メンデルスゾーンはバッハの音楽の復興、ライプツィヒ音楽院(Hochschule für Musik und Theater)の設立など、19世紀の音楽界に大きな影響を与え一人です。1901年に瀧廉太郎がこの音楽院に留学しています。「ヴァイオリン協奏曲」「無言歌集」など今日でも広く知られる数々の作品を生み出しています。
ベルリンにおいてバッハの「マタイ受難曲(Matthaw Passion)」を編曲し、自らの指揮によりこの曲の復活を果たします。1750年にバッハが没してから初となるこの演奏の成功は、ドイツ中、そしてついにはヨーロッパ中に広がるバッハ作品の復活につながる重要な出来事だったといわれます。この公演は、バッハのマタイ受難曲が難解であることに加えて、慈善公演として成功させます。当時「世界で最も偉大なキリスト教音楽をユダヤ人が復興させた」と評されたほどです。ルーテル派に改宗したメンデルスゾーンは、マタイ受難曲を「この世で最も偉大なキリスト教音楽」と考えていたといわれます。
1826年に作曲したシェイクスピアの劇作「真夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)」の序曲、「結婚行進曲(Wedding March)」なども知られています。ついでですが、祝婚曲といえばワーグナー(Richard Wagner)のオペラ「ローエングリン(Lohengrin)」の中の「婚礼の合唱」も有名です。
メンデルスゾーンはピアノ奏者でもあったので、曲には技巧を誇示するような華やかな雰囲気を感じさせてくれます。これは楽想は「カプリチオ的(Capriccio)」といわれ、形式にとらわれず生気のある楽曲です。ピアノ協奏曲第1番ト短調やヴァイオリン協奏曲ホ短調も管弦楽の序奏がなく、主題の展開で活き活きした着想と機知に富んだ点が目だちます。
メンデルスゾーンはまた多くの歌曲も作っています。ハイネ(Heinrich Heine)の「歌の本(Buch der Lieder)」の詩からとった「歌の翼に」や無言歌集第30番の「春の歌」も親しみのある旋律で有名です。
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