心に残る名曲 その十 ブクステフーデ

バッハの作品は世界中で知られています。「音楽の父」という名声は揺るぎないものですが、彼の作品を支えた背景にはその才能やたゆみない努力、そして影響を受けた作曲家がいたということです。それがドイツのブクステフーデ(Dieterich Buxtehude)とかイタリアのスカルラッティ(Alessandro Scarlatti)といった作曲家と云われます。

ブクステフーデは17世紀の北ドイツおよびバルト海 (Baltic Sea) 沿岸地域を統治していたプロイセン(Prussia)を代表する作曲家でオルガニストといわれます。1668年にバルト海に面する北ドイツの代表都市、リューベック(Leubeck)のマリア教会(St. Mary Church)のオルガン奏者となり,終生この地位についた人物です。同教会で以前から行われていた世俗的性格をもつ音楽会〈アーベントムジーク(Abent Musik)(夕べの音楽)〉を続け,オルガン演奏のほか,合唱やオーケストラも含めた大規模なものに発展させるという貢献をします。

平日に行われていたアーベントムジークをクリスマス前の5回の日曜日に移し、オルガンの隣りに聖歌隊を配置し、合唱とオーケストラ40名ほどが演奏するというものです。1705年に20才のバッハもこの催しでリューベックを訪れたといわれます。なおキリストの降誕を待ち望む週はアドベント(advent)と呼ばれています。

ブクステフーデの作曲活動ですが、オルガン曲はプレリュード(Prelude)、フーガ、オルガンコラールなど90曲が現存するといわれます。カンタータも100曲以上が現存し、これらがバッハのカンタータへと発展していきます。他にも世俗声楽曲であるマドリガル(Madrigal)、ハープシコード(harpsichord)やチェンバロ(Cembalo)などの作品があります。

ブクステフーデ作曲で現存する約120曲の声楽曲は、婚礼用の8曲等を除いてすべてプロテスタント教会のための宗教曲となっています。これらの作品は今日、カンタータと呼ばれることも多いのですが当時、宗教曲に対してカンタータという呼称が用いられることはなく、独立した複数の楽章から構成される声楽曲といってもよさそうです。声楽曲における歌詞の形式は、聖書等の散文詩、ドイツ語コラールなどにに分類することができます。

ブクステフーデのオルガン曲を聴きますと、バッハの作品かと思われるほどです。バッハはこの作曲家より多くのことを学んだことが容易に伺われます。