お金の価値 その一 1万円札

 新しいの1万円札を見ながらいろいろと考える機会ができました。1万円札の製造原価は20円位であると報道されています。20円の紙切れが500倍の値打ちになるのですから、これは錬金術師が使う手であるという言葉を思い出します。

 小さいとき1円紙幣や50銭銅貨を使ったものです。昭和22年頃です。調べますと、今でもこの1円紙幣で物を買えるということを知りました。発行されてから130年以上が経過していても通貨として使えるというのですから、少々驚きです。しかし、これを使うと損することは私たちは知っています。このような小銭であったものの多くは1万円~5万円程度で取引されるといわれます。さらに驚くことは、この1円紙幣が未使用で、非常に良い状態の場合は100万円近い値がつくといわれます。

 そこで次のようなことを考えました。現在の1万円札を使わないで箪笥に大事にしまい、孫や玄孫のために残しておくとします。そして100年経つとこの1万円の値は100万倍になる可能性があるということです。玄孫は大金持ちになって小躍りするに違いありません。

Greenback

 戦後、50銭札や1円札は紙切れのようになりました。むしろ、物で欲しい物を買うことが流行しました。大事にとっておいた服の生地を米と交換するという事態です。皆がお札の価値を信用しなくなったからです。戦後まもなく、こうした通貨の価値が下落するハイパーインフレが起こりました。

米陸軍第442連隊戦闘団

 

 私が北海道の美幌にいたときです。親父は国鉄の職員でした。冬が近づくと職員には一世帯8トンの石炭が配給されました。住宅には必ず石炭小屋がありました。この小屋は夏は山羊小屋としても使っていました。お札の供給が足りなかったのか、お札の価値がなかったのかはわかりません。お札よりも石炭が幅をきかせていたことがわかります。そういえば、古代ローマでは兵士への給料は塩だったそうです。とりあえず塩を持っていれば、貴重品ですから他のものといつでも交換できたのです。塩は通貨だったのです。映画などでは、刑務所や戦場では罪人や兵士が貸し借りを煙草でやりとりする場面がでてきます。煙草も通貨だったのです。

 通常インフレーションというのは、需要と供給のバランスがとれなくなると起こります。供給が需要に追いつかない状態です。供給を増やすためには、通貨を発行し物作りを奨励しなければなりません。通貨によって原材料を仕入れ、人を雇い、工場を建てて国民が求める品物を製造して売るのです。しかし、戦後の状態は極端に供給が足りなかったのです。加えて外地から600万人もの日本人が引き揚げたり復員してきます。この急激な人口増によって需要に供給が全く追いつかなかったのです。我が成田家も樺太からの引き揚げ者でした。

 このインフレーション状態を救ったのが朝鮮戦争です。「特需」という特別の需要となる在日米軍の発注による需要の増加です。特に軍事物資の買い付けによって日本の経済は活気を呈していきます。駐留軍家族の個人消費や駐留軍の物資買付けが増大したのです。このとき、アメリカは物資、役務をドルによって買付けたので、日本のドルである外貨蓄積が大きく膨れます。ドルの保有によって海外からの原材料の買い付け、いわゆるドル決済ができるようになっていきます。この特需はヴェトナム戦争期にも国内で起こりました。

 こうして日本の経済は発展し、1955年度から1972年度あたりまでは、実質の経済成長率が年平均で10%前後を記録し、高度成長期と呼ばれるようになりました。いわゆる所得倍増計画も策定され、国民は政治から経済へと関心を向けていきます。1964年に東京オリンピックが、 1970年には大阪で日本万国博覧会が開催され、さらに新幹線の開業や高速道路の建設で全国の交通網が整備されていきます。こうして日本の戦後復興が世界に知られるようになりました。この理由は、積極的な財政投融資による経済優先の政策によるものだったと言われています。

(投稿日時 2024年9月29日)