新約聖書(New Testament) の中には、話題となる女性もいます。その一人がマリア(Maria)です。ガリラヤ湖(Sea of Galilee)沿いの町マグダラの出身であるために「マグダラのマリア」(Mary of Magdala) と呼ばれたといわれます。
マグダラのマリアについて四つの福音書が記述することは、七つの悪霊をイエス (Jesus) に追い出していただき、磔にされたイエスを遠くから見守り、その埋葬を見届けたとあります。そして、復活したイエスに最初に立ち会ったのがマリアです。「すがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから触れないように」 と言われたのです。マグダラのマリアは、イエスの死と復活を見届ける証人であるとされます。
しかしながら、マグダラのマリアには別な解釈もあります。ヨハネによる福音書(Gospel of John) 第8章3節以下に次のような記述があります。マグダラのマリアらしき女性ではないかという説です。
「イエスを試すために、律法学者たちやファリサイ派(Pharisees)の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値する。イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」と言った。これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。また、イエスも女の罪を許した。」
ルカによる福音書(Gospel of Luke) 第7章37節にもマグダラのマリアらしき女性が登場します。
「この町に一人の罪深い女がいた。イエスが律法を重視するファリサイ派 の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」
この女性がどのような罪を犯したのかはわかりません。ですが性的不品行と説明されてきたようです。しかし、彼女は罪から悔悛したことが使徒ヨハネやルカの記述から伺えます。マグダラのマリアはカトリック教会、東方正教会 (Eastern Orthodox Church)、聖公会 (Anglican Church)、ルーテル教会などでは悔い改めた女性として聖なる扱いをされています。
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