アメリカの州鳥 その8 アラスカ州の鳥:カラフトライチョウ

アリューシャン列島 (Aleutian Islands) を含む北アメリカ大陸北西の端にあり、面積としては合衆国では最大の州です。合衆国本土とはカナダを挟んで飛地になっています。東はカナダ、北は北極海、西と南は太平洋と接し、西のベーリング海 (Bering Sea) を隔ててロシアと海上の国境を有しています。

アメリカ合衆国の一部としてのアラスカ(Alaska) の歴史は1867年に始まります。この年4月、アメリカ国務長官のウィリアム・スワード (William H. Seward) が720万ドルでロシアより購入します。「巨大な冷蔵庫を買った男」などと非難されたのですが、その後豊富な資源が見つかったり、冷戦中はラスカが国防上重要な役割を果たすことになり、現在ではスワードの手腕は高く評価されています。

        Willow ptarmigan

野生生物の宝庫がアラスカといわれます。ハクトウワシ (Bald eagle)が何百羽も集まり、ムース(moos) が交通渋滞を引き起こし、数百万匹のサケが川で産卵します。1958年7月7日、大統領ドワイト・アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)はアラスカを連邦に加えることを認めるアラスカ州法にサインし、1959年1月、アラスカは連邦の49番目の州となりました。州の愛称は”The Last Frontier”(最後のフロンティア)となっています。

カラフトライチョウ (Willow ptarmigan)がアラスカの州鳥となっています。キジ科の鳥です。体長15–17 インチ のライチョウであり、ヤナギの間やツンドラと湿地で生活します。夏は褐色・冬は純白と季節によって羽毛の色が変化するのが特徴です。冬は羽毛の中に空気をたっぷり蓄えて体温を逃さないようにしています。春は黒い羽毛が混じりはじめ、オス個体では目の上には赤色の肉冠が見えます。メスには肉冠はありません。羽毛は軸が2つに分かれその軸に突いた細かい羽毛の密度が高いため、空気をたくさん含むことができるのです。縄張りを大事にする鳥です。

アメリカの州鳥 その7 アーカンソー州の鳥:マネシツグミ

Mockingbird

アーカンソー州 (Arkansas)は大陸の合衆国中西部に広がる堆積平野のグレートプレーンズ(Great Plains)とメキシコ湾岸(Gulf of Mexico)の間にあります。雄大な山の景色と澄みデルタ地域は、アフリカ系アメリカ人からもたらされた楽曲、ブルース(Blues)が生まれ、ジョニー・キャッシュ(Johnny”Cash)のジャズやフォークの発祥の地です。同じくアーカンソー州出身のビル・クリントン(Bill Clinton)元大統領もこの州の出身です。キャッシュとクリントンの功績を称えるスポットは今でも見て回ることができます。アーカンソー州は世界有数の米作地帯でもあります。

Gal‡pagos Mockingbird, Mimus parvulus, on Santa Cruz Island, Galapagos Islands, Ecuador

アーカンソー州で有名なのは、緑豊かなオザーク山地(Ozarks)と断崖絶壁の間を流れる広大な川です。異常気象でも知られていて。通常年には雷雨、竜巻、雹、雪、氷雨がみられるようです。雷雨は年間60日ほど記録されています。1957年にアーカンソー州のリトルロック(Little Rock)で起こった人種差別騒動が有名で、アメリカ公民権運動における重大事件の一つとなっています。

アーカンソー州の鳥はマネシツグミ(mockingbirds)です。他の鳥類や哺乳類、物音などを声真似することから「マネシツグミ」と呼ばれます。面白いことです。世界中に広く分布しています。アメリカ大陸では見られるのは「northern mockingbird」です。色は比較的地味でムクドリに似ています。「mocking」とは、「ふざける」、「いらいらさせる」、「あざける」という意味です。

アメリカの州鳥 その6 アイダホ州の鳥: ムジルリツグミ

Mountain Bluebird

アイダホ州(Idaho)は、アメリカ合衆国北西部のロッキー山脈(Rocky Mountains)にある州です。州の北はカナダ国境のブリティッシュコロンビア州(British Columbia)に接し、東はモンタナ州(Montana)とワイオミング州(Wyoming)に、西はワシントン州(Washington) とオレゴン州(Oregon)に、南はネバダ州(Nevada)とユタ州(Utah)に接している内陸の州です。

州の大部分が山岳地帯の州であり、面積では全米50州の中で14位。アメリカ北東部のニューイングランド(New England)地方の面積よりも広く、農業と共に林業、鉱業が盛んな州です。近年は自然を活かした観光業なども州の大きな収入源になっています。州都および最大都市はボイシ(Boise)です。

かつて琉球の那覇市で幼児教育をしていたとき、公設市場で巨大なジャガイモを見ました。袋には
“Idaho Potato”とありました。私がアイダホを知ったきっかけです。ジャガイモは、もともとは南アメリカのアンデス山脈あたりが原産です。コロッケやポテトチップスなどの加工食品にもされ、ビタミンCやカリウムなどの豊富な栄養を含む特徴があります。メークイン、男爵、農林一号などのジャガイモも北海道で栽培されています。

アイダホ州の鳥は「ムジルリツグミ」(Mountain Bluebird)です。ツグミの仲間です。全長約18cm、翼開長約36cm、体重約29gくらいです。オスは目の覚めるようなうす青い羽根ですが、メスは灰青色の少し地味な姿です。春頃から彼らは求愛活動を始めますが、メスがオスを選ぶ基準は羽根の色でも鳴き声の美しさでもなく、しっかりした巣を持っているかだそうです。ナバホ族(Navajo)の伝説では、朝日をつかさどる妖精の化身とされています。

アメリカの州鳥 その5 アイオワ州の鳥:オウゴンヒワ

American Goldfinch

前置きが長くなりました。いよいよ50州の鳥の紹介です。州名はあいうえお順に紹介することにします。最初はアイオワ州(Iowa) の鳥です。アイオワ州はアメリカ大陸、中西部(Midwest)に位置し、「アメリカのハートランド(Heartland–中心地)」と呼ばれています。その州都で人口最大の都市はデモイン(Des Moines)です。「アイオワ」という名前はヨーロッパ人がこの地域を探検した時代に、数多く住んでいたインディアン部族の中のアイオワ族からとられました。

Iowa and corn field

アイオワ州法によって、アメリカ合衆国大統領選挙の前哨戦である大統領候補指名党員選挙(caucus)を全国に先駆けて行うことが定められています。したがって、アイオワ州党員選挙は大統領選挙の初戦として位置付けされ、大統領選挙の際には大きく注目されています。なお、アイオワ州党員選挙にて敗北した候補者が大統領に就任した例は少なく、「アイオワを制する者が大統領選挙を制する」とも言われています。

アイオワ州の北側はミネソタ州(Minnesota)、東側はミシシッピー川(Mississippi River)を挟んでウィスコンシン州(Wisconsin)です。南はミズリー州(Missouri)、西側はネブラスカ州(Nebraska)です。アイオワを探検し開拓を始めたのは1673年にミシシッピ川の探検をしていたケベック出身のフランス人ルイ・ジョリエ(Louis Jolliet)と、彼と行動を共にしたフランス人宣教師ジャック・マーケット(Jacques Marquette)です。アイオワ州は平原が広がり「コーンベルト(corn belt)」と呼ばれてもいます。トウモロコシの生産で全米一なのです。ということは世界一かもしれません。そのような訳で、「世界の食糧の州」とも呼ばれます。

アイオワ州の鳥の代表、オウゴンヒワ(American Goldfinch)は、米国中西部、東海岸のニューイングランド(New England)、カナダでみられるスズメ目アトリ科の鳥で、体長は約14cmです。藪、草原、二次林などに生息します。雑草の種子や芽、昆虫などを食べます。枯草などを集めて椀型の巣を造ります。名前が示すとおり、オウゴンヒワオスはとても鮮やかなレモンイエローで美しい。繁殖期のオスの黄色は輝くような黄金色です。この際だった色がこの鳥の英名・和名の由来です。他方、メスは、羽色が全体に茶色、上面はオリーブ褐色で、頭頂の黒色部分がありません。鳴き声は高くチッチッチッととても心地よく響きます。

オウゴンヒワの巣はオーソドックスな形である浅いカップ型の巣を木の又の部分などに作ります。冬になると大きな群れを作り、群れで生活するようになります。生息地域によっては冬になると渡り鳥のように南の地域へと移動するという特徴があります。

アメリカの州鳥 その4 アメリカの自然保護とパークレンジャー

Gracier National Park, Montata

1872 年に世界ではじめて国立公園制度を成立させます。世界最初の国立公園は、1872 年に第18代合衆国大統領 ユリシーズ・グラント(Ulysses S. Grant)によって指定されたイエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)です。1916 年に「風景、自然、史跡、野生動物の保存」を目的として、内務省(Department of the Interior)に国立公園局(National Park Service)が設置されます。アメリカは世界で初めて国立公園制度を取り入れ、有料制で世界最高水準の自然保護システムを確立しているといわれます。大自然はアメリカの財産という考え方があるからでしょう。

Park Rangers

国立公園局は 59あるすべての国立公園と399 のエリアを管轄し、多くの国定記念物、さまざまな保護物と歴史的な特徴を管理する責任を持っています。総面積は 34 万k㎡。これは九州を除いた日本の面積に匹敵します。その96%が国有地で、敷地内にある道路、レストランから教会などの建造物に至るまで、当局の厳重な管理下にあります。

国立公園には必ずビジターセンター(visiter center)があります。パークレンジャー(park ranger)が常駐し自然環境の展示やジオラマ、映像上映があり、来場者の知識を深めるのに役立っています。生息する動植物のリストや天気予報など、公園のあらゆる情報を得ることができます。パークレンジャーによるレンジャープログラムのほとんどは無料で実施されており、予約なしで誰でも参加できます。パークレンジャーは、人々を連れてトレイル(trail)を歩きながら、その風景が生まれた経緯や生息動植物、絶滅の危機に瀕している動植物、先住民の言い伝えなどを聞かせてくれる親切さです。パークレンジャーには、常勤職員と臨時職員(seasonal)がいて、特に夏季にビジターセンターに配置される多くの若手職員は学生または大学卒業直後の臨時職員です。どの公園も芝が刈られ、木々は剪定されていて清潔です。

The Narita Family, Yosemite National Park

マイカーやレンタカーは駐車場に停めバスを利用します。バスは低公害の液化天然ガス車でCO2 削減、大気汚染などの環境汚染と交通渋滞を減らす施策を展開しています。バスには自転車ラックがあり、車いすや身体の不自由な人も乗降しやすい低床型となっています。自然保護のため国立公園内の宿は数が限られており、部屋は慢性的に不足しています。ヨセミテ(Yosemite)など人気が高い公園は、トップシーズンのキャビンやペンションの客室は1年前に予約で埋まります。

アメリカの州鳥 その3 アメリカの50州と連邦政府

連邦最高裁判所

アメリカ独立宣言当時はデラウェア (Delaware)を初めとして13州でありました。独立戦争後はスペインやフランスなどと領土を割譲、買収、併合を経て、現在は50州となっています。州は連邦と主権を共有しながらも独立した主体となっています。独立宣言に加わった13植民地を起源として各州は連邦を構成していて自律性が非常に高いのが特徴です。日本ような県の国への従属的な関係とは違います。

合衆国の三権分立

合衆国憲法においては、連邦政府に授権された権限として、軍事、外交、通貨、通商以外は州および人民に留保されています。教育・福祉・治安(警察)はもちろん、民法・刑法も原則としては州法の管轄となっています。我が国のような地方交付税などはありません。消費税も州によって異なります。州には固有の憲法や州最高裁判所もあり、三権分立が確立されています。各州の行政や基礎自治体の体系もそれぞれ異なり、首長たる知事、議会はもちろんのこと共和制国家としての体裁を持っています。軍隊である州兵を有しています。

White House

連邦政府には運輸省とか教育省があります。学校の運営は州や自治体に責任があります。国立大学はありません。共通の道路交通法規というものもなく、連邦捜査局にも交通取締りの権限はありません。歴史的には連邦政府の権限が強化され相対的に州の地位が低下する傾向があるように感じます。
特に、連邦政府は共同の防衛および一般の福祉に備えるために、租税、関税、輸入税および消費税を賦課し、徴収する権限を有しています。そして、すべての関税、輸入税お よび消費税は、合衆国全土で均一でなければならないことが合衆国憲法第1条8節に定められています。

アメリカの州鳥 その2 アメリカの独立

Battle of Lexington and Concord

アメリカの独立戦争(American War of Independence) は、アメリカ東部沿岸のイギリス領の13植民地と植民地を支配していたイギリスとの戦いです。砂糖、綿花などへの高い関税に反対したり、東インド会社から持ち込まれる安いお茶への植民地商人の怒りが、1773年にボストン港を襲撃しボストン茶会(Boston Tea Party)事件となっていきます。

Battle of Bunker Hill

茶会事件に衝撃を受けたイギリスはボストン港を閉鎖、住民に対して強硬な姿勢を示していきます。ここにおいてアメリカ大陸13州の住民代表者はフィラデルフィア(Philadelphia)で史上初めての大陸会議を開き、植民地の自治権を求めてイギリスに対して反抗します。1775年4月、イギリスの駐屯兵と住民有志による民兵が衝突がレキシントン・コンコードの戦い(Lexington and Concord)となります。

minute man

1775年6月に起こったのがバンカーヒル(Battle of Bunker Hill) の戦いです。訓練も経験も乏しい植民地軍の民兵1,500名がバンカーヒルに砦を築き、白兵戦を展開し敗北します。このような民兵はミニットマン(minute man)と呼ばれました。しかし、イギリスの正規軍に大損害を与えます。結果としてアメリカ側の士気を高める結果となった戦です。バンカーヒルはボストン対岸の丘の名前です。

住民代表者は第2次大陸会議を開催、ジョージ・ワシントン(George Washington) を総司令官に任命して大陸軍を結成し、1776年7月4日の大陸会議においてトマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson) が起草し、プロテスタント的思想(protestantism)を盛り込んで近代民主主義の原点となったアメリカ独立宣言 (Declaration of Independence) を発表します。

プロテスタント的思想とは、神の前での人間の平等を強調する考えです。万人は平等につくられ、また、生命、自由および幸福追求を含む譲ることのできない権利を創造主から与えられているという考えです。

アメリカの州鳥 その1 アメリカの州の歴史

Cardinal

今回から50回にわたって「アメリカの州鳥」という話題を取り上げることにします。私もウィスコンシンなどで色々な鳥を見てきました。四季とりどりの鳥がいて、それが毎日のように本当に身近で見られることです。日本で見かけたことがない鳥も見ました。アメリカ大陸は広いので珍しい鳥がいます。雪解けになると南から北へむかって大群で雁(geese)が飛翔していきます。秋になるとその反対に大群が南に向かいます。群れが毎日何度も何度も上空を飛んでいくのです。季節を感じる風物詩です。

州鳥に触れていく前にアメリカの州の特徴を述べておきます。現在のアメリカは50の州から成ります。それで合衆国と呼ばれています。州はそれぞれの憲法を有していて、自治を有しいわば小さな国家のような形態をとっています。子ども達はアメリカの独立にいたる歴史を必ず学校で習います。そこで学ぶ大事なことは、アメリカの特徴の一つが多民族国家ということです。なぜ多民族国家となっていったかは、植民地時代の「開拓」によって、ヨーロッパ諸国からいろいろな人々が移民してきたこと、黒人奴隷が連れてこられたこと、アジアの国々から移民がやってきたこと、そして原住民(native american)から構成されているからです。

連邦議事堂 Capitol

まずヴァージニア(Virginia)やカロライナ(Carolina)にはイギリス人(England)が、ルイジアナ(Lousiana)にはフランス人が(French-Lousiana)植民地を築くなど、この開拓は主にイギリス人とフランス人2つの民族によって行われます。大西洋東海岸のニューヨーク(New York)やニュージャージー(New Jersey)にはオランダ人(Netherland) が、デラウェア(Delaware)にはスウェーデン人(New Sweden)が、フロリダ(Florida)にはスペイン人(Spanish) が、それぞれにアメリカ大陸に植民地を築いていきます。こうして、アメリカ東部には、すでに17世紀半ばに現在のアメリカ文化となっていく欧米文化が移植されていたのです。

アメリカの歴史における宗教の多様性に関する簡単な歴史です。当初の移民はフランスやスペインなどからのカトリック(Catholic)教徒でありましたが、16世紀にヨーロッパでプロテスタント(新教徒)が勃興し、カトリック教会に対する抵抗の宗教改革運動へ発展していきます。続いて宗教戦争が起こり、カトリック教会からの迫害がおこると、清教徒(Puritan)による1620年のメイフラワー号(Mayflower) のマサチューセッツ(Massachusetts)のプリマス(Plymouth)への移民をきっかけとして、新天地を求めた新教徒が相次いで入植します。こうしてカトリックとプロテスタントが共存していくのです。

日本にやって来て活躍した外国人 その五十一 ラフガディオ・ハーン その2

Patrick Lafcadio Hearn

「日本にやって来て活躍した外国人」のシリーズはこの稿で終わりとなります。
ハーンは1890年8月に島根県松江にやってきます。なぜ松江を選んだのかはわかりません。松江尋常中学校及び師範学校の英語教師となります。その後は熊本第五高等学校をはじめ神戸など、日本の各地の学校や新聞社で働き、1896年には東京帝国大学の講師になっています。退職後の後任は夏目漱石となり、ハーンは早稲田大学に移り教鞭を執ります。

熊本第五高等学校

彼の著作には『知られざる日本の面影』 Glimpses of Unfamiliar Japan (1894) ,『心』 Kokoro (96) ,『仏の畑の落穂』 Gleanings in Buddha-Fieldsなどがあります。中でも、日本の伝説に取材した『怪談』 Kwaidan (1904) は最も読まれた作品といえましょう。『怪談』のなかに「耳なし芳一」とか「雪女」、「のっぺらぼう」、「ろくろ首」などがあります。

William B. Yeats

ハーンの父親はアイルランド出身でした。いわゆるアイリッシュ(Irish)です。アイルランドといえば妖精のイメージが強いところです。アイルランドの詩人で神秘主義的思想家、イエイツ(William B. Yeats)が編纂した「ケルト幻想物語集」(Legends of the Celts) というシリーズには、幽霊、魔女、巨人、取り換え子…など怪談のような話から、日本の妖怪に近いようなお話まで網羅されています。ハーンも小さい時は、こうした物語を聞かされたり、読んだりしていたはずです。「ケルト人(Celt)」とは、ケルト語派の言語が話される国であるアイルランド、スコットランド、マン島(Mann)に住む人々を指します。

アイルランドのウオータフォード(Waterford)という街に「The Lafcadio Hearn Japanese Gardens」というのがあるそうです。以下のURLで調べましたが、気持ちよく散策できるような雰囲気を感じます。アイリッシュの人々も小説家ハーンには、思い入れがあるのでしょう。
https://www.lafcadiohearngardens.com/ 

日本にやって来て活躍した外国人 その五十 ラフガディオ・ハーン その1

八雲とセツ

山陰へ行かれたときは、松江市にある小泉八雲記念館を是非訪ねて欲しいものです。記念館には第1と第2展示室があり、第1展示室では「その眼が見たもの」「その耳が聞いたもの」「その心に響いたもの」というコンセプトで紹介し、第2展示室では八雲の事績や思考の特色を「再話」「ジャーナリズム」「教育」「いのち」「八雲から広がる世界」などが紹介されています。小泉八雲という名前ですが、「小泉」は妻・セツの姓で、「八雲」は、出雲の国の枕詞が「八雲立つ」なので、そこから拝借したといわれます。

ラフガディオ・ハーン( Patrick Lafcadio Hearn)、1850年6月にギリシャ西部のレフカダ島(Lefkada)で生まれます。父チャールズ(Charles)はアイルランド(Ireland)出身の軍医、母ローザ(Rosa)はギリシャ人でした。アイルランドは当時まだ独立国ではなかったので、ハーンはイギリス国籍でありました。2歳の時にアイルランドに移り、その後イギリスとフランスでカトリックの教育を受けます。16歳の時、遊戯中に左目を失明します。

小泉八雲記念館

19歳でアメリカに単独で移民し、シンシナティ(Cincinnati)でジャーナリストとして文筆が認められようになります。その後、ルイジアナ州(Louisian)ニューオーリンズ(New Orleans)などで旺盛な取材や執筆活動をします。ニューオーリンズ時代に万博で出会った日本文化、ニューヨークで読んだ英訳『古事記』などの影響で来日を決意し、1890年4月に日本の土を踏みます。その時ハーンは39歳でした。

まもなく島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師となります。その後は熊本第五高等学校をはじめ神戸など、日本の各地の学校や新聞社で働き、1896年には東京帝国大学の講師になっています。

日本の各地を渡り歩いて,『知られざる日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan),『心』 (Kokoro) ,『仏の畑の落穂』 (Gleanings in Buddha-Fields) などで日本の風土と心を紹介していきます。