心に残る名曲 その十六 「インヴェンションとシンフォニア BWV 772-801」

この曲は、バッハのクラヴィアのための曲集の一つです。「クラヴィア」とは鍵盤のことであることは既に述べました。バッハが若き音楽家の育成に主眼を置いて作曲された小品集といわれますが、芸術的に高い音楽ともいわれます。バッハはザックセン(Sachsen)で宮廷楽長として、またライプツィヒにある聖トーマス教会(St. Thomas Church)の音楽監督(トーマスカントルーThomascantor)として長く活躍します。その間、こうした音楽家を育成するいわば教育目的のクラヴィア曲を多数作曲したといわれます。

インヴェンション(invention)とは、「創作」とか「着想」という意味です。シンフォニアは古代ギリシャ語の「symphonia」調和という意味だそうです。16世紀頃になると、曲集の題名に用いられるようになります。器楽合奏による多楽音形式の曲種名ともなります。器楽シンフォニアは、オラトリオなどの声楽曲の器楽前奏ないしは間奏として用いられます。インヴェンションは2声部の、シンフォニアは3声部の、対位法的な形式による様々な性格の小曲でです。シンフォニアは「3声のインヴェンション」と呼ばれることもあります。

バッハは演奏目的だけでなく、作曲も視野に入れた優れた教育作品としたようです。レオポルト・ケーテン(Leopold von Anhalt-Köthen)公に招かれ宮廷楽長として活躍した時代に作ったといわれます。現代のピアノ学習者のための教材としても広く用いられています。また教育作品に留まらず、バッハの他のクラヴィア楽曲と同様、多くのチェンバロ奏者やピアニストが演奏しています。こうした演奏はYouTubeで楽しめます。

演奏者の曲の解釈によって、演奏の内容が異なるのは興味あることです。ですが作曲者の意図がなんであったのかを考えてしまいます。楽譜には作曲者の意図が明確にあらわれています。テンポもそうです。「allegro」は「速く」、とか「活発に」というテンポです。「allegro con brio」は「アレグロのテンポで生き生きと」とあります。この違いを演奏者はそれぞれに解釈するというわけです。

心に残る名曲 その十五 「マニフィカト ニ長調 BWV243」

ラテン語の「Magnificat」とはマリアの賛歌と云われ、カトリック教会の典礼において夕べの祈りの中心をなす歌のことです。ラテン語での名称は「Canticum Beatae Mariae Virginis」といいます。「Canticum」とはキリスト教における聖歌の一つです。歌詞はルカによる福音書(Gospel according to Luke) 第1章46~55節に由来し、〈わが魂は主をあがめ Magnificat anima mea Dominum〉の最初の語の名称に由来します。マリアがバプ   テスマ(Baptisma)のヨハネの母となるべきエリサベツ(Elizabeth)を訪ねたときに受けた受胎告知の祝詞に対して答えた賛美の歌でです。

わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも
目を留めてくださったからです。

マリアの賛歌のあとには、典礼の中でしばしば使われる「頌栄」(doxology)という賛歌が続きます。祈祷文ともよばれます。聖務日課の晩課で歌われるほか,多声部の作品も多く,オルガン曲にも作曲されています。 プロテスタント教会で使われる頌栄の一つは次のような祈祷文です。

父、御子、御霊の神に、御栄えあれ、
始めも、今も後も、代々に絶えず アーメン

Glory be to the Father, and to the Son, and to the Holy Ghost.
As it was in the beginning, is now and ever shall be, world without end. Amen.

心に残る名曲 その十四 カンタータ第147番 「心と口と行いと生活で」

1716年、バッハはワイマール(Weimar)で待降節(Advent)第四日曜日用に作曲をはじめました。しかし、作曲を中断してライプツィヒ(Leipzig)に移ったのちに改作します。第1部、第2部からなる大規模なカンタータです。ライプツィヒでは200曲のカンタータのうち、実に160曲を作ったというのですから驚きです。

有名な「主よ、人の望みの喜びよ」のコラールが登場するカンタータがこの147番です。1723年に主の母マリア(Mary)訪問の祝日のために作曲したと推測される教会カンタータです。全10曲からなり、終曲のコラールは「主よ、人の望みの喜びよ」となります。ドイツ語では、Jesus bleibet meine Freude、英語では、Jesu, Joy of Man’s Desiring というタイトルがついています。

ルカによる福音書(Luke)1章39節から56節がマリアの賛歌と呼ばれます。この箇所は次のような内容です。

ザカリア(Zacharias)とエリサベツ(Elisabeth)の夫婦は老齢になるまで子どもに恵まれずにいたのであきらめかけていましたが、ザカリアのもとに天使ガブリエル(Gabriel)が現れ「エリサベツが子を産むのでヨハネ(John)と名づけなさい」と告げ、エリサベツは身ごもります。後の洗礼者ヨハネです。
そののち同じように天使ガブリエルから受胎を告知された聖母マリア(Mary)は立ってユダ(Judah)の町へ行き、エリサベツの家を訪ねます。

マリアは、ザカリアの家に入ってエリサベツに挨拶します。エリサベツがマリアの挨拶を聞いたとき、その子が胎内でおどります。エリサベツは聖霊に満たされ声高く叫んで言います。
「あなたは女の中で祝福された方、あなたの胎の実も祝福されています。主の母上が私のところに来てくださるとは、なんという光栄でしょう。ごらんなさい。あなたの挨拶の声が私の耳に入ったとき、子どもが胎内で喜びおどりました。主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」
するとマリアは言います。「私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主なる神をたたえます」

エリサベツもマリアも主の言葉を「心と口と行いと生活で」忠実に守り、やがて子育てに尽くす姿を予見しています。

心に残る名曲 その十三 「G線上のアリア BWV1068」

「管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068」の第2曲「アリア」(Air on G String)が通称「G線上のアリア」です。原曲はニ長調で書かれています。1871年にドイツのヴァイオリニストのヴイルヘルミ(August Wilhelmj)がヴァイオリンの四本の弦の中で一番低いG線だけで弾けるようにハ長調に転調したといわれます。

この曲には「Air」と副題がつけられています。フランス語で「エール」です。英語では「エア」、イタリア語では「アリア」「aria」となります。こうした副題から感じられることは、歌謡的、叙情的な器楽曲であるということです。

ニ長調のアリアは穏やかで清楚な印象を、ハ長調のほうはG線がいぶし銀のように渋く響きます。ヴァイオリンの高い音程の曲を聴くことが多い中、G線だけで演奏されるこの曲は、まるでビオラかチェロで演奏されているような印象を受けます。

 

 

 

 

 

孫のAndersが同じ高校の生徒、石館楓さんと二重奏を弾いています。二人はボストンの郊外に住んでいます。

心に残る名曲 その十二   讃美歌358番「こころみの世にあれど」

昨日、イギリスでのローヤルウェディング(Royal Wedding)を観ました。どうしてこなんにイギリス国民はもとより、世界中の人々がこの結婚式に惹き付けられるのかを思いました。礼拝式の最初で歌われた讃美歌は私の大好きな曲の一つであったので、なおさら印象深い瞬間でした。

この讃美歌は、日本では「こころみの世にあれど」と題するものです。讃美歌集の358番に位置します。プロテスタントの教会では統一した讃美歌です。英語名は「Be Thou My Vision 」。原文にそって訳しますと、「私の光となってください」となります。「こころみの世にあれど」は歌詞の内容をくみとったものです。「Thou」とは「You」のことで神や主を意味します。

こころみの世にあれど、
 みちびきのひかりなる
  主をあおぎ、雨の夜も
   たからかにほめうたわん

Be thou my vision, O Lord of my heart;
naught be all else to me, save that thou art thou my best thought, by day or by night;
waking or sleeping, thy presence my light.

https://www.youtube.com/watch?v=v733NbQ2fsc

この讃美歌は8世紀ころのアイルランドの古い民謡が元歌です。中世期のアイリッシュの人々で歌われ、やがてそれが広まったといわれます。この詩を作ったのは眼の不自由なアイリッシュだったと言い伝えられています。「Be Thou My Vision 」というタイトルからそれが伺えます。

今や全世界の英語圏の教会で歌われているキリスト教の伝統的な讃美歌です。キリストを愛し従う者に与えられる内なる平安を表現した讃美歌といえます。

心に残る名曲 その十一 スカルラッティ

1600年の後半から1700年の前半に活躍した作曲家にスカルラッティ(Alessandro Scarlatti)がいます。宗教曲や器楽曲もありますが、主なものはオペラやカンタータです。Wikipediaによりますとナポリを中心として活躍したことから、「ナポリ派の父(Neapolitan School of Opera)」と呼ばれたようです。ナポリのあたりでは周りにいた音楽家の師であったとあります。

バッハと同じ年代で活躍したスカルラッティは、カンタータを800曲、オラトリオ、ミサ曲、モテット、マドリガル、器楽曲のコンチェルト、シンフォニアなどを作曲しています。イタリアオペラの典型的な序曲といわれるシンフォニアはナポリで作曲したといわれます。

スカルラッティは、メディチ(Ferdinando de’ Medici)とかスエーデンのクリスティーナ女王(Queen Christina)などの庇護を受けて活躍したようです。こうした富豪や貴族は彼の音楽に心酔していたことが伺えます。さらにカトリック教会での礼拝堂楽長などにも就任します。例えば、ローマの聖マリアマジョーレ大聖堂(Basilica di Santa Maria Maggiore)です。アクアヴィヴァ枢機卿(Cardinal Acquaviva)の推薦といわれます。

スカルラッティの音楽様式は、17世紀および18世紀前半に発達した芸術および建築の様式、イタリアのバロック(Baroque)に代表されます。その特徴は、曲が過度に装飾的で誇張され,派手に飾りたてられていることです。この特徴は絵画や建造でも見られます。バッハはこうした同世代の音楽家からも影響を受けていたことは容易に想像できます。

心に残る名曲 その十 ブクステフーデ

バッハの作品は世界中で知られています。「音楽の父」という名声は揺るぎないものですが、彼の作品を支えた背景にはその才能やたゆみない努力、そして影響を受けた作曲家がいたということです。それがドイツのブクステフーデ(Dieterich Buxtehude)とかイタリアのスカルラッティ(Alessandro Scarlatti)といった作曲家と云われます。

ブクステフーデは17世紀の北ドイツおよびバルト海 (Baltic Sea) 沿岸地域を統治していたプロイセン(Prussia)を代表する作曲家でオルガニストといわれます。1668年にバルト海に面する北ドイツの代表都市、リューベック(Leubeck)のマリア教会(St. Mary Church)のオルガン奏者となり,終生この地位についた人物です。同教会で以前から行われていた世俗的性格をもつ音楽会〈アーベントムジーク(Abent Musik)(夕べの音楽)〉を続け,オルガン演奏のほか,合唱やオーケストラも含めた大規模なものに発展させるという貢献をします。

平日に行われていたアーベントムジークをクリスマス前の5回の日曜日に移し、オルガンの隣りに聖歌隊を配置し、合唱とオーケストラ40名ほどが演奏するというものです。1705年に20才のバッハもこの催しでリューベックを訪れたといわれます。なおキリストの降誕を待ち望む週はアドベント(advent)と呼ばれています。

ブクステフーデの作曲活動ですが、オルガン曲はプレリュード(Prelude)、フーガ、オルガンコラールなど90曲が現存するといわれます。カンタータも100曲以上が現存し、これらがバッハのカンタータへと発展していきます。他にも世俗声楽曲であるマドリガル(Madrigal)、ハープシコード(harpsichord)やチェンバロ(Cembalo)などの作品があります。

ブクステフーデ作曲で現存する約120曲の声楽曲は、婚礼用の8曲等を除いてすべてプロテスタント教会のための宗教曲となっています。これらの作品は今日、カンタータと呼ばれることも多いのですが当時、宗教曲に対してカンタータという呼称が用いられることはなく、独立した複数の楽章から構成される声楽曲といってもよさそうです。声楽曲における歌詞の形式は、聖書等の散文詩、ドイツ語コラールなどにに分類することができます。

ブクステフーデのオルガン曲を聴きますと、バッハの作品かと思われるほどです。バッハはこの作曲家より多くのことを学んだことが容易に伺われます。

心に残る名曲 その九  「フーガ ト短調 BWV 578」

バッハ (Johann Sebastian Bach) は音楽総監督(カントルーCantor)、教会音楽家、演奏者、聖歌隊指揮者など多彩な活動した作曲家です。特にライプツィヒ(Leipzig)の聖トーマス教会(St. Thomas Church)のカントルとしての活躍がめざましく、宗教曲、管弦楽器曲、協奏曲、室内楽曲、鍵盤楽器曲に膨大な作品を残しています。

バッハには自分の子供たちのために書いた曲も多いといわれます。たとえば、「アンア・マグダレーナのためのクラヴィア小曲集」「インヴェンション」「シンフォニア」「平均律」を含む「イギリス組曲」、「フランス組曲」、「イタリアン・コンチェルト」、「パルティータ」、「トッカータ」などで、それらの作品でバッハは対位法と云われる複数の旋律をそれぞれの独立性を保ちながら、互いに調和させて重ね合わせる技法を使っています。クラヴィア小曲集で知られる鍵盤楽器曲は今日のピアノの学習に欠かすことのできない重要な作品となっています。

「小フーガ」の愛称で親しまれているのが「フーガ ト短調 BWV 578」です。最初の4小節半のフーガ主題は、最も分かり易く親しみやすい旋律として名高いものです。各地の演奏会でしばしば演奏されています。この作品は4声フーガとして精密に構成されていて、伝統的な対位法を用いています。

対位法という技法は、イタリアの作曲家コレッリ(Arcangelo Corelli)の有名な作曲技法といわれ、模倣し合う2声のそれぞれに8つの音符が現れ、前半4音で一気に駆け上がったあと、後半4音で一息に駆け下りるという手法がみられます。「小フーガ」の愛称が付くのは、「トッカータとフーガニ短調」が余りにも壮麗で広く知られていること、四分弱の曲の長さから、この名が付いたようです。

この曲は、1965年に札幌ユースセンタールーテル教会に設置された北海道で最初のパイプオルガンの献納式のプログラムに入っていました。「トッカータとフーガニ短調」も演奏されました。東京芸術大学の教授であった秋元道雄というオルガニストを招きました。

心に残る名曲 その八 「トッカータとフーガ 二短調 BWV 565」

このオルガン曲、「Toccata and Fugue in D minor」は、あまたの音楽作品で最高傑作、最高峰に位置する一つといえそうです。私の思い入れもあります。1940年にウォルト・ディズニー(Walt Disney)が演出したファンタジア(Fantasia)の冒頭で演奏されて以来、世界中に広まります。演奏を指揮したのはアメリカで活躍したストコフスキー(Leopold Stokowski)です。

曲名にある用語のことです。トッカータ(Toccata)とは「触れる」、「弾く」とか「演奏家の妙技を示す」といった意味です。フーガ(Fugue)のことは既に説明しましたが、主題とその応答が交互に現れる対位法と呼ばれる多声音楽の形式のことです。この曲を聴きますと、異なる主旋律が互いに追い掛け合いをするように連続して演奏されます。バッハの作品にしばしば登場する演奏様式です。オルガンの木管と金管のコンビネーションが絶妙で、多くの演奏者はこの音楽についての理解が異なるようで、それが演奏の仕方に現れています。速い音符や細かな音形の変化などを伴い、即興的な楽曲を指し、技巧的な表現を特徴とするのがトッカータです。バッハが21歳のとき作曲したというのですからこれも驚きです。

ストコフスキーのことです。イギリス生まれですが主にアメリカで指揮者として活躍します。1912年にフィラデルフィア管弦楽団(Philadelphia Orchestra)の常任指揮者に就任し、この管弦楽団を世界一流のアンサンブルに育てたといわれます。ボストン交響楽団(Boston Symphony Orchestra)、シカゴ交響楽団(Chicago Symphony Orchestra)、ニューヨーク・フィルハーモニック(New York Philharmonic)、クリーヴランド管弦楽団(Cleveland Orchestra)と並んでアメリカ五大オーケストラに数えられています。

心に残る名曲 その七  「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」

バロック時代中頃の1680年頃に作曲されたカノン(canon)様式の作品です。カノン様式とは、複数の声部が同じ旋律を異なる時点からそれぞれ演奏されます。輪唱は同じ旋律を追唱しますが、カノンは異なった音程で始まるところが違います。

カノン様式を指す「3つのヴァイオリンと通奏低音のためのカノンとジーグ ニ長調」(パッヘルベルのカノン」(Canon in D) )の第1曲。この曲は、パッヘルベル(Johann Pachelbel)のカノンの名で広く親しまれており、パッヘルベルの作品のなかで最も有名で、広く知られている作品といわれています。通奏低音とは、低音の上に即興で和音を補いながら伴奏声部を完成させる技法とされヨーロッパの17,18世紀のバロック時代に広く用いられたようです。

パッヘルベルは17世紀、バロック期のドイツの作曲家であり、南ドイツ・オルガン楽派の最盛期を支えたオルガン奏者で教師でもありました。宗教曲や非宗教曲を問わず多くの楽曲を制作し、コラール前奏曲やフーガの発展に大きく貢献したところから、バロック中期における最も重要な作曲家の一人に数えられました。

パッヘルベルの音楽は技巧的ではなく、北ドイツの代表的なオルガン奏者であるブクステフーデ(Dietrich Buxtehude)のような大胆な和声法も用いず、旋律や調和の明快さを強調し、明快で単純な対位法を好んで用いたようです。他方、ブクステフーデ同様に、教会カンタータやアリアなどの声楽曲において楽器を組み合わせた多様なアンサンブルの実験も行ったといわれます。

通奏低音とは、チェロ又はヴィオラダガンバ、またはその両方、ヴィオローネ、チェンバロ、リュート、ギター、オルガンなどの任意の組み合わせによる即興的な演奏方法といわれます。