心に残る名曲 その八十四 ジョン・フィリップ・スーザ その一スーザフォーン 

北海道の名寄南小学校で低学年を過ごしました。そのとき、学校に吹奏楽部がありました。そこで聴いたのが行進曲です。後でその曲がスーザ(John Philip Sousa)というアメリカの作曲家であることを知りました。道立旭川西高校でも吹奏楽部があり、街の祭りでは他の学校に交じって行進していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スーザは元アメリカ海兵隊(United States Marine Corps-USMC)の音楽隊隊長で「行進曲の王様(March King)」と呼ばれたようです。「ワシントン・ポスト(Washington Post)」など100曲を超えるマーチを作曲します。「常に忠誠を(Semper Fidelis)」という曲は、海兵隊の正式行進曲として知られています。1987年12月に合衆国の「国の公式行進曲」(National March)に制定されたのが、「星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)」です。

吹奏楽部というのは、別名マーチングバンドなどと云われます。そこで用いられるマーチング用チューバのスーザフォーン(sousaphone)です。この楽器はスーザの考案によって命名されます。マーチングバンドの後方から放たれる重低音は、行進曲に重厚感を与えます。その巨大な姿による圧倒的な存在感を観衆に示す楽器でもあります。

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心に残る名曲 その八十三 メンデルスゾーン その3 ピアノ協奏曲第1番

メンデルスゾーンはバッハの音楽の復興、ライプツィヒ音楽院(Hochschule für Musik und Theater)の設立など、19世紀の音楽界に大きな影響を与え一人です。1901年に瀧廉太郎がこの音楽院に留学しています。「ヴァイオリン協奏曲」「無言歌集」など今日でも広く知られる数々の作品を生み出しています。

ベルリンにおいてバッハの「マタイ受難曲(Matthaw Passion)」を編曲し、自らの指揮によりこの曲の復活を果たします。1750年にバッハが没してから初となるこの演奏の成功は、ドイツ中、そしてついにはヨーロッパ中に広がるバッハ作品の復活につながる重要な出来事だったといわれます。この公演は、バッハのマタイ受難曲が難解であることに加えて、慈善公演として成功させます。当時「世界で最も偉大なキリスト教音楽をユダヤ人が復興させた」と評されたほどです。ルーテル派に改宗したメンデルスゾーンは、マタイ受難曲を「この世で最も偉大なキリスト教音楽」と考えていたといわれます。

1826年に作曲したシェイクスピアの劇作「真夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)」の序曲、「結婚行進曲(Wedding March)」なども知られています。ついでですが、祝婚曲といえばワーグナー(Richard Wagner)のオペラ「ローエングリン(Lohengrin)」の中の「婚礼の合唱」も有名です。

メンデルスゾーンはピアノ奏者でもあったので、曲には技巧を誇示するような華やかな雰囲気を感じさせてくれます。これは楽想は「カプリチオ的(Capriccio)」といわれ、形式にとらわれず生気のある楽曲です。ピアノ協奏曲第1番ト短調やヴァイオリン協奏曲ホ短調も管弦楽の序奏がなく、主題の展開で活き活きした着想と機知に富んだ点が目だちます。

メンデルスゾーンはまた多くの歌曲も作っています。ハイネ(Heinrich Heine)の「歌の本(Buch der Lieder)」の詩からとった「歌の翼に」や無言歌集第30番の「春の歌」も親しみのある旋律で有名です。

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