ウィスコンシン州のフランク・ロイド・ライト

注目

 アメリカの建築家、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wight)はウィスコンシンの出身です。フランスのル・コルビュジエ(Le Corbusier)、ドイツのミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe)とともに「近代建築の三大巨匠」と呼ばれる世界的に著名な建築家です。建築好きな人に限らず、多くの人々は彼の作品には魅了されています。

Frank Lloyd Wight

 ウィスコンシン州の田舎で育ったライトは、ウィスコンシン大学で土木工学(civil engineering)を学び、その後シカゴでジョセフ・シルズビー(Joseph L. Silsbee)のもとで短期間、その後アドラー・アンド・サリバン社(Adler & Sullivan)でルイス・サリバン(Louis Sullivan)のもとで徒弟として働きます。ライトは 1893年にシカゴで自身の事務所を開き、1898年にはイリノイ州オークパーク(Oak Park)の自宅にスタジオを構えます。

 ライトは、建築家はもちろん、デザイナー、作家、教育者でもありました。70年間の創作活動で800以上の建築物を設計します。ライトは20世紀の建築運動において重要な役割を果たし、作品を通じて世界中の建築家に影響を与えます。「タリアセン・フェローシップ」(Taliesin Fellowship)という建築塾で何百人もの弟子を指導します。 「タリアセン」とは、ウイスコンシンのスプリング・グリーン(Spring Green)という町にある工房であり、弟子や学生と自給自足の共同生活を営みながら、建築の教育と実践を行なったところです。スプリング・グリーンは、州都マディソンの西約55キロにありウィスコンシン川沿いに位置する1,566人の街です。

 ライトは、人間と環境との調和を考えた設計を信条としており、これを有機的建築(organic architecture)と呼びます。この哲学は、1935年に設計されたフォーリング・ウオーター(Fallingwater)という建物に示され、「アメリカ建築史上最高の作品」と呼ばれています。この建物は、ペンシルベニア州のピッツバーグ(Pittsburgh)から南東に80キロほどの地に今も建っています。ニューヨーク市マンハッタン(New York, Manhattan)にある「グッゲンハイム美術館」(Solomon R. Guggenheim Museum)も傑作の一つとされています。「かたつむりの殻」と形容される螺旋状の構造をもった建築で、美術館施設の概念を根本から覆した作品として知られています。

Solomon R. Guggenheim Museum


 ライトは、後にプレーリー派(Prairie School movement)と呼ばれるようになった建築運動の先駆者です。プレーリー派とは、屋根を低く抑えた建物が地面に水平に伸び広がる設計手法で、草原様式とも呼ばれています。建物は自然に調和するというのが彼の信条です。都市構想である電化、機械的機動性、有機的建築というブロードエーカーシティ(Broadacre City)の考え方による、コンパクトで魅力に満ちた小住宅であるユーソニアン住宅(Usonian home)のコンセプトも考案し、アメリカの都市計画のビジョンを示します。また、独創的で革新的なオフィス、教会、学校、高層ビル、ホテル、美術館、その他の商業プロジェクトの設計も手がけていきます。マディソン市にあるユニテリアン教会(Unitarian Church)も独特な設計で有名です。

Unitarian Church, Madison,WI


 ライトの設計では、内装要素である鉛ガラスの窓、床、家具、さらには食器などが構造物に取り入れられています。ライトは数冊の本と多数の記事を執筆し、アメリカやヨーロッパで人気の講師でもありました。ライトは1991年にアメリカ建築家協会から「史上最も偉大なアメリカ人建築家」として認められます。2019年、彼の作品の一部が「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築」(20th-Century Architecture of Frank Lloyd Wright)として世界遺産に登録されるのです。

Fallingwater


 ライトの建築物は我が国でも見られます。兵庫県芦屋市の丘の上にある「ヨドコウ迎賓館」は、1918年に灘五郷の造り酒屋、櫻正宗の八代目当主山邑太左衛門の別邸として設計されました。西池袋に所在する「自由学園明日館」は、1997年に国の重要文化財として指定され、歴史ある建物となっています。世田谷区にある旧林愛作邸もライトの設計によるものです。旧知であった帝国ホテル初の日本人支配人、林愛作の住宅です。

帝国ホテル、明治村

 最後に紹介するのは、博物館明治村にある「帝国ホテル中央玄関」です。1923年に、4年間もの大工事を経て2代目として開業した帝国ホテル・ライト館です。ライトが日本で初めてホテルの建築を手がけ、彼の代表作の一つとも言われています。旧帝国ホテル解体と保存は、株式会社帝国ホテル、日本建築学会、帝国ホテルを守る会、博物館明治村らによって17年間もの歳月を要して実現します。”東洋の宝石”と称される帝国ホテルのデザインは、まさに造形美の粋といわれ、現在は愛知県犬山市の博物館明治村でその雄姿を見ることができます。
(投稿日時 2024年9月9日) 成田 滋

ウィスコンシン州の政治とロバート・ラフォレット

注目

 ウィスコンシン州の政治の歴史を取り上げることにします。20世紀になるとウィスコンシン州にロバート・ラフォレット(Robert M. La Follette)という政治家が登場します。やがて彼は州知事となります。1916年にはウィスコンシン州では女性参政権運動家の選挙運動が認められ、さらに合衆国憲法第19修正条項(Nineteenth Amendment)を批准した最も早い州の 1つとなりました。この条項は、女性の参政権を認め、性別による選挙における差別を禁止するものです。

Robert M. La Follette

 20世紀初頭は、ラフォレットが推進した進歩主義政治の出現が注目されました。1901年から1914年にかけて、ウィスコンシン州の進歩主義共和党は、国内初の包括的な州全体の予備選挙制度、初の有効な職場傷害保障法、および初の州所得税を創設し、実際の収入に比例した課税を行いました。

 第一次世界大戦中、ウィスコンシン州は中立の立場にありました。その理由はウィスコンシン州の共和党員、進歩主義者、および州人口の 30~40パーセントを占めるドイツ人移民が多かったことからです。そのためにウィスコンシン州は「反逆者州(Traitor State)」というあだ名をつけられ、国内にいる多くの過激な愛国者(hyper patriots)によって非難されるという経過を辿りました。

 ヨーロッパで戦争が激化する中、ウィスコンシン州の反戦運動のリーダーであるラフォレットは進歩派の上院議員のグループを率いて、商船に銃を装備するというウッドロウ・ウィルソン(Woodrow Wilson)大統領の法案を阻止しました。しかし、エマニュエル・フィリップ(Emanuel L. Philipp)やアーヴィン・レンルート(Irvine Lenroot)などウィスコンシン州の共和党政治家の多くは、アメリカの忠誠心を二分していると非難されていきます。

 州内に戦争に公然と反対する人々がいたにもかかわらず、戦争が始まると、多くのウィスコンシン州民は中立を破棄します。やがて企業、労働者、農場はすべて戦争による繁栄を享受していきます。118,000人以上の若者が兵役に就き、ウィスコンシン州は米軍が実施した全国徴兵(national drafts)に最初に応募した州となります。

Woodrow Wilson

 進歩的な州の発展原理であるウィスコンシン・アイディア(Wisconsin Idea)は、このときウィスコンシン大学エクステンション・システム(statewide expansion)を通じてウィスコンシン大学の州全体への拡張の推進力となります。その後、ウィスコンシン大学の経済学教授ジョン・コモンズ(John R. Commons)とハロルド・グローブス(Harold Groves)は、1932年にウィスコンシンが米国初の失業手当プログラムを作成するのに貢献します。同大学の他のウィスコンシン・アイディアを支持する学者は、ニューディール政策(New Deal’s)の1935年社会保障法(Social Security Act)となる計画を考案します。この計画を推進したのはウィスコンシンの法律学者であったアーサー・アルトマイヤー(Arthur J. Altmeyer)で、彼は重要な役割を果たします。

第一次世界大戦のヨーロッパ戦線

 第二次世界大戦直後、ウィスコンシン州民は、国連の創設、ヨーロッパの復興支援、ソ連の勢力拡大などの問題で分裂していました。しかし、ヨーロッパが共産主義陣営と資本主義陣営に分裂し、1949年に中国共産主義革命が成功すると、共産主義の拡大から民主主義と資本主義を守ることを支持する方向に世論が動き始めていきます。
(投稿日時 2024年9月8日) 成田 滋

ウィスコンシンは多民族のるつぼ

注目

 2022年のウィスコンシン州で実施されたアメリカ人コミュニティ調査(American Community Survey)によりますと、ヨーロッパ系の祖先が最も多かったのは5つのグループで、ドイツ系(36%)、アイルランド系(10.2%)、ポーランド系(7.9%)、イギリス系(6.7%)、ノルウェー系(6.3%)となっています。ドイツ系は、メノミニー(Menominee)、トレンパロー(Trempealeau)、ヴァーノン(Vernon)といった郡を除く州内のすべてで最も一般的な祖先となっています。ウィスコンシン州は、ポーランド系の住民の割合がどの州よりも高いのも特徴です。その他、ウィスコンシン州の人口の7.6%はヒスパニック(Hispanic)やラテン系(Latino)です。最大のヒスパニック系の祖先グループは、メキシコ系(5.1%)、プエルトリコ系(1.1%)、中央アメリカ人(0.4%)、キューバ系(0.1%)で、0.9%がその他のヒスパニック系またはラテン系の起源であるといわれています。

民族のお祭り

 ウィスコンシン州はもともと、民族的に多様性に富んでいる州です。フランスの毛皮商人が活躍した時代が過ぎた後、次の移住者の波は鉱山労働者で、その多くはコーンウォール人(Cornish)で、州の南西部に定住します。コーンウォール人とは、イングランド南西端に位置する地域から移民でやってきた人々です。次の波はニューイングランド(New England)とニューヨーク州北部からのイギリス系移民である「ヤンキー(Yankee)」が支配的でした。州成立初期には、彼らは州の重工業、金融、政治、教育を支配していました。1850年から1900年の間、移民は主にドイツ人、スカンジナビア人で最大のグループはノルウェー人(Norwegian)、アイルランド人(Irish)、ポーランド人(Polish)でした。20世紀には、多くのアフリカ系アメリカ人とメキシコ人がミルウォーキー(Milwaukee)に定住し、ベトナム戦争の終結後にはモン族(Hmongs)の流入が特徴的です。

ノルウェー人の独立記念祭

 モン族は中国からラオスまで国境をまたいで拡がっている民族ですが、ベトナム戦争により、アメリカに避難してきた人々です。ウィスコンシン州のアジア系人口の約33%はモン族であり、ミルウォーキー(Milwaukee)、ウォソー(Wausau)、グリーン ベイ(Green Bay)、シュボイゲン(Sheboygan)、アップルトン(Appleton)、マディソン(Madison)、ラクロス(La Crosse)、オークレア(Eau Claire)、オシュコシュ(Oshkosh)、マニトワック(Manitowoc)に重要なコミュニティがあります。ウィスコンシン州では 61,629人、つまり人口の約 1%がモン族であると自認するほどです。

 さまざまな民族グループが州のさまざまな地域に定住しました。ドイツ人移民は州全体に定住したのですが、最も集中していたのはミルウォーキーで付近です。ノルウェーからの移民は北部と西部の林業と農業地帯に定住しました。アイルランド、イタリア、ポーランドからの移民は主に都市部に定住していきました。グリーンベイの北部に位置するメノミニー郡(Menominee County)はアメリカ東部で唯一、ネイティブアメリカン(Native American)が多数を占める郡となっています。

モン族の人々

 アフリカ系アメリカ人(African American)は、特に1940年以降、ミルウォーキーに移住します。工業が盛んなので就労が容易だったからです。ウィスコンシン州のアフリカ系アメリカ人人口の86%は、ミルウォーキーやラシーン(Racine)地域に住んでいます。

 終わりにウィスコンシン州の住民のうち、71.7%はウィスコンシン州で生まれで、23.0%はアメリカの他の州で生まれ、0.7%はプエルトリコ、アメリカの島嶼部で生まれたか、またはアメリカ人の両親のもとで海外で生まれ、4.6%は外国生まれという調査結果となっています。まさに人種のるつぼがウィスコンシンなのです。
(投稿日時 2024f年9月6日)  成田 滋

ウィスコンシン州の地理的な特徴

注目

 ウィスコンシン州の地理や地図を紹介することにします。日本人の多くは、「一体、ウィスコンシンってどこにあるの?」と聞き返すでしょう。それも仕方がありませんね。ミシガンやイリノイ(Illinois)に比べて知名度はいまちといったところです。ですが、最近の2025年大統領選挙戦の報道で一躍その名が知られています。

Map of Wisconsin

サイロ

 ウィスコンシン州は、アメリカ中西部に位置し、五大湖(Great Lakes)地域と中西部北部(Upper Midwest)の両方にまたがっています。州の総面積は169,630 km2です。ちなみに日本378,000 km2です。ウィスコンシン州は、北はモントリオール川(Montreal River)、スペリオル湖(Lake Superior)とミシガン州、東はミシガン湖(Lake Michigan)、南はイリノイ州、南西はアイオワ州(Iowa)、北西はミネソタ州(Minnesota)と接しています。ミシガン州との国境紛争は、1934年と1935年の2つのウィスコンシン州対ミシガン州訴訟で解決しました。ウィスコンシン州の境界には、西はミシシッピ川(Mississippi River)とセント・クロワ川(St. Croix River) 、北東はメノミニー川(Menominee River)が流れています。

 五大湖とミシシッピ川の間に位置するウィスコンシン州には、多様な地形が広がっています。州は 5つの地域に分かれています。北部のスペリオル湖低地は、スペリオル湖に沿った一帯を占めています。そのすぐ南の北部高地には、61 万ヘクタールのチェワメゴン・ニコレット国有林(Chequamegon-Nicolet National Forest)を含む、針葉樹と広葉樹が混在する広大な森林があり、数千の氷河湖と州最高地点のティムズヒル(Timms Hill)があります。

 中央平原には、豊かな農地に加えて、ウィスコンシン川のデルズ(Dells)のようなユニークな砂岩層があります。南東部のイースタンリッジ(Eastern Ridges)とローランド地域(Lowlands)には、ウィスコンシン州の大都市の多くが集まっています。尾根には、ニューヨークから伸びるナイアガラ断崖(Niagara Escarpment)、ブラックリバー断崖(Black River Escarpment)、マグネシアン断崖(Magnesian Escarpment)などがあります。南西部のウェスタンアップランド(Western Upland)は、ミシシッピ川沿いの多くの断崖を含む、森林と農地が混在する険しい地形となっています。この地域はドリフトレス・エリア(Driftless Area)の一部であり、アイオワ州、イリノイ州、ミネソタ州の一部も含まれています。全体として、ウィスコンシン州の陸地面積の46%は森林に覆われています。

なだらかな平原と酪農

 ウィスコンシン州には、30億年以上から数千年にわたるさまざまな地質構造と堆積物があり、ほとんどの岩石は数百万年前のものといわれます。最も古い地質構造は、6億年以上前の先カンブリア時代(Precambrian)に形成され、その大部分は氷河堆積物の下にあります。バラブー山脈(Baraboo Range)の大部分はバラブー珪岩(Baraboo Quartzite)とその他の先カンブリア時代の変成岩で構成されています。この地域は、最も最近の氷河期であるウィスコンシン氷河期には氷河に覆われていませんでした。ラングレード郡(Langlade County)には、アンティゴ・シルト・ローム(Antigo silt loam)と呼ばれる砂・シルト・粘土がほぼ等分の土壌が堆積しています。郡外ではあまり見られない土壌といわれます。

Summer of Wisconsin

 氷河が後退するとき、谷を削りながら時間をかけて流れ、削り取られた岩石・岩屑や土砂などが土手のように残ります。この岩石や岩屑のことをモレーン(moraine)といいます。ウィスコンシンの平原は氷河の影響でなだらかになっていますがモレーンが多いのです。酪農が盛んになったのは、気候の他にこうしたモレーンのために土壌が小麦やトウモロコシなどの大規模農業に敵さず、人々は酪農に従事することになります。
(2024年9月4日) 成田 滋
 

ウィスコンシンの歴史−毛皮貿易

注目

 イギリスはフレンチ・インディアン戦争中(French and Indian War)にウィスコンシンを次第に勢力を拡大し、1761年にグリーンベイ(Green Bay)を支配し、1763年にはウィスコンシン州全体を支配します。フレンチ・インディアン戦争とは、1754~1763年まで、北米大陸でのイギリスとフランスの戦争で、フランス軍がインディアン諸部族と結んで、イギリス植民地軍を攻撃したのでイギリス側でこのように呼んでいます。植民地を巡る両国の最初の戦いです。

シングルヒルの戦い

 フランスと同様、イギリス人も毛皮貿易以外にはほとんど関心がなかったといわれます。ウィスコンシンの毛皮貿易産業における注目すべき出来事は、1791年に2人のアフリカ系アメリカ人がミシガン州境(Michigan)にあるマリネット(Marinette)にあるメノミニー族(Menominee)との間で毛皮交易所(fur trading post)を設立したことです。

 最初の永住者は、ほとんどがフランス系カナダ人(French Canadians)、一部のアングロ・ニューイングランド人(Anglo-New Englanders)、少数のアフリカ系アメリカ人解放奴隷で、彼らはウィスコンシンがイギリスの支配下にあったときに到着します。チャールズ・デ・ラングラード(Charles de Langlade)が一般に最初の入植者といわれ、1745年にグリーンベイに交易所を設立し、1764年にそこに永住します。入植は1781年頃にプレーリー・デュ・シン(Prairie du Chien)で始まります。プレーリー・デュ・シンは、ウィスコンシン州南西部にあり、ミシシッピ川に沿い,ウィスコンシン川との合流点から上流約 5kmに位置しています。 17世紀後半には軍事上,交易上の要地で,フランスやイギリスはそれぞれ砦と毛皮の交易所を設置していました。「Prairie du Chien」とは「平原のシダ植物」という意味です。

French and Indian War

 現在のグリーンベイ(Green Bay)にある交易所のフランス人居住者は、その町を「ラ・ベイ」(La Baye)と呼んでいました。しかし、イギリスの毛皮商人は、春先に水と海岸が緑色に染まることから、ここを「グリーンベイ」と呼んでいました。古いフランス語の呼び名は徐々に使われなくなり、最終的にイギリスの「グリーンベイ」という呼び名が定着しました。

 この地域がイギリスの支配下に入ったことは、フランス人居住者にほとんど悪影響を及ぼしませんでした。イギリスはフランスの毛皮商人の協力を必要とし、フランスの毛皮商人はイギリスの好意を必要としていたからです。フランスがこの地域を占領していた間、毛皮取引の許可証はほとんど発行されず、一部の商人グループにのみ発行されていましたが、イギリスはこの地域からできるだけ多くの金を儲けようと、イギリス人とフランス人居住者の両方に毛皮取引の許可証を自由に発行しました。

毛皮貿易

 当時、ウィスコンシン州における毛皮取引はイギリスの支配下で最高潮に達し、州で最初の自給自足の農場も設立されたほどでした。1763年から1780年まで、グリーンベイは繁栄したコミュニティとなり独自の食料を生産し、人々は優美なコテージを建て、ダンスや祭りを開催するほどでした。
(投稿日時 2024年9月2日)  成田 滋

ウィスコンシンの歴史−地名の由来

注目

 ウィスコンシンという語の由来についてです。ヨーロッパ人が入植した当時、この地域に住んでいたアルゴンキン語(lgonquian-speaking)を話すネイティブアメリカン(Native American)のグループの一つが、ウィスコンシン川に付けた名前に由来するといわれています。フランスの探検家ジャック・マーケット(Jacques Marquette)はウィスコンシン川(Wisconsin River)に到達した最初のヨーロッパ人で、1673年に到着し、日誌の中でこの川をメスコウジング(Meskonsing)と呼びました。その後、フランスの著述家がメスコウジングからウイスコンシン(Ouisconsin)に綴りを変え、時が経つにつれてこれがウィスコンシン川と周囲の土地の両方の名前になったといわれます。19世紀初頭に大量に到着し始めた英語を話す者は、綴りをウイスコンシンからウィスコンシンに英語化したようです。ウィスコンシン準州(Wisconsin Territory)の議会は、1845年に現在の綴りを公式に制定します。

Wisconsin in 1718

 ウィスコンシンを表すアルゴンキン語(Algonquian word) とその本来の意味は、どちらも不明瞭なようです。解釈はさまざまですが、ほとんどは川とその岸に並ぶ赤い砂岩に関係しています。有力な説の 1 つは、名前の由来はマイアミ語(Miami word)の「赤い」という意味の(Meskonsing) で、ウィスコンシン川がウィスコンシン デルズ(Wisconsin Dells)の赤みがかった砂岩を流れる様子に由来しているというものです。他の説には、名前の由来は「赤い石の場所」、「水が集まる場所」、「大きな岩」を意味するオジブワ語(Ojibwa)のさまざまな言葉の 1つであるという説もあります。いずれにせよ、どれも定説とはなっていません。

 ウィスコンシンの地を訪れた最初のヨーロッパ人は、フランスの探検家ジャン・ニコレット(Jean Nicolet)です。1634年にヌーベルフランス(New France)のサミュエル・ド・シャンプラン総督(Samuel de Champlain)の使者のニコレが、グリーンベイ(Green Bay)近くのレッド バンクス(Red Banks)に上陸しました。ジョージアン湾(Georgian Bay)から五大湖(Great Lakes)を通って西にカヌーで渡ってきたのです。さらにピエール・ラディソン(Pierre Radisson)とメダル・デ・グロセイリエ(Médard des Groseilliers)は1654年から1666年にグリーンベイを再び訪れ、1659年から1660年にはチェワメゴン湾(Chequamegon Bay)を訪れ、地元のネイティブアメリカンと毛皮の取引を行います。

Seal of Wisconsin

 1673年、ジャック・マーケットとルイ・ジョリエはフォックス・ウィスコンシン水路(Fox-Wisconsin Waterway)を通ってプレーリー・デュ・シン(Prairie du Chien)近くのミシシッピ川(Mississippi River)までの旅を記録した最初の人物となります。毛皮商人のニコラス・ペロー(Nicholas Perrot)などのフランス人は17世紀から18世紀にかけてウィスコンシン州で毛皮貿易を続けますが、フランスは1763年のフレンチ・インディアン戦争後(French and Indian War)でイギリスがこの地域を支配するまでウィスコンシン州に恒久的な入植地を作りませんでした。それでも、フランス人貿易業者は戦争後もこの地域で働き続け、1764年のシャルル・ド・ラングラード(Charles de Langlade)を皮切りに、イギリス統治下のカナダに戻るのではなくウィスコンシン州に永住した者もでてきました。

Cornish house


(投稿日時 2024年8月30日)成田 滋

ウィスコンシン州の大統領選挙戦渦中

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 今回のアメリカ大統領選挙戦では、民主党と共和党の論争が熾烈になってきています。それは、両党が最も重要視する州の選挙結果が大統領選挙戦の鍵となるからです。その州とはペンシルベニア(Pennsylvania)、ミシガン州(Michigan)、ウィスコンシン州(Wisconsin)、ミネソタ州(Minnesota)です。このあたりはアッパー・ミッドウエスト(Upper Midwest)と呼ばれ、農業、酪農、工業、製造業などが盛んで、アメリカの心臓部(America’s Heartland)とも呼ばれる地帯です。住む人々は、いわゆる中間層といわれ結構学歴の高い人々も多いところなので、両党ともこうした有権者に支持を訴えるのに懸命です。

Swing State

 アメリカ合衆国は50の州からなります。こうした50州は、歴史的に民主党や共和党の棲み分けがはっきりしている地盤となっているので、カマラ・ハリス(Kamara Harris)とドナルド・トランプ(Donal Trump)はこうした州ではほとんど選挙運動を行いません。例えばカリフォルニア州は民主党の地盤であり、テキサス州は共和党の地盤なのです。こうした岩盤となっている状態は、歴代の大統領選挙戦や連邦議会選挙ではっきりしています。

 合衆国には「選挙人団制度」があります。ちなみにカリフォルニア州(California)の選挙人は55名、ヴァモント州(Vermont)は3名という具合に、人口比によって選挙人数が決められています。州で最も多くの票を獲得した候補者が、その州の全ての選挙人票を獲得する方式で、これを「勝者総取り」と呼ばれています。全米の選挙人の総数は538人であり、大統領に選ばれるためには270の選挙人票を得る必要があります。つまり、一般投票で最も多い票を集めた正副大統領候補のコンビが、その州の選挙人票をすべて獲得します。

 最近の選挙戦報道で盛んに名前が出てくるウィスコンシン州を取り上げることにします。ウィスコンシン州は私が留学し学位を貰った思い入れの強い地でもあります。この州は、大統領や議員を選ぶ連邦選挙で民主党候補か共和党候補のどちらかが勝利するスイング州(swing state)とみなされています。どちらかに転ぶ(swing)かが分からない激戦区なのです。例えば、2020年の大統領選挙ではジョー・バイデン(Joe Biden)はわずか0.63%の差でウィスコンシン州を制します。その前の2016年の選挙ではトランプは0.77%というわずかな差でウィスコンシン州を制します。この選挙では、ウィスコンシン州民が1984年以来初めて共和党大統領候補に投票した時だったのです。元々ウィスコンシン州は、1992年から2012年までの各大統領選挙で民主党が勝利した州なのです。

 民主党の党カラーはブルーです。民主党群の州は、ブルーウォール(blue wall)と呼ばれ、ウィスコンシンもその一部でした。2012年、共和党大統領候補のミット・ロムニー(Mitt Romney)は、現職大統領バラク・オバマ(Barack Obama)に対抗する副大統領候補として、ウィスコンシン州の南部にあるジェーンズビル(Janesville)出身のポール・ライアン(Paul Ryan)下院議員を選びます。ロムニーはマサチューセッツ州知事などを歴任しますが、全国的には穏健派と見なされ、モルモン教会員であることや全国的な知名度の低さもあって、党内外で影響力の強い保守派の支持獲得が課題となっていました。そこで中西部の票を集めるために、ロムニーはライアンを副大統領候補として指名したのです。

 州全体では、ウィスコンシン州は二大政党の間で定期的に主導権が交代する競争が激しいところです。 2014年の総選挙後、州知事、副知事、州司法長官、州財務長官はすべて共和党員で、国務長官は民主党員でした。しかし、2018年には民主党が州憲法上の全役職を選挙で制します。現在の知事は、民主党員トニー・エヴァース(Tony Evers)ですが、この結果は、ウィスコンシン州では1982年以来初めてのことでした。

 ウィスコンシン州の住民はウィスコンシン人(Wisconsinites)と呼ばれています。ウィスコンシン州の農村経済では酪農とチーズ製造が伝統的な産業です。州のライセンスプレートには1940年以来「アメリカの酪農地帯(America’s Dairyland)」と記されています。「チーズヘッド(cheeseheads)」というあだ名が付けられています。非居住者の間では軽蔑的に使われることもあるようです。チーズのくさび形をした黄色いフォームで作られた「チーズヘッドハット」が作られるようになり、全米で知られるようになりました。フットボールや野球の試合、選挙集会などで人々はこれをよくかぶるのが見られます。

Cheese Head

 ウィスコンシン州では、州民の伝統を祝うため、数多くの民族フェスティバルが開催されています。サマーフェスト(Summerfest)、オクトーバーフェスト(Oktoberfest)、ポーランドフェスト(Polish Fest)、イタリア祭り(Festa Italiana)、アイルランド祭り(Irish Fest)、シッテンデ・マイ(Syttende Mai)というノルウェー憲法記念日を祝う祭りです。シェボイガン(Sheboygan)のブラット(ソーセージ)祭(Brat Days)、モンロー(Monroe)とメクオン(Mequon)のチーズ祭 (Cheese Days)、アフリカン・ワールド・フェスティバル(African World Festival)、インディアン・サマー(Indian Summer)、ウィスコンシン・ハイランド・ゲームズ(Wisconsin Highland Games),など、数多くのフェスティバルが開催されています。この州は、多民族から構成されていることの表れでもあります。

ロバート・ショウ合唱団の思い出

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 私の合唱経歴は、稚内中学校にいたとき、廊下でプロレスをやっていたときです。音楽の近藤艶子という先生から呼び出されて合唱クラブで歌おうというのです。突然の出来事です。それから稚内高校の合唱部、「響声クラブ」にも誘われて歌いました。周りから「狂声クラブ」と冷やかされていました。それでも道北の合唱コンクールで旭川市まで行ったこともあります。

 高校2年のとき、親父の転勤で旭川西高校に転入しました。そこの音楽教師は、音楽時間にはもっぱらレコードを聴かせるのです。そのとき知ったのがロバート・ショウ合唱団(Robert Shaw Chorale)やロジャー ワグナー合唱団(Roger Wagner Chorale)です。この先生の名前は忘れましたが、その後旭川西高校の合唱部は、道内の合唱コンクールで最優秀賞をとったことを知りました。私はこの合唱部には所属しませんでした。

Robert Shaw

 その後、ロバート・ショウ合唱団などの演奏を聴いたのはもっぱらSP盤のレコードや録音テープからです。1960年代の前半ですから、まだそんな時代です。合唱団は、国内外ツアーやRCAビクターのレコーディングのために臨時で結成され、レパートリーの要求に応じて30人から60人ほどの団員がいたようです。ショウはアトランタ交響楽団・合唱団(Atlanta Symphony Orchestra Chorus)の音楽監督に就任したりします。合唱団は存続期間中はバッハ(Johann Sebastian Bach)からフォークミュージック、ブロードウェイ劇場の曲までレパートリーが広く、ロジャー・ワグナー合唱団C(Roger Wagner Chorale)と並んでアメリカで最も有名で広く尊敬されるプロの合唱団の1つとなります。

 私はウィスコンシン大学での留学中に州都マディソン(Madison)にあるマウント・オリーブルーテル教会(Mt. Olive Lutheran Church)の聖歌隊で6年間、礼拝や復活祭、クリスマスのコンサートで歌う機会がありました。聖歌隊員は初見で楽譜を読め、男性の声の太さに驚いたものです。いろいろな演奏会を楽しむ機会に恵まれた留学生時代でした。

Classic by Robert Shaw

 ロバート・ショウ合唱団に戻ります。音色の均一性、深みのあるボーカルと絶妙なバランス、フレージングの優雅さ、活力あるリズムなどで有名でした。メンバーの多くはジュリアード音楽院(Julliard School)やニューヨーク周辺の音楽院(conservatories)から採用されます。ショウの指導力、高い水準の録音、そして合唱団構成における人種的な統合、そしてなによりも合唱音楽に世間の注目を集めたことで知られ、その音楽活動において多くの賞を受賞しています。

 1954年にはNBC交響楽団(NBC Symphony)指揮者であったトスカニーニ(Arturo Toscanini)はヴェルディ(Giuseppe Verdi)のテ・ディウム(Te Deum)をロバート・ショウ合唱団との共演で演奏しますが、そのときトスカニーニは合唱団を非常に高く評価したといわれます。合唱団は、文化交流プログラムの一環として米国国務省の支援を受けて、1956年にヨーロッパと中東の21か国、南米、1962年にはロシアツアーなどを行っています。

 ロバート・ショウ合唱団はクラシック音楽のレパートリーで有名なのですが、それだけではありません。彼の録音データ目録であるディスコグラフィー(discography)に収録される104のレコーディングには、船乗りの歌(Sea Shanties)、グリークラブ(Glee Club)の歌、宗教音楽や霊歌、ミュージカルの曲、アイルランドの民謡、そして最も有名なのは、発売以来ずっとベストセラーであり続けている1957年11月にリリースされたアルバム「クリスマス賛美歌とキャロル」(Christmas Hymns And Carols)があります。この演奏は1964年8月に全米レコード協会(RIAA)によってゴールド認定を受けます。さらにビルボードのトップポップアルバムチャート(Billboard’s Top Pop Album Chart)で最高5位を記録するほどヒットします。

 北大合唱団では、Sea Shantiesの「Shenandoah」とか「A Roving」などを歌ったことを覚えています。アメリカでは、帆船の水夫によって親しまれた音楽のようでしたが、やがて当時人気があった行進曲や陸のフォークソングがシャンティのレパートリーに選ばれていきます。「Shenandoah」がその代表といえましょう。

The King’s Singers


 ロバート・ショウ合唱団は、1965年に活動を永久に停止します。今や、規模の大きな合唱団に代わって小さな合唱やアカペラグループたとえば、アメリカでは、VOICES8とかChanticleer、PENTATONIX、イギリスでは、King’s Singersなどが広く知られています。Youtubeで曲を聴くとそのメンバーの交代が見られます。

(投稿日時 2024年8月23日)   成田 滋

大統領選挙戦報道に見られるフレーズ

注目

 アメリカの大統領選挙戦に見られるニュース報道の中から、普段あまり見かけることが少ないフレーズや語彙を取り上げて英語を復習すると同時に、アメリカの大統領選挙戦の様子を見てみます。

 ドナルド・トランプ(Donal Trump)とカマラ・ハリス(Kamala Harris)は副大統領候補を指名し、各州で選挙戦を展開しています。ますます熱を帯びてきた選挙戦をメディアは取材し、国内や海外に提供しています。両陣営の選挙戦を伝えるニュースからは、そのヘッドラインを見ると記事の内容が理解できます。

 すでに共和党大会は7月18日に終わり、トランプは副大統領候補として連邦上院議員のJ.D.ヴァンス(JD Vance)を指名しました。ハリスはミネソタ州知事のティム・はウォルツ(Tim Walz)を指名しています。民主党大会が8月19日に開かれハリスが正式候補者が決まります。そして投票日の11月5日を迎え、正式に大統領が決まるという日程です。二人とも激戦州とされる7州を遊説しています。この選挙戦では二人が所属する連邦議会の議員や激戦となる州の知事、市長、そして業界の有名人などがそれぞれを応援していて、さながら総力戦の様相となっています。こうした人々の応援演説は、なかなか興味のある内容となっています。

Statue of Liberty

 ブルームバーグ・ニュース(Bloomberg News)とモーニング・コンサルト(Morning Consultant)の最新世論調査によりますと、ハリスの支持率は選挙戦の結果を左右する可能性のある激戦7州全体で見ると48%であり、トランプの47%を上回っているようです。ですが今のところ選挙戦は予断を許さない状況に変わりはないようです。調査を行ったアリゾナ、ジョージア、ミシガン、ネバダ、ノースカロライナ、ペンシルベニア、ウィスコンシン各州でのハリス、トランプ両氏の差は統計上の誤差の範囲内といわれます。どちらに転ぶかはわからないというのが誤差の意味です。

 ただ、バイデン(Joe Biden)に代わってハリスが民主党大統領候補として選挙戦に臨んでいることは、新たな熱狂を生んでいることが調査で明らかとなっています。激戦州では民主党の重要な支持層が勢いづき、投票率が伸びる可能性が示されています。それは、ペンシルベニア州やミシガン州知事の応援演説などからも伺われます。

 それでは、選挙戦の状況をニュースのヘッドラインから見ていくことにしましょう。
Trump melts down as Harris surges in polls.
 このヘッドラインのキーワードは「melt down」と「surges」にあります。トランプの優勢が溶け出して、ハリスのうねり(surge)が高まっていると主張するのです。

 トランプは実業家で作家でもあるメアリー・トランプという姪からも批判を浴びています。それが次の発言です。
The Trump campaign is going up in smoke. Even more crazy, it the complete meltdown of Donald Trump, which he seems to get crazier by the day! Mary gives her take, as she know him unlike anyone else!
 トランプ陣営は煙のように消え去りつつあるといいます。「in smoke」がそれです。さらに狂っている、という指摘です。完全な崩壊は、「complete meltdown」に表れています。「meltdown」は福島の原発停止で何度も聞いたことのある用語です。

 彼女のトランプへの批判について報道は次のようにも伝えています。
Mary Trump Just Hit Her CRAZY Uncle Donald Where it Hurts Most!
 狂った叔父ドナルドの一番痛いところを突いたという意味です。親族であっても言うべきことは言うという姿勢の言葉です。

 トランプはその言動に対して、内と外から多くの批判を浴びています。常識では考えられないような発言が、何故か受けるのですから不思議です。それは岩盤層といわれる多くの支持者がいるからです。
He’s done. His brain is fried.
 トランプは彼は終わった。脳が焼け焦げているというもの凄く強い表現です。

 7月15日の共和党全国大会において、トランプが銃撃されたときの彼の右腕を上げた姿が映し出されたのを見て、多くの識者は、これでトランプが優勢になったと報道していました。その後、8月中旬現在、トランプの支持率は低迷しているようです。固定した支持者がいるのですが、中間層と無党派層の人々の取り込みに苦戦している報道が目につきます。
Arizona, Georgia and Nevada move in Harris’ direction.
 この三つの州はハリスの方向に傾いている、という意味です。

Wall Street is all in on Kamala Harris.
 大手の新聞がどちらを支持するかは気になるとことです。ウオール・ストリート紙はハリスに全面的に賭けていると主張しています。賭けているとは、選挙戦で勝利するのではないかと予想しているのです。

Donald Trump

Losing again? Trump rattled as Harris builds on Obama coalition.
 また負けるのか?とトランプは動揺(rattle)している、という意味です。ハリスがオバマの連合を強化しているからのようです。次のような見出しも同じような見方として考えられます。

Losing again? Trump rattled as the ‘Harris Effect’ surges in key states.
 また負けるのか?というのは、主要な州で「ハリス効果」が高っているので動揺している、という意味です。

15 NEW YORK Billionaires BACKING Kamala Harris’s 2024 Campaign.
 ニューヨークの15人の億万長者がハリスの2024年選挙キャンペーンを支持を表明したという文章です。

Trump WILL LOSE – His INSANITY is to Blame!
 トランプは負けるだろう。それは彼の狂気(INSANITY)が原因なのだ、という強い主張です。

Trump faced a rebellion of campaign staff after car-crash interview.
 トランプは、自動車事故のインタビュー後に選挙スタッフの反旗に直面した、との報道ですが、その真意はよくわかりません。

Trump LOSES IT over EMPTY SEATS at AWFUL Atlanta Speech.
 アトランタでの選挙戦演説の際に空席(EMPTY SEATS)が続いたことで、ひどい演説したという意味です。

Trump stumped by Harris-Walz because he can’t fathom public service.
トランプがハリス・ウォルツにケチをつけた(stumped)のは、彼が公務を理解できないからだというのです。「fathom」とは見抜くとか理解するという意味の動詞です。

 次に、ペンシルベニアの州知事でハリスの副大統領候補の人であったシャピロ(Josh Shapio)のフィラデルフィア(Philadelphia)での応援演説からです。彼の力強い演説内容は評価されています。
We’re not going back.
 我々は後戻りすることはない、というわかりやい言葉です。トランプ政権の政策に後戻りはしないという表明です。

He is a weirdo.
 シャピロ知事は演説でトランプを名指して、彼は変人(weirdo)だ、と糾弾します。「weirdo」スラングです。「weird」という関連用語がありますが、これは「変な」、「おかしな」という意味です。

 次の演説の一部は、参考になりそうなフレーズです。仕事をテキパキとやるときに使われます。
I focus on getting shit done for all of you.
 「getting shit done」は略してGSDとも使われます。シャピロは知事としての任務を素早く片付ける人間であると自慢するのです。ピッツバーグ市で長さ約136mの道路橋が崩落し、それを素早く修復したことを指しているようです。「shit」は普段は使わない言葉ですが、、、

Donald Trump Is a Psychopath & He Will Be Stopped.
 トランプは、妄想・幻覚・乱雑な思考と発語・非現実的で奇妙な行動の人間で精神病質(psychopathy)であるというのです。だから辞めさせたほうが良いという意味です。次の見出しも同じようトランプの状態を指しています。

Trump Has MENTAL COLLAPSE as ENTIRE LIFE CRUMBLES.
 トランプは精神的に崩壊し、人生全体が崩れている(CRUMBLE)、というのですから辛辣です。

‘Wuss’: George Conway on why Trump is ‘scared’ to debate Kamala Harris.
 「臆病者」:ジョージ・コンウェイというコンメンテーターが、トランプがカマラ・ハリスとの討論を「恐れている(scared)」理由を、臆病だからだというのです。「Wuss」という用語は通常は会話では使ってはいけないです。

 CNNニュースのヘッドラインからです。
‘He’s afraid’: Sen. Mark Kelly on Trump’s racial attacks against Harris. Trump is a desperate and scared old man.
 マーク・ケリー(Mark Kelly)上院議員は、トランプの人種問題に関する攻撃的な発言に対して、トランプは絶望し(desperate)、怯えている(scared(老人だ、と看破します。ケリーはアリゾナ州選出の上院議員で、ハリスの副大統領候補の一人でした。

 しかし、トランプもハリスに対しては黙っていません。次のごとく歯にも着せないように攻撃します。
Meet the Real Kamala. Weak.Failed. Dangerously Liberal.
 カマラに会ってみたまえ、本当のカマラはひ弱で失敗している。彼女は危険なリベラルなのだ、というのです。

 トランプはさらに次のようにハリスを批判します。
She is a radical left lunatic, and the worst border czar and vice president in history!
 彼女は極左の狂人で、史上最悪の国境担当大臣であり副大統領だ!「lunatic」とは狂ったということを指し、「czar」とは皇帝という意味ですが、ここでは大臣としておきます。国境とはメキシコとの国交のことです。彼女はバイデン政権でメキシコとの国境問題を担当していました。

 ニューヨークタイムズ紙ではコンメンテーターが次のように書いています。
In recent days, he has referred to Harris as incompetent, nasty, and not smart. Behind closed doors, he has reportedly reflected to her, repeatedly using the B-word.
 トランプは公然とハリスを無能、意地悪、そして賢くないなどと呼んでいます。「Behind closed doors」とは、密室という意味です。「B-word」のBとは「Bitch」という女性を罵る時に使われる表現です。”いやな女”という意味です。

 このところ支援団体だけでなく、労働組合や宗教関連団体、シンクタンクなどが立場を鮮明にしています。
Union Chief Shawn Fain discuses his breaking endorsement of Kamala Harris and gives his two top VP picks for the ticket: Kentucky Governor Andy Beshear and Minnesota Governor Tim Walz.
 自動車労働組合委員長のショーン・フェインは、ハリスの支持を表明し、副大統領候補としてケンタッキー州知事アンディ・ベシア氏とミネソタ州知事ティム・ウォルツの2人を挙げています。彼の予想どおり、ハリスはウォルツを副大統領候補に指名しました。「VP picks for the ticket」とは、くだけた表現で「副大統領候補のチケット」のことです。

UAW files federal labor charges against Donald Trump and Elon Musk after threatening workers on X interview.
 SNSのX(旧ツイッター)とのインタビューで自動車労働組合は、労働者を脅迫したとしてトランプとイーロン・マスク(Elon Musk)に対して連邦労働訴訟を起こします。連邦の労働者権利の保障を侵害しているというのです。ただ、こうした訴訟は、一種のネガティブキャンペーンのようなところがあるようです。

 トランプは、次のような地球温暖化の懸念に対して不可解な持論を述べています。
You know, the biggest threat is not global warming where the ocean is gonna rise 1/8 of an inch over the next 400 years. The biggest threat is not that, the biggest threat is nuclear warming. Because we have five countries now that have significant nuclear power.
 知ってのとおり最大の脅威は、今後400年間で海面が1/8インチ上昇するというのは、地球温暖化ではない。最大の脅威はそれではなく、核による温暖化であり、現在、5つの国が大規模な原子力発電所を保有しているためだと主張します。1/8インチとはたったの3ミリのことです。

 それに対してコンメンテーターは、次のように揶揄するのです。
NOAA data:Sea level near Mar-a-Lago increases 1/8 inch every 9 months.
アメリカ海洋大気庁(NOAA)によれば、トランプが住むフロリダ州のマール・ア・ラゴ付近の海面は9か月ごとに1/8インチ上昇するのだ、と反論しています。つまりトランプの主張は全く科学的根拠がなく出鱈目だという指摘です。

 CNNニュースに次のようなコラムがあります。
Donald Trump is behind. He trails in the pivotal postindustrial swing states and is treading water in the Southern and Sun Belt states.
 「treading water」とは足踏みしている、とか伸び悩んでいるという意味です 「treadmill」という運動器具があります。ジムにある動くベルトの上を足踏みする器具ですね。「pivotal」とは重要な、決定的な、という意味で使われています。

 政治に特化したアメリカのニュースメディア、ポリティコ(POLITICO)は、ロバートと名乗る者からトランプ陣営の内部文書を受け取ったと報じています。
POLITICO received internal Trump documents from ‘Robert.’ Then the campaign confirmed it was hacked. The campaign suggested Iran was to blame. POLITICO has not independently verified the identity of the hacker or their motivation.
 トランプ陣営は、この報道を受けてハッキングされたことを確認しています。ポリティコはハッカーの身元や動機を独自に確認していないのですが、陣営はイランが原因であると示唆しています。このような報道もネガティブキャンペーンの色合いが強いです。「Iran was to blame」という表現は、イランのせいだ、という意味です。

It’s just madness’: Inside Trump’s laundry list of increasingly bizarre claims
 「それはただの狂気だ」:トランプの主張はまるで洗濯物のようなリストのような、ますます奇妙な内容だ、という表現です。「laundry list」という表現は、面白いですね。わかりやすい言葉で、汚れた着物のリストのようだというのです。誠に正鵠を得ている表現です。

 放送ネットワークNBCとマイクロソフトが共同で設立したMSNBCニュースのアンカーマンであるLawrence O’Donnellが次のように報道しています。
.Lawrence: Everything out of Trump’s mouth is ‘real garbage’ and it should be treated as such.
 トランプの口から出てくるものはすべて「本物のゴミ」であり、そのように扱われるべきだ、というのです。「garbage」というのは誠にきつい、厳しい形容です。

 2012年大統領選挙での共和党の候補であり、上院議員であったミット・ロムニー(Mitt Romney) の演説の中に次のようなフレーズがあります。
Watch Mitt Romney’s full speech: ‘Trump is a phony, a fraud.’
 これまた厳しい形容です。トランプは偽者(phony)であり、詐欺師(fraud)だというのです。

 ペンシルベニア州ウィルクス・バリで行われたドナルド・トランプの悲惨な演説についてリポートしています。
MeidasTouch reports on Donald Trump’s disastrous speech in Wilkes-Barre, Pennsylvania where he spent a lot of time talking about how he believes he is better looking than VP Kamala Harris.
 トランプは、自分が副大統領のカマラ・ハリス氏よりもかっこいいと思っていると長々と語っていたというのです。

 最後にドナルド・トランプとイーロン・マスクの会話です。
Donald Trump conversation with Elon Musk
I saw a picture of her on Time Magazine today. She looks like the most beautiful actress ever to live. It was a drawing, and actually, she looked very much like a great first lady, Melania. She looked, she looked, didn’t look, she didn’t look like Camilla. That’s right. But, of course, she’s a beautiful woman, so we’ll leave it at that, right.

 タイム誌で彼女の写真を見たが、彼女は史上最も美しい女優のようである。しかし、それは写真ではなく絵だったが、実際、彼女は偉大なファーストレディのメラニアにとてもよく似ている。彼女はカミラ夫人に似ていない。その通りだ。

Kamara Harris on Time magazine

 メラニアとは、トランプ夫人のこと、カミラ夫人とはチャールズ国王の奥方です。さすがに女性の容姿を語るのはまずい、と思ったのか「so we’ll leave it at that, right」といって「この話はこれで終わりにしよう」と切り上げます。一体全体、カマラ・ハリスを自分の夫人、そして国王妃と比べるのが大統領候補者としての演説なのでしょうか。

 両陣営もネガティブキャンペーンをしがちなのが気になります。もう少し、世界情勢に関する政治状況や国内政策について二人の見解が欲しい感じがします。経済問題とか人種差別問題、不法移民の問題などたくさんあるはずです。次の候補者討論会は9月10日となり、FOXニュースで全世界に放映されます。両陣営は、虚々実々の駆け引きをしているようですが、

(投稿日時 2024年8月20日)  成田 滋

森有正の「遥かなノートル・ダム」

注目

 私がかつて一度会ったことのある哲学者が森有正です。呼び捨てにするのは少々ためらいますが、彼は哲学者というよりもフランス文学者といったほうが適当かと思われます。彼は、明治時代の政治家で初代文部大臣となった森有礼の孫で、東京帝国大学文学部哲学科で卒論を『パスカル研究』として発表します。やがて1948年東京大学文学部仏文科助教授に就任します。第二次世界大戦後、始まった海外留学の第一陣として1950年フランスに留学し、デカルト(Rene Descartes)やパスカル(Blaise Pascal)を研究し、そのままパリに留まります。東京大学を退職しパリ大学東洋言語学校で日本語や日本文化を教えていきます。

 私が森有正に会ったのは、1965年6月頃の札幌ユースセンター教会です。そこで働いていたとき、森が教会に入ってきて名刺を示し「オルガンを弾かせて欲しい」というのです。教会にはアメリカのルーテル教会青年リーグから寄贈された約400本のパイプのオルガンが設置されて礼拝やコンサートで使われていました。私はそのとき、彼が学者でオルガン愛好家であることを知りませんでした。後に「遙かなノートル・ダム」に出会ったとき、彼の深い思索や文明批評に触れて、その学識に接することになります。

森 有正

 森はパリでの長い生活で、その間数々の随想や紀行などを著します。人々の息づかいが伝わるような濃密な文体で知られています。読みこなすのは容易ではありません。晩年は哲学的なエッセイを多数執筆して没します。森有正選集全14巻の第4巻が「遙かなノートル・ダム」です。彼はフランスの教育制度や内容にも深い関心を示します。著者の経験と思索の中には、フランスの教育に触れる箇所があります。

 「フランスの教育の要点は、知識の集積と発想機構の整備の二つである。知識の集積とは記憶が主要な役割を果たす。それは実に徹底していて、中等教育の歴史科をとってみると、先史時代から現代まで第六学級から卒業までの七年間に膨大な量を注入する。知識は内容を省略せず、各時代の主要問題、政治、外交、経済、社会、文化を中心に、しかも頻繁なコントロールや宿題、さらに作文によって生徒自身の表現能力との関連において記憶されるようになっている。日本の中学や高校の教科書の五倍くらいの量である。」

 「フランスにおいては、自国の言葉の学習に大きい努力が払われている。小学校に入る6歳くらいから、大学に入る18歳くらいまで行われるバカロレア(Baccalaureate)という国家試験まで、12年間にわたり緻密に行われる。その目的は単に本を読むことを学ぶだけでなく、作文すなわち表現力を涵養するために行われる。漠然と感想を綴ることではなく、読解、文法、語彙、読み方にわたって低学年から教育が行われ、その定義と正しい用法が作文によって試されるのである。文法にしても、しかじかの規則を覚えることではなく、その規則の適用である短い文章を書くことが無数に練習される。読本の読解ももちろん行われる。学年が進むと、文法的分析に論理的文体論的分析が加わる。そして作文はいつも全体を総括的にコントロールするものとして、中心的位置をしめている。」

 このようにフランス教育の中心課題が知識の組織的蓄積であって、そこから自分の発想を磨くという眼目を忘れてはならないと説きます。それは単なる知識の詰め込みではないということです。

 森は、人間の中心課題として経験と思考、伝統と発想、そして言葉の重みを提起します。日本人は英語の単語や語句をたくさん知り、難しい本を読むことができても、書くとなると正しい英語を一行も綴れないことを話題とします。それは、自分の中の知識に対する受動的な面と能動的な面との均衡の問題であると指摘します。たくさんのことを覚えても、記憶してもそれが自分の中にそのまま停止しているから文章を綴れないのだ、といういうのです。単なる作文の練習をしてもどうなるものではなさそうです。英語でもフランス語でも本当に正しい語学を身につけるためには、その国の人の間に入って経験を積むほかはないと断言するのです。

森有正選集

 言葉には、それぞれが本当の言葉となるための不可欠な条件があるといいます。それはその条件に対応する「経験」であるというのです。経験とは、事柄と自己との間の抵抗の歴史であるというのです。福祉を論ずるにせよ、平和に論ずるにせよ、その根底となる経験がどれだけ苦渋に充ちたものでなければならないかを想起することです。その意味で経験とは体験とは似てもつかないものであると主張します。体験主義は一種の安易な主観主義に陥りやすいと警告するのです。

 「人間は他人がなしとげた結果から出発することはできない。照応があるだけである。これは文化、思想に関してもあてはまる。たしかに先人の築いたその上に築き続けるということは当然である。しかし、その時、その継続の内容は、ただ先人の達したところを、その外面的成果にひかれて、そのまま受けとるということではない。そういうことはできもしないし、できたようにみえたら必ず虚偽である。」

 「経験ということは、何かを学んでそれを知り、それを自分のものとする、というのと全く違って、自分の中に、意識的にではなく、見える、あるいは見えないものを機縁として、なにかがすでに生れてきていて、自分と分かち難く成長し、意識的にはあとから それに気がつくようなことであり、自分というものを本当に定義するのは実はこの経験なのだ。」というのが森が強調したいことでもあります。

「変化と流動とが自分の内外で激しかったこの十五年の間に、僕のいろいろ学んだことの一つは、経験というものの重みであった。さらに立ち入って言うと感覚から直接生れてくる経験の、自分にとっての、置き換え難い重み、ということである。」このように経験という意味を深く追求することによって、真理であると思われることを一度真剣に、徹底的に疑う勇気が生まれるというのです。

オルガン演奏の森有正

 この本に「思索の源泉としての音楽」という章があります。森はオルガン演奏をこよなく愛した人です。特にバッハ(Johann Sebastian Bach)の音楽やグレゴリアン聖歌(Gregorian Chant)に心酔していました。こうした音楽の本質は、人間感情についての伝統的な言葉を、歓喜、悲哀、憐憫、恐怖、憤怒、その他を、集団あるいは個人において究極的に定義するものだとします。人間は誰しも生きることを通して自分の中に「経験」が形成されると森はいいます。自己の働きと仕事とによって自分自身のもとして定義される、それが経験だというのです。この仕事は、あらゆる分野にわたって実現されるもので、文学、造形芸術などとともに音楽もその表れだといいます。

 この著作は森有正の人となり、生き方、フランス文化や日本文化に対するに関する思索や洞察、さらには音楽の意義に至るまで、その言葉や音楽の定義力の強烈な純粋さのようなものが織りなすエッセイとなっています。私の考え方の一つの道しるべのようなものとなった、かけがえのない一冊です。

参考資料
『バビロンの流れのほとりにて』 (講談社) 1968年
『遥かなノートル・ダム』(筑摩書房) 1967年
『経験と思想』(岩波書店) 1977年

(投稿日時 2024年8月18日)  成田 滋