「日本にやって来て活躍した外国人」のシリーズはこの稿で終わりとなります。
ハーンは1890年8月に島根県松江にやってきます。なぜ松江を選んだのかはわかりません。松江尋常中学校及び師範学校の英語教師となります。その後は熊本第五高等学校をはじめ神戸など、日本の各地の学校や新聞社で働き、1896年には東京帝国大学の講師になっています。退職後の後任は夏目漱石となり、ハーンは早稲田大学に移り教鞭を執ります。
彼の著作には『知られざる日本の面影』 Glimpses of Unfamiliar Japan (1894) ,『心』 Kokoro (96) ,『仏の畑の落穂』 Gleanings in Buddha-Fieldsなどがあります。中でも、日本の伝説に取材した『怪談』 Kwaidan (1904) は最も読まれた作品といえましょう。『怪談』のなかに「耳なし芳一」とか「雪女」、「のっぺらぼう」、「ろくろ首」などがあります。
ハーンの父親はアイルランド出身でした。いわゆるアイリッシュ(Irish)です。アイルランドといえば妖精のイメージが強いところです。アイルランドの詩人で神秘主義的思想家、イエイツ(William B. Yeats)が編纂した「ケルト幻想物語集」(Legends of the Celts) というシリーズには、幽霊、魔女、巨人、取り換え子…など怪談のような話から、日本の妖怪に近いようなお話まで網羅されています。ハーンも小さい時は、こうした物語を聞かされたり、読んだりしていたはずです。「ケルト人(Celt)」とは、ケルト語派の言語が話される国であるアイルランド、スコットランド、マン島(Mann)に住む人々を指します。
アイルランドのウオータフォード(Waterford)という街に「The Lafcadio Hearn Japanese Gardens」というのがあるそうです。以下のURLで調べましたが、気持ちよく散策できるような雰囲気を感じます。アイリッシュの人々も小説家ハーンには、思い入れがあるのでしょう。
https://www.lafcadiohearngardens.com/