Philip)と結ばれます。その間に生まれたのがサロメです。

このように姻戚結婚を繰り返すヘロディアに対して洗礼者ヨハネ(John the baptist) はモーセ(Moses) の律法に反するとして非難するのです。ヨハネは民衆に人気があり、ヘロデは不人気でした。そこで反乱を恐れたヘロデはヨハネ投獄するのです。

ヘロデの誕生祝いの席で、ヘロデはサロメに列席者の前で踊りをさせます。喜んだヘロデは、酔ったあげくサロメが望むものならなんでも与えると叫びます。サロメの母、ヘロディアは、盆に載せたヨハネの首を求めるようにサロメにいいます。衆人の前で宣言したヘロデは約束を破るわけにいかず、ヨハネの首をはねるように命じるのです。この様子はマタイによる福音書14章(Matthew 14)に記述されています。

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聖書の中の女性の生き方 その十 女性の執事の「プリスキラ」と夫のアクラ

RH-PaulMakingTents_DSC_0050 aquilabella2taglioultralight AandPパウロ(St. Paul) が始めた教会では、女性にいろいろな役目があって、教会の前でみ言葉を取り次ぐ役目さえも女性が果たしていました(第一コリント11章5節-1 Corinthians 11:5))。この教会の中には、寡婦と年とった女性に、特別なディアコニア(diaconia)という奉仕や介護がありました。伝道師アクラ(Aquila) の妻プリスキラ (Priscilla)はパウロの同労者であり、友達でもありました(ローマ書16章3節-Romans 16:3)。この女性はまた、すぐれた執事でもあったようです

まずローマ書16章に出てくるプリスキラとアクラの二人についてです。パウロは、最初にこの二人に会ったのはコリントの教会でした。テモテへの手紙第一(1 Timothy)にもでてきます。やがてこの二人がローマの教会で働き、パウロを助けるのです。新約聖書の中で何度も出てくるのがこの夫婦です。使徒行伝18章2節(Acts 18:2) には、アクラはポント(Pond)生まれのユダヤ人で職業は天幕作りであったと記されています。プリスカもおそらくユダヤ人でしょう。パウロもまた天幕を作る仕事をしていた。天幕は山羊の皮と毛で作られました。プリスキラとアクラと一緒に天幕で暮らしていたと思われます。

ローマ書16章3節の言葉です。
「キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスキラとアクラによろしく伝えてください。この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。」

その他の女性の執事に関する記述ですが、ピリピ人への手紙4章(Philippians 4:2-4)では、ユウオデヤ (Euodia)とスントケ(Syntyche) という女性の同労者の名前が出てきます。この女性たちは福音を広めるためにパウロと協力して戦った、とまで書いてあります。伝道のわざに励んだ女性だったことがうかがわせます。

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聖書の中の女性の生き方 その九 男性優位の社会

76c700313538d1588f0d706f1972dfa4-400x400 e0011664_21492687 1852556-神聖な聖書勉強の女性聖書は登場する人物が描かれた書といわれます。時間を軸とした歴史書のような記述ではありません。よく知られた人物もいれば、なにをしたかがはっきりしない人々も登場します。

旧約時代も新約時代も共通することですが、女性は男性優位の社会にあって時に虐げられ、産みの苦しみを経ても、いつも家族を形成する中心でした。生きることのしたたかさや力強さを伝える存在でもあります。このブログで女性を取り上げている理由は、私たちの興味をかきたてるに十分な特徴と魅力を持った存在であることです。

こうした女性は後世の人々の想像の世界で生き続けただけでなく、芸術という創造のうちに生き続ける存在でもあります。フレスコ画や音楽に、彫刻やステンドグラスに、散文や韻文に残されています。こうした芸術作品が私たちの女性についてのイメージを豊かにしています。

ここで取り上げている女性は人名事典ではなく、人名の索引を少し膨らませた私の「好み」によって選ばれています。聖女といわれるマリア(Maria)もいれば、悪女といわれるサロメ(Salome) もいます。共通することは、どの女性も個性的であり真摯な生き方をしていたということです。

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聖書の中の女性の生き方 その八 女性の按手

Anglicancanada.rel ordinationhands ORD38T按手 (Ordination) はキリスト教会で行われる儀式の一つです。教役者・教職者を任命するとき、司教や監督などが牧者としての権能や必要な賜物を志願者へ授与しその継承を神に誓うことです。もちろん他の宗教も同様な儀式を執り行い、新しい霊的な指導者の出発を祝います。

多くのキリスト教会はいまだに女性の教職を認めていません。この伝統は長らく議論されてきました。その根拠は聖書のいくつかの箇所にある言葉によります。例えば、パウロの手紙は言います。「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。」 (エペソ人への手紙5章21節) さらに「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい」。キリスト教徒は、皆が互いに従わなくてはなりませんが、男性は女性のかしらとされています。女性は特に男性に従わなければならない、といった言葉です。

なにか男女の序列を聖書は主張しているようですが、そうではありません。かしらの頂点には神があり、人間はその下で秩序を形成しているというのです。戸籍にある筆頭者と考えればよいでしょう。あるいは世帯主ともいってよいでしょう。この両者には違いがありますが、、、教会の大事な役割や仕事を女性に任せることはできないという考えは聖書にはありません。

性別に関係なく「全ての人が生ける石となって祭司とする」と教えられています(ペテロの手紙第一2章5節)。既述してきましたが、旧約聖書や新約聖書の他の箇所でも女性が教会の中で活躍しており、教職者への召命は全ての人に臨む可能性があるということから、女性も教職者として召されると考えるべきであるという考えが浸透していきました。

1853年にイングランド(England) において女性が初めて按手礼を受け、遅れること1933年には日本基督教会が女性の牧師を誕生させます。スウェーデンルーテル教会(Swedish Lutheran Church)は、1958年に女性牧師を按手します。1989年にはマサーチューセッツ(Massachusetts)の聖公会(Anglican Church) が最初の女性主教として按手されます。イングランド国教会(Church of England) では、1994年に女性司祭の叙任が認められ、その後数百人の女性司祭が誕生しています。イングランド国教会は聖公会のことです。

旧約聖書時代では、女性は祭司になれませんでしたが、キリストを信じる者は男女を問わず万人祭司 (Priesthood of all believers)とされます。女性も洗礼を受けることができるようになりました。男尊女卑を撤廃したのは、長い神学論争がありましたが、最後は聖書の教えである神と人間との秩序が、女性に自由と平等をもたらしたといえます。

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聖書の中の女性の生き方 その六 女性の執事「フィベ」

Deaconess-Ministry--element60 3382718003_1623cf6c00 deacon-and-deaconess-clipart-1新約聖書の中に、次のような神と人との順序に関する記述があります。「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である」(第一コリント人への手紙11章3節)。この手紙はパウロ(St. Paul) がコリント(Corinthian) の人々に送ったものです。

コリントは、紀元前5世紀頃にはギリシアの三大都市国家といわれました。アテネ(Athens)やスパルタ(Sparta) と並ぶ古い港湾都市です。今回は、コリント地方のケンクレヤ(Cenchrea)にあった教会の働き人で、女性の執事 (deaconess)  であったフィベ (Phoebe)を取り上げます。ケンクレヤはギリシャのコリントの南東にある町です。

「女のかしらは男であり」というフレーズは、いろいろな議論や誤解を生んできました。旧約や新約聖書の時代には、こうした男女の関係が存在して秩序が保たれていたように思われます。後年、男女平等とかウーマンリブにも影響を与えました。神とキリストに上下関係がないのと同じように、男と女の上下関係を決定するものではなく、役割を示唆した言葉ということを示唆しています。

教会には司祭とか牧師といった聖職者あるいは教職者がいます。神学教育を受けて按手(ordained)された人です。按手とは、教職者の権能や役割を志願者へ授与し、教職者として任命する儀式のことです。聖書の講解、結婚式や葬儀などの式典を担う人です。こうした人は、聖書の神と人の順序の記述にあるように、男性に限られてきました。

教会は教職者だけでなく、それを補佐する者、教会教育や音楽、書記を担当する者などから構成されます。この教職者を補佐する者は「執事」(deacon) と呼ばれています。女性もまた執事(deaconess) として奉仕します。「執事」という言葉は「しもべ」(servant) 、「仕えるもの」を意味するギリシャ語の「diakonos」から由来しています。

ローマ人への手紙やピリピ人への手紙には、パウロが教会で働く女性にあいさつの言葉を送っています。特に、ケンクレアの女性執事、フィベを歓迎するようにということをローマのキリスト教徒に頼んでいます。パウロにとって助けになったとさえ書いてあります(ローマ書16章1節)。

パウロはいいます。「どうぞ、聖徒にふさわしいしかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。」

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聖書の中の女性の生き方 その五 マリアの賛歌

pontius_pilate Pontius-Pilate 0カトリックであれプロテスタントであれ、最も見られる名前はマリア(Maria)とかメアリー(Mary)でしょう。Mariaという名前はラテン語から由来するといわれます。ギリシャ語ではMariam、ヘヴル語ではMiryamというように使われます。いずれもMariaの類似語です。イングランドでは12世紀以来、Maryの名が最も使われ、その最盛期は16世紀といわれます。

男性の名前でもMariaは大きな影響を与えます。例えば、Marioとか Marionという名前はMariaから由来します。ともあれ、今も最も命名される女性の名前がマリア、Mariaです。ついでに男性といえばヨハネ、Johnといえるでしょう。

Mariaの由来であるMariamとかMaraという言葉です。その意味は苦悩とか苦い水(bitter water)、つまり荒野の旅の果てにたどり着いた死海の苦い水、「Marah」ということだそうです。辛いこととは困難、悲しみ、試練といったことです。マリアもまたその後、幾多の試練に直面します。処女にして懐妊するという出来事、周りの人の目、そしてイエスを生むという重圧に耐えていきます。

イエスがベツレヘム(Bethlehem)で生まれたのはジュリアス・シーザー(Julius Caesar) の養子であった初代ローマ皇帝のアウグストゥス(Augustus)の治世でした。ユダヤの国はローマ帝国の属州であり、エルサレム(Jerusalem) の周辺はローマの総督であったポンティウス・ピラト(Pontius Pilatus)によって統治されていました。ガリラヤ (Galilee)地方は傀儡の王が治めていました。ローマ帝国の支配に対する苛立ちが広まり、民は圧政から解放されることを待ち望んでいたのです。ガリラヤはマリアが天使ガブリエル(Gabriel)から受胎告知を受けたところといわれます。

ルカによる福音書1章46節から50節は「マリヤの賛歌」ーマニフィカート」と呼ばれる有名な聖句で、「マニフィカート」はラテン語でMagnificatと記されます。マリヤの賛歌の冒頭にでてくる“My soul magnifies the Lord.“にある「magnifies」、讃える、崇める、誉むという言葉からきています。マリヤの賛歌は「マリアのカンティクム」 (Canticle of Mary) ともいわれます。Canticleとは賛美歌とか聖歌という意味です。

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聖書の中の女性の生き方 その四 「マルタ」

2fec502f6b548aac5cbbe1fb2404174e img_mouseover3 Martha_and_Mary_by_He_Qi_China新約聖書のルカによる福音書に登場する女性にマルタ (Martha) がいます。イエスと弟子たちが、ベタニア (Bethany)という村にマルタとマリアという姉妹の家を訪ねます。この姉妹にはラザロ(Lazarus)という兄がいます。重い皮膚病を患っていました。ベタニアはエルサレム(Jerusalem)の東2キロ余り、オリーブ山(Mt. Olive) の南東斜面に位置しています。

Marthaとはラテン語では「婦人」とか「女主」といった意味です。マルタとマリアの性格は違います。マリアはいわゆる内向きなのに対してマルタは積極的な性格の持ち主です。

あるときイエスがベタニアを訪れます。マルタとマリアはイエスの来訪を喜びます。マルタは、イエスと弟子達のために甲斐甲斐しく世話をします。ですが、妹のマリアはイエスの足許に座り、イエスの話しに熱心に聞き入っいました。姉のマルタは心穏やかではありません。マリアが手伝ってくれないからです。

マルタはだんだんと苛立ってきます。そして、ついにイエスにその不満をぶつけてしまうのです。

「主よ、わたしの妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」(ルカ10:40)

マルタは、イエスはマリアの怠惰を諫めてくれると期待したようです。ところが、イエスはマリアではなく、マルタに向かって次のように言われます。

「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:41-42)

兄のラザロが亡くなったとき、マルタはイエスに言います。
「主よ、あなたがここにおいででしたら、兄は亡くならなかったでしょう。」(ヨハネ11:20-21)

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聖書の中の女性の生き方 その三 「マグダラのマリア」

top10_conspiracy_jesus images MM Full Relief hi res新約聖書(New Testament) の中には、話題となる女性もいます。その一人がマリア(Maria)です。ガリラヤ湖(Sea of Galilee)沿いの町マグダラの出身であるために「マグダラのマリア」(Mary of Magdala) と呼ばれたといわれます。

マグダラのマリアについて四つの福音書が記述することは、七つの悪霊をイエス (Jesus) に追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたとあります。そして、復活したイエスに最初に立ち会ったのがマリアです。「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから触れないように」 と言われたのです。マグダラのマリアは、イエスの死と復活を見届ける証人であるとされます。

しかしながら、マグダラのマリアには別な解釈もあります。ヨハネによる福音書(Gospel of John) 第8章3節以下に次のような記述があります。マグダラのマリアらしき女性ではないかという説です。

「イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派(Pharisees)の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値する。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。また、イエスも女の罪を許した。」

ルカによる福音書(Gospel of Luke) 第7章37節にもマグダラのマリアらしき女性が登場します。

「この町に一人の罪深い女がいた。イエスが律法を重視するファリサイ派 の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」

この女性がどのような罪を犯したのかはわかりません。ですが性的不品行と説明されてきたようです。しかし、彼女は罪から悔悛したことが使徒ヨハネやルカの記述から伺えます。マグダラのマリアはカトリック教会、東方正教会 (Eastern Orthodox Church)、聖公会 (Anglican Church)、ルーテル教会などでは悔い改めた女性として聖なる扱いをされています。

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聖書の中の女性の生き方 その二 「サラ」

Foster_Bible_Pictures_0032-1 tumblr_inline_nvkf8xY6EP1ryni46_400 080624_sarasoju_torinin2004_edited創世記(Book of Genesis)に登場する一人の女性がサラ(Sarah)です。元の名はサライ (Sarai)です。ヘヴル語(Hebrew) で Sarahとは位の高い女性を指し、「プリンセス」とか「高貴な女性」と呼ばれていました。ユダヤ人の間ではSarahは「我等の母サラ」と呼ばれています。

彼女がアブラハム(Abraham)と結婚したのは、まだカルデア地方(Chaldea)のウル(Ur)に住んでいた頃です。カルデアとはメソポタミア (Mesopotamia)南東部に広がる沼沢地域の歴史的な呼称のことです。アブラハムの父であるテラ(Terah)の一族の移住に伴い、故国を離れてカナン(Cannan)の地へと向かいそこで定住していきます。しかし、カナンに大飢饉が起こり、サラとアブラハムはエジプト(Egypt) へ移住します。

創世記 23章1-20節には、サラは90歳で約束の子イサク(Isaac) を生んだとあります。神は、それに10年を加えて、サラは100歳まで生きたと言うのです。加えられた10年は、幼子イサクが立派な少年に育っていく期間で、母親の愛を必要とする大切な10年でありました。

やがて、妻サラが息を引き取ったとき、アブラハムはサラのために二つのことをしたといいます。一つは、サラのために悲しみ泣いたこと、もう一つはマクペラ(Machpelah)の洞窟に墓を買い、そこにサラを丁重に葬ったことです。「我等の母サラ」に対する別れの仕草です。

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