アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その66 『Harley-Davidson』とウィスコンシン

ミルウォーキには、ハーレー・ダビッドソン(Harley-Davidson)の本社があります。いわずとしれたオートバイメーカーです。1903年に設立され、歴史的なライバルであるインディアンモーターサイクル(Indian Motor Cycle)と共に世界恐慌を生き延びたアメリカの2大オートバイメーカーの1つです。数々の所有形態、子会社の手配、経済的健全性や製品品質の低下した時期、激しいグローバル競争を乗り越え、世界最大のオートバイメーカーの1つになり、忠実なファンによって広く知られているアイコン的ブランドとなりました。こよなくモーターを愛するファンによって広く知られた象徴的なブランドとなっています。世界各地にオーナークラブやイベントがあります。会社主催のブランドに特化した博物館もあるほどです。

Harley Davidson

ハーレー・ダビッドソンは、チョッパーモーターサイクル(chopper motor cycle)というスタイルを生み出したカスタマイズのスタイルで知られています。チョッパーモーターとは、元々ついているハンドルなどのパーツを切って加工したり、取り除いたりしたバイクのことです。同社は伝統的に700cc以上の排気量を持つ重量級空冷クルーザーモーターサイクルを販売していましたが、より現代的なVRSC型、およびミドルウェイトのストリートプラットフォームを含む提供の幅を広げてきています。ハーレーダビッドソン社製オートバイ最大の特徴は、大排気量空冷OHV、V型ツインエンジンがもたらす独特の鼓動感と外観であり、これに魅せられた多くのファンがいいます。大きく横に張り出したケースも外見上の特徴です。

Harley Davidson Emblem

ハーレー・ダビッドソンはミルウォーキの他にペンシルベニア州ヨーク、ミズーリ州カンザスシティ、ブラジルのマナウス(Manaus)、そしてタイのラヨーン県(Rayong)でオートバイを製造しています。このように、世界中で製品を販売するとともに、ハーレー・ダビッドソンブランドによる商品、例えばアパレル、家庭装飾品、アクセサリー、おもちゃ、オートバイのスケールモデル、ビデオゲームなどのライセンス販売をしています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その65 『マッカーシズム』とウィスコンシン

ウィスコンシンは酪農が主たる産業です。その理由は気候と土壌にあります。五大湖の西部に位置するウィスコンシンは、厳しい冬と快適な夏が特徴です。ここは氷河が土壌の大半をえぐり、排水を妨げ多数の湖と広い湿地を形成してきました。冷涼で湿気の多い気候のため、土壌や痩せて作物の成育には適さないのです。南部だけが飼料作物と酪農に適し、北部はジャガイモやライ麦の生育に限られています。ですから理想的な酪農地域を形成しています。クローバーやアルファルファ(alfalfa)という牧草がとれます。これらの飼料作物の貯蔵用の大きなサイロと巨大な畜舎によって、家畜は長い冬を越すことができます。

このような酪農が盛んなことは、共和党員のジョセフ・マッカーシ(Joseph McCarthy)がなぜウィスコンシンから生まれたかを説明できそうです。ゲルマン系の人々やカトリック系の信者が定住し酪農を発展させてきました。こうした人々は伝統的な考え方を持ち、共和党支持の人々です。これがマッカーシズム(McCarthyism)の底流にあるというのが通説です。

Sen. Joseph McCarthy

マッカーシズムの勃興を促した短期的な理由も指摘されています。ニューディール(New Deal)以降、万年野党の地位に置かれた共和党の党派的な憤まんや、冷戦下の国際緊張の高まり、朝鮮戦争の勃発といった情勢です。ソ連の核開発、中国共産党政権の樹立、ヒス事件(Alger Hiss)やローゼンバーグ事件(Julius and Ethel Rosenberg)といったスパイ事件の相次ぐ摘発で、苛立つ国民の心理に強く訴えます。1952年にマッカーシが再選され、アイゼンハワー(Dwight D. Eisenhower)政権が成立すると、マッカーシは、審査委員会の委員長に就任し、CIA、Voice of America(VOA)、陸軍にいたる政府機関まで赤狩りの手を広げていきます。反共目的とした政敵攻撃を進めたのがマッカーシズムという恐ろしい手法です。

Rosenbergs

伝統的に共和党には、反ラディカリズム(Anti-Radicalism)やアメリカ社会の内的一体性を前提として生まれる排外主義的傾向があります。このことは排外主義を煽る「America First」というトランプ現象に現れました。こうした背景がマッカーシズム勃興の根底にあった考える歴史家もいます。アメリカは、今も民主主義や人権の規範について独善的なダブルスタンダード(二重基準)の問題を抱えています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その64  『Badger』とマディソン

Badger(アナグマ) というニックネームは、ウィスコンシン州の豊かな鉛鉱山発掘の歴史に由来します。ホーチャンク(Ho-Chunk)をはじめとする先住民族は、数百年前からウィスコンシン州南西部で鉛を採掘していたのです。ウィスコンシン州の歴史での最も古い領土紛争のいくつかは、植民地化したアメリカ人とヨーロッパ人入植者がこの地域に移り住み始めたときに、この鉱物の豊富な領土をめぐって発生したといわれます。1850年頃にアメリカの鉛消費量の半分以上を採掘していたことから、鉛鉱山周辺では坑道に人が住んでいた時代もありました。それは、初期の鉱夫たちが、貧しかったか、忙しかったか、あるいはその両方であったために、鉛の採掘場に家を建てることができなかったからです。ウィスコンシンの厳しい冬を乗り切るために、彼らは鉱山の中で生活していたのです。地中に穴を掘って動物のように暮らす彼らのことを、人々はアナグマ(Badger) と呼んで嘲笑したようです。

Science Hall

マディソンは1960年代から1970年代にかけてカウンター・カルチャー(Counter Culture)の街としても知られました。カウンター・カルチャーとは、ある時代または社会の主流となっている文化に対し、それを否定する人々によって作り出された反主流の文化のことです。この文化運動は、マディソン市内のダウンタウンにあるミフリン通り(Mifflin St)とバセット通り(Basset St)の周辺に集中し、「ミフランド」(Miffland)と呼ばれていました。この地域には学生やカウンター・カルチャーの若者たちが住み、壁画を描き、共同食料品店などを運営していました。ベトナム反戦活動も盛んになり、ミフリン・ストリート・ブロック・パーティー(Mifflin Street Block Party)という反戦抗議集会が常態化します。しかし、共和党のビル・ダイク(Bill Dyke)市長は、ベトナム戦争に抗議する地元の抗議活動を弾圧したため、学生たちから敵対者とみなされました。1960年代後半から1970年代前半にかけて、何千人もの学生や市民が反ベトナム戦争の行進やデモに参加し、次のような暴力的な事件も起きて、マディソンとカリフォルニア大学バークレー(University of California -Berkley)キャンパスは全米の注目を浴びることになりました。
 ・1967年 ダウ・ケミカル社(Dow Chemical Company)に対する学生の抗議行動で74人が負傷
 ・1969年 アフリカ系アメリカ人の学生と教職員の代表権と権利を確保しようとするストライキで、ウィスコンシン州兵が出動
 ・1970年 ウィスコンシン大学エーモリー体育館(Armory Gymnasium)内にあった陸軍ROTC本部が被害を受けた火災発生
 ・1970年 同大スターリング・ホール(Sterling Hall)の陸軍数学研究センター(Army Mathematics Research Center)で起きた爆弾事件でポストドク研究員が殺害

Red Gym

ミフリン・ストリート・ブロック・パーティーの鎮圧のために3日間もかかったことがあり、何百人もの警官の残業代が必要となり、近くの学生寮を含む学生コミュニティを巻き込むことになります。こうした騒動で、当時市会議員だった学生運動家のポール・ソグリン(Paul Soglin)は2度逮捕されます。やがてソグリンはマディソン市長に選ばれ3期にわたり努めます。

ウィスコンシンは社会改良の革新的な政治でも知られています。それはニューディール政策の先駆となるウィスコンシン理念(Wisconsin Idea)の発祥地です。ウィスコンシン理念の提唱や実践について、上院議員であったロバート・ラフォレ(Robert LaFollette)とその一族が果たした役割は大きいものがありました。しかし、彼のあとに上院議員となったのはマッカーシズム(McCarthyism)で悪名高いジョセフ・マッカーシ(Joseph McCarthy)でした。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その63 『キッコーマン』とウィスコンシン州

ウィスコンシンの土壌と水は農業に最適な環境を作り出していますが、世界最高の乳製品を生産するためには素晴らしい土地や酪農家の献身、酪農の研究と開発などが基礎となっています。ウィスコンシンでつくられる多くの製品は、ウィスコンシン大学などでの研究成果を反映しています。

ウィスコンシン州はアメリカのチーズの約4分の1を生産し、チーズ生産量では全米一位です。牛乳生産量ではカリフォルニア州に次いで第二位、一人当たりの牛乳生産量ではカリフォルニア州とバーモント州に続いて第三位。バター生産では全米の約4分の1を生産し第二位です。トウモロコシ、クランベリー、朝鮮人参、スナップインゲン、加工用豆などの生産で全国一位となっています。ウィスコンシン州の農産物生産の重要性は、ウィスコンシン州の四半期デザインに描かれたホルスタイン牛、トウモロコシの穂、チーズの輪に象徴されています。 州は毎年「酪農の国のアリス」(Alice in Dairyland)を選出し、州の農産物を世界に宣伝しています。

Kikkoman

大豆の生産が盛んなのもウィスコンシン州です。1973年に同州のウォルワース(Walworth)にキッコーマンは初の海外工場を建設し、“Made in USA”の醤油が初出荷されます。工場建設にあたっては、地域社会との共存共栄をめざし、現地社員の登用も積極的に行いました。日本で培われた技術で、現地の力で醤油を作り、“世界に通用する味”としました。通用する味とは、経営の現地化を土台にして育まれた恒久的な定着を意味しています。1998年には、カリフォルニア州フォルサム(Folsom)にアメリカ第二工場もオープンし、醤油の出荷量も順調に成長を続けています。

Kikkoman in Hokkaido

キッコーマンは、ソイソースに代わるいわば代名詞として、アメリカでも定着しています。ただ、キッコーマンのアクセントは「キッコマン」と発音されています。ステーキのために無くてはならないのがソースです。醤油と肉の組み合わせをより容易にするために生まれたのが「テリヤキソース」というわけです。キッコーマンは、1961年にその生産を始めてから現在まで高い人気を維持しており、「TERIYAKI」は、いまではウェブスター(Webster)の辞書にも載っています。大豆のお陰で醤油や豆腐、その他の日本食品が、アメリカ料理の主流に加わりつつあるといっても過言ではありません。

「TERIYAKI」は英語で「glaze-broiled」で「艶を出しの焼き方」という意味です。照り焼きソースはいろいろな種類があるようですが、最近は減塩もの、韓国風のもの、味噌でつくったものなどに人気があるようです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その62 『ビール』とウィスコンシン州

ウィスコンシン州は、シカゴの西、五大湖の左にある州です。最大の街はミルウォーキ(Milwaukee)ときけば、ウィスコンシンという州が少しはイメージが湧くかもしれません。1960年代にビールのコマーシャルで「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキ」というキャッチコピーがありました。ミルウォーキは、世界三大ビール生産地としてミュンヘン、札幌と肩を並べています。

Silo in Wisconsin

2018年現在、ウィスコンシン州の総人口は約579万人です。第二次世界大戦が終わった1945年以降、常に人口が増え続けています。州名のウィスコンシンはインディアン部族オジブワ族(Ojibwa)の言葉で「赤い石の地」を意味する「Miskwasiniing」がフランス語風になまった言葉が元になっているとされています。州都のマディソン(Madison)は5つの湖の間にある美しい街としてアメリカ国内では有名であり、極めて優れた都市計画のもとに作られています。カリフォルニア大学(University of California)の本校のあるバークリー(Berkley)と比較してリトル・バークリー(Little Berkley)とも呼ばれる大学町です。ウィスコンシン大学マディソン校は生物化学などが有名であり、大学院ランキングブックで社会学部門1位など州立大学としては国内トップクラスとなっています。

Leinenkugel beer

ウィスコンシン州の最大の産業は酪農業です。広大な土地と州内を巡る綺麗な水は酪農に適しており、牛乳やチーズは全米でトップの生産量を誇ります。開拓時代にスイスから移り住んだ人たちによって酪農が始まり、とくにチーズは本場スイス顔負けの品質と言われています。この酪農に対する思い入れは非常に強く、NFLの強豪チームであるグリーンベイ・パッカーズ(Green Bay Packers)のファンはチーズの形をした帽子(cheese head)を被って応援するほどです。州の愛称は「America’s Dairyland」。アメリカの酪農地帯と呼ばれています。

ウィスコンシン州では酪農以外にも水に関連する産業が充実しています。豊富な水資源はミシガン湖(Lake Michigan)、スウペリオル湖(Lake Superior)、ミシシッピ川(Mississippi River)、ウィスコンシン川(Wisconsin River)などを通じて州内を巡っています。同州はこの水資源を生かしたビールの生産が盛んなことは前述しました。小麦の生産が盛んなこと、涼しい気候がビールの醸造に好適なためです。他にもウィスコンシン州は小麦と水に恵まれていると同時に、ドイツ系の移民が開拓したことが関係しています。1800年代にドイツ系移民によって伝統的なビール作りが始まり、同州には次々にビール工場が作られました。同州にミラー(Miller)やシュリッツ(Schlitz)などのドイツ系の名前のメーカーが拠点を構えていました。ミラーはクアーズ(Coors)と合併してから本社がなくなりました。

Milwaukee Tool

ミルウォーキには「Milwaukee Tool」という世界シェアNo. 2の建設工具メーカーがあります。プロユーザー向けの高耐久性の電動工具、アクセサリー、手工具を製造する業界屈指の企業となっています。ドイツ系住民がもたらした機械の職人技が現れています。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その62 『The Badger State』とウィスコンシン州

合衆国を巡り巡ってようやくウィスコンシン(Wisconsin)にやってきました。7回にわたりこの州を紹介いたします。多くの読者の方々には、「一体ウィスコンシンってどこにあるの?」と問われるでしょう。私はこの質問を何度もきいてきました。確かにウィスコンシン州の知名度はいまいちの感があります。ニューヨークやカリフォルニアは思い浮かべることができても、ウィスコンシンの位置を言い当てるのは難しいようです。スイスやオランダなどからの移民やニューヨーク州からの移住者が酪農の技術を身につけてやってきた州です、といってもぴんとこないかもしれません。

Map of Wisconsin

ウィスコンシンとは、インディアン語で〈川の集まる所〉という意味だそうです。五大湖とミシシッピ川(Mississippi River)に挟まれたウィスコンシン州には、さまざまな地形があります。州内は5つの地域に分かれています。北はスペリオル湖に沿って広がるスペリオル湖(Lake Superior)低地。南側のノーザンハイランド(Northern Highland)には、150万エーカー(6,100km2)のチェカメゴン・ニコレット国有林(Chequamegon-Nicolet National Forest)を含む広葉樹と針葉樹の混合林、何千もの氷河湖、州の最高地点であるティムズ・ヒル(Timms Hill)があります。湖は洪積世の大陸氷河によるものです。州中央部の中央平原には、豊かな農地に加え、ウィスコンシン川のデルズ(Dells)のようなユニークな砂岩の地層があります。南東部の東部稜線と低地地域には、ウィスコンシン州の大都市が多くあります。

Corn field and Silo

南西部のウェスタン・アップランド(Western Upland)は、森林と農地が混在する起伏に富んだ地形で、ミシシッピ川に面した断崖絶壁も多く見られます。この地域は、アイオワ、イリノイ、ミネソタの一部も含むドリフトレス・エリア(Driftless Area)の一部です。この地域は、最も新しい氷河期であるウィスコンシン氷河期に氷河に覆われることはなかった処です。全体として、ウィスコンシン州の国土の46%は森林に覆われています。氷河の影響は州全体に残っています。その最も顕著なのは、氷河で削り取られた跡です。氷河が谷を削りながら時間をかけて流れる時、削り取られた岩石・岩屑や土砂などが土手のように堆積します。これはモレーン(moraine)と呼ばれます。でずから稲作などには適さなく、牧草などを植えて酪農が盛んとなったのです。

One Day in Wisconsin

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その61 『Mountain State』とウェスト・ヴァジニア州

ジョン・デンバー(John Denver)やオリビア・ニュートンジョン(Olivia Newtonjohn)が歌う「カントリーロード」(Country Road)は、ウェスト・ヴァジニア州(West Virginia)を車で通ったときの風景を歌ったものといわれます。1971年に発売され音楽週刊誌のビルボード(Billboard)で全米2位を記録した大ヒット曲です。歌詞(Lyrics)の最初にでてくる”Almost Heaven, West Virginia”はウェスト・ヴァジニア州自慢の人たちが使う言葉のようで、「まるで天国のようなところ」といった按配です。この曲は2014年に州議会により州歌として認定されています。

ウェスト・ヴァジニア州はアパラチア山脈(Appalachian Mountains)に位置し、国内で最も森に包まれる地形が広がっています。州内全域に広がる起伏の多い山々と丘や渓谷に囲まれていることから、山の州(Mountain State)という愛称がついています。「カントリーロード」の歌詞にある「ブルーリッジ山脈(Blue Ridge Mountains)」はアパラチア山脈に含まれ、州の東部からはその姿を眺めることができます。シェナンドー川(Shenandoah River)も一部流れています。

Country Road by John Denver

アパラチア山脈の全域に硝酸カリウムの採れる洞窟があり、弾薬用に開発されます。ヴァジニア州との州境には「硝石トレイル」があり、硝酸カルシウムを豊富に埋蔵する石灰岩は政府に買い上げられました。石灰岩は有益な採石産業も生んでいきます。この石灰は農業と建設用に使われます。そして19世紀後半、瀝青炭という貴重な資源が見つかります。これが国内の産業革命を加速させ、世界中の海軍の蒸気船に使われていきます。現在も多くの他州で発電するためにウェスト・ヴァジニア州の石炭が使われています。このようにウェスト・ヴァジニア州の主要産業は石炭産業です。国内ではワイオミング州に次ぐ第2位の石炭生産州で、国内全生産量の15パーセントを占めています。「カントリーロード」の歌詞にも「Miner’s lady(炭鉱夫の淑女)」という言葉がでてきます。

州都で最大都市はチャールストン(Charleston)となっています。州第4の都市、モーガンタウン(Morgantown)という治安のよい小都市に、州立総合大学であるウェスト・ヴァジニア大学があります。モーガンタウンはベスト・カレッジタウン(best college town)にランクインしており、生活費や犯罪率が低いエリアとして知られています。

Morgantown, WV

カントリーロードの歌詞の一部です。
Almost heaven, West Virginia
Blue Ridge Mountains, Shenandoah River
Life is old there, older than the trees
Younger than the mountain
Growing like a breeze

Country roads, take me home
To the place I belong
West Virginia, mountain mamma
Take me home, country roads

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その60 『ヒマラヤ杉に降る雪』と ワシントン州(その2)

カブオ・ミヤモトに対する殺人容疑の裁判には、町の検死官ホレス・ウォーリー (Horace Whaley)や、カールにイチゴ畑を売っている老人オーレ・ジャーゲンセン(Ole Jurgensen)も加わります。裁判では、このイチゴ畑が争点となります。この土地はもともとハイン・シニア(Carl Heine Sr.)が所有していたもので、ミヤモト夫妻はハイン家の土地にある家に住み、ハイン・シニアのためにイチゴを摘んでいました。カブオとカールは子どもの頃、仲良しでした。カブオの父親は、やがてハイン・シニアに2.8ヘクタールの農地の購入を持ちかけます。妻のエッタは反対しますが、カールは賛成し支払いは10年払いとなります。

Snow Falling on Cedars

しかし、最後の支払いが終わる前に、真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発し、日本人の血を引く島民はすべて強制収容所に移されることになります。ハツエとその家族であるイマダ夫妻は、カリフォルニア州のマンザナー収容所(Manzanar camp)に収容されることになります。母から反対でハツエはイシュマエルと別れ、マンザナーにいたカブオと結婚するのです。

1944年、ハイン・シニアが心臓発作で亡くなり、エッタ・ハインがジャーゲンセンに土地を売却します。戦争が終わって帰ってきたカブオは、土地の売買を反故にしたエッタを激しく憎みます。ジャーゲンセンが脳卒中で倒れ、農場を売却することになったとき、カブオが到着する数時間前に、カールが土地を買い戻そうと声をかけてくるのです。裁判では、家族間での土地争いの確執がカブオのカール殺人の動機であると主張されるのです。

殺人容疑の裁判

編集者のイシュメルはポイント・ホワイト灯台(Point White lighthouse)にあった海事記録を調べます。そこでカールが死んだ夜、カールが釣りをしていた海域を貨物船SSウエスト・コロナ号(SS West Corona)が、彼の時計が止まるわずか5分前の午前1時42分に通過していたことが判明します。イシュメルは、カールが貨物船の航跡の勢いで海に投げ出された可能性が高いことを知るのです。彼は、ハツエに振られた恋人としての苦い思いを抱えながらも、次ぎのような情報を得るのです。

それは、カールが船漁灯を切るために船のマストに登ったとき、貨物船の波によってマストから叩き落とされて頭を打ち、海に落ちたという結論を裏付ける証拠です。審議の結果、カブオの殺人容疑は晴れるのです。ハツエはカブオと結婚して以来避けていたイシュマエルに感謝し、イシュマエルはハツエへの愛にピリオドをうちます。そして彼の抱いていた不可知論という哲学は、やがて無神論へと変わっていくのです。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その59 『ヒマラヤ杉に降る雪』と ワシントン州(その1)

ワシントン州のとある島を舞台とした『ヒマラヤ杉に降る雪』(Snow Falling on Cedars)という作品を2回にわたって紹介します。ワシントン州は、戦前多くの日本人が移住したところです。この小説は、1995年に第15回 ペン/フォークナー賞(PEN/Faulkner Awards)を受賞したデイヴィッド・グターソン(David Guterson)のベストセラー作品です。日系アメリカ人への厳しい偏見と差別が主題となっています。ワシントン州内のベインブリッジ(Bainbridge Island)という島には、ここに住んでいた日系人276名が強制収容へ送られたこと記憶し、人種差別が今後「二度と起こらないように」と祈念した屋外展示があります。

Snow Falling on Cedars

この小説の荒筋です。1954年、ワシントン州のピュージェット湾(Puget Sound)の北、ファン・デ・フーカ海峡(Strait of Juan de Fuca)に浮かぶサンピエドロ島(San Piedro Island)に住んでいた日系アメリカ人のカブオ・ミヤモトが、島で親しまれていた漁師カール・ハイン(Carl Heine) を殺害したという容疑で第一級殺人罪に問われます。1954年9月16日、カールの死体は網にかかったまま海から引き上げられ、水没した彼の腕時計は1時47分で止まっていました。大戦後の根強い反日感情の中で裁判が行われます。

裁判を取材するのは、唯一の地元紙「サンピエドロ・レビュー」(San Piedro Review)の編集者イシュマエル・チェンバース(Ishmael Chambers)です。彼は元米海兵隊員で、太平洋のタラワの戦い(Battle of Tarawa)で日本軍と戦って片腕を失い、仲間の死に直面していました。彼は日本人への憎しみを抱き、カブオの妻ハツエへとの愛と、カブオが本当に無実なのかどうかという良心とで葛藤するのです。イシュメルがハツエと恋に落ちたのは、高校が一緒の時です。二人は密かに交際し、互いに情を通じ合っていました。

Carl and Hatsue

検察側には、町の保安官アート・モラン(Art Moran)と検事アルヴィン・フックス(Alvin Hooks)、弁護側は老練なネルス・グドモンドソン(Nels Gudmondsson)です。カールの母エッタ・ハイン(Etta Heine)を含む数人の証人は、カブオが人種的な理由でカールを殺害したと証言します。カブオはかつて日系人部隊第442連隊戦闘団で戦いますが、日本海軍による真珠湾攻撃後、祖先の血筋を理由に偏見を受けてきました。ヨーロッパ戦線で若いドイツ人を殺害したことへの因果応報を感じながら裁判に臨みます。

アメリカ合衆国の州を愛称から巡る その58 『Evergreen State』とワシントン州

ワシントン州(Washington)の気候は変化に富んでいます。オリンピック半島(Olympic Peninsula)の深い森林は世界の中でも雨が多い場所であり、北米大陸で唯一の温帯雨林に囲まれています。州内には常緑樹の森があり、年間を通じて豊富な雨が低木や草の緑を保っているので『Evergreen State』という州の愛称はぴたりといえましょう。 他方、カスケード山脈(Casucade Mountains)以東の半砂漠地域では樹木は稀です。

ワシントン州の州都オリンピア(Olympia) という人口は5万人弱の街で、最大都市シアトル(Seattle)の南西約100キロにあます。かつて住んでいた兵庫県の加東市はオリンピアと姉妹提携するという不釣り合いな関係を持っています。念のため、ワシントン州とワシントンD.C.(Disctrict of Columbia)は互いにアメリカ大陸の反対側に位置しています。

Leavenworth, WA

人口構成白人は約64%、ヒスパニック約14%、アフリカ系アメリカ人は全米でも少なく、アジア人が多い州である。日本人はアジア人全体の0.5%といわれますが、シアトルには全米一の日系企業があり、カリフォルニア、ハワイ、ニューヨークに続き4番目に日本人の数が多い州で、駐在員や家族が多く住んでいます。

ワシントン州の一番高い山、レーニア山(Mount Rainier)はシアトル南東部に垂直にそびえ、他州の最高点のいずれよりも多量の氷河に覆われています。1980年5月18日、セントヘレンズ山(Mount St.Helens)の北東斜面が爆発し、この火山の頂部が大きく壊れた。この噴火で森を平らにし、57人の人命を奪い、コロンビア川とその支流を灰と泥で溢れさせ、ワシントン州やその他周辺の州を灰で覆いのは記憶に新しいところです。

Mt. Rainier


ワシントン州内の重要なビジネスには、ジェット航空機の設計および製造会社のボーイング(Bowing)、マイクロソフト(Microsoft)、アマゾン(Amazon)、任天堂米国法人,スターバックス(Starbucks)、コストコ(Costco)、大型百貨店のノードストローム(Nordstrom)などが本社を置いています。