懐かしのキネマ その43 【西部戦線異状なし】

第一次世界大戦におけるフランスとドイツ国境での戦いは、いろいろなメディアで紹介されています。その1つがNHKで放映された「映像の世紀」です。第1次世界大戦から、第2次世界大戦、東西冷戦からベトナム戦争、民族紛争へと続く、激動の20世紀を描き出しています。「映像の世紀」の第2集「大量殺戮の完成」では、第1次世界大戦における機関銃、戦車、飛行船による空爆、毒ガス兵器など、大量殺戮兵器の実態が描かれています。

エーリヒ・レマルク(Erich Remarque)は、1929年に『西部戦線異状なし』(All Quiet on the Western Front)という長編小説を発表し、第一次世界大戦のドイツ軍のフランス戦線を描きます。この小説が1930年に映画化されます。本作が訴えた反戦思想は、数多くの戦争映画に多大な影響を与えた古典的名作です。監督のルイス・マイルストン(Lewis Milestone)は、イデオロギーや戦争理念等の国家思想を極力排除し、純粋な戦場映画に仕上げています。

この映画の荒筋をWikipediaを参照しながら、簡略に記述してみます。ドイツ軍への学生志願兵ポール・ボウマー(Paul Baumer)は、厳しい新兵訓練に耐え、フランス軍との前線になっている西部戦線へ赴きます。爆発音がするたび怯えるポールたちに、古参兵は危険な砲弾の見分け方について教えます。戦友の1人が砲弾の犠牲となり死亡します。ポールたちは戦場の過酷さを思い知らされます。他の隊への移動が決まり、ポールたちは塹壕で待機する日々を過ごすことになります。断続的な砲弾の音に恐怖し、次第に皆ストレスを募らせ、精神に異常をきたした友人は塹壕から飛び出し、重傷を負ってしまいます。フランス軍との実戦では、機関銃や銃剣、手榴弾を駆使して徹底的に殺し合う白兵戦です。

戦闘中、砲弾を避けるため窪みに潜んでいたポールは、そこへ飛び込んできたフランス兵を刺してしまいます。フランス兵は虫の息ながらまだ生きています。罪悪感に苛まれたポールは必死に看病するのですが、朝になってフランス兵は息を引き取ります。ポールが彼の胸元から支給袋を取り出すと、そこには妻と娘とおぼしき写真が挟まれています。ポールは遺体に向かって、必ず家族に手紙を書くと誓い、泣きながら謝るのです。

ポールも負傷し、病院へ運ばれます。夜中に出血したポールは、死に際の患者が入れられるという「死の部屋」へ移されます。今まで誰も戻ってきたことがないといわれた部屋からポールは生還し、無事に退院します。休暇をもらったポールは実家へ帰省し、家族との再会を喜び合います。父親とその友人たちと食事へ行くと、実際の戦場の厳しさを知らない彼らは無責任な話しばかりで、耐えかねたポールは母校へと向かいます。

かつて扇動的な言葉で煽ってポールたち若者を戦地に次々と送り込んだ担任教師は、今も生徒たちを扇動しています。母校を訪れたポールをこの教師は理想的な若者だと褒め称え、生徒たちの前で話をしてほしいと頼みます。ポールは戦場の悲惨さを伝え、祖国のために命を犠牲にする必要はないと語りかけるのです。美談話を期待していた教師は怒り反論します。生徒たちもポールを臆病者だと罵しるのです。

前線へ戻ったポールは足を負傷した友人を背負い、病院へ向かいます。砲撃が続く中、ポールは気がつかず負傷兵に話しかけます。病院に着くと、兵士は既に息を引き取っていることを知らされます。戦闘へと戻ったポールは塹壕の中で、ふと視線の先に蝶を見つけ、手を伸ばそうと身を乗り出します。その瞬間、敵兵に狙撃され命を落とすのです。ポールが戦死した日の司令部報告には「西部戦線異状なし、報告すべき件なし」と記載されているのです。作者のレマルクは、この言葉に戦争の不条理さを伝えています。

懐かしのキネマ その42 【卒業】

『卒業』(The Graduate)もニューシネマ(New Cinema) の代表といえるほど、映画フアンにはたいそう受けた作品です。アメリカ東海岸の有名大学陸上部のスターで新聞部長でもあったベン・ブラドック(Ben Braddock)は、卒業を機に西海岸のカリフォルニア州のパサデナ(Pasadena)へ帰郷します。ベンは、将来を嘱望されながらも浮かない虚無的な毎日を送っています。友人親戚一同が集った卒業記念パーティーで、将来を約束されたベンに人々は陽気に話しかけます。そのパーティーで、父親の職業上のパートナーであるミスター・ロビンソン(Mr. Robinson)の妻のミセス・ロビンソン(Mrs. Robinson)と再会します。卒業記念のプレゼント、赤いアルファロメオ(Alfa Romeo)でミセス・ロビンソンを送ったベンは、彼女から思わぬ誘惑を受けるのです。

二度目のデートの当日、約束の場所に来たのはミセス・ロビンソンです。彼女は自分の娘でベンのガールフレンドのエレン(Ellen)と別れるように迫り、別れないならベンと交わした情事を娘に暴露すると脅すのです。焦燥したベンはエレーンに「以前話した不倫の相手は、他ならぬあなたの母親だ」と告白します。ショックを受けたエレンは、ベンを追い出すのです。エレンを忘れられないベンは、彼女の大学に押しかけ、大学近くにアパートを借りてエレンを追いかけるようになります。結婚しようという彼の言葉を受け入れかけたある日、ベンは彼女が退学したことを知ります。そしてベンはエレンが医学部卒業の男と結婚することを知ります。

ようやく、彼女の結婚式が執り行われているサンタバーバラ(Santa Barbara)にある教会を聞きだし、そこまで駆けつけたベンは、エレンと新郎がまさに誓いの口づけをした場面で叫ぶ。「エレン、エレーン!!」。ベンへの愛に気づくエレンはそれに答える。「ベーンッ!」。ベンを阻止しようとするミスター・ロビンソン。悪態をつくミセス・ロビンソン。二人は手に手を取って教会を飛び出し、バスに飛び乗ります。バスの席に座ると、二人の喜びは未来への不安を予感するように「サウンド・オブ・サイレンス」(The Sound of Silence)が流れるのです。

懐かしのキネマ その41 【俺たちに明日はない】

「俺たちに明日はない」(Bonnie and Clyde) は、1967年に製作され世界恐慌時代にあった実在の銀行強盗であるボニーとクライドの、出会いと逃走を描いた犯罪映画です。この作品は、アメリカにおけるニューシネマ(New Cinema)の先駆的作品の1つであり、画期的な映画と評価されています。その理由は、旧来の保守的でブルジョア的な高級文化、「ハイ・カルチャー」(High culture)が誇る価値観を根本的に批判する新たな文化、カウンター・カルチャー(Counter culture)を盛り込んだ作品として登場したからです。やがて映画やテレビでは犯罪や暴力、殺人やセックスを表現することにオープンになります。芸術でいえば、アヴァンギャルド (Avant-garde)、つまり、先鋭的ないし実験的な表現を主張し、既存の価値基準を覆す思想を叫ぶのです。

『俺たちに明日はない』の荒筋です。クライド・バロウ (Clyde Barrow) は刑務所を出所してきたばかりのならず者です。平凡な生活に退屈していたウェイトレスのボニー (Bonnie) はクライドに興味を持ち、クライドが彼女の面前で食料品店の強盗を働くことに刺激されるのです。二人は車を盗み、町から町へと銀行強盗を繰り返すようになります。やがて、5人組の仲間を組織し、バロウズ・ギャング(Barrow’s Gang)という強盗団となります。当時のアメリカは禁酒法と世界恐慌の下にありました。その憂さを晴らすように犯罪を繰り返す強盗団は、凶悪な犯罪者であるにも拘らず、新聞で大々的に報道されるようになります。金持ちに狙いを定め、貧乏人からは巻き上げない「義賊的な姿勢」が共感を得、世間からは世界恐慌時代のロビン・フッド(Robin Hood)として持てはやされるのです。

多くの殺人に関与し、数え切れないほど多くの強盗を犯したクライドとボニーは、遂にルイジアナ州(Louisiana)で警官隊によって追い詰められます。そして映画のエンディングは「映画史上最も血なまぐさい壮絶な死のシーンの1つ」と呼ばれるほどのシーンです。このような犯罪行為を前面に打ち出す映画は、カウンター・カルチャーの表現の1つで、仮想的権威を前提とした対抗運動でもありました。

懐かしのキネマ その40 【渚にて】

社会派の監督といわれるスタンリー・クレイマー(Stanley Kramer)が指揮したのが、【渚にて】(On the Beach)です。時は1964年。第三次世界大戦が勃発し、核爆弾の一種であるコバルト爆弾の高放射線の広がりで北半球の大半の人々が死滅します。深海で潜行中だったために生き残ったアメリカ海軍の原潜ソーフィッシュ号 (Sawfish)は、放射線汚染が比較的軽微で南半球に位置するオーストラリア(Australia) のメルボルン(Melbourne) へ向かいます。そこでは戦争の被害を受けず多くの市民が日常を送っていますが、放射線汚染の脅威は徐々に忍び寄ってきます。

やがて、アメリカのシアトル(Seattle) 付近から、モールス信号(Morse code) のような不可解な電波が発信されていることが察知されます。生存者がいる可能性があるかもしれないので、ソーフィッシュ号艦長でアメリカ海軍中佐ドワイト・タワーズ(Captain Dwight Towers)らは、その発信源と推定されるワシントン州のアメリカ海軍通信学校へ向かいます。乗組員が防護服を着用して調査しますが生存者はおらず、ロールカーテンに吊るされたコカ・コーラの空き瓶が、風の力で電鍵を自動的に打鍵する仕組みによって断続的に電波を発信していたことが確認されます。ソーフィッシュ号はむなしくメルボルンへ帰還します。

汚染の南下が確認され、南半球の人類の滅亡も避けられないことが判明します。多くの市民は南へ逃げ延びることによる延命を選択せず、配布される薬剤を用いて自宅での安楽死を望み、覚悟して残りの人生を楽しむのです。まもなく大気中の放射線量が上昇し、被曝した急性放射線症患者らが服薬し始め、徐々に街はさびれていきます。ブリスベン(Brisbane)のアメリカ海軍から指令電報を受けてアメリカ海軍艦隊司令長官に昇進したタワーズは、オーストラリアで被曝するよりもアメリカ海軍軍人としての死を望みます。そして故国に向かおうと主張する乗組員と共にソーフィッシュ号は太平洋へ出航します。渚には彼の恋人モイラ(Moira)が見送るのです。

救世軍(Salvation Army)の旗がブリスベンの街頭にたなびきます。そこには「兄弟姉妹よ、まだ時間はあるのだ」と書かれています。